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義経と尼御前の出会いを知りたいのですが教えてください。

●質問者: wishmaster
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:義経
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● KaoLu
●10ポイント

静御前の事ですか?

平治の乱で父の義朝が平清盛に敗れ、敗走中に討ち取られる

その後、母の常盤は清盛の妾になるのと引き換えに義経の命を守る

(4歳の時、京都山科に預けられる)

7歳の時に鞍馬寺に預けられているときに出会ったと言われる

http://www.st.rim.or.jp/%7Esuccess/unmei_y.htm

◎質問者からの返答

違います。出会いが知りたいのです。

?義経主従の中に尼御前という名の尼がいた。尼御前は安宅の関の厳しさ、これから先の旅路を女であるがゆえ足手まといになると憂い、主君義経の無事を祈願しこの岬から身を投げたという。?


2 ● HON2
●60ポイント

尼御前とは誰れ?

義経の女は判っているだけで三人います。一人目はご存知の白拍子静御前、二人目は頼朝の命令で正妻にした武蔵国の河越重頼の娘で、義経と一緒に奥州へ下って衣川館で四歳の女子と自害しています。三人目は壇ノ浦で生け捕られた前権大納言平時忠が命乞いに差し出した先妻の娘です。静御前は鎌倉へ送られたのですが、時忠の娘の消息が不明です。義経逃避行のとき、時忠は死一等減じられて佐渡へ流されていますから、娘も父の元へ行くため北陸道を行った義経一行に同行した可能性があります。

実はもう一人義経の女がいます。以仁王を担いで挙兵した源三位頼政の孫で伊豆冠者有綱は義経の女婿といわれますから、この娘を生んだ女がいたはずです。これも消息が不明。

ま、女に甘い義経のことですから、他にも女はゴマンといたでしょう。

加賀の尼御前岬は現地の伝説ですから、他国での義経との出合は伝わらなかったようです。実は、わたしは尼御前岬から遠くない安宅の関の近くで生まれ育った者なのです。

http://www.tabimati.net/introduction/about/view/mm_view/view014....

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