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人を殺してもよい理由と、人を殺してはならない理由 もしそれぞれあると思えば各理由を40字以内くらいで書いて、説明のための補足があればその都度記載してください。(宗教的、道徳的、法律的、生物学的、倫理…)あらゆる学問の知識を利用してもけっこうです。その知識が他人への説得になると思ったら、ガンガン使ってください。要するに、自分以外の他人を説得させられるのであればどの知識を使ってもいいということです。
※注 他人を批判するときは、主張そのものや「その人」を攻撃するのではなくて、「その主張」の理由、前提などを攻撃してください。議論の基本です。

●質問者: zhengyi
●カテゴリ:政治・社会 書籍・音楽・映画
✍キーワード:ガンガン 倫理 学問 宗教 法律
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 88/88件

▽最新の回答へ

[1]難しいですね tarou4649

殺してもいい理由・・・そんなのあるんでしょうか?半殺しぐらいなら相手がよっぽどむかつく性格で人間的に間違っているならいいかもしれないけど人のいのちを奪うことは許されることじゃない

殺してはいけない理由・・・人は心を持っていてその心は考える力を持っていて喜怒哀楽があってそういう心のあるのは生き物だけなんだから決して人間や動物だって殺してはいけないと思う


[2]論理的に・・・ jan8

人を殺しても良い理由:自分や他の人を殺すことが出来るから。自殺したり、自分が死ぬまで人を殺しても良い。

人を殺してはならない理由:多くの人は生きたいと思い、他の人にも生きて欲しいと思うから。自分が死にたくなければ、人を殺してはならない。


[3]これは今ここにある危機では無いか hennaojisan

ジュネーブ条約とか人道主義は無視します。

「敵国人だから」 「穢れを持っ疫病者だから」「テロとの戦いに参加しないテロリストだから」 「イスラエルを攻撃するテロリストだから」 「戦争を早期終結」させるためにやむを得ない犠牲だった。

「植民地の三国人だから」

人間はお国のためなら平気で殺せる訳だ。

野火

野火


[4]人を殺してはいけない理由 retorin

逆説的な話になりますが、もし人を殺しても良いことになったらそれは自分が他人に殺されてもそれは仕方が無いということになってしまうのでそういう事になっている。


[5]どちらも理由なんて無い。 skymkt

あるとすれば、「生きるため」ではないでしょうか?

【殺してはならない理由】

共存共栄っていう言葉がありますが、人は一人では生きていけません。自分が生きていくためには他人が必要です。他人を殺すとは、結果的に、自分を殺すことになりますので「生きるため」に殺してはいけないのです。

【殺してもよい理由】

共存共栄のルールが破られるとき、人は「他人を殺してもよい」です。自分の居る共存共栄のテリトリが他人によって犯されるので自分が「生きるため」に人を殺すことが出来ます。

少々長いですが、納得できますでしょうか?


[6]>5 【殺してはならない理由】への反論 zhengyi

とりあえず、つっこめそうなところとしては…

他人を殺すとは、結果的に、自分を殺すことになりますので「生きるため」に殺してはいけないのです

確かに、自分以外を全員殺せば自分も殺すことになるかもしれませんが、自分が生きるために最低限の人間を確保しておくようにすれば、自分を殺すことにはならないかと思います。


[7]別の議論:自殺しようとしている人に対して、その自殺を助けてはいけない理由は? zhengyi

刑法では、自殺幇助は罰せられることになっていますが、自分で命を絶とうとしている人を助けるのを禁止する理由はどのようなものがありますか。


[8]共同体の倫理に則る steigen

人は一人では生きていけません。だから共同体(国家とか民族とか)を作るのです。どこかの共同体に所属している限りは、その共同体の倫理(ルール)に従う必要があります。その共同体が人殺しを認めているなら人を殺しても良い、逆に人殺しを認めていないなら人を殺してはいけない。ルールに従えないのなら、共同体を出る必要があります。


[9]>1 少しつっこみます。 zhengyi

心を持っていてその心は考える力を持っていて喜怒哀楽…

とすると、このような能力を持たなくなったといえる状態の、植物状態の人を殺してはいけない理由は?どうなりますか。


[10]>8 A共同体とB共同体がぶつかりあったら… zhengyi

確かに。

しかし、全く逆の結論を持つ、(殺人肯定、否定)の共同体がぶつかったとか、交わったときに、肯定派が否定派を殺していいとは必ずしもいえないかと思います。仮に、否定派を殺してもよいとするとどのような理由があるでしょうか。


[11]>2 たとえば、タイタニックを例に… zhengyi

人を殺してはならない理由:多くの人は生きたいと思い、他の人にも生きて欲しいと思うから。自分が死にたくなければ、人を殺してはならない。

タイタニック号が沈没したとき、救助ボートが足りませんでしたが、他の人をかきわけて自分が助かることは結果的に他人を殺すことになります。緊急避難37条になりますが、この事例の場合、生きたいと思っている人を殺すことになりますが、どのような理由で許容できるといえますか。


[12]>3 武器を持たなくなった場合は… zhengyi

やらなきゃ、やられるということですね。

この場合、相手の戦力が問題となるかと思います。たとえば、素手で投降してきた敵は、自分が殺される可能性は低いですが、この場合敵を殺してもよい理由は「素手であっても、戦場ではやられるかもしれないから」殺しても許容されるということになるのでしょうか。


[13]>4 一応つっこんでみます。 zhengyi

まあ、そうですね。

しかし、「俺、人に殺されてもいいですよ」と思っている人がいるとします。その人にはこの論理は必ずしも通じないと思いますが、どのように説得しますか。


[14]>10 難しいですね… steigen

この場合は、価値観と価値観のぶつかり合いになってしまうので、「良い」「悪い」では答えられないのでは。例えば、白人による黒人への差別(かつては虐殺もあった)がなくなったのは「我々は人間という点で同じ仲間である(=同じ共同体に属している)」と気が付いたからですよね。


[15]>11 感情的に・・・ jan8

そのような場合、多くの人が「自分は死にたくないし、他人も死なせたくない」と考えるでしょう。生存者が犠牲者を殺したとは言えないと思います。「殺す」の定義を「殺したいと思って殺す」と「殺したくないと思いながら結果的に死なせる」に分けなければなりません。


[16]>1 動物も ですか?ならば mmmx

牛や豚など人間が食している動物は動物として見られていないのですか? 殺してはいけないのは人間が口にしない動物(イヌやネコ等)だけなのでしょうか


[17]答えは簡単 shougojpn

殺してはいけないものは殺してはいけないのです。


[18]>17 たしかに… zhengyi

理由はないかもしれませんが…

それでは、殺してもよいという人に対して、絶対説得はできませんね。


[19]>15 作為と不作為を区別ですね。… zhengyi

その前に、

のような場合、多くの人が「自分は死にたくないし、他人も死なせたくない」と考えるでしょう

について、異論です。

そのような極限状態であれば、「自分は死にたくないが、全く知らない他人はどうでもいい」と考えるひとがあるいは多いかと思いませんか。とはいっても、結局いずれにせよ、不作為になるわけですが…。

そして、不作為の殺人であった場合、見捨てた人に対して「あんたひどいじゃないか」と責めることはできない、というわけですね。


[20]>14 黒人が反発して白人を殺した場合、第三当事者、白人の子孫が黒人をどのように責められるのか。 zhengyi

共同体のルールに従うという視点から、仮想的な事例で考えてみます。そして、論点をずらします。

かつての欧米諸国では、一時的に白人が黒人を殺してもよいという規範もあったかと思います。たとえば、黒人が白人に対して何か約束を破ったとかの場合。

さて、その時代の中で黒人として存在するして、

1,その白人を中心とする共同体におり、

2,「白人→黒人○、黒人→白人×」というルール

がある場合、

黒人が白人を殺したとき、その共同体のルールに反するので、その共同体からは許容はされない行為となりますね。

とすると、黒人自らの選択としては、

1,逃げる。

1?1,逃げて、黒人の共同体を作り、白人を殺してもよいというルールを作り白人を殺す。

1?2,逃げて、黒人の共同体を作るが、白人を殺してもよいというルールは作らず、復讐しない。

2、共同体の中でルール違反をして革命を起こしてルールを変えるまで白人を殺す

3,忍耐する

のいずれかになります。

そして、1?1と2の場合は白人を殺すことになるわけですが、この場合の黒人は

因果応報、復讐のため」という理由を持ちだすかと思います。

この場合、この当事者以外の国などや、白人の子孫が

「お前達は、よくないことをやった」

と言うかもしれませんが、この場合、どういう理由をつけて当事者以外の国などは黒人を非難するのでしょう。

何か説得的な理由があったら、教えてください。


[21]こどもには kaori-t

自分がされて嫌なことは、人にしてはいけないと教えています。

なので、殺されたくないと思う人がほとんどであれば、殺してはいけないということになるのでは?

精神状態によっては、死にたいと思う人もいますが、それは、その苦痛な状況から助けて欲しいという思いの裏返しだと思うので、殺して欲しいという人に対してその裏の意味を読まずに殺してあげるというのは、短絡的。殺していい理由にはならないと思います。

殺していい理由があるとすれば。。。大切な人を殺されたから。自分が殺されそうになったから。というのであれば、自分自身の気持ちを正当化できる気がします。


[22]>21 自分を殺そうとしている人に対しては zhengyi

おかしい人や、復讐などで自分を殺そうとする人がいるかもしれません。こういう場合でも、殺してはだめですか?


[23]>19 そうかもしれませんね・・・ jan8

お互いに助かりたいという人が多ければパニック状態にならないはず。ということは、やはり他人のことはどうでも良いと考える人が多いのでしょうね。パニック状態で気付いたら生きていたという人に比べ、他人の事をどうでも良いと考える人は、自分の生存後について考える余裕があると思います。緊急避難時に犠牲者を押しのけて助かった生存者を責めることは出来ませんが、生存者は事実を知る人達の中で生きていくのが辛いでしょう。人を殺してはならない理由は「自分が死にたくなければ、人を(殺意を持って)殺してはならない。」と、より狭義に訂正します。


[24]淘汰 imo758

様々な人間や社会が殺人に対して様々なアプローチをとっていた。

時が流れ、殺人を基本的に禁忌とした共同体が台頭し、そうでない

共同体は基本的に滅んでいった。

それと生物学的に考えても、人間くらいの大型種族は、

同種同士での殺害に対し強い本能的な抵抗感を獲得しておかないと、

絶滅する確率が高まると思います。


[25]>6 同道巡りになりそうですが skymkt

「自分が生きるために最低限の人間を確保すれば」ということは、新たな共存共栄のテリトリー(ニュアンスは異なるかもしれませんが、他の方が「共同体」と書いてましたね)を構築することになり、そのテリトリーには新たなルールが存在することになります。

自分が生きるために最低限必要な人間(仮に賛同者としましょう)だけを残したとしても、その賛同者から気に食わない人、自分のルールに合わない人を殺してしまえば、最終的に賛同者が居なくなってしまうでしょう。

殺しても良い理由に

共存共栄のルールが破られるとき、人は「他人を殺してもよい」です。

と書きましたが、人を殺すということは、共同体から抜ける、他の共同体へ移るということになると思うので、元の共同体(上記のツッコミだと皆殺しで存在しませんが・・・)からみれば、テリトリを侵される、脅威であり、殺しても良い対象になってしまうと思います。

人を殺しても良い状況の行き着く先がテロや戦争だと思いますが、

他のテリトリを侵したことで、自分のテリトリが侵されやすくなり、その結果、生きるために不利な状況になってしまうのでは無いでしょうか?。


[26]人間を殺しても良い"理由"は、人肉食される方や民族だけに与えられる。 mmmx

何故なら、生命保存/生きる為の本能に基づいた手段であり行為であるから。

人間皆様々な欲求を抱えた上抑えて生きてるので自己の欲求を満たす為の殺人行為(=生命保存に直接結びつかない)を容認してしまうとなんでもアリになっちゃうなー


[27]>22 おかしい kaori-t

というのが、精神疾患だとすれば、医療が必要なのであって、殺す必要はないでしょう。

警察や、医療機関によって適切に対処してもらうことができる状況にない場合では、上記に書いた「自分が殺されそうになったから」という理由で自分を正当化できるという意味の殺していい理由になるかもしれませんが、殺すまでしてしまうと、過剰防衛のような気もします。

ただ、自分が殺されそうになった場合はともかく、大切な人が殺されたりしたら、いいか悪いかとか、精神疾患がどうとかは関係なく、自分で復讐するかもしれません。


[28]>7 まず助ける側が相手の人生の全てを背負う覚悟があるか否かが重要です。 ad1975

死を選んだ人を止めることができる唯一の人間はその人の人生の全てに責任を持てる人だけです。死を止められた人間にとっては、その後の人生において苦難がある度に、あの時止められなければ…という思いに取り憑かれるでしょう。それでもまた死ねる人は良いですが、多くの人は再び死を選ぶことを躊躇してしまいます。死を選ぶにも大変なエネルギーが必要なのです。止める側が相手の面倒を一生みることができるのか、その覚悟はあるのか、それが重要です。ただ助けてハイさよならでは虫が良すぎるのです。自己満足な行動では人は救えません。


[29] Never return to beginning ! adlib

人は、あるとき殺したくなり、あるとき殺すべきでないと考えます。

人を殺してもよい理由や、殺してはならない理由は、存在しません。

生きるべき理由や、生きてはならない理由が見あたらないように。

飲酒も運転も、それぞれは禁じられていないのに、飲んで運転すると

罰せられます。しかし運転してから飲んでも罰せられないのです。

このことを論理的に分析しても、なんら得るところはなさそうです。

法律は、そのつど是非を議論しないために、罪と罰を定めるだけです。

野球は3振したら1アウト、3アウトで攻守交替、9回で終了します。

将棋では同じ筋に2歩を打った瞬間に負けですが、理由はありません。

数学では、いったん認められた公理は、二度と議論されません。

公式もまた、あらためて計算しないための約束事です。

これらの約束事を、ふりだしに戻さないのが議論の基本です。


[30]学問でいうと分かりませんが、自分の考えです。 irhnhhtn

殺してはならない理由:法律上、人を殺してはいけない、という事になっているから。

殺していい理由:法律というのは、所詮人間が作った価値観でしかない、と考えれば、人殺ししてもいい。

結論として、現代社会では人は法律を無視して生きていく事はできないゆえに、人を殺してはいけない、となります。

「何故、法律上殺人が悪い事なのか」は別問題です。


[31]なんとなくですが? fdsasdf

人間が世界に飽和状態だからその間引き、きっと誰も殺さないなら地球はとっくに滅んでいるのでは?


[32]>28 賛成。 zhengyi

賛成です。


[33]>29 しかし、法律改正のときに、議論がされるかと zhengyi

野球や将棋については、基本的な部分のルール改正はありませんが、法律ではたとえば、殺人罪に関する規定が改正される可能性もあります。法律改正は国民の意思が反映されるものです。したがって、論理的な分析がたとえ無意味であったとしても、国民がその殺人罪の改正の可能性について、自分の納得するまで議論したり、ふりだしの部分を疑うのもありかなと。


[34]>30 一応、揚げ足をとってみる。 zhengyi

人は法律を無視して生きていく事はできないゆ

揚げ足をとります。刑法を無視しても、刑務所の中で生きていけます。


[35]>25 用語についての質問 zhengyi

人を殺すということは、共同体から抜ける

この意味を補足説明してください。具体例などがあればそれも。


[36]>24 自分でもよくわからないが、とにかくつっこんでみる。 zhengyi

様々な人間や社会が殺人に対して様々なアプローチをとっていた。

時が流れ、殺人を基本的に禁忌とした共同体が台頭し、そうでない

共同体は基本的に滅んでいった。

過去に殺人肯定的な共同体が滅んでいったとしても、現在においてそのことが現在の共同体において殺人が否定される理由にはならないかと。たとえば、過去に将軍のような制度がありそれが滅んだとしても、現在それを作ることを禁止する理由はないように。


[37]>33 納得するまで議論されることはありません。 adlib

国民の過半数51%が納得しても、残りの49%は合意しないでしょう。

憲法改正には、国民投票で66%以上の賛成が必要です。

当面は、死刑制度の廃止ですが、先進国での議論は終っているのです。

この質問を、通行人にマイクを向けたら、結果はどうでしょうか?

「人を殺してもよいか、人を殺してはならないか、どちらを選びますか」

zhengyi さんは、どちらを国民の意思だと予想しているのですか?


[38]>20 考えられる非難の仕方としては steigen

「黒人は劣性民族なのだから、優性民族である白人を殺してはいけない」という理由があると思います。つまり、国家という共同体の枠を越えた人種間対立が理由になるのではないでしょうか。

それから、上記の仮定で白人→白人×なら、その共同体内では殺人は認められていないということですよね。でしたら、

?黒人が白人社会の中で共同体の一員であると認めてもらうこと

と、

?黒人が白人を殺しても良いということ

は、切り離して考えなければならない問題であると思います。私は、白人→黒人○なのは、黒人が白人から共同体の一員であると認められていないからであると考えました。?を達成するには、キング牧師がしたように非暴力の手段もあるからです。

ところで、人種の問題はナーバスなことなので例に出すのは良くなかったかもしれませんね。これを読んで不快に思った方が居ましたら申し訳ありませんでした。

それから、共同体と倫理道徳の関係について書いてあるサイトがありました。簡潔で分かりやすかったので参考にどうぞ。

http://rc.moralogy.jp/qa/2000_15.html


[39]>7 「死にたいとき、それが死に時だ」あるいは、「死にたい時に死ね」 skymkt

という考え方なので自殺することは全然、否定しません。

残された遺族にとっては、辛いことかもしれないけれども、自殺した本人はこの世にすでに居ないのだから・・・

ただし、確実に死ねる方法で自殺しようね。そうでないと、看病しないといけない人たちが辛いから。

さて、質問の意図が、どっちにも取れるのですが、どちらでしょうか?

  1. 自殺しようとしている人から自殺を手伝ってと言われて手伝うのはダメという理由
  2. 自殺しようとしている人を助けるのはダメという理由

私は、1だと思いまして、自殺幇助がなんで罪になるんだろうと考えてしまいました・・・

自殺の名所なんかによくあるらしい、「もう一度、考え直せ」という看板、考え方によっては、自殺幇助ですよね、それとも、自殺教唆なのかな?

それはさておき、自殺幇助が罪に問われるのは、その行為が自殺者の意思において依頼され実施された行為か、第三者の意図により実施されたか判断することが難しいからではないでしょうか?

いっそのこと、業務上過失致死傷罪あるいは、重過失致死傷罪にひっくるめてしまっても良いような気もします。

ところで、最近亡くなった、作家の吉村昭さんは「自決」だったという話があります。(「自決」というのは美談にしすぎだと思うけど)

吉村昭 - Wikipedia

この例の行為は「緩やかな自殺」だし、最期を看取った長女などは自殺幇助に問われてもおかしくないと思いますがどうなんでしょうか?


[40]>34 まあ、水掛け論ですが irhnhhtn

よーく考えたんですが、質問の前提が広義に取れすぎて結論だせませんねえー・・・

宗教的、道徳的、法律的、生物学的、倫理… を全て満たす結論は40文字では、自分には無理です。

まいりました。m(_ _)m


[41]>37 前半への反論 zhengyi

国民の過半数51%が納得しても、残りの49%は合意しないでしょう。

まあそうですね。しかし、現在でも「人はいかなる場合でも殺してはならないのか」と国民に質問した場合、肯定、否定、留保の3つにわかれるでしょう。

そして、その場合でもきちんと他人・自分に対して説得的な理由を言える人はなかなかいないかと。なぜなら、そのようなことは普段考えもしないし、議論などしたことがないから。そして、殺人の是非について理由を知りたいと思う国民はいます。なぜなら、殺人はなぜいけないのかという本が現在も売れている事実があるから。

したがって、その理由や具体的な事例と限界事例などと一緒に、殺人の是非とその理由を考えるのは、たとえ先進国で議論が終わっている(どのように終わっているのかが不明)としても、きちんと理由を知りたい国民はいるかぎり、振り出しの部分を考えるのは、別に約束違反とは思えません。


[42]>37 後半への反論 zhengyi

この質問を、通行人にマイクを向けたら、結果はどうでしょうか?

「人を殺してもよいか、人を殺してはならないか、どちらを選びますか」

zhengyi さんは、どちらを国民の意思だと予想しているのですか?

多分、場合や状況によると考えてる人が多いと思います。たとえば、家族を殺されたらやむを得ないとか。


[43]種の保存を考えるなら… takahiro_kihara

個人ではなく人類という種の保存を第一に考えた場合阿呆はむしろいない方が良いから。


[44]>39 1です。安楽死と自殺幇助 zhengyi

1. 自殺しようとしている人から自殺を手伝ってと言われて手伝うのはダメという理由

2. 自殺しようとしている人を助けるのはダメという理由

1です。

まず、自殺そのものがダメなのか 幇助するのが殺人っぽいのでダメなのかがよくわからないところ。

誰か刑法に詳しい人募集。ググればわかるかもしれないが、いわしに書いて欲しい。

で、待ってもでなかったので、ウィキってみた。

そうすると、

自殺はその未遂も含めて処罰されないのにも関わらず、自殺関与が処罰されるのはなぜかという疑問に対しては以下のように説明される。

まず、自殺が処罰されない理由として、自殺は違法な行為であるが責任が阻却されるので処罰されないとする立場と、自殺は本来的に違法ではないとする立場がある。 前者の立場は、自殺という違法な行為に関与した者をその共犯として捉え、処罰できるのであると説明する。一方、自殺は違法ではないとする後者の立場は、共犯云々とは関係なく、生命のあり方を決めることができるのは本人だけだと考え、自殺関与のように他人の生命を左右し、生命を侵害する行為それ自体が違法となるため、処罰できると説明する。

とかあった。

で、結局学説でも、自殺が違法かどうか決着がついていない(通説はどちらかだろうが)ことが判明。

しかし、私としては自殺が違法であるならば、条文に自殺したものは罰するとか書いてあると思うので、自殺は責任阻却説に立ってみる。

そうすると、生命決定権は自殺者本人だけになるので、他人がどうこういうのが違法になるらしい。したがって、教唆はもちろん、幇助も違法になるらしい。

余談ですが、クリントイーストウッドのミリオンダラーベイビーは安楽死問題があり、ストーリー的にも面白くオススメです。


ーーーーーーー

安楽死

私の立場からすると、安楽死についても生命決定権が本人だけにありそうなので、チューブを外したりとかは違法になる。

しかし、生命決定権が本人にあるならば、自殺を決めた本人に対してその手助けをするのも、どうも違法にはならないような気がする。

どうもモヤモヤ


[45]>24 疑問その? takahiro_kihara

「人間くらいの大型種族は、

同種同士での殺害に対し強い本能的な抵抗感を獲得しておかないと、

絶滅する確率が高まる」のは何故ですか?


[46]>41 引用には出典を。 adlib

>家族を殺されたらやむを得ない<

家族を殺された人が、加害者に報復した事例はありましたか?

>肯定、否定、留保の3つに分かれる<

そのうち、肯定が66%に達する可能性はありますか?

>殺人はなぜいけないのかという本が現在も売れている<

その本の、著者・書名・出版社・初版年月日を教えてください。

>死刑廃止について、先進国での議論は終っている<

http://homepage2.nifty.com/shihai/shiryou/facts&figures.html

Facts and Figures on the Death Penalty 20060301


[47]>35 説明を考えてみました。 skymkt

共同体の単位は、国家や民族や宗教などから地縁や血縁、親類・縁者など小さなものまでさまざま。

そんな共同体はルールがいくつかあって、ルールを破ったものはその共同体にいられなくなるあるいは追放される。

という感じの説明で如何でしょ?

共同体の倫理に則る

に通じるのかな

それで、たぶん、暗黙のルールとして「人を殺してはいけない」というのが刷り込まれていて、思い込んでいるのかも。

視点が変わってしまうかと思っていますが、

2006-08-31 21:42:35 A共同体とB共同体がぶつかり


[48]>44 「安楽死」について思うこと takahiro_kihara

しかし、生命決定権が本人にあるならば、自殺を決めた本人に対してその手助けをするのも、どうも違法にはならないような気がする。

生命は、一旦失われると、二度とかえってはきません。

だから、例えどんな苦痛があって、本人が「殺してくれ。」と言っていたとしても、本当に殺しては絶対にいけないのです。

ひょっとすると、翌日に、どこかで誰かがその苦痛を取り除く魔法の薬を発明するかもしれません。

しかし、死んだ人間、一旦失われた生命が復活する魔法の薬はないのです。(将来にわたっても開発はおそらく不可能でしょう。)

「本人」の決定が全て正しい、とは限らないのです。


[49]>46 その本の、著者・書名・出版社・初版年月日 zhengyi

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4896914740/ref=pd_rvi_gw_...

です。その他、amazonで検索すると10冊ぐらいありました。これが一番最近みたいです。ちなみにレビューしてる人がいる→この本を読んでる人がいる→その人は「なぜ人を殺してはならないか」の理由などを求めているということです。


[50]>28 そんな人はいない takahiro_kihara

死を選んだ人を止めることができる唯一の人間はその人の人生の全てに責任を持てる人だけです。

全責任をとれる人なんかいる訳がない。人は全能の神ではないのだから。

上の、zhenghyi さんへの返信をお読み下さい。


[51]>31 ちょっと前に… takahiro_kihara

Nスペ(NHKスペシャル)で、地球はどのくらいの人を養えるのか、の特集がありました。僕は、それを見逃したクチなので、結論はわからないのですが(おそらく、結論は「わからない」でしょうが。)、本当に、どのくらいの人を養えるのでしょうかね?


[52]>48 生命は、一旦失われると、二度とかえってはきません。へのつっこみ zhengyi

生命は、一旦失われると、二度とかえってはきません。

だからといって、

本当に殺しては絶対にいけないのです。

とはいえないかと。たしかに、二度とは戻らないものであるほど、大事なものであるが。もう少し、説明してほしい。


[53]>46 そのうち、肯定が66%に達する可能性はありますか? へのつっこみ zhengyi

そのうち、肯定が66%に達する可能性はありますか?

かりにあったとして、何が言いたいのですか?


[54]>49 訂正2006年じゃなくて2000年の本だった(-_-) zhengyi

訂正2006年じゃなくて2000年の本だった(-_-)


[55]>50 全て、の定義 zhengyi

ad1975さんは、生活面、精神面でのことを言ったと思う。したがって、神でなくてもこの意味の責任はとれるだろう。


[56]>52 たとえば、胎児とかも不可逆だが zhengyi

胎児も死ねば、元に戻らないが、母体保護のため一定条件の下で胎児の命を絶つことが許容されている。

この場合は、

生命は、一旦失われると、二度とかえってはこない

ものだが、殺しているので前記記述と整合性がとれないかと。(注若干、論点がずれました)


[57]>52 僕も、そこは問題だと思います takahiro_kihara

個人的には生命以上に大事なモノはない、と思いますが、

生命以上に大事な者があるのかもしれません。

ただ多くの場合それは、その人個人の信条に左右されるので、

その信条を他人に押しつけるのはあまりよろしくないと思います。

人はそれぞれ違っていて当然ですから。

(ただこれは、よくよく考えるとtautologyなんですけど。)


[58]>56 胎児は、まだこの世に生まれていない takahiro_kihara

から、既にこの世に実在している母体の生存が優先されるのは、

ある意味で当然です。


[59]>57 おっと、誤変換… takahiro_kihara

×大事な者

○大事なモノ


[60]>55 要するに、安楽死についての議論? takahiro_kihara

何か質問とは趣旨がずれてきた気がするんだが…いわしだからしゃーないか。

だったら、僕は、安楽死は例え本人が望んでも、選択すべきではないと考えています。

本人の、その時の決断が正しい、とは言えないからです。


僕は、五年以上前に交通事故に遭って、15年前なら脳死だったろうと言われました。

だから、事故直後だったら、こんな苦しい思いをするくらいなら、いっそひと思いにあの時…なんて思いましたが、今はそんな風には思いません。

確かに、こんな時間に眠れなくて、常人とは違うから、社会に合わせることは出来ませんけど、それを適当に補っていけば(また、今の時代都会には24時間営業のコンビにもあるし、それが十分可能です。)、毎日が楽しくて仕方ないからです。


だから、僕は、自分の体験を元に、死は絶対選択すべきではないし、選択することを許してもいけない、と思っています。


[61]>54 すこしづつ判りはじめたこと adlib

>何が言いたいのですか?<

肯定・否定・留保のどれも66%に達する可能性がないということです。

すなわち、国民投票の対象にはならないということです。

わたしの、おぼろげな記憶では、神戸酒鬼薔薇事件の直後、筑紫哲也

《ニュース23 199707‥ TBS》のスタジオにかり出された、中学生

のひとりが「どうして人を殺してはいけないの?」と質問したのです。

このとき居合わせた大人たち(鳥越俊太郎?)が、だれも反論できず、

のちにノーベル賞作家の大江健三郎までが取りあげたため、味をしめた

少年たちが、しばしば大人を困らせるための“常套句”に用いたのです。

これに便乗するように、つぎの原作と映画が出版・製作されて、上映

自粛を求められるなど、まるで絵に描いたように一人歩きしはじめたの

です。あたかも少年たちが、みんな同じことを考えているかのごとく。

── 高見 広春《バトル・ロワイヤルII【鎮魂歌】199904‥ 太田出版》

── ビート・たけし主演、深作 欣二/深作 健太・監督

《バトル・ロワイヤルII【鎮魂歌】20030705 製作委員会》

http://www.ywad.com/books/235.html

── 視聴者参加型のテレビ番組で、大人たちが討論していたところ、

ある高校生が「なぜ人を殺してはいけないのか?」という質問というか

言葉を発した。これを大江健三郎が朝日新聞のエッセイで取り上げて、

そのような質問をすること自体がだめだと書いた。永井はこのような立

場を批判する立場にたった。/★★ 奇怪としかいいようがない本

── 永井 均/小泉 義之《なぜ人を殺してはいけないのか? 19981023 河出書房新社》

── 小浜 逸郎《なぜ人を殺してはいけないのか 200007‥ 洋泉社》

人力検索はてな(2005-08-15)で、かなり熱っぽく議論されています。

http://q.hatena.ne.jp/1124114353

──「なぜ人を殺してはいけないか」を説明してください。by michiaki


[62]コミュニティの安定のため majigarin

コミュニティを安定させるためなら殺しても良い。

そしてまたコミュニティの安定のためには人を殺してはいけない。

この場合のコミュニティとは社会、集団の事を示す。どちらかといえば主観的なコミュニティかもしれない。思想的、社会的、その他色々のコミュニティがある。

そして基本的にコミュニティのルールには従わなくてはいけない。

以下補足

o:コミュニティを崩壊させる危険性のある人は殺しても良い。集団としては危険性のある人物、団体は殺しても良い。個人としては自身の安定のためなら殺しても良い、なぜなら自身は常にコミュニティの中心だからである。ただし人を殺すという事実が自分のコミュニティの崩壊(自身がコミュニティに属せない状態、主観的なものも含む)につながるならたとえ自分が死ぬ事になっても人を殺してはいけない。

x:人を殺すという行為が最もコミュニティの崩壊につながる。無差別に人を殺しても良いというルールがあった場合コミュニティが成立しないからである。人類という大コミュニティが存在する以上本能的に人を殺してはいけないというルールが存在する。また自分に近いコミュニティに属する人物であるほど殺してはいけない。自身に近い人が死んだ場合、自分が属しているコミュニティが大いに欠けるからである。それは殺されてはいけないと思う人物と同じ可能性が高い。

etc:自身に近いコミュニティに属する人は他の人にとって遠いコミュニティの存在である場合がある。自分にとって殺されてはいけない人物が他の人には殺されても良い人物になる場合がある。また殺されなくてはいけない人物になる可能性もある。

よって何らかの例をあげてその人は殺していいのかどうかという議題になると個人の主観(個人の属するコミュニティのルール)に頼る事になる。

AコミュニティではダメだがBコミュニティでは良いという場合、自身に近いコミュニティのルールを優先する。

「死刑はOKか」のような意見が出た場合、種族としては人を殺してはいけない。社会としては治安の安定のため、税金の節約のため殺してもいい。個人としてはコミュニティを破壊するような人物は危険なので殺してもいい・・・のような、その他いろいろ意見がでるだろう。上記の例に対する意見が正しいと思うかどうかも主観的なコミュニティのルールの問題になる。

・・・みたいな感じじゃないでしょうかね?

なんか異常に長くなってすみません。


[63]>24 生物学的? doraemoon

>それと生物学的に考えても、人間くらいの大型種族は、

>同種同士での殺害に対し強い本能的な抵抗感を獲得しておかないと、

>絶滅する確率が高まると思います。


本能行動とは反射の連続です。人間に本能行動が備わっているといえるんでしょうか。


takahiro_kiharaさんと同じく、同種殺しが絶滅する原因となるかには疑問があります。

生物は想像以上に個体数があるので。


更に、種全体の保存の為に生物が同種殺しをしないという理論は少し変です。

種全体の為に生物が調和して生きているというのは幻想で、

個体は自分の遺伝子を残すのに有利なようにできているだけです。

自身の遺伝子を残すために、食物や配偶者をめぐり同種と争うことはむしろ必須だと思います。

特に、雄は雌を得るために同種の雄と殺しあいます。

因果関係が逆転しているような気がします。


強いて言うなら、

大型種族が争う場合、高確率で一方が死ぬなり負傷する確率が高い。

それゆえ、儀式的な争いのみで実際の争いを避ける生物の方が自身の子孫を残す可能性が高く、

結果として、個体群内には同種殺しを避ける個体が増えていった。

という感じではないでしょうか。かなり大雑把ですが。


それでも、これが人間に当てはまるとは考えにくいです。

本能を原因とするのに無理があると思います。


[64]法律で定められているから akkk

住んでいる場所の法に従います。

日本は他人を殺してはいけない、という法律があるので

殺してはいけません。

ですが、戦前の憲法下では、敵を殺すことは良いことだ

(むしろ敵を殺さなければ非国民)

となっていたのでその場合は仕方ありません。

法律は従うしかないのです。

なぜならソクラテスも言うように“悪法といえども法”

ということだからですね。

たとえその時の法律に納得できなくても、

背いた場合、自分の責任だけではなくなるからです。


[65]>18 Death noteを読み込んでる少年ですね tosyosisyo99

漫画ばかりではなくて、他の膨大な数の書物を読みなさい。

あなたが疑問に思っていることは、

「哲学」と言う学問の分野です。

池田晶子は読みましたか?答えの一片が書いてあります。

http://www.amazon.co.jp/14%6b73%304b%3089%306e%54f2%5b66%201...

ちなみに私自身は、自分の子供が殺されたら「敵討ち」はしますね。


[66]>28 つまり kouuok

ある人の自殺を止めることができる唯一の人間は、その人だ。

ということですな。

唯一全責任を負えそうです。


[67]>65 別に真剣に疑問に思っているわけではありませんし、マンガばかりも読んでいません。 zhengyi

1,なぜ、デスノートがここででてくるのですか?仮に読み込んでたとして、何か問題がありそうな表現ですね?

2,それに、勝手に私を少年と決めつけないでください、また仮に少年であったとしても議論とは関係ありません。

3,

膨大な数の書物を読みなさい。

確かに本をたくさん読めば、本件のような疑問に関して適切な考え方がわかるかもしれません。

しかし、本件のような哲学的な質問あるいは議論をしている最中の人に対して、「本を読みなさい」といっても説得力がないと考えます。

4,

池田晶子は読みましたか。…書いてあります。

もし、あなたが読んでいて理解しているのならば、引用もしくはあなたが理解している範囲で紹介してくださるとありがたい。


[68]人を殺しても良い理由 ya-yuta

精神障害者や身体障害者など、社会に存在しても利益を生み出せないものは、存在していても無意味なのだから頃しても良いと思う。


[69]どっちもあり、どっちも良い kuramoto

現実問題としては、人を殺して良いか悪いかは人間が決めるものだ。

人を殺していいか悪いかは、ルールで決まっている。しかしそのルールは、人類の心の奥に潜んでいる。

人を殺して悪いと言う人は、自分が殺されたくないから

自分が殺されたくないから、人を殺していけないと、人間全員で決めたのだ。

ただそれだけ

神から見れば、死も生も同じ価値

死があるから生がある

死がなければ生もない

死と生があるからこの世は生まれた

そして

何かの死の上に他の生が築かれいる現状

自分がされて嫌な事は人にするな!

殺されて嬉しい人間はいない

まあいずれにせよ

人を殺して良いか悪いかは人間が決めていることだから

議論しても決着はつき難いだろうと思う


[70]>65 1W5Hは大切ですが……。 adlib

tosyosisyo992pt さんが(背後から肩を叩くように)本論と直接関係

のない文献を持ちだしたので、質問者も閲覧者も混乱しています。

以下「なぜ、誰が、いつ、どこで、何を、どのように云ったか」

池田 晶子は、専門知識や用語に頼ることなく、日常の言葉によって

「哲学するとはどういうことか」を語っているそうです。

── 《事象そのものへ! 1991‥‥ 法蔵館》連載

つまり「学問は、研究室や図書館に在るのではなく、日常の中に在る」

という表現は、とても便利なので、わたしも何度か転用しましたが、か

と云ってなにか目あたらしい哲学が出現するとは期待できません。

♀池田 晶子 哲学 1960‥‥ 東京 /慶應義塾大学文学部哲学科卒業。

つぎの三部作は、14歳&41歳を対比した、数合わせのような題名

なので、手にとる気がしません。⇒「すこしづつ判りはじめたこと」

── 《14歳からの哲学 ? 考えるための教科書 2003‥‥ トランスビュー》

── 《41歳からの哲学 2004‥‥ 新潮社》

── 《勝っても負けても 41歳からの哲学 2005‥‥ 新潮社》


[71]>69 >殺されて嬉しい人間はいない mmmx

殺されて嬉しい人間も少なからずいます。

彼らの場合は一体どうなるのでしょう。

>人を殺して悪いと言う人は、自分が殺されたくないから

>自分が殺されたくないから、人を殺していけないと、人間全員で決めたのだ。

では、人を殺して良いと言う人の場合はどうなるんですか?

人間全員で決められたのはいつ、誰がですか?もしそれが真実ならば

「人間全員」というよりも「自分が殺されたくない」と思っている集団だけで決めたのでは?


>死があるから生がある

>死がなければ生もない

>死と生があるからこの世は生まれた

そもそも生が存在しなければ死も存在しないのでは?

どちらにしろ、"だから"死と生が同じ価値とはいえない 何か決定的な証拠はありますか?

生と死の重さや価値を計る方法はありますか。

そもそももしも死と生が同じ価値であったとしても、殺しをしてはいけないという結論に結びつかない


[72]>68 人を殺してはいけない理由 ya-yuta

同じ種族のものが同じ種族を殺して、子孫を減らすようなことをすることは生物の生きる流れとしておかしいことだからだ。


[73]>67 池田晶子さんは読まなくとも… steigen

永井均さんも書いていましたが(『〈子ども〉のための哲学』とかで)、本を読まなくても、子どもでも、哲学は出来ますよ。哲学者なんていっぱいいますから、哲学専攻の学生でもない限り、好みの合う人のを読めばいいと思います(ちなみに私は池田さんは好みではありません)。

「真剣に疑問に思っているわけではありません」というのは、まぁそうなんだろうなぁとは思いますが(インターネット上ですしね)、真剣に答えようとしている回答者が居ることもお忘れなく…。ちょっと淋しく感じました。


[74]本当に人を殺すときは、「なぜ」ではなくて「どのように殺す」かを考える。 zhengyi

回答してくださったかたには、失礼かと思いました。ごめんなさい

私の中で、真剣に考えるとは、異性とつきあい始めたとき、相手のことを思うように、一日中、心のどこかで考えるみたいな感覚です。

もちろん、他人には「真剣に考えてよ」などとはいいますが、それは上の定義とは違って、一時的に考えろという意味であり、毎日考えろという意味ではありません。

さて、実際に人を殺すときは、理由は考えないと思います。まず結論ありきでしょう。

大事な人が殺されたら、勝手に頭の中でそういう感覚になると思います。多分、一日中相手をどのように殺すかを考える毎日になりそうです。whyではなくてhowの世界ですね。


それで、殺人方法などが決まったら、あとは生存中やり残したことをやり終え、その後多分私は相手を殺すでしょう。

その後、青酸カリなどで自殺をするかと思います。なぜなら、そのまま自分が生きていても大事な人を殺され、自分も犯人を殺しているので、一生幸せになれない気がするからです。

もちろん、自分の子どもがいれば、殺人と自殺はしないかもしれません。

それに、「犯人を殺す」と決めた場合、誰にも相談しないでしょう。これは元々私自身があまり人に相談するタイプじゃないからです。

ところで、自分でも思うのですが、こういう考えをする自分は不幸だなと感じます。多分、歳をとり、色々な本を読んだりしても変わらないと思います。


[75]>74 しかし、実際は犯人げわかった時点で、彼も逮捕されてるので(日本では)殺せないだろうけれど。 zhengyi

それに、犯人がわかるというのは、警察が逮捕したからといって100%正しいわけじゃないので難しいでしょう。しかし、多分犯人は見ればわかると思います。いや、話してみないとわからないな。

もちろん、間違った危険な考え方なのは理解してます…


[76]>50 全てに責任を持てる人は存在します。 ad1975

身近な存在で例えると、子を持つ親です。愛する子供が死を選ぶ時、止めない親はいません。特に母親はそうでしょう。愛する子供が生きてくれるならば、自分に可能なことは何でもしてくれるでしょう。自らの存在が続くまで…。

■zhengyi様、私の極論の哲学へのご理解、感謝致します。


[77]>61 人を殺す理由 or 殺してはならない理由という振り出しの部分を考えるべきでない、というのはおかしい。 zhengyi

返事遅れてごめんなさい。

あなたは、

「殺していい理由、殺してはならない理由」はどちらも存在せず、これらのことは議論するべきでない、とおっしゃています。

しかし、以下の場合において、国民が殺してもいい理由を考えるときがあると考えています。



すなわち、国民投票の対象にはならないということです。

死刑の廃止のことですね。勘違いしてました、刑法199条の改正なのに、なぜ国民投票がくるかと昨日は考えていたので。

さて、刑法199条では、

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

と書かれています。

そして、刑法も法律ですので、法律改正の手続は憲法59条に定められているとおりすれば、199条もたとえば、以下のように

人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。但し、○○法の第○条から第○条に規定されている場合はこの限りではない

と、規定され、○○法では、特殊な病気に感染したものとか、強盗をやむを得ず殺したとか書かれているとします。

あるいは、正当防衛の部分が36条の2みたいに枝がついて、

急迫不正の侵害に対して自己の生命を防衛するために行為は、罰しない

のように

生命を防衛する場合、 or 「やむを得ずにした行為」の必要性と相当性の部分が欠ける改正がされたとします。


このような改正を考える過程において、

殺していい理由を考えることになる。あるいは逆に殺してはならない理由を考えること

になると思います。

上の例でいえば、特殊な病気感染者、強盗を殺してもいい理由を考えますよね。


ところで死刑廃止のときも、「殺していい理由、殺してはならない理由」を考えることになります

憲法には、残虐な刑罰はこれを禁止するとか、書かれているだけなので、新たに

死刑廃止法

みたいなのを作れば、日本において死刑が廃止されることになります。

こちらも死刑廃止法の創設を考えるときに、犯罪者(えん罪を含む)を殺す理由あるいは、殺さない理由を考えることになります。

●まとめ

殺していい理由、殺してはならない理由」はどちらも存在せず、これらのことは議論するべきでない

とあなたは言っていますが、存在すると考えている人もいるし、議論の必要も発生すると考えられるので、以上の反論からあなたの主張は誤りであると考えます。


[78]>68 うむ。極論というかスゴイ主張がでてきましたね。 zhengyi

回答ありがとうございました。

まあ、けっこう思いがちな思想ですよねが、つっこむところはあります。

第一に、健常者でも利益を生み出さないものはいます。

第二に、利益を生み出すか否かはかなり人によって違います。

とりあえず、あなたの考える利益の定義をしてください。

議論はそれからかと。


[79]>60 とりあえず、安楽死法をみとめるための道筋はこれだ! zhengyi

とりあえず、積極的安楽死について考えます。

積極的安楽死とは、薬物を投与するなどの積極的方法で死期を早めること。いわば医療の名の下に行われる自殺幇助ということになり、社会からの心理的抵抗は大きい。また、日本を含む多くの国では刑事犯罪として扱われる。

以下安楽死と記載されてるものは、積極的安楽死の意味です。

で、安楽死は、自殺幇助になるから違法になるのですが、安楽死を認めるには、たとえば

人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。

人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。但し、○○法に定められている場合を除く

とあり、○○法では、

医師などの医療従事者が、一定の要件を満たした場合には、処罰しないと書かれることにより、一応安楽死は認められたといえるかと思います。

で、とりあえず法律が通らないことにはどうともいえないのですが、そのためには日本の社会で安楽死に関する議論がされなければなりません。

で、なぜ安楽死が日本で認められないっぽいかといえば、

「安楽死・尊厳死法制化を阻止する会」という市民団体は、尊厳死という名のもとに、殺人や自殺幇助が一般化する可能性があると主張している。

に代表されるように、特に自殺幇助が広まりかねないと危惧されるからでしょう。

で、ここで疑問なのですが、安楽死が許容されている

* アメリカ(オレゴン州) - 1994年「尊厳死法 (Death with Dignity Act)」成立

* オランダ- 2001年「安楽死法」可決。

* ベルギー- 2002年「安楽死法」可決。

* フランス- 2005年「尊厳死法」可決。

* スイス- 1942年

では、自殺幇助が広まっているのでしょうか、何かデータがあったら誰か見せてください。

たしかに、安楽死法が成立すれば、今までに比べて苦痛に耐えている人が一時的な感情により自殺する人が発生するでしょう。

で、ここからは価値判断の違いなのですが、結局は

自殺の決定は自己決定権に含まれるかの判断の違い

だと思います。

で、国民の間で自殺が自己決定権に含まれると考えられるようになるには、何が必要なのでしょうか。

ところで、この問題は普段何気なく生活しても考えることではなくて、身近な人が関わらない限りはなかなか考えないかと。

で、私が思うに、

ミリオンダラーベイビーが何かきっかけのような感じ

、がしたんです。

つまり、映画(別にミリオンダラーベイビー以外でもいいが)を見ることによって安楽死を考えるようになる人が多いかもしれんと。

いや、別に安楽死だけではなくて、戦争とかもそうだけどね。但し、映画は監督の主観が入っている部分はしょうがなし、単に議論のきっかけになれば…

もちろん、小説などの本でもいいのだけれど、

「よーし、安楽死問題を考えてみっか」と考えないように気がする。というか、テーマが重いため見る人が少ないため、社会に対する影響力が少ないと思われる。

この点、映画は娯楽性、俳優の好みなどで何百万人も見る可能性があるかと。

だから、誰かそういう映画を作ってくれないかなと考えています。ミリオンダラーベイビーはよかった。9月1日でNHKでやってたけれど、硫黄島の事件のドキュメンタリーもイーストウッドは作ってるみたいで、いいですね。もし、日本で(別に日本以外でもいいけど、とにかく日本で配給できれば)ああいう監督がいてインパクトのある監督がおり、制作費がなかったら、何億円か出したい。もちろん、私自身が安楽死は認めるべきだと、考えており、それを主張する手段としてという意味があるが。


[80]>40 m(_ _)m zhengyi

m(_ _)m


[81]>70 m(_ _)m zhengyi

m(_ _)mどうもありがとうございました。


[82]周りの人間の損得 goatclub

一人一人の考えは異なるので、普遍的な「人を殺してはいけない理由」はありません。ただし多くの社会で、「殺人=悪」との「同意が形成されてきた理由」は次のようなものではないかと考えます。

別ツリーにありますが、自殺がいけないとされるのも同じでしょう。「残される人間からすれば迷惑なんだよ。勝手に自殺なんかしていいと思ってんのかゴラア!」という感じでしょうか。


[83]>82 殺人者は「人を殺してもよい理由」をでっち上げる goatclub

殺人者には自らの行為によって引き起こされる損失よりも、得られる利益が大きいという理由づけがあるはずです。「かーっとなってやった」という例でも、自分の感情を抑えることによる損失と頭のどこかで比較しているでしょう。


殺人者が自分にとっての損失を少なくするには、

浮浪者や老人を狙う。自分の居住地から離れた場所で強盗殺人。自分の世界に閉じこもる。

お金を奪って高飛びだ。あいつを殺して私も死ぬ。

あいつのせいで…。重犯罪者は死刑。


また、戦時国家やテロリスト集団は兵士に「敵を殺しても良い理由」を信じ込ませます。そのために自分たちの兵士も隔絶された状態に囲い込み、敵にも家族や友人がいることや、敵と自分のネットワークがどこかでつながっているということを考えさせないようにします。

なんか、自分で書いてていやになってきた.


[84] Never return to beginning !(?) adlib

宗教的戒律は、神の意志「汝、殺すなかれ」を預言者が伝えるだけで、

なぜ殺してはいけないかという理由は述べていません。

刑法では、量刑を示すことによって、説明に代えているのです。

もちろん、zhengyi さんのように「その理由を論じたい人」もいるで

しょうが、個々の法廷で論じることはできないでしょう。

原告となり、ある刑法を憲法違反として、訴訟することはできます。

その裁判で「殺してはならない理由」を議論しようとしても、被告側

(この場合は国家)が応じないないはずです。さもなければ、万引裁判

で毎回「盗んではならない理由」を議論すべきでしょうか。

つぎの比喩も、zhengyi さんの同意は得られないでしょうね。

数学上の点は面積がなく、線には距離が存在しません。この約束事を

(理由なしに)認めなければ、数学的議論が成立しないのです。

命題に合意がなければ、終りなき空論がつづくのではないでしょうか。

ようやく、誰が「人を殺してもよい」と云ったのか、判りかけたので。

その系譜をまとめているところです。ではまた。


[85]どちらも正しい。善悪など無い。 ragey

[86]人を殺してはいけない理由 flowerhill

社会が信頼で構成されているからです。殺人を認めると玄関のチャイムが鳴って出る事や、外に出る事が命がけになり経済活動が行えない。


[87]>77 まとめ? adlib

問題提起した人が、寄せられた意見に耳を貸さず、自分の言い分だけ

繰りかえすと、もはや議論ではありませんね。zhengyi さんが、議論を

楽しみたいなら、アンカーマンでなく、チェアマンであるべきですね。

↓(つづきは、こちらへどうぞ)

http://q.hatena.ne.jp/1157020146/39250/#i39250

Never return to beginning !(?)


[88]>86 なるほど monkey_timpo

そう言われればそうかもしれないですね。やはり人間関係にしろ何にしろ信頼は大切ですね。その上ですべてがなりたっていますもんね。大抵は。

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