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時代モノ×ファッションの質問です。
奈良時代の衣装から平安時代に十二単にデザインが急に変化していると思うのですが、それは誰がデザインして誰が流行らせたのでしょうか。昔からの疑問です。教えてください。

●質問者: bookshelves
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 美容・ファッション
✍キーワード:デザイン ファッション 十二単 奈良時代 平安時代
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

▽最新の回答へ

1 ● aiaina
●23ポイント

http://www.heian-soen.jp/taiken/shozokutaiken/itm/jyunihitoe.htm...

初めて十二単という言葉が出てまいりましたのが、「源平盛衰記」の中で、壇ノ浦に身を投げる建礼門院平徳子の装いを、「弥生のころなれば藤がさねの十二単を召されたり」とかかれております。裳唐衣の正装ではなくてたくさんの衣装をお召しになられることを、十二単と呼ばれたのではないかといわれております。十二単と申します響きの美しさから皆様に好んで用いられるようになったようです

女房装束の原型は「養老の衣服令」に規定された女子の朝服です。宇多天皇の寛平六年(894年)遣唐使を廃止いたしました頃より日本の風土や、生活様式に合わせた装いが確立されてゆきます。いわゆる国風化、あるいは和様化ともうしまして装束の形や寸法が次第にゆったりとしてゆきました。奈良時代の裙の下にはいておりました下袴が長大化して長袴となり、背子という袖なしのチョッキのような衣装が衿をつけ大きく仕立てて袖をつけて唐衣となりました。


2 ● nanya1983
●23ポイント

奈良時代、平安時代はまだ十二単とは言えるものではなかったようです。十二単と呼ばれるようになったのは鎌倉末期からで伏見天皇の中宮が着ていたことによって十二単と呼ばれるようになった。詳しいことはこちらで。

http://www.bb.em-net.ne.jp/~maccafushigi/mac/2.htm


3 ● HON2
●22ポイント

平安時代の住宅は様式史で寝殿造りといいますが、間仕切りも天井もなく、まるで倉庫か映画撮影のセットのような衝立の中で生活していました。だから寒くてしょうがない! 特に京都は。

そこで、やたらと重ね着したものを、後世、何を間違えたか「十二単」と名付けたのです。人によって六単の人もいれば、十五単の人もいました。

ですから誰がデザインして誰が流行らせたというものでもないのです。宮廷女性の生活の知恵でしょうかね。


和服に秘められた礼儀作法の原点

http://www1.ocn.ne.jp/~jukoo/102-fukuso.htm


4 ● sabuchann883688
●22ポイント

千葉県佐倉市に国立民族歴史博物館という施設があります。こちらで調べてみたらわかるのではないでしょうか。うちの主人が文化財の仕事をしている関係でそちらの研究起用を毎号いただいていますがそうしたテーマの研究もとても充実しています。

http://kiuchi.jpn.org/kita/k_rekihaku.htm

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