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倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ子猫を殺してはいけないか」を説明してください。
説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。

●質問者: イン殺
●カテゴリ:人生相談
✍キーワード:スバ 倫理 子猫 宗教 法律
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 108/108件

▽最新の回答へ

[1]【国家の品格】を読め takahiro_kihara

と一言言う。(相手が日本人なら。)

国家の品格

国家の品格

外人なら、チト難しい。(考え中)


[2]生きていて迷惑でなければ殺す必要はない taknt

蚊などは、生きていて迷惑(被害を受ける)なので、殺してもいいが、子猫は迷惑にならなければ 殺す必要はない。

捨て猫などの野良猫の場合、その存在が、迷惑と認められれば、保健所の人が捕まえにきて 殺すことになります。


[3]不可逆だから qjpem028

仮に後になって殺したのは間違いだ、

と思っても生き返らせる事はできません

人間は間違いを犯す生き物なので

その行為の影響を後で修正できるように

修正できない(取り返しがつかない)行為は控えるように振舞うべきでしょう


[4]でも、よく見たら、… takahiro_kihara

1000pt だなんて、やばいでっせ。

オラみたいな亡者が、沸いて出てきますよ。

(多分間違いない)


[5]命はかけがいないもの jyouseki

科学がこれだけ発達しても人間は動物の命を作れない。

害のある生物や家畜を必要性があって人間が殺すことはやむを得ない。

かけがえのない生命をむやみに絶つべきではない。


[6]その行為が自身の精神構造に与えるダメージを勘案すると pasosavi

人間の精神構造というものは(特に良心)普通、すべてのことを平気で行なって平然としていられるほどキャパシティーが広くありません。事例としてよく取り上げられるのは、血も涙もない犯罪に手を染める人の中には、一方でなぜか人のためになるようなことを行なう人がいるということです(つまり罪滅ぼし)。


なぜ子猫を殺してはいけないか→自身の精神構造にダメージを与えることになりかねないので


人によって個人差はあるでしょうが、食肉用動物の職業的な屠殺行為でさえある人にとっては何らかの影響があるのかもしれません(本来は無宗教であるのにわざわざ供養を行なったりお参りを行なったりする場合等)。件の子猫殺しの事例の場合、その行為を行なっているご本人が「殺しの痛み、悲しみ(を)引き受けて」いると仰っておられるように、明らかにある程度のストレスを身に招いていると考えられます。


[7]生命を生成できないし、存在する理由も判らないから、殺しちゃだめ ryotanak

私達は科学的にまだ生命の根源を解明できていないし、生命を生成する事もできない。そして、生命が存在する理由も判らないのだから、生命を消すことはしては駄目!!


[8]社会コストあたりから攻めてみましょうか hokuraku

まず、「いけない」という言葉自体が良い/悪いの判断の結果であることを念頭においておきます。

判断というのは絶対的なものではなく、個人もしくは社会の経験の積み重ねにより行われるものと聞きます。(反射は判断ではなく、ランダムも判断ではありません)

子猫(この場合ヒトでも犬でも金魚でも、あなたが殺したくないようなものなら何でも構いません)を殺したときに、どのようなことが起こるでしょうか。

ひとつには「嫌な気分がする」「手が汚れる」などの個人に影響を与える事象があります。しかしながら、これは個人の問題になり、「いけない」と規制されるいわれはありません。

では、「いけない」と規制されるからには社会的判断がかかっているはずです。

子猫が殺されると、1つの遺伝情報が失われることになります。

失われた遺伝情報には、2度と再生し得ないもしくは再生するため非常なコストや時間がかかるものがある「可能性」があります。

遺伝情報の多くは未知のものであり、その中には潜在的に社会に貢献できるものもある「かもしれません」。

このため、将来的な大きなロスになることを防ぐため、遺伝情報が失われる可能性を未然に防ぐほうが社会的コストが小さくなり、結果として「子猫を殺してはいけない」ということになります。


うーん、どうでしょ?


[9]対象の利用価値 spiaggia

対象が子猫に限らず、殺してよい、と法律や慣例(社会)が認めるのは、殺したことや殺したあとの対象に利用価値があるからだと思います。

子牛の肉や子羊の肉は食べますし、皮革としてファッションや防寒衣料(靴、かばん)に利用されます。

また、相手を殺さなければ自分の生死に関わる場合、「情状酌量」などといった名目で罪が軽くなるように理屈をつけるのではないでしょうか。

子猫に限っていうと、生後すぐに親猫から離されて(特に人間によって)育てられた場合、ねずみや小動物を捕るという本能が定着しないようです。

また、殺す、という行為が現在の社会では日常生活の一部分ではないことからも、特例、特権的な行為であるのは確かです。

いずれにしろ、少なくとも子猫の場合は、殺す行為や殺したあとに価値を見出せないというのがこの問いへの答えです。


[10]>4 1千は多いやん Tetorisu

俺も賛成


[11]補足です。脅威=反社会的になったとき。 spiaggia

補足です。ポイント稼ぎのようになり、ほんとすみません。

下記↓より、特権的な行為とされる「殺す」という行為を

自分だけの判断で行なうこと自体が「脅威」とみなされ、

同時にそれを行なう自分自身が「脅威」とみなされるのは

必至です。

人間は社会的な動物ですから、「周りにどう思われるか」が

自分自身の思考や行為に大きな影響を与えます。

脅威となって「反社会」になった人間は人間社会で生きていく

ことができないから、社会は以前のように対応できない、

受け容れることはできないから、というのが答えです。

いずれにしろ、ひととひと同士の会話でこういう問答が

少しでも減る世の中にしていきたいですね。


[12]mimo815

小さな動物でも命は命だから。


[13]損だから imo758

1.社会的損失を被るリスクが高いから。例えば目撃されたりして社会から監視を受けやすくなったり、社会的評判が落ちたり、井戸端会議などでああだこうだ騒がれたり、動物愛護団体などと衝突したり…。

2.精神的損失。殺害には通常かなりのストレスがかかると言われている。ただし殺人マシーンと形容できるような、殺傷にストレスのかからない人間もまれにいることが知られている。

3.猫から受ける恩恵が受けられなくなるから。愛玩としての価値、ネズミ捕りとしての価値、捕獲して他者に売り渡す可能性としての価値、遺伝子的価値など。ただし猫から受ける損失を除いた評価もある。

4.生物学的リスクが高まるから。子猫の死体からバイオハザードを受けたり、親猫の復讐を受けて雑菌に感染したりするかもしれない。

5.殺害実行や事後処理に手間やコストがかかる場合がある。

損得と関係ない理由は倫理や宗教などと言えると思うので、残る理由は損得だけなのではないでしょうか。


[14]>10 お金(≒はてなpt) takahiro_kihara

は、有効に使うてこそ天寿を全うしたことになる。

このようなPointの使い方は、拙者は感心しませんな。

拙者なら、早急に回答受け付けを停止いたす所存でありまする、マル


[15]>2 迷惑だと思うな(極論だが) takahiro_kihara

相手は動物、言葉は理解しないから、自分の都合ですぐひっかく。

=痛い 僕チン、痛いのは嫌い。よって、子猫ちゃんには近づかない。

(それを上回るほどカワイけりゃ、話は別。)


[16]>12 これは効く でも… takahiro_kihara

人によっては、命より大事なモノがある、と信じている人も沢山います。

僕も、命は大事だけど、一番じゃないと思ってる。(多分2番目)


[17]かわいいから taknt

かわいくなければ 即、死に値するかもしれない・・・。


[18]食べないから taknt

食べる場合は、小魚でも 卵でも、殺しちゃうよね。

韓国では 犬も食べるようだから 子犬もどんどん殺されたんだろうね。

昔は。今は、批判されて 食べないみたいだけど。

食べないから 殺してはいけないのだ。


[19]後味が悪いから atushiyamazaki

殺す行為をしたとして、

その時スッとしても、

後悔しそうだから。

殺した人の人生に影を射すから。(大体の人は)


[20]子猫の苦痛を理解する想像力を持ってるからです castle

いんやー、ニンゲンって不便な生き物ざますねー。


[21]人間の為 kkk13f

仔猫に安らぎを感じたり(求めたり)家族の一員として迎えようとしている人間達の為に。


[22]>13 同感です。 blanccasse

質問にある前提条件を満たす回答となると、imo758さまとspiaggiaさまの意見が一番説得力があるのではないでしょうか。


[23]>14 多分きっかけはこれ? il-mare


[24]社会通念だから rennet

子猫は愛玩動物です。

愛玩動物を殺すことは社会通念上、いけないことだとされています。

食用などでない、かわいい動物は通常、いとおしいものです。

いとおしいものはいつまでも生きて欲しい、大事にしなければと思います。どの人もそのように思うので社会通念として定着していると思います。


[25]>18 同感です。 knr

命を奪うなら食べるべき、何かが生きていくのに必要性があるなら殺すのは仕方が無いけど不必要やから殺すのは間違い。

個人的に猫は大嫌いやけど、殺すことはきっと出来ない。


[26]人間だもの byあいだみつお machapin1119

人間は想像力と知能があるのだから、他の生物に慈悲を感じるべき。

通常、人は「必要とされない殺生を行う、また慈悲が感じられない人間」に対して自然と嫌悪感を感じるものです。

これが人間の「情」というものではないでしょうか。

今、この世の中で、これほどひどい事件がたくさん起こっても、人間誰しも「冷血」ではないと信じたい。

これを崩されるような言動を聞いた時、人は不快感を覚えるものです。

人にどんなに不快感を与えても、嫌われても構わないのであれば、本当は子猫を殺してはいけない理由などないのかもしれません。

しかし、「他の生命の慈悲を感じる」のが人間らしさなのだと思います。

足下のアリは毎日気にせず踏みつぶしても、猫は可愛いと。

人間は確かに身勝手ですが「慈愛」のない人間は、もはや人間ではない。

「本当に、全く他の生物に慈悲を感じる事ができない」人間は、おそらく、かなり生きにくい世の中になるでしょうね。


なんとなく追記します。

坂東眞砂子の文章は論理が間違っているのではなく、自己批判から始まっていると考えればそんなに矛盾はないと思います。

ただ、作家という立場も手伝ってか、「私の特別な感性」をすっかり勘違いしてるっぽくて、

自己陶酔の匂いがプンプンと漂ってそれが気持ち悪い。


[27]それPlaggerでわかりますよ。雰囲気的に。 neocup

(本文ナシ)


[28]>24 かわいいから、というのは確かにアリか ksh

子猫に限らず生き物の子供はかわいいですよね。やはり、かわいいから守らねばならないという本能が内蔵されているのでしょうかね。


[29]>18 食べないけど、害になる場合は殺しますね ksh

というわけで、食べられなく、害もならなければ殺すのは無駄だからやめよう、というのはありですかね。

http://d.hatena.ne.jp/ksh/


[30]殺してはいけないと思ってる人が多いから ksh

もちろん、これまでの「なぜ殺してはいけないか」の意見が多数であることが前提で、理由はともかく「子猫は殺してはいけない」と思ってる人が多い社会の中で、子猫を殺せば、なんらかの社会的制裁をうけるから、特に事情なく子猫を殺すのは得策ではないとか。

逆に子猫を材料にした伝統料理がある地域とかがもしあったら、そこでは別に殺してもなんでもないんでしょうね。

http://d.hatena.ne.jp/ksh/


[31]>3 最初は食べられないからと思ったけど hnishiki

普段から猫食べてませんしね、私達。


回答を眺めていて、一番同感しました。

「なぜ子猫を殺してはいけないか」という問いには「私達は、子猫を殺すことはできるけど」という前提が潜んでいると思うんですよね。

でなければ、この問いが現れないと思います。

殺すことができるなら試してみたくもなりますけど、殺したらそれっきりというのは確かに事実です。


殺した場合と殺さなかった場合では、子猫が一匹いるかいないかの違いになるわけですけど……でも、多様化しているようでそうでもない、同じ哺乳類ですからね。生命の揺らぎを保つためにも、殺してはいけません。種は多様なほど、未来に可能性がひらけますから。


[32]儲かるはずの桶屋が現代に存在しないから gaiaez

江戸時代ならば殺して良かったのか、という反論はケースバイケースに該当するので、本件につきましては問題無しと判断致します。


[33]私が子猫を殺したいとします。 comnnocom

ええっと、私が子猫を殺したいとします。

どんな子猫でも構いません。(ケースバイケースという回答は拒否されていますから)

目の前に子猫がいます。

殺そうとします。

殺しました。

しばらくするとまた子猫が現れました。

私は子猫が殺したいのですから、子猫を殺します。

しばらくするとまた子猫が現れました。

それも子猫ですから私は殺したいです。

なので殺しました。

でもまた子猫は現れます。子猫を殺したいのに殺しても殺しても子猫は死んでくれません。


つまり、私は子猫を殺せない。

できないことをやるもんじゃありません。腹が減るだけです。


[34]>32 現代ならば殺してもいいというのはケースバイケースではないですか? comnnocom

と思います。


[35]>34 ああ間違えた。 comnnocom

現代では、殺してはいけないというのはケースバイケースではないですか?

でした。


[36]子猫を殺していい理由がありますか? koinu100

子猫を殺してもいい理由がないことが、

子猫を殺してはいけない理由になりませんかね?


[37]材料として適していないのでは Slob

古来日本では猫の皮を三味線に、一部の地域では肉を薬膳に使うことがあります。三味線に使用される皮はその用途から一定以上の大きさが必要になりますし、薬膳では肉の柔らかさや臭みの問題よりも薬効や肉の量が重要だと判断されるであろう(当方素人ですので断言は出来ません)ので、その用途には生後間もない子猫ではなく、成長した猫が適していると推察されます。よって、目的を持って猫を殺す場合、生後間もない子猫を殺すのは合理的な判断ではないと思われます。


[38]なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください biaslook

2006年3月頃に話題になった「なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください」を思い出します。

(参照)「小娘が何か言ってます。」はあちゅう主義。

身体的回答としては、大脳皮質の発達したホモサピエンスは倫理を持つから。大脳皮質の発達が乏しい子供は、動物をいじめることが多々見られます。倫理の源は謎ですが、言語ゲームと関係あるのかもしれません。

心因的回答としては、弱いモノに危害を加えることは、回りまわって自分に危害が来ると考えるから。反例として、情けは人のためならず、という諺があります。

社会的回答としては、共同体内におけるルールが、無駄な動物殺しことを禁止しているから。これは、未開社会においては無視されることがありますが、日々の生活にゆとりが出てきた場合は重視されます。人間社会では精神的階級が高い位置をしめますが、形のあるモノの命をいじるのは肉体的階級の最下層に位置します。豊かになれば、肉体的階級は減り精神的階級が増えます。よって、社会全体においてモノの命をいじることは忌避すべき行為となります。

これらのことが、先天的なものか後天的なものか、はっきりとは分かりませんが、動物に育てられた人間が大人になった時どのような行動をとるのか文献を調べてみればよいと思います。

ちなみに、話題になった坂東眞砂子さんの行動に皆が違和感を感じるのは、彼女が共同体のルールを犯していることと、彼女が形が現れる前の避妊手術を非難する一方、形の見える子猫を殺していることの2点が問題であり、特に後者が時間の流れという点から問題です。


[39]にゃーぁ (ミ^゚Д゚^ミ) ore_de_work

同じ祖先を持つ哺乳類の子供であるため

育ててもらえるようにかわいくなっている。

また、数千年以上昔から共に生きてきた仲間だから。


[40]>3 同感です steigen

自分が生きるためにする、やむを得ぬ殺生しかしてはいけないと思います。

なぜなら、殺すことはできても生き返らせることはできないからです。

「覆水盆に返らず」です。


[41]>38 不可逆だからとの意見もありますが kuippa

壊しても元に戻せるのであれば自己の責任において壊すなりしてもいいと思うのだけど、、、

例えば、他人の作り上げた積み木を崩すことは、積み木は元に戻せたとしても作り上げた人が積み木を壊されたという心傷までも補うのはよほどの労力が必要となります。

積み木ですらそんななのですから命においては言うべくもありません。




・・・。

人間の命ですら積み木以下に扱われる状態のところもありますが・・・。なんにせよ、ぬるま湯にっぽんから見ればなんとも余裕のない悲しい出来事です。


[42]うそつきは泥棒の始まり sagi_yama

動物虐待は殺人の始まり。

動物虐待がエスカレートして殺人したなんてよく聞く。

そんな危ないやつ、誰も近づかなくなって生活できなくなるから、

結局は自分のため。


[43]人は行為によって評価される I11

猫殺しは、一般人から見た場合の「理由の無い殺害」と同義である

と考えてよいのではないでしょうか。

理由の無い殺害をしている人。

理由の無い殺害をしない人。

あなたの目の前にその二人がいるとして、

どちらが人として信頼できますか?

どちらの人物とつきあいたいですか?

二人が同じ商品、たとえば肉を売っているとして、

どちらの肉を買って食べたいですか?

二人がそれぞれ別の幼稚園で働いているとして、

どちらの幼稚園に子どもをあずけたいですか?

たぶん世間一般の理解では後者なのだと思います。

人は、その人の言動によって、その人の人格や本質を評価します。

慈悲深い人にはそういう評価が、

冷たい人にはそういう評価が、

猫殺しの人にはそういう評価が与えられ、

それによって人間関係は決定されてゆきます。

かつて2ちゃんねるでキャットキラーを名乗った人がいました。

その人はその後ネオむぎ茶と名乗り、

バスジャックをしたあげく三人を刺し、一人を殺しました。

心の中で考え言葉にした人は、その言葉通りの行動をとるものです。

なぜなら、人の行動は、心の中にその動機が存在し、

心の中にある想いは、すべからく言葉となって現われるからです。

つまり、猫殺しがいけないという理由は、そういうことです。

死ぬまで無人島に住むのなら別に問題ありません。

他者が存在する社会の中で生きている以上、

他者からの評価を避けて生き続けることはできません。

他者からの評価が下がるようなことをして困るのは

結局は自分自身です。

自分自身が他者からの評価を気にしている。

だから猫を殺してはいけない。

そういうことです。

他者からの評価を気にしないのなら、

猫殺しでも人殺しでもなんでもできるでしょう。

八百屋お七のように自分の情念のために町に火を放って

なんの罪もない人たちを殺すこともできてしまうでしょう。

その結果責任を一切引き受けるのならば。

ただ、問題はそう簡単ではありません。

どういうことかというと、他者からの評価を気にしているからこそ、

猫殺しというような奇矯な言動をとるという場合もあるからです。

他者からの評価を異常なほど気にする自己愛の暴走、とでも言いましょうか。

むかし、石原ナントカという政治かぶれして知事選に出て

対立候補の美濃部氏から「ファシスト」と言われて落選した作家が、

精神障害の少女を輪姦し最後に殺してしまうというキチガイじみた

行為を描写し、それを完全なる美しい行為だと評価する小説を書いて

自画自賛していたことがありましたが、

小説家は時にそういう極限状況を描いてみせることで

世間の注目を浴びて満足するという偏執的な強烈な自己愛を持つことがあります。

それは常に自分の内面を世間に曝け出さなければならない小説家特有の

職業環境においてはそれほど奇異というわけではないのかもしれません。

小説という架空の世界の中ではいかなる創作もゆるされるとはいえ、

それを現実に実行するとなると話は別です。

太宰は何度も自殺未遂を繰り返しては他者からの関心と同情をひいていました。

殺害の対象を自分の肉体ではなく愛玩動物の猫を対象にしたとしても

他者からの注目を浴び自己愛を満足させるという点では、

似たような効果を持ちえます。

たとえ悪い評価であっても、注目されないよりは注目されたい、

そういう欲望を内面に持っている限りは、

猫殺しという行為はそれを実行するに値する行為ということになります。

他者からの注目によって至福を得るという“マッチョ”な人は

どの時代のどの場所にもいるものですが、

他者からの注目というものほどあやふやで

自分の思うままにならないものはないのも事実なわけで、

その事実を事実として受け止められない人は、

最後には死ねば誰かが悲しんでくれるという思いにとりつかれて

自分で自分を殺してしまうことになります。

死は生命にとって悪であるという公理から見れば自死に至る選択は悪。

だとすれば、他者からの注目という欲望にとりつかれ、

その究極を求めようとするあるゆる行為は、

猫殺しという他者からの関心を得る行為を含め、

同様に悪であると言うことができるでしょう。

心理学でも指摘されていることだと思いますが、

動物虐待や児童虐待は、

他者を完全に支配したいという強い欲求を持つ人が多いと言われます。

とても可愛くて価値のある生命を虐待することで、

支配欲を満足させ全能感を獲得する、

そのための手段が動物虐待であり、猫殺しです。

それは逆に言えば、自分自身が、肉体だけではなく心さえも

自分以外のなにかに支配されていて自分ではどうしようもない

という被支配感覚、あるいは自己に対する絶望感覚の、

裏返しであるとも言えます。

動物や子どもを虐待する人は、それだけ自分自身に絶望し、

“自分は死んでいるような存在だ”と感じているのです。

死は生命にとって悪であるという公理から見れば、

死んでいるような存在としての自己認識は悪。

だから猫殺しのような動物虐待も悪です。

自分の心と体を自分のものとしてコントロールできている健全な人は、

動物虐待や児童虐待などしません。


[44]>14 ダイアリーも使ってまで批判するほどのことはないでしょう itarumurayama

反社会的な使い方でなければ、お金の使い方は自由

100万円銀座でパーと使っても自由

宗教に寄付しても自由

二束三文の絵画を「感動した!」として買うのも自由

「祐ちゃ?ん」として甲子園アイドルのお宝を

ネットオークションで買うのも自由

はてなで盛大に質問するのも自由

なぜそこまで批判するのですか?


[45]ルールかな kurukuru-neko

倫理・宗教・法律・人情(感情)を一切考えないで

物事を処置する方法に乗っ取ると、処置は保険所が

行う行為。

飼い主が行う行為は飼えない場合、保健所に届け

処置・処分してもらう事だから。

今回の場合

勝手に「子猫を殺してはいけない」

不法投棄してはいけない。

=============================================

鶏を飼って、卵を食べる。????

メダカを飼って、他の昆虫の餌にする。???

蛙を飼って、蛇の餌にする。 ????

=============================================


[46]>16 生きているから panda50

すべての生き物は、命を与えられて生きているから。人がそれを奪い取る権利はないです。


[47]>16 生きているから panda50

すべての生き物は、命を与えられて生きているから。人がそれを奪い取る権利はないです。


[48]>43 まあ今回の作家の行為は itarumurayama

一種の「売名行為」なのかもしれません。

実際、今まで私は坂東真砂子なんて作家を知りませんでしたが、

この件で注目するようになりましたから。

「子猫殺しをカミングアウトすることにより離れていく読者数」

よりも

「子猫殺しする作家の小説って、どういう小説だろう」と

興味を示す読者数の方が多い、と冷静な計算を行った可能性もあります。

となると、子猫殺しをする「メリット」が存在することになります。

私は、そもそもこの子猫殺しのエッセイ自体が「フィクション」ではないか、

という疑いも抱いています。


[49]>25 因みにウチの家にたまに羽虫がいます。 itarumurayama

体長せいぜい1?2ミリ

私などは「可愛い」と言って指に留めたりしますが、

妻は「気持ち悪い」として、さっさと殺します。

これは勝手に殺生をする妻は「悪い」のでしょうか?


[50]>24 戦後の日本では itarumurayama

犬を食用として食べていましたが。

亀井静香氏とか、犬を殺して食べたとか、食べなかったとか。

社会通念なんて、はかないものです。


[51]>42 作家というのは人と係らなくても生きていけるから itarumurayama

誰も近づかなくても、作品が売れている限りは

生きていけるでしょうね。

今回の件で、むしろこの作家に興味を持った人は多いと思いますよ。


[52]>39 どこかのエントリで itarumurayama

人間は進化の過程の中で、病原菌を有している可能性が高い昆虫類に対して

生理的嫌悪感を感じるように進化し、逆に自身と同類の哺乳類の子供に

対して愛情を感じるように進化してきた、と書いていましたが。

そうすると坂東氏は、進化の法則から外れた「はぐれもの」ですかね?


[53]生態系の一員として zuckerpeitsche

生き物(植物動物)を殺すときは

その生き物食べることによって生命を維持したり、

または生活を便利にしたり、そういう目的が

あるときにのみ「生命をうばう」という行為が正当化されるものであって、

それ以外の場合は生物として許されない、

っていうのはどうでしょうか。

じっさいのはなし、その子猫を食べてカロリーとして

身体の中で燃やして活動を続けるならば

許される行為だと思います。


[54]血を流すから akira-a

何故子猫を殺してはいけないか?棒で頭を殴ってみればいい。血を流して呻き声をあげて死んでいく様を見てみればいい。昆虫を殺すのとは違って、可哀相っていうのが実感出来るから。どうしても説得出来ないのであれば、そのお子さんの首を絞めてみる(殺さないで下さいね、苦しむ程度で)。

そうすれば、どうして他の命を粗末にしてはいけないか分かると思う。

「牛や豚は殺していいの?」

本来日本人は滅多に牛・豚を食べない民族でした。アメリカ・ヨーロッパ文化で肉を沢山食べるようになりました。神道上見地から見ると、欧米人は必ず何らかの形で報いを受けることになります。だって。(古神道研究家:相曾誠二さんの本より)。日本人も大分肉を食べるようになったから、いつか報いを受けることになるのかな?そこまでは分かりませんでした。ごめんなさい。

http://yahoo.co.jpダミー


[55]>41 時間の矢。形も重要。 biaslook

私は「特に後者が時間の流れという点から問題です。」と書きましたが、kuippaさんは「不可逆だから」と述べておられます。同じことですね。これは、時間の矢(エントロピー増大の法則)を、人間が知らないうちに理解しているからかもしれません。卵子と精子の段階、受精卵の段階、胎児の初期段階、胎児が発育した段階、胎内から出て生まれた段階、成長して自分ひとりで生活できる段階。それぞれが連続的ものではなく、全く別のものへと変わったと我々が理解しているからかもしれません。日本における中絶では、妊娠12週未満に境界をもうけ、カトリックは卵子と精子の段階から命とみています。一方、坂東眞砂子さんは成長して大人となった段階からを命とみているのかもしれません。

ただし、宗教に関係なく自然的な問題として、ノミ・蚊等を殺すことには心に抵抗を全く感じず、昆虫を殺す時は少し抵抗を、猫などの小動物を殺す場合はかなり大きな抵抗を、イルカ・鯨・象・キリンを殺す場合はたとえ合法でも新聞に載るような話題となり、人間を殺すことは一般生活ではタブーとなります(戦争をのぞく)。つまり「自然状態」では、目に見える形が問題となるのではないでしょうか。


[56]感情論で責め立てられるから sukeshi

これが一番の理由なんじゃないかなと思いました。


考えるに、子猫ほど人間の感情をかき立てるものはないのではないでしょうか。

なぜなら、そのような動物になるように人間自身が改良を重ねてきたからなのだと思います。


う?ん、人間は猫に支配されていると言っても過言ではない。

自ら作り上げた生物に支配される人間ってどうなのと思う今日この頃なのでした。


[57]怨念対策 hanhans

無念をもって死んだ生き物は、往々にして怨みの念を持って人を襲う、といいます。その中でも猫はその種の話が多く、ものの話によっては忠義すら解する生き物(知られたのでは「竜造寺のこま」の伝承がありますね)ですから、己の死以外に仲間の死に対して怨みを持つ可能性もあり、敵にまわす行為は得策とはいえません。

で、混ぜっ返すと、こういう「怨念話」あるいは「無念話」というのは二種類の効能があるのでは、と思います。

ひとつに悪い行為に対して「因果応報」がある事を世に知らす効能。これで「世間の目構築」→「相互監視」という形を作ってきたのでは、と考えます。

で、もうひとつが「応報をみせる」事で世の中のガス抜きをする効能。つまり「あんな悪いことをしているやつらにも、いずれ応報が!」と思わせるというのがあるんじゃなかろうか、と考えます。実際にそのとおりに応報が訪れる事はないかもしれない。でもあるかもしれない。こういう話が残るのは(あるいは残されたのは)、そういう心理が働くからなのかもしれません、とにわか考えしてみたり。

最後になりましたが、これ倫理にくくられますか、もしかして。


[58]>57 怨念 deer830

私もそう思います。

よく車で猫をひくと ついていないことが ずっとおきるってありますけど 私も5年間体験しました。


[59]難しいね levelzero

子猫を殺す

命を奪う

散らかる

等など

殺さない

餌となる他の命が奪われる

糞尿が散らかる

等など

どちらも一理あり

親ならいいの?

難しい・・・

死んで生命の糧となる

生まれてきたからには、寿命は全うさせてあげないとね!


[60]>17 おおおお zuckerpeitsche

なんて男らしい意見だ。

いいね。


[61]>6 自主規制から墓場まで jundas

>自身の精神構造にダメージを与えることになりかねない

なぜそうなるのかを考えると、なぜか((合理的には説明できないのでこの表現にしました))人間は一般的に「殺す」ことに対して生理的嫌悪感を持っているからだと思います(参考リンク)。

参考リンクの例は人ですが、当然子猫を「殺す」ことに対しても人間は生理的嫌悪感は十分に持っているのは既に常識でしょう。



で、それが「いけない」という規範にまでなるのは、「ペットを飼えなくなったら殺すことを選択肢に入れなければならないこともある」という責任論的な価値観を、前述の「殺す」ことに対する生理的嫌悪感や自分が子猫を可愛がる感情によって受け入れることができない人々(もちろん統計上の、です)が、何らかの理由で子猫を殺すことを「自分はしない」ではなく「してはいけない」という規範にまでしているのではないかと思います。



付記:「何らかの理由」と書きましたが、子猫の場合、大多数の人間が子猫を「殺す」ことに対して生理的嫌悪感や子猫を可愛がる感情を持っていること、それらの感情は非常に強いものだと観察されること、そして子猫を殺す行為自体の敷居は低いことあたりを考えると、「なぜ猫」を規範にまでする(ひとがいる)理由は見えてくるのではと思います。強いて言えば、バランスを保とうとする心理なのでは。そういえば、猫って可愛いですよね。


[62]必要ないから sotosoto

子猫を殺す必要が無ければ殺す必要はない.

必要が無いことを行う時点で間違っている.

人間が間違っている事をしていいわけがない.

していいのならそもそもこの質問自体成り立たない.

人間は論理的に考えられるからこそ, 正しく有るべきだ.

論理無しで正しいなんて事はない.

[これはこうだ]と言った後に, [なぜなら]と説明するのは当たり前.

(ちなみに「正義」って, [正しい] [義務] ってことじゃないの? 正義感なんてものは正しい事であるということに何も関係ない)

正しければ殺してもいいけど, 正しくないなら殺してはいけない, って事を聞きたかったわけでしょ.

ケースバイケースになるに決まっている.

そしてこの質問での [正しい] 場合というのは, [子猫を殺す必要があるか] である.

人間に害があるかどうかが第一要因ですね.

人間に害があるものを害があるままで残していく事は, 社会的に安全保障が出来ていないのですから, 害を無くす必要があるものであれば, そうするべきです.(しかしこのときに害を無くす事以外の事を起こすような事はすべきではない. 必要ないからだ).

そして, 害がないものが, 人間がそのものを「食べる」であったり, 「加工する」事が自然に特に害がないのであれば, それは行える.

だから理由が「食べる」場合は, 猫を1匹食べる分には自然に害がないので, よろしいのでしょう.(私個人としてはそんなことはしませんが.).

しかし, 単に理由なく「殺す」事があるのなら, それは間違ったことであるのでやるべきではない, 「してはいけない」のでしょう.

((しかし, 猫自体が地球上にたくさんいますし, 絶滅する危険性が無い限り, 殺しても問題はないのです. (ただ死体をどうするか, という点については自然に害なくやるべきです). また, 人間は雑食なので, 「食べる」ということについては問題ないのです. 動物愛護団体というのは, あくまで趣味の問題で, 猫だからどう, というハナシは非自然的です. 言いようによっては牛でさえ「かわいそう」になってしまいますが, 生き物が食べる行動をするときに, その生き物が本来食べるものであれば問題はないのです. 人間は雑食なので, 猫は問題ないのです. )).

私個人としては猫を好きなので, あまり猫を殺すことは薦めませんが, 人が飼っている猫でないかぎり, 殺してもよろしいはずです.


[63]それを「公理」として採用しているから T_SKG

敢えて答えれば、それを「公理」として採用しているからです。

-------

通常「よい」とか「わるい」とかは、倫理や法律から導かれますが、それらに立脚しない

とか「いけない」とか「いけなくない」ですからそれ自体が、立脚点となります。

--------

ユークリッドの公理は、多分、きっと何処かで耳にされたことのあると思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%...

公理を読んでも、なんじゃこれは?ですが、通常の幾何学は、この公理に基づいて構築されており、

その中では矛盾も無く、また折り紙から産業にいたるまで様々な分野で有益に利用できます。

しかし、その公理の一部を変えたものから導かれる、非ユークリッド幾何学というものも考えられており、

その中では矛盾も無く、宇宙論など特殊な用途では、これまた有益です。

-------------------

ペアノの公理と呼ばれるものあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%...

1+1=2 といったものを公理とするものです。

これは、1+1 が 2 であることを証明するものではありません。

1+1 を今後、2と呼ぶ。同様に1+2 を 3と呼ぶ。というように「決めておけば」その後に続いて、しっかりとした

実りのある数学を構築してゆくことが出来ます。そういう公理です。

こちらに関しては、例えば、1+1=2 で 2+2=3 であるという公理を用意しても、恐らく実りあるような体系は作れな

いでしょう。

-------------------

繰り返しになりますが、通常「よい」とか「わるい」は、倫理に基づくものでしょう。

法律に基づく場合は、「合法」とか「違法」と呼ぶ方がよいかもしれませんし、経済に基づく場合は「損」か「得」

でしょうか。「いけない」という単語を使うと、混乱し易くなってしまいますね。

倫理・宗教・法律・情には無関係に「禁止」することは、「わがまま」って呼んだ方がよさそうですが、

「子猫を殺してはいけない」を公理に採用しても、多分あなたの日常生活に大きな問題は生じないでしょう。

(宇宙の曲率が十分大きければ)ユークリッド幾何でも非ユークリッド幾何でも、日常生活に違いはありません。

-------------------

「子猫を殺してはいけない」のは、そう決めた公理を選んだから。です。


[64]野良猫の子は殺してはだめ、ペットの子は初めから作らせるな Hzoe2

野生動物の子なら、生きられなければ、ほかの動物のエサになることができますが、

ペットの子で、人間が必要としないなら、生にも死にも、意味はありません。

ただ、放棄して生態系を破壊するよりは、何とかするべきです。

人間であっても避妊方法がなく、食物生産量が限られていた時代は子供を間引いていました。

そんな時代から100年もたっていないのに、「ペットに自由に交配させ、子供が生まれたら処分する」

ことにあまりの拒否感を持つのは何なんでしょうか?(答えになってない、ごめんなさい)


[65]>61 やはり殺すのは精神に悪いのでは?ということで pasosavi

ご意見に同感です。:-)

人間が人間をということであればこれは然りかと

(例:帰還兵のトラウマ

相手が昆虫であってもそういうことに敏感な人はおり

(例:「次郎物語」

愛玩動物になると統計的にそういう人は多そうです…

(例:各種動物愛護団体


いけない、という点について言えば

仮に自身の精神が何の影響も受けないとしても

(本件はそうではないことを坂東さん自身が認めていますが

統計的多数の他の人の精神にある程度の衝撃を与え

「人騒がせ」なのでやめた方がいいということもあり


しかしながら実を言えば

倫理/宗教/法律/情とは無関係に

この種の行為は個人の自由の範疇内でありながら

人間の精神構造への容易ならぬ影響力を孕んではおり


今日が仔猫であれば明日は仔犬でしょう

間引きをそのように行なうというのがやがて普通にはならずとも

恐らくは今後これを契機にそうする人がいるのではと推断…

これはお互い(する方も見聞きする方も)

心臓に悪いのでやはりやめた方がいいような気が


#一方でこうした報道がヒントとなって

(ないことを願いたいのですが

もしかしたらある子供たちは考えもなくただ面白がって

学校で飼育されているウサギを屋上から投げ落としたりするかも

仮に「処分」と称してもっと重大なことに手を染めてしまったりすれば

精神的ダメージもそうですが社会的ダメージが


余談:

グーグルアドセンスもこの論点を支持しているような(なんて


[66]>65 余談の余談:グーグルアドセンスって pasosavi

その時々で表示されるリンクが全然違うんですね…

(さっきは心の傷癒します○×クリニックみたいなアドセンスだったのに


[67]>1 Can you understand a chivalry act ? takahiro_kihara

騎士道ってわかりますか?

日本で言うところの、武士道です。

これで、大体説明できる(と思う)。


[68]>64 いえいえ、立派な回答になってると思いますよ takahiro_kihara

要するに、そういうことですよね。


[69]>63 公理ねぇ takahiro_kihara

こう言っちゃあ何だけど、たぶん質問者は「公理」なんていう言葉、理解できませんよ。

出来る人なら、「回答ポイント:1000ポイント 」なんていう馬鹿げたこと、やらないはずです。


[70]ウゲー takahiro_kihara

何故返信が出来ないのじゃ?


[71]>58 猫は化ける takahiro_kihara

犬はどうなんだろう?


[72]>70 と思ったら takahiro_kihara

今は出来る。何でだろ?ま、どーでもええが。


[73]>2 「殺す理由がないから。」これが一番訴えるかな。 NAPORIN

・子猫をつかんだ手が猫の毛で汚れるから。

・殺す手段を考えるのが面倒だから。

・ゲッコ族は生理的に子猫殺しが嫌いだから。

・ネタにして原稿を書いて知名度を上げるから。




質問者さんがインサツさんであることに気づくまでは

この質問に回答する気は全くおきませんでしたねw

最近いかがですか?ペロさんとかしてやられてますよね。


[74]>73 ちょっと訂正 NAPORIN

4番目

・ネタにして原稿を書いて知名度を上げるのは陳腐だから。

としておきます。


[75]>60 サトウさん男らしいなんて差別用語をまたw NAPORIN

takntさんはいいですね。

理路整然としています。


[76]>33 この場合の回答は「全滅させ得ないから。」ですね。 NAPORIN

ねじれた論理は質問者さんの望むところでしょう。

質問から回答がずれており反論する必要もないのかもしれませんが、

あえて反論を2つ。

1.実際日本の都市部においては自ら求めて動かなければ子猫に全く遭遇することなく生きられます。この場合、思念においては出合って即殺し続けていても実際の行動においては殺していない。これを言っているのであれば、できないことをやれている。

腹はいつだって減ります。

2.どこか、たとえばタヒチが猫に埋め尽くされそうになったら、

逆に「猫に餌をとられて腹が減るし猫は殺しつくせないほど存在するからどんどん殺す」のが当然の行動になるだろうと思います。


[77]>5 おひさしぶりです定石さん NAPORIN

あいかわらず誤字が多いので気づきましたよ。

回答できなくなるお病気は治りましたか?


[78]>49 もちろん羽虫を食べたいのではないですよね。 NAPORIN

(補足)


[79]>69 ちょっと補足をしておきましょうか T_SKG

・・・かも知れませんね。

子猫は殺してはいけない。

親猫も殺してはいけない。

では、泥棒猫は? 動物園から逃げ出した山猫が暴れたら?

それとも、子ねずみは? どぶねずみは?

何処に線を引くかは、普通は、法律や倫理や感情との相談で判断します。

逆に言うと、倫理とは、そのへんを煮詰めた、エキスのようなもので、

法律はさらに、「いけない」を、はっきり文書化したものです。

また、その法律や倫理を形成し支持するのは、経済や情、文化や世論、

政策などでしょう。

敢えてその正当性を、法律や倫理に求めないなら、それは(勝手ながら)

決めたことにすぎません。「決めたから」決まっているという訳です。

----------

合法違法は、法律があっての判断です。良い悪いを判断することが倫理

です。悲しいとか気持ち悪いは情でしょう。

それをあえて外せば、違法とか非倫理的とか不快感を説明に入れなければ。

単に「決めたから」決まっている。「いけない」からいけない。

となるでしょう。実際そういったものは色々あるわけで、数学の公理は

有名で実用的なものです。家訓なんかも同様かも知れません。

- - - -

平行線は交わりません。何故ですか? 公理だからです。

大食い大会にでてはいけません。何故ですか?家訓だからです。

この原っぱで遊んではいけません。何故ですか?ジャイアンの命令です。

----------

「子猫は殺してはいけない」は普通は、倫理で判断すべきことでしょう

そこを敢えて、倫理を外すと、理由は、

そう「決めたから」、公理だから、家訓だから、ジャイアンだから・・・


[80]五感(痛覚)が、情に含まれないなら T_SKG

既に言葉のお遊びのような回答をしましたが、別の角度から。

> 倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外

ということで、経済的なものとか、環境学的生態学的な回答も付い

ていますね。似たような回答も付いていますが。

-------------

確か、大脳生理学の研究では、人が殴られている画像を見ると、それ

を見ている人の、大脳の痛覚を司っている部分が活性化するそうです。

つまり、「痛いもの」を見ると、大脳は痛がるのです。

痛覚神経からの入力でも、視神経からの入力(の処理結果)でも、脳は

痛いと知覚することができます。

-------------

子猫を殺すのは、自分でも他人でも、仮に想像の中であっても、脳の

痛覚を司る部分にとっては「本当に痛い」んです。

!!痛いからやめて!!

互いに痛そうなことを避けるために、倫理 等々を用意している訳です

が、全部剥ぎ取れば、痛いから。です。

もっとも、様々な視覚の処理結果が痛覚へつながるか否かは、文化や

個人によって異なります。それでも、子猫を殺す。となると、かなり

ストレートに、痛いからやめて。でしょう。

-------------

私の脳も、あなたの脳も、本当の痛みを感じるから、やめて。

「痛いから」が理由です。


[81]猫の皮は三味線に使われるそうですが cucklemaster

子猫のうちに剥ぐよりはある程度育てた方が儲かりそうなので

三味線職人的には子猫のうちに殺すのはダメな事じゃないかと思います

とりあえず「もったいないから」と言う事で一つ


[82]だって nadaru

動物は生きるために殺すんだよ

だけど人間は生きるうえで子猫を殺す必要ないじゃん


[83]>71 犬もあるにはあるようですよ hanhans

呪術の一種に犬を使うのがあるそうな。(生きている犬をむりやり殺すタイプ)

でも、犬は猫に比べると自身が化けて、というよりも人に使われることが多いようです。

この辺、人間が猫と犬とでかかわり方が違う、というのが出ているのかも。にわか考えなんですけれども。

面白そうだから、もうちょい調べてみるかな。


[84]>73 どうしてももう一ついわせてください、「死骸の処理に困るから。」 NAPORIN

「死に対する忌避は、脳が死骸の認識に困るから」

・・・と確か東大医学部解剖教室の養老猛先生もおっしゃってられたような。

これが「殺猫に対する生理的嫌悪」の正体の一部でしょう。

ちまちま考え付いては、

ポイントつかっちゃってごめんなさい。

このへんでやめときます。


[85]>82 殺してはいけない理由に該当しません neocup

仮に、一日一回子猫の死体を見ないと自殺したくなる人がいたとして、その人には子猫殺しを許可するということでしょうか?


[86]>57 宗教に該当すると思います。(本文なし) neocup


[87]>54 「倫理」または「情に訴える」に該当すると思われます。(本文なし) neocup


[88]>36 子猫を殺してもいい理由はないのでしょうか? neocup

証明していただけると助かります。


[89]>26 「情に訴える」に該当すると思われます。(本文なし) neocup


[90]>76 追加の前提が必要では? neocup

元の回答が成り立つには「子猫同士は等価で可換である」という仮定が必要だと思います。


[91]>20 「情に訴える」に該当すると思われます。(本文なし) neocup


[92]>19 「情に訴える」に該当すると思われます。(本文なし) neocup


[93]>17 「情に訴える」に該当すると思われます。(本文なし) neocup


[94]>46 自己矛盾を起こしませんか? neocup

高等生物が他の生物を殺さずに生きることはほぼ不可能と思われますが。


[95]>73 「必要はない」 != 「してはいけない」 neocup

殺す必要がないことを説明する回答は、その行為の必要性を仮定されると覆ってしまうので今ひとつですね。「猫殺し or die」みたいな行動原理で動く人を止めにくいというか。総論としてはいいんですが。

> 殺す手段を考えるのが面倒だから。

は、殺す手段を考えるのが趣味の人には通じないですね。


[96]>79 「子猫を殺してはいけない」という公理のソースは? neocup

その場合は「子猫を殺してはいけない」ことが公理である示す必要がありませんか? でなければ「それはあなたの公理です。わたしの公理ではありません」という水掛け論になってしまいます。

数学の例をなぞると、子猫を殺すことを禁じた結果(或いは子猫殺しを許可した結果)、社会の論理が破綻すると証明しないと説得力に欠けます。子猫を殺したために滅亡した社会の例を観測して記録するとか。


[97]皆が猫を殺してはいけないと思っているから retorin

もし殺したら嫌われる。


[98]>96 ソースが無いのが公理なんですが。 T_SKG

そもそも公理に、社会的拘束力はありません。わざわざ、公理など

という単語を持ち出したのは、そのためです。

- - -

数学の公理は、証明を要する定理ではありません。万有引力物など

の自然科学や社会科学の法則でもありません。

- - -

また、ユークリッド幾何と非ユークリッド幾何のように、あるいは

連続体仮説のように、ある公理の体系の中では矛盾ないが、他の公理

の体系とは、単なる水掛け論しかできない、元来そういうものです。

-------------

社会的拘束力を持たせようとするなら法律でしょう。

しかし、元質問者さんは、法律による説明はして欲しくない。

-------------

豊かな数学の体系を作ることの出来る公理もあります。その数学の

おかげで社会が豊かになることもあるでしょう。

しかし、ある公理を使わなければ、やがて、その社会が滅びるなん

てことを、導き出し証明しようとすると、それは宗教と呼ばれるで

しょうね。

-------------

通常、良い悪いを決める基準を倫理と呼びます。

- - -

人を殺していけない。同様に、

動物も殺してはいけない。しかし目的がある場合は除く。

ただし、その目的が快楽である場合は、認めない。

がしかし、次の時は特別に・・・・。

- - -

倫理の底には、感情が含まれると思いますが、感情を優先し途中を

省略して良い悪いを決めると、情に訴えたことになるでしょう。

- - -

元質問者さんは、いずれの説明も望まない。

- - -

1+1=2 とし 1+1+1=3 とする、(1+1)+1=3 だから 2+1=3 とも書く

ことができる、こんな感じの積み重ねをすること無しに、

「子猫」と「殺す」と「いけない」だけ持ってきて、

子猫 + 殺す と いけない がなにゆえ = で結ばれるのか説明せよ。

そんな説明を望んでいるなら、

それなら、それだけで「公理」として取り扱えばよいと。

-------------

ペアノの公理から証明できるとは言っていません。

新しい公理を作ってしまえ。そんなのもありだ。と。

子猫 <- 殺す= いけない。これを、1+1=2 と同様のレベルで成立

する公理「子猫の公理」とする。と。

- - -

言葉の遊びと言えばそれまでです。

- - -

情に訴えるつもりはありません。

倫理や法律といった、社会的な支持も拘束もありません。

家訓のような、ご先祖様の権威もありません。

ジャイアンの腕力もありません。

でも、

ケースバイケースでなく、1+1=2 と同様に絶対に成立します。

- - -

赤いリンゴと、青いリンゴ、違いを無視して、1+1 すると、

リンゴは、2個になります。この世に完全に同じリンゴが、存在し

なくても、あなたはリンゴが2個あると、納得できるでしょうか?

- - -

リンゴが2個あると納得できるなら。

子猫を殺すことはいけない。も納得してください。

- - -

リンゴが2個あれば、2倍の代金を払うかどうかは、交渉の余地が

あるでしょう。腕力を使えば、只になるかも知れません。1+1=2

に納得しても行動は別です。公理とはそんなものです。

-------------

かなりすっ飛ばしています。詭弁も混じっています。

しかし、倫理も法律も宗教も情も抜きました。

子猫を殺すことはいけない。これは公理です、納得してください。


[99]>81 そうそう、 takahiro_kihara

猫は化ける。オッカナー。


#あんまりこういうロクでもない回答をいわしに書いてると、

#荒らしと思われるか?


[100]>85 オラは… takahiro_kihara

一日一回以上、待ちでヤニ(煙草)の吸い殻を見て、

ヤニは大嫌いじゃ、との思いを日々強くしております。


[101]>97 世界中から嫌われたって構わない takahiro_kihara

アンタが好いてくれるんなら。


[102]京極風呪いを受けるから。 NAPORIN

説明すると弁当箱より分厚いノベルス本が1冊乃至2冊

書けてしまうのでここでは敢えて書きませんが、

倫理でも宗教でもない呪いは確かにあるのです。


[103]>102 ちょっと怖いかも。でも、 takahiro_kihara

呪いは非科学的=論理(≒言葉?)では説明できない。

よって、僕は、畏れる必要はない。


[104]>96 そう、人によって、公理系は違う takahiro_kihara

だから、そもそも公理系が違う人を、論理で説得することは不可能。

倫理・宗教・法律を持ち出すか、情に訴えるしかない。


[105]>62 こっちの都合にかかわらず、ミャーミャ?鳴く猫は takahiro_kihara

殺すしかない。だって、僕にとってはウルサいんだもん。


[106]>56 駄文 sukeshi

ふと、小説のデビルマンに出てくる妖鳥シレーヌの妹、イフェメラを思い出しました。

イフェメラはデーモンでありながらなんの超能力も持たず、か弱い。

しかし、その類まれなる美しさによってより強いデーモンに守られ(かこわれ)ることにより、弱肉強食が支配するデーモン達の世界で生き延びていくのです。

その美しさこそがまさにイフェメラが持つ『超能力』なのであり、進化なのでした。


まさに子猫のようだと思いました。

猫はこの人間社会で生きていくために、人間を利用して『超能力』を身に付け、まさに進化してきたのではないでしょうか?

馬鹿なことを言うなよ、猫にそんな意思があるはずないだろ。それに見てみろよ、こんなにつぶらな瞳をしているじゃないか。ヒドイことを言うな!人間として恥ずかしくないのか!?おー、可愛そうにヨシヨシ…

…というような人間によって猫はどんどん改良され、確実に超能力を増していっています。

そして既にその影響力はメディアを巻き込みながら人間社会全体にまで伸びていますよね。

そのようにして、猫は確実に人間社会に地位を確立していっているのではないでしょうか。


今や、猫は作家を殺すことだってできそうです。

人間は自らの手によって、猫に自分自身を殺すことができるだけの超能力と地位を授けたのです。


ちなみにイフェメラはその後、勇者アモン(後のデビルマン)によって殺されることになります。

アモンの発したエゴ(自己愛)という名の業火に焼かれて。

猫はどうなるでしょうね。

寄り添うべき人間を超えてしまったとき、人間は猫をどうするでしょうか。


[107]>90 質問文ではそこまで読み取れなかったので comnnocom

質問文からは "the kitty" なのか "a kitty" なのか、それとも "kitties" なのか読み取れないので、「子猫を殺す」という文言を拡大解釈しました。それは認めます。

neocup さんがおっしゃるのを正しいとすれば、質問文に子猫はそれぞれ唯一無二の存在で不可換だという前提が隠れていることになりますが、それを万人が受け入れている事実だということを誰が証明してくれますか?


[108]その行為が自身の思考の混乱をもたらしかねないので pasosavi

ご本人が日経に反響に対するコメントを出しておられますが

http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2366513/detail?...

以下、ご本人のお言葉のみ抜粋

タヒチ島に住みはじめて8年経ちます。この間、人も動物も含めた意味で『生』ということ、ひいては『死』を深く考えるようになりました。7月から開始した日本経済新聞社紙面、『プロムナード』上での週1回の連載でも、その観点からの主題が自然に出てきました。『子猫殺し』のエッセイは、その線上にあるものです。ことに、ここにおいては、動物にとっては生きるとはなにか、という姿勢から、私の考えを表明しました。それは人間の生、豊穣性にも通じることであり、生きる意味が不明になりつつある現代社会において、大きな問題だと考えているからです。……死から遮断された人々は、死の実感を失ってしまう。…死の実感は生の実感にも通じている。生と死は、互いの色を際立たせる補色のような関係だ。……現代都市生活では獣の死骸はまず見ない。…都市とは、死を排除された空間だ。……渋滞に甘んじる心理は、社会の流れに唯々諾々と従う心理に繋がる。…渋滞は、人が自由に生きたいと思う欲求を無意識に潰す効果を生み出している。……私の男友達は、常々『日本は世界で最高の社会主義国だ』と言っている。個人が国家と融合し、そのため利益のために一丸となって働くということでは、日本人という精神性そのものが社会主義的であるという意味だ。…しかし、これは個人の自由な主張を犠牲にした上で成り立っている美点であることを、私たちは忘れてはいけないのではないだろうか。……日本という国に、日本という社会に精神的にいられなくなってタヒチで暮らすようになった。

この行為が日本/日本人/日本的価値観の超社会主義的体質を根本から変えるとは到底思えないので(そんなことをしなくても時代が日本/日本人/日本的価値観を既に変容させていますが…)、そうであれば明らかに彼女はいわゆる「弁明」をしているということになってしまい、これはやはり保身やそれに伴うストレスを生んでいるのであって、そんなことにわざわざ手を染める必要はない、つまり自分の精神的な健康のためにしてはいけない、ということになるのでは


坂東さんが「狂っているのはあなた方のほう。わたしの自由はよりグローバルで本源的なものに由来する」と述べておられるのは、簡単な言い方をすれば「倫理的にはとやかく言われる筋合いはない」ということかと思われます。一方で倫理面(あるいは社会通念や良識)から彼女を攻撃する声が大半なのかと言えば、それは論戦上のツールないしは外殻に過ぎず、その本源は恐らく、身近な動物(この場合は愛玩動物)を殺すことに対して大半の人間が共通に持つであろう忌避(ないしは良心)なのでは…

そうであればこのやり取りはごくごく簡単に言い換えれば

「可哀想じゃないか!」

「そうかしら。わたしは別にそうは思わないけれど何か?」

となるはずなのに、さすがにそんなことをあっさりとは言い切れないのか、より普遍的な倫理とは何か?みたいな話が展開しており、これは思考の混乱をもたらしているように思えてなりません…


最初の主張を敷衍して「…そんなこと言われたって、わたしは避妊より子猫殺しの方が正しいと思う」と言い切れない、「他の人は知りませんが、わたしはそれほど可哀想とは思わないんです」と本音をはっきりと述べられない、そんな混乱を思考にもたらす行為は、自分のためにもすべきではないかと

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