人類が全員、バルカン人であればと仮定すれば
ある程度の平和は保たれるでしょう。
但しバルカン人であっても、精神的弱者は存在すると
思うので、そのような人たちにとっては苦痛のある社会に
なると思われます。
また論理的であるが故の争いも(暴力的ではないにしろ)
起こる可能性も否定できません。
そこで、人類が人間とのハーフであるスポックの様であれば
みんなが幸せになれると思います。
論理的な思考に加え、ユーモアを理解できる。
(つまり少しは融通が利く)
このような精神構造が人類すべてにあれば
世界は平和になるのではないでしょうか。
長寿と繁栄を!
非論理的です。・・・ごめんなさい書いてみたくなってつい。
人間は全知ではないし、そもそも人によって求めるものが違います。無知や誤解が原因なら問題はやはり起きてしまうし、サイコパスやカルト教団まで行かなくても、信条の違いによる対立はやはり起きてしまうでしょう。それでも、論理的であるなら、議論をそうした根本的な相異点に絞りやすくなるので、和解もしやすくなるかもしれないとは思います。
バルカン人は論理的であるというより協調性が高いのではと思ったり。
今よりも少しだけみんなが論理的になれば世界は平和になるかな?
それはそれでみんな幸せになれるかもしれませんね!?
あのテレパシー能力があるからこそ、なのかもしれませんね!
哲学者の三浦俊彦氏によれば、論理的に「人を殺してはいけない」が導き出せるのだそうです。
「平和」がどのような状態として定義されるかがわからなければ、なんともいえませんが、人殺しが存在しないかきわめて少ないことは平和の重要な属性の1つではあるでしょう。
とすれば、人を殺してはいけないという認識が論理的なものとして共有されるならば、平和を成立させる重要な条件の1つは満たされる、くらいのことは云えるんじゃないでしょうか。
平和とは論理的な状態(…なんかしっくりこない表現ですけど)である、と言えるのでしょうか!?
平和が何であるかはよくわかんないけれど、三浦氏の考察が正しいとすれば、論理的に実現し得る部分を多く持つものではないかと想像される、と云えるんじゃないでしょうか。
ん、あんまりわかりやすくないっすかねぇ(^_^;;
スポックのパパは最初バルカン人と結婚しましたよね(後年頭のおかしな異母兄にスポックは悩まされましたね)。 でも離婚してスポックのママ(の地球人)と結婚したのはなぜでしょうか?
論理がすべてを左右するならば理想の相手と想定どうりの結婚生活を送れるはずなのですが。
スポックに恋した地球人のチャペル看護士の事を考えると感情を押し殺した人付き合いは胡椒の無いラーメンのように物足りなさを感じます。恋の駆け引き、夫婦のあや、友情、感情を押し出してこそ絆も一層強くなると思うのですが。
ハーフで両方の長短所を持ったスポックが理想です。彼は時々(いえ本当はいつも)感情的ですよね。それを理性で誤魔化そうとする。そういう人間臭いところがスキですねえ。個人的見解で語弊があったら『ごめんなさい』ですが、ラテン系の感情過多や理性が強くても狩猟型(凶暴)ゲルマン系より理性と感情のバランスのとれたモンゴロイドがスポックに近いのでは、、と思います。
あなたが恋をすると、あなたに恋をしていた誰かが恋を失うのです…
誰もいないかもしれないし、複数人いるかもしれない…
『ayame2001さん、恋はまさに非論理的です。』
複数の思想があるから問題が起こる。
論理的に考える思想しかなく、問題を合理的に解決する
論理的思考があれば、戦争は起こらない。
不幸ではないが、幸せかどうかはわからない。
論知的に、戦争で問題を解決する手段はとらないが
バルカン人以外が存在していれば、戦争を仕掛けられる
可能性はある。
きっとそこには平和がある…ような気がするのですけど…
論理の行き着く先は一つだけなのでしょうか…
環境により雪の結晶がいろいろな姿を見せる。
整然としたすがたを保つ。
しかし、雪の結晶には違いない。
バルカン人は争いごとが嫌いだったはずなので平和にはなると思います。しかし、世の中から疫病や飢餓などがなくなるわけではないでしょうから、幸せになるとはかぎりません。
何が必要でしょうか…
論理的精神によって無くしていくことは出来ないでしょうか…
無くならないものであるとするなら、人間は自らの手によって幸せになることは出来ないですね…
脳が自然を完全に制御できると考えるのは傲慢です。干ばつや台風、地震などの天災や、それによって起こる疫病や飢餓を、論理的精神によって無くすことはできません。また、人間の「生老病死」も自然そのものなので、論理的精神によって無くすことはできません。
病気や事故に遭うこと、老いること、死ぬことを「覚悟する」ことはできます。しかし、覚悟したからといって「生老病死」の四苦そのものがなくなるわけではありません。つまり「人間は自らの手によって幸せになることはできない」というのは正しいと思います。人類もしょせん永遠の存在ではありません。
論理操作は脳という臓器の機能の1つに過ぎません。個体をとりまく環境全体を変える力はありません。
実際にスタートレックを見たわけではないのですが、
バルカン人に限らずとも皆が同じ考えであれば争いが起きることはまれだと思われます。
が、幸せになるかというと難しいのではないのかと思います。人間は不幸を感じることによって幸福を感じます。感情を押さえ込むということは幸福の感情すら押さえ込むことだと思います。
なんかぐだぐだですいません。
そして世界が平和になると、誰もが不幸ではなくなる一方で誰もが幸せでもなくなる…
平和は望むべきものなのでしょうか…