人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

「いらない人間などいない」
「いらない人間は確かにいる」

皆さんはこれのどちらが正解だと思いますか?
定義(適用範囲)にもよりますので、ご自由に定義した上でお答えください。たとえば……。

・国家レベルで見た場合
・個人レベルで見た場合
・会社レベルでみた場合
・家庭レベルで見た場合
・人間関係を総合して見た場合

等です。私はダイアリーにこのテーマを書こうとして、数行書いた時点であまりの難しさに指が止まってしまいました。ご回答お待ちしています。

●質問者: ElekiBrain
●カテゴリ:政治・社会 人生相談
✍キーワード:ダイアリー テーマ レベル 人間 人間関係
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 13/13件

▽最新の回答へ

1 ● takeshi825
●14ポイント

「いらない人間などいない」と私は考えます。今まで生きてきた中で、色々な人に会ってきました。嫌なことを言ってくる人もいれば、生理的に会わない人もいました。しかし、そのような出会いは

後になって考えてみると自分自身を成長させてくれる要因になって

いたような気がします。自分の周りの人間が全て自分の好きな人たちなら、自分自身はあまり成長できなかったような気がします。今まで出会ってきた嫌な人たちも含めて人間関係という観点からみるといらない人間などいないと私は考えます。

◎質問者からの返答

確かにそう思います。これは、「人間関係を総合して見た場合」に関する意見ですね。

あらゆる角度から見れば、「いらない」と人から言われる人間を必要とする人もいるわけです。たとえばそれは家族であったり、仰るように自分を成長させるスパイスとしての必要性だったり。


しかし、実際問題として女性をレイプした後、赤ちゃんとレイプした女性を殺して、その上のうのうとしている犯人がいる(その後刑務所内から出した手紙の中に「女と男がヤリたいと思う感情、コレ普通(笑)」等と書かれたふざけた手紙がマスコミによって公開された)、というニュース等を聞いたりすると、あながち全てそういった解釈で理解できるとは限らない気もします。


社会派な意見もお待ちしています。


2 ● jippu
●14ポイント

僕は基本的に「いらない人間はいない」という考えなのですが。

例えば仮に、自分の家族が誰かに殺されたとなったら、その誰かに対して「いらない人間」と思うに違いない。

逆に、例えば仮に、自分の家族が誰かを殺してしまったとしたても、僕はその家族を「いらない人間」だとは思わないでしょう。

ということで、どちらも正解。

…というのはだめでしょうか。

◎質問者からの返答

難しい質問にお答えくださって、ありがとうございます。しかし、自分のことしか考えない少数の心無い人間も確かに存在すると思うのです。


しかし、仰る通り、その人間が100%悪であったり善であったりすることはないため、家族や恋人であれば「何かの間違いに違いない」「ストレスが溜まっていたのだろう」と思うのでしょう。


公私の意識の違いによって「いらない人間」と「必要な人間」の住み分けもできてしまっているような気もします。先ほどの犯罪者の例でも、父親は完全に擁護派にまわっているという立場でしたし(事件の内容を見ればあきらかに擁護できない内容にも関わらずです)。


3 ● TomCat
●20ポイント

私はあらゆるレベルにおいて、要らない生命というものは一切ない、

という立場を取りたいと思います。

人間だけでなくあらゆる生命について、細菌のレベルに至るまで、

必ずその存在に何らかの意義があるものと考えます。(*注)

基本的には病原体としての細菌ですら、

本来は宿主との共生体であって、

宿主の生体環境を含めた環境がよく整ったものであるならば、

偏利共生の形でダメージは与えつつも、

自己の生存環境の喪失につながる宿主の死ということは

極力避けるようにコントロールされているんですよね。

そうした生物相互のバランスがうまく保たれていたからこそ、

医学も何もない時代をずっと、生物は種を長らえてきたわけです。

そしてその「バランス」というものが、生命体の存在意義と

おそらく密接に関わっています。

さて、そこで人の存在ということを考えてみます。

まず地球環境の中の生命としてこれをとらえた場合、

どのような人であれ、その存在に依拠しながら、

おそらく何十億という生命体が共生しています。

それら微生物にとっては宿主たる人が地球そのものであり、

その健康が生息環境の全てなんだろうと思うんですよね。

ですから宿主たる人がちょっと二日酔いにでもなって

何かの薬でも飲んだとしたならば、それはもう、

ハルマゲドンのような大惨事となっているに違いないんです。

ましてやその人が殺されでもしようものなら、

その人の体に共生していた生物にとっては、

この世の終わりにも等しい状況がやってきます。

したがって、地球レベルで見た場合、

この世に要らない人なんて、

ただ一人も存在しないはずなんですよね。

誰もが何かの生き物の、かけがえのない地球」に

なっているはずなんです。

さて、続いて国家レベルで見た場合を考えます。

近代の国家はその主権が国民に置かれますから、

少なくともその国の主権者たる人の中に、

国家にとって不要な人間は誰一人いないはずなんです。

この認識は、近代現代国家における、

国家存立の基本に関わる問題です。

国家の主権者となり得ない外国人についても

必ずどこかの国のかけがえのない主権者であるはずで、

国家はその大切な客人を、国際信義に基づいて

自国民と同様に尊重していく義務を担います。

もちろん無国籍状態に置かれている人がいるとすれば、

関係するいずれかの国がそれを救済しなければなりません。

個人レベルで見た場合は、単に付き合いの相手としてなら、

自分にとって不要と退けても良いでしょう。

しかしそれによって相手の権利を侵害するとするならば、

その時点で問題は国家レベルの視点の話になりますから、

国の主権者が別の主権者を不要扱いすることは出来ません。

会社レベルでみた場合も同様です。

たとえば会社が持つ不要な社員を解雇する権利は、

解雇される側の正当な権利を侵害しない限りにおいてしか

認められるものではありません。

不当な権利侵害があれば、それは会社レベルの視点で

語れる問題ではなくなってきます。

家庭レベルで見た場合は、家族である限りにおいて、

その家にいていいのだという立場を保証します。

お前なんぞいらない、出て行け、と言った時点で、

言った側が家族という制度を崩壊させることになります。

人間関係を総合して見た場合、

基本的に、私的な立場としては不要な人間は避けてよい。

しかしそれによる影響が私的なレベルを超えた場合は、

既に問題は社会的国家的視点に移るのであって、

そこにおいて不要な人間は誰一人存在しない、

ということになるのだろうと思います。

*注:私はウイルスについては生物と認識していないので、
エンドサイトーシスによって宿主細胞内に入り込んだとしても
それを共生とは認めません。
だからウイルス性感染症は、かかると致命的なんです。
だから宿主を簡単に取り殺すような病態になりがちなんです。
つまり、生命体としての存在意義とバランスの外にいる物体なんですよ。
したがって、あんなものは不要だから糖と蛋白に分解しちゃえ、
とか思っています。はい(^-^;

◎質問者からの返答

国家レベルのお話、興味深く拝見させていただきました。確かに定義を明確にしてゆけば、仰るとおりですね。しかし、現状、法律上ではなく、実際面の問題として「いらない人間」を社会全体が容認していることも事実であると思います。


今度は「いらない人間などいない」立場に立って話しますが、例えばホームレスの問題があります。ホームレスは別に怠慢ではなく、それまでで社会に対して一定の貢献をなしてきた方達が圧倒多数であると思います。そういった方達は、コンピュータ化が進む中で元々あった職業を追われたという話を聞きました。彼らは私達からしても先人でこそあれ、追い払う対象ではないと感じています。大阪の公園からホームレスを追い出す計画は、人間としての異常性を感じました。


4 ● sougetsu
●14ポイント

ところで

「人間」という生き物自体が、何かの必要があって存在してるんでしょうか?

何かの必要があるなら、

「いらない人間などいない」と思います。

何の必要もないなら、

「全ての人間はいらない」と思います。

あるいは、どうでもいいことだと思います。


たぶん、

ご質問は仏陀の「無記」の類に属する問題であろうかと思います。

◎質問者からの返答

「無記」は存じませんが、確かに宇宙の様々な存在レベルで考えるならば、全ては必要、あるいは全ては不要、となります。だからこそ、ご自分で定義の上で、と付け加えました。


様々な角度から見て、総合的に判断した内容をダイアリーに書こうと思っているからです。


※回答回数を2回に増やしました。一度回答された方も、もう一度ご回答くださって構いません。お待ちしています。


5 ● くまいみずき
●14ポイント

結論から書きます。いらない人間は確かにいます。

というか、「いらない人間がいる」ではなく「いらない人間しかいない」と思います。

もちろん、わたし自身も「いらない人間」だと認識しています。


例えば恋愛等で「あなたがいてくれたから」というのをよく聞きますよね。

でも冷静になって考えてみたんです。

「あなたしかいない」と思った人と、全く同じ人がこの世に存在していたら。

そして、その人と先に出会っていたのなら。

今「あなたしかいない」と思われている人は、必要なくなってしまうのです。

仮に「A子」さんと「B男」さん、「C男」さんという3人がいたとします。

A子さんはB男さんに「あなたしかいない」と言ったとします。

ところが、B男さんと全く同じ考えや行動をするC男さんがこの世に存在したとします。

そして、C男さんとA子さんが先に出会ったとします。

すると、A子さんはC男さんに対し「あなたしかいない」と言うでしょう。

なぜなら、B男さんとC男さんは全く同じなのですから。

この場合、B男さんはA子さんに必要とされません。つまり「いらない人間」になってしまうのです。

他にもB男さんを必要としている人がいるかもしれません。

が、今と同じ理屈で、D男さんという全く同じ考えや行動をする人がいたら・・・。


分かりにくいのですが、こういったことを考えたことがあります。

その結果、どう考えても自分は「必要のない人間」という結論にしかならなかったのです。

そのため、冒頭に書いたとおり「いらない人間はいる」という回答になりました。



以下、蛇足の話題。

よく、自殺しようとする人に対し「いらない人間なんていないんだ」と言うところを見ると思うのですが。

裏を返すと「必要としている人間のために生きろ」という意味になります。

これって何かおかしいと思いませんか?

自分が生きるのは他人のためではありません。自分のためです。

自分の為に生きる。それが本当の意味で生きるということではないでしょうか?

いらない人間だって生きていく権利はあるんです。

自分が生きたいのならば・・・。


長文、失礼しました。

以下、ご参考になれば幸いです。

◎質問者からの返答

B,Cともに必要、という結論は成り立たないのかが少し疑問に思いました。


>自分が生きるのは他人のためではありません。自分のためです。

私も大枠はそう思いますが、最近では少し考え方が変わりつつあります。それはこの「はてな(人力検索・いわし)」を通して感じたことです。質問者が質問する内容に回答し、その内容に対して質問者は感謝の意を述べる。今までの荒れ放題の掲示板システムとは明らかに違いました。人間は自分の主張だけを醜く撒き散らす生物ではなく、ちゃんと礼節をもって対すれば、確かによい関係が築けるのではないか。そう思ったのです。私は人間関係に今まで散々苦しみました。それこそ、他人のことなど全く考えない奴等から暴力やいじめにもあいましたし、逆にあらゆる暴力を行使したこともありますし、他人をいじめたこともあります。日々生きた心地がしなかったこともしばしばです。高校の頃は監獄のような場所で生活したこともあります(※刑務所や少年院ではありませんが、似たような環境でした)。そういったなか、人間関係について深く考えるようになったのです。

人間不信が人生の大半を占め、それでも人間のことをあきらめたくなかった自分がいました。

「はてな」はたかだかインターネットの一サービスです。希薄なインターネット社会の弊害も確かにあるでしょう。しかし、それでも人間関係を見つめなおす必要性を感じるのです。


1-5件表示/13件
4.前の5件|次5件6.
関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ