まんがも文学などと同じ位置づけで、たくさん接していく方が人生が豊かになります。
ただ、まんがという媒体を通した思想宣伝などの「工作」に釣られるのは愚かの極み。もっとたくさんまんがを読んで人生を豊かにしておかないと騙されますw
漫画・アニメは、世界に誇るべき日本のすばらしい文化だと思います。
漫画だって文字を読んでいることに違いないし、内容から得られることも多いので、何も読まないよりは余程知識が身につきます。
漫画ばかり読んで、他の本は全く読まないというのは問題だと思いますが・・。(漫画が他の本に劣るという意味ではなくて、他の本ばかり読んで漫画は全く読まないのと同じレベルで問題だという意味です。)
個人的に思うところは、
漫画自体が問題になるのではなく、
考え方や思想をそれがすべてだと信じてしまう人に
問題があるのではないでしょうか。
たとえば歴史物の漫画でも,史実や史料を知っていれば見方もまた変わってくるはず。ものの見方に幅が出て,よいのではないかと考えます。
漫画によって想像力や思考力が低下して、悪い方向に思想誘導されていく傾向があるけれども(嫌韓流など)そうでなければ、娯楽としては一つの文化です。
僕は漫画を読んだことで増えた知識が山ほどあります。それは雑学であり、豆知識程度のものであったりもしますが、社会的なものを題材にした漫画や、ドキュメンタリー的な漫画もあるので、大切なものも学びました。そういう点では僕は漫画に感謝しています。
漫画によって語ろうが、文章によって語ろうが、各人が冷静な分析をもってして判断するのが順当であり、これは漫画に限ったことではありません。
世界に誇るMANGA文化を貴方はどうおもいますか?
世界に誇るmanga、anime(Japanimation)文化についてですが、日本の文化が広がりを見せていることに関しては、大変良いことだと思います。海外ではOTAKUという単語は日本のように悪い意味では捉えられてはいないようです。
しかし、一般的に日本人の中で知られているような普及率は誇っていないのではないか、という思いもあります。例えばアメリカなどはそもそも日本と人口比率が違うわけですから、日本よりもmanga、anime、ファンが多いのはある意味当然でしょう。
現在曲がり角にあるこの産業をどうおもいますか?
曲がり角にあるのは何もこの業界だけの問題ではなく、出版業界全体の問題であると感じます。また少年誌、青年誌等の各社も売れ線重視の、1?2年で消える駄作を採用しますから、一時的な儲けがあっても、長期的に見れば一向に作家が育ちませんし、土壌も育ちません。まるで焼け畑農業と一緒です。
「戦争論」をよんで私はかなりショックを受けました。今まで自分の受けてきた平和教育とは何だったのだろうと。
先日NHKの公開討論番組で小林よしのり氏も出てらっしゃいましたが、NHKまでが視聴者までもが、「米軍の騒音飛行は悪である」としてしまったのですから、私の学生の頃からみれば物凄い変化です。これは小林氏の漫画の影響がほとんどでしょう。とすれば漫画の脅威は、その内容が正悪は別にして底知れないモノがあるということでしょう。私はこれが恐ろしい。
セーラームーンとかドラエモンなどは世界中のテレビで見られていますし、ある意味これは日本の外交大使、文化宣伝マンでしょう。
事実日本のアニメ・ゲームに慣れた中国・韓国の若者はそんなに日本のイメージは悪くないといいますし、積極的に日本が好きという若者も多いようです。
私が怖いのは先の「戦争論」でもしかしたら南京大虐殺はなかったんじゃないだろうかとか、戦争は正しかったんだと思わされたことです。その道具に漫画が使われた。漫画だからこそ恐ろしいスピードで沢山の人間に読まれ、洗脳していく。これが怖い。
「嫌韓論」と書いてありましたが、中国・韓国の反日漫画も多くかかれてきています。これはもう「漫画戦争」です。韓国は「国営」でアニメ製作会社や漫画本を運営製作しています。これは国家戦略・プロジェクトだからです。
だから私は漫画というものは怖いものだなあとつくづく思うのです。
Gショックと同じで、海外で認められてから日本の反応も変わった。作家は肩透かしというか、日本人に再度幻滅しただろう。
他のメディアと比較すると、自分の好きな時間に読める・持ち運び可能・貸し借り可能・長期保存可能・導入コストが極端に低い(再生用ハードが不要)・ソフト蓄積が膨大・入手経由が豊富(店頭からネットまで)など、すばらしいメディアですから、進化・多様化した結果、どうしようもないものから芸術として扱われるものまで、幅広いものがありますよね。
今「漫画家超残酷物語」を読んでるんですが、これは漫画ならではというか、唐沢なをき氏ならではの味わいとしかいいようがない感じです。
影響は、漫画というメディアの特性よりも、作品の内容によって受けるものの方が大きいだろうとしかいいようがないと思います。
ただ、漫画ばかり読んで、読書(つまり字だけの本を読む)をしないようになってしまった場合は、確実に悪影響でしょうね。人生で得られる喜びの一部を確実に失ってしまいます。
小林よしのり氏の漫画は内容はともかく、新しいジャンルを開拓したという点で評価しています。ただ「一般人の戦争感を一変させた」ところまではいってないと思いますが…。影響を受けた人はごく一部だと思います。
おそらく漫画という文化がなくなることはないでしょうし、これからも進化してゆくメディアだと思います。漫画家を目指す皆さんにはがんばってほしいと思います(でも、いろんな話聞いてると自分の子供は漫画家を目指してほしくないな…)
漫画を読むと馬鹿になるのは、勉強する時間を漫画でつぶしてしまっているからではありませんか?
影響については、漫画というメディアが悪いというより、メディアの内容をまともに受け止めてしまう人が問題なのではないでしょうか。
おもしろい漫画がたくさんある日本に生まれただけで幸せだと思ってしまいます。
絵という映像と、セリフなどの文章で構成されているのがマンガですから、感覚的な影響力は大きいと思います。
また、衰退気味とはいえ、他の書籍と比べて格段に多い出版量は大きな影響力を生じさせていると思います。
まあ、”良い影響力”か”悪い影響力”かは議論があるところでしょうが。
私は世界史好きがきっかけで、大東亜戦争の真実を知ることになったのですが、その真実を知っていても小林氏の戦争論はインパクトがありました。活字では想像に頼ることが多くなりますが、漫画は映像として瞬時に頭の中に焼き付きます。事前に何らかの知識や答えを持っていても、それほどに強力なのですから、頭の中が無防備な状態であればその衝撃は計り知れないでしょう。私は小林氏の思想は全て受け入れることはできませんでしたが、サヨクの思想よりは遥かに健全です。小林氏のリスクを覚悟した行動には今も共感しています。
活字化された文学は尊く、漫画は下位であるという価値観は存在しますよね。
『手軽さ』ゆえに。
簡単に理解でき、短時間で読むことができ、視覚的に満足もできればさまざまな手法でインパクトを与えることもできる漫画はすばらしいと考えています。
私自身は漫画よりも活字に触れる機会のほうが多いのですが、漫画によって描かれた思想の独特な染み込み方はこれからも続いてゆくし、これ以上の国内市場拡大は無くとも、国外に向けた放出はますます進んでゆくのではないでしょうか。
>漫画の影響について貴方はどう思いますか?
>漫画を読むと馬鹿になるとか・・・
同じ時間を漫画もしくは本に割くとしたら、本に割いたほうが頭が良くなれるとは思います。知識量が増える、ロジカルな論理展開が出来るようになる、といった点で。ただ、私は知識よりも教養の方が大事だと思っているので、頻繁にいろんな芸術に触れるようにしていますし、「教養の方が大事」「芸術おもしろい」と思ったきっかけが漫画だってことはよくあります。たとえば絵画やバレエ、スポーツなどなど。何を馬鹿とするかにもよるし、読む人にもよるんじゃないでしょうか。教わることが多い漫画をいくつか読み、教わったことをちゃんと実行していれば、たぶん、馬鹿にはなりません。
>小林よしのりさんの「戦争論」のように
>一般人の戦争感を一変させた漫画を貴方はどう思いますか?(「戦争論」の善し悪しはさておき)
読んでません……一変させたのですか?
>世界に誇るMANGA文化を貴方はどうおもいますか?
良いことだと思います。経済効果としても、日本に興味を持ってもらえることも。
>現在曲がり角にあるこの産業をどうおもいますか?
2007年問題、雑誌の衰退など問題がいくつかありますが、「漫画はつまらなくなった」という話は(今の世代では)とんと聞かないので、まだまだ大丈夫だと思います。
ただ、実写化とアニメ化を同時にするのってどうなんでしょうね?NANA、DEATH NOTE、のだめ。片方でいいじゃん、と思うのですが。
長い文章は読めない。
他人の文章をコピペすれば評論家気取り。
質より量の文章論法。
私自身について言えば、活字と漫画でどちらが上か下か、という認識はまったくありません。中身次第ですね。
「活字」はハマってしまえばこれほどおそろしいメディアもめずらしいと思いますが、「漫画」に比べると訓練(?)が必要なので、本を読みあさる快感を知る人が減りつつあるなら悲しいですね。あと、ページあたりの情報密度ではどうしても活字が勝ってしまうとは思います。
違うメディアとして、それぞれ発展していって欲しいです。
枚数で決まる原稿料とパソコンの普及で、さいきんの小説の密度は全体的に低下しつつある、というか意味もなく長い。星新一の短篇と萩尾望都のマンガを見習ってほしい。中身次第。
小説界はすでに流れができているけど(小説の歴史の中で、その作品その作家がどのポジション、流れの果てにいるのか俯瞰できる、比較対照できる)、マンガはまだそこまでの『大河』ができていない(できつつある)。そのちがいもあるように思う。太宰治の晩年の作品には手軽に読めて爆笑するような作品もあるし、さいきんのライトノベルも手軽さが売りのような気がする。
現実として、すばらしい漫画は無いから、漫画ばかり読んでたらやっぱバカになるんじゃないかな。
漫画はメディアの一つですので、悪影響を与える原因にはならないと思います。影響を与えるものはコンテンツのほうであると考えています。ただ、漫画のほうが視覚的に訴えるものがあるためか、「漫画を読むと馬鹿になる」といったことが言われるのでしょう。
漫画には社会的な影響力がまったくないとは言いませんが、その力を過大評価するのはいかがなものかと思います。
id:rthuk氏は、60年安保や70年安保の当時の漫画やその漫画によって与えた社会的影響力について一切触れていません。もし、そうしたかつての漫画や社会的影響を知っていたら、小林よしのりごときの小物を名指しして「一般人の戦争感を一変させた」などと書くことは恥ずかしくて出来なかったことでしょう。
小林氏の漫画が「一般人の戦争感を一変させた」という事実認識には同意できません。単によく売れたというだけではないでしょうか。影響の事実を示す具体的に統計などがあれば示してもらいたいと思います。
小林よしのりのマンガに影響された人はいるでしょうが、小林にかぎらず、マンガに影響された人は、その表現で影響されるような資質を持っているから影響を受けたのであって、つまりもともと小林よしのりの資質を持った人が影響を受けているにずきません。
漫画や映画に感化されている光景を見ると、つい漫画や映画が悪いんだ、メディアが悪いんだと騒ぎ立てる人がいますが、違います。影響を受けた人がもともと影響を受ける受容環境があったから影響を受けただけであって、受容環境の無い人は影響を受けません。これはメディア影響論の科学的研究でも実証されていることです。
「世界に誇るMANGA文化」と言いますが、世界に誇れるはずの漫画(雑誌・書籍)の図書館収蔵率は、上昇傾向にあるとはいえ、全漫画の0.1%以下です。書画のように文化・芸術作品として収蔵の対象になっていません。
漫画が日本で法律的存在として認知されたのは、平成13年に施行された文化芸術振興基本法が最初であり、漫画の法律的地位はまだ5年程度の歴史しかありません。しかも文化芸術振興基本法でさえも漫画は“メディア芸術”として認められているだけで(第九条)、“芸術”として認められたわけではありません。メディア芸術としての漫画はその“製作、上映等への支援”が規定されているだけで、普及など、芸術そのものを振興するという規定は存在しません。(第八条) 図書館への漫画の収納などがまったく措置されていないのはそういう理由があるからです。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H13/H13HO148.html
文化芸術振興基本法
(芸術の振興)
第八条 国は、文学、音楽、美術、写真、演劇、舞踊その他の芸術(次条に規定するメディア芸術を除く。)の振興を図るため、これらの芸術の公演、展示等への支援、芸術祭等の開催その他の必要な施策を講ずるものとする。
(メディア芸術の振興)
第九条 国は、映画、漫画、アニメーション及びコンピュータその他の電子機器等を利用した芸術(以下「メディア芸術」という。)の振興を図るため、メディア芸術の製作、上映等への支援その他の必要な施策を講ずるものとする。
このように、法律の上では、「芸術の振興を図るため、公演、展示等への支援、芸術祭等の開催その他の必要な施策を講ずる」義務を国に課しているのは「メディア芸術を除く」芸術のみであり、メディア芸術である漫画は芸術作品として保護の対象となっていません。
もちろん、保護を受ける対象ではなく反逆者として漫画が生まれ育ったからこそ、漫画は過激な政府批判も可能であり、だからこそ漫画の影響力を過大評価されたり保護を求める必要はなく政府の弾圧を受けるぐらい過激だからこそ社会の中で漫画表現は地位を築くのであるという見解もあり(たとえば中島梓氏の漫画論「表現の自由は守られるべきなのか」(「誌外戦」創出版) )、そうした意見にも一理があります。
一方、フランスでは法律で漫画の法律上の権利が規定され、たとえばの漫画には風刺やパロディの自由を認めており、政治家の有名人は肖像権を漫画に対して主張したり、パロディの原作者が漫画家に著作権を主張することができません。漫画は世論形成に影響力を与える重要な役割を果たしているとの認識があるからです。
日本ではそうした権利が無いために、また漫画が閣僚の首をとばすなど世論形成の重要な役割を果たしているという事実が無いために、漫画の政治的地位はフランスに較べると低いものになっています。
現在の日本で漫画が政治的に影響力を与えるのは、政治の側がその漫画を必要としている場合に限る場合だけであり、与党の利益に適う場合にだけ漫画は政治的影響力を持つことができます。そうではなく反体制としての影響力は、70年安保の頃と較べるとむしろ後退しているのではないかと思われます。
体制維持のための原動力にはなっていても体制変革の原動力にはなっていない。それが漫画の影響力に対する正しい現状認識ではないでしょうか。
20代のころはむらぼるように色々と小説を読み漁りましたが、いまでは技術書とマンガばかりで小説読まないですね。
小説の質は下がってるんでしょうか?
星新一さんのショートショートを今度読もうかな。星さんはコラムでも非常にすばらしいものを書かれてましたね。(コラムしか読んだことないのです)
ことし読んだのは半藤一利と川端康成だけだ。年をとると新しいものが受け入れられなくなるからねえ。その影響もあるように思う。
星新一のエッセイはよいものが多いけど、まあ、たいてい絶版になったから、古本屋やネットで探すしかないね。「進化したサルたち」や「できそこない博物館」が好き。
星新一といえばショートショートだけど、本人が自作のことをショートショートと呼んでいたのは晩年ぐらいなんだよね。
星新一でお薦めなのは、「夜のかくれんぼ」「なりそこない王子」「凶夢など30」「ありふれた手法」など、中期から後期にかけての短篇集かな。全部新潮社文庫。