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Wikipediaの「煎茶」と「煎茶道」の項目を読み比べるとなんら関連性を見いだせません。前者は日本生まれ、後者は中国生まれのような印象を受けてしまいます。両者の関連性について的確にご指導ください。というか、誰かWikipediaのこの項目に関して整合性をもたせる編集をしてください。(悩めるウィキペディアンより)

●質問者: kaznov17
●カテゴリ:インターネット 芸術・文化・歴史
✍キーワード:Wikipedia ウィキペディア 中国 後者 整合
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● aiaina
●35ポイント

http://homepage3.nifty.com/hoen-nakasei/sakusaku/5_1.htm

http://home2.highway.ne.jp/hinachan/sadoosencha.htm

御参考にどうぞ

◎質問者からの返答

ありがとうございます。参考になりました。


2 ● booboo_002
●61ポイント

今回のご質問では、反対の解釈をされていると思われます。抹茶は、もとはといえばお茶を挽いて粉にしたものであり、そのもとの物は煎茶に近い物です。鎌倉時代にお茶が紹介されたのは、薬としてで、茶葉を煎じて飲むから煎茶という言葉になったと思われます(栄西、喫茶養生記)。つまり、煎茶は中国生まれということになります。

煎茶自体は中国生まれだが、その後、日本の各地で煎茶の製造に改良が加えられたということです。

『この頃既に茶道の世界において形式化が進みつつあったことへの反発に加え、煎茶自体が当時最新の中国文化であったことなどから、形式にとらわれずに煎茶を飲みながら清談を交わすいわゆる「煎茶趣味」が文人の間で急速に広まった』という記載から、煎茶道は中国からもたらされたものと解釈されたのだと思います。しかし、『煎茶』が中国文化との記載はありますが、喫茶様式に言及していないため、煎茶道が中国からもたらされたか否かは、明らかではありません。

急須で入れるお茶の文化は、台湾に残っています。明・清の時代に、中国においてどの程度様式化していたかは、勉強不足で申し上げられませんが、触発した喫茶様式が中国にあったかもしれません。しかし茶道(抹茶の)に反発してとの記載から、茶道の影響もあると解釈されます。茶道が日本独自の文化になっていたため、双方の影響を受けつつ、固有の様式を確立したとかんがえておりますが、いかがでしょうか。

http://www.tea-jp.com/tea/chabunka/chajing/index.html

陸羽『茶経』

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4061594451.html

喫茶養生記


Wikipediaは、時々偏った内容があり、戸惑わせられることがあります。

たとえば健康保険の項目は、私にはなんだか理解しにくい内容でした。

◎質問者からの返答

ようやく呑み込めてきました。煎茶道は中国の煎茶趣味が日本に伝わり、独自に進化したもので、中国においては煎茶道という呼び方はなようですね。文人煎茶趣味もしくはたんに煎茶というようです。つまり、Wikipediaの煎茶の項目に、発祥の地である中国の煎茶がまったく書かれていないために日本独自のものであるというような誤解をしてしまったようです。

ありがとうございました。

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