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破傷風の血清療法という大発見をした北里柴三郎氏がノーベル賞を受賞できなかった理由を教えてください。
Wikipediaには人種差別があったとありますが、まさか、選考書類や議事録に「黄色人種だから不可」と書いてあったとは思えません。
なにか証拠となる資料があるのでしょうか。

●質問者: kajint
●カテゴリ:医療・健康 科学・統計資料
✍キーワード:Wikipedia ノーベル賞 人種差別 北里柴三郎 発見
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● tonton11
●20ポイント

その時には北里柴三郎より優秀な医者が居たそうです。

◎質問者からの返答

ベーリングのことでしょうか?最近の例と比べれば、最低でも2人の共同受賞には値するのでは。オリジナリティと貢献度は北里博士の方が上だと思うのですが。ひいき目でしょうか。


2 ● maamaamaa
●30ポイント

下記は参考になりましょうか。

http://www.incs.co.jp/tsurezure/bb/2001/010820.html

http://www.incs.co.jp/tsurezure/bb/2001/010823.html

http://www.incs.co.jp/tsurezure/bb/2001/010828.html

「ベーリングの授賞は、ジフテリアの治療と血清療法の理論的な確立への貢献が重要視されて実現したものであり、北里への授賞の可能性は当初からなかったと考えてよい」としている。

北里はあくまでも、補助的な役割でしかなかったという評価である。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。これを読む限り、いまの基準ならやはり共同受賞が妥当という感じですね。

第1回だし、選考法も手探り状態だったのかもしれませんね。


3 ● luxon
●30ポイント

興味があったので調べてみました。

「人種差別があった」と書かれているページは多いのですが、

根拠が書かれていないものばかりでした。

Wikipediaを含めてあちらこちらのページで、

この件についての資料が近年になって発見され、初期のノーベル賞受賞選考の際に明らかな人種差別があったことが証明され、ノーベル賞の『負の歴史』として記録が残された。

という記述が(改変されている場合もあり)見つかるのですが、どこにもその「資料」のソースが示されていませんでした(Wikipediaからのコピーなのでしょうね)。

もちろん、資料が見つかったという話がウソだと言うつもりはありませんが。

一番、根拠となりそうな情報は、

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/doryoku.htm

医学賞選考委員会では当初46名の候補者の中から15名を絞り込みましたが、その中には北里の名前があってもベーリングの名前はありませんでした。

で、これ以上に具体的な情報は見つけられませんでした。

もしかすると上の「資料が見つかった」というのは、この絞り込みリストだったのかもしれません。

◎質問者からの返答

人種差別が悪いことだというコンセンサスがなかった当時ならさもありなんという状況証拠のような印象を受けます。

この程度で差別だったと決めつけるのは「出来事だけを記し、主観的評価は入れない」というWikipediaの思想に反すると思います。あの記述を批判することが目的ではないので、これ以上は言いませんが。


4 ● J95318
●30ポイント

専門家でもない方のサイトからですし、そのソースも見つけれてませんが、

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/doryoku.htm

医学賞選考委員会では当初46名の候補者の中から15名を絞り込みましたが、その中には北里の名前があってもベーリングの名前はありませんでした。そのドイツ人のベーリングがなぜか受賞したのです。ベーリングは「北里の先駆的研究と献身的な協力のお陰で、ノーベル賞を受賞できた。」と北里に感謝を述べていましたが、本来なら北里の研究成果が単独で、あるいは百歩譲ってもベーリングとの共同で受賞すべきものでした。

ノーベル賞候補者のリストは受賞後50年後公開される(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121016335/ref=cm_aya_a...)そうですが、

「そのリストに北里と共同研究をしていたベーリングの名前はなく北里が挙がっていたが、結局ベーリングのみが受賞した=研究は受賞に値するのに授賞されなかったということは日本人であったからだろう」

という推測なのかと。

ただ、実際に候補者リストがどうなのかは調べられてないのですが。

ちなみに、当時、同じ実績で日本人と欧米人の研究者が挙がった場合、欧米人が受賞するケースが多かったそうです。

http://puh.web.infoseek.co.jp/aboutnobelprize.htm

◎質問者からの返答

山極氏の場合は、明らかにノーベル賞の方がまちがっていたそうですね。


5 ● mikeneko_tika
●30ポイント

当時の医学分野では、ドイツが先進国 日本は発展途上国と見られていて、

ドイツ人研究者と共同研究した日本人は、いわば助手のような見方をされてたのではないかと思います。

あと、ノーベル医学・生理学賞の候補にあがった研究論文が、

ベーリング「ジフテリアの免疫血清の論文」

北里柴三郎「破傷風の免疫血清の論文」で

当時ジフテリアの方が、人目を惹いたと言うことだと思います。

◎質問者からの返答

いまなら「より人目を引く」、「世間への影響が多い」よりも、先にやった方が評価されますが、

やはり選考基準がぶれていたのかもしれません。

しょせん、ドイツのコッホの元で行われた研究である限り、ドイツ人の受賞しか考えられなかったということでしょうか。

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