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思い出について聞きます。昔「デパート」が大好きでした。デパートは夢の国でした。エレベーターガールはもちろん、エスカレーターガールまでいたように記憶しています。そして華やかで、幼い自分はきれいな「包装紙」にあこがれました。どんなものでも、包装紙できれいに包む技術にすごく憧れて、新聞紙などで練習しました。そういう思い出がある方がいらっしゃいましたら話を聞かせてください。コメントは入れませんが大切に読みます。

●質問者: aoi_ringo
●カテゴリ:生活
✍キーワード:きれいな エスカレーター エレベーターガール コメント デパート
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

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1 ● clever_playboy
●10ポイント

「デパート」が大好きに同感です。

でも夢の国とまでは思いませんでした。

エレベーターガールは分かりますが、エスカレーターガールは記憶にありません。

とくに「包装紙」へあこがれたということもないですが・・・

手提げの紙ふくろが有料で、少々買うに抵抗があった覚えがあります。

とにかくデパートは好きでした。

どちらかと言うとバーゲン場が大好きで・・・(大笑)

バーゲン場は、今でもいつもハシゴしてます。

aoi_ringoさんはデパートの食堂には最近行きませんか?

あまり人がいなくて、かえって落ち着けます。

で、aoi_ringoさんの好きだったデパートはどこですか???

◎質問者からの返答

わたしは本当に田舎でしたから、ちょっと大きな都市までつれてってもらってました。エスカレーターガールはたしか、一回とかに手袋をしてにこやかに立ってお辞儀をしていたと思います。食堂も大好きでした。最近、いくつか好きだったデパートが廃館になってしまいさみしいです。子供のころ、母に話したのは「デパートで催しものを考えるような仕事がしたい」でした。全然なれませんでしたけど。ありがとうございました。


2 ● TomCat
●5ポイント

私は小学生の頃、夏休みになると、夜明けの空を見るのに一生懸命になっていました。

暗い夜がだんだん明けてくると、東の空が紫色から藤色に変わってきて、そしてそれがオレンジ色に変わって、太陽が昇ってくる。それがすごく綺麗で幻想的で、まるでこの世の物とは思えない美しさだと思ったんです。

で、最初にそういう空を見たのが夏休みでしたから、そういう空は夏休みしか見られないと思いこんでいたんですね。そんなわけで、普段は朝寝坊で親を困らせている子供でしたが、夏休みだけは、やたら早起きな子供でした。

家から歩いて5分くらいの所に、東に開けた崖があって、そこが夜明けを見る絶好のスポットだったので、毎日のようにそこに通いました。

途中、鬱蒼とした木立の中を通る細い道があって、そこでセミの羽化を見るのも楽しみの一つでした。幻想的な夜明けと、空を飛ぶ生き物。このセットが、まるで妖精を見るような気持ちだったのをおぼえています。そんなのが、私の子供の頃の夢の国でした。

さて、デパート。これは私も夢の国でしたねー。エレベーターは遊園地の乗り物みたいだし、店内は光り物や透き通ったガラスみたいなのでディスプレイされていて別世界みたいだし、そして何より、デパートのレストラン街は美味しい物の宝庫。まるで魔法で作られた国みたいでした。思い出します。懐かしいです(^-^)

◎質問者からの返答

ありがとうございました。


3 ● jyouseki
●10ポイント

デパートを想像して、真っ先に思い出したのが手品の実演販売です。

私は性格上、不思議な物の原理を根本的に知らないと気が済まないのです。

手品の本を読みあさりました。

昔、特に有名だったのは引田天功さんです。


http://osaka.nikkansports.com/oet/p-ot-tp5-050216-0013.html

今テレビに出ているこの人ではありません。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%95%E7%94%B0%E5%A4%A9%E5%8A%9...

初代の人は男性です。

「大人になったら引田天功に弟子入りして手品師になる」

と宣言して親を困らせました。


もし本当に手品師になっていたら、マリックさん、前田知洋さん、セロさんなどがライバルに・・・。

ならなくてよかったです。

どうやってもあそこまで器用にはできませんよ。

でも、マギー審司さんになら何とか勝てるかもしれません(笑)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AE%E3%83%BC%E5%AF%A...

◎質問者からの返答

たしかに昔のデパートには「本当に利益になるのかな」というようなコーナーがある余裕があったように思います。手品もずっと見てました。切手も売っていました。王様のアイディアもありました。デパートはいつも混んでいました。まだスーパーが盛んになる前の話です。屋上には遊園地がありました。


4 ● tonda65
●25ポイント

子供の頃は大阪で育ちましたので、デパートというより「百貨店」と呼んでましたが

昭和の時代はその名の通り、よそにはない何でも置いてある夢の国でしたね。

母親が買い物してる間は書籍コーナーか屋上のゲームセンターで遊んでました。

今のように郊外に大型書店のない時代だったので、いっぱいの本に囲まれて幸せな時間

急いで買い物を済ませて迎えに来る母親にもうちょっとゆっくりでいいのにと思ったものです。


あと、うちは大阪東南部に住んでたので普段は阿倍野や難波に行くことが多かったんですが

たまに梅田の阪急に行くときには大食堂のカレーが楽しみでした。

お子様ランチなどには目もくれず、いっつもカレーを頼んでは親から笑われてました。

名物でもあったので関西だとあのカレーに思い出のある人も多いのではないかと思います。

http://homepage.mac.com/tktaku/PhotoAlbum9.html

◎質問者からの返答

わたしは「オムライス」専門でした。どこのデパートの味は・・といろいろ楽しんでいました。いまでもオムライスは大好きです。書店も大好きでした。初めて「なぜなに小学校」や「ドラえもん」の単行本を買ってもらったのもデパートです。やっぱり包装紙とセロハンテープで器用に包んでくれたものを大事にもって帰るのが楽しみでした。家ではその包装紙をもう亡くなった祖母が丁寧に保存してあったことを今思い出しました。ありがとうございました。


5 ● komeke
●25ポイント ベストアンサー

私もデパートが好きでした。

小学生の私はデパートの袋が大好きで使わないのに色々集めて大事に取っていました。

包装紙はテープを丁寧にはがして取っていました。


中学?高校の頃はたまに学校をサボって母とバーゲンに行っていました。

そして、そんなことを許してくれる母を誇りに思っていました。


また、母がデパートのことを「百貨店」、バーゲンのことを「売り出し」というのが恥ずかしくてたまりませんでした。今はなんとも思いませんが。(笑)


やっぱりデパートと必ずセットで思い出すのは母親ですかね。

うちの母は値切るのが上手で、デパートでも満面の笑みで値切っていました。(笑)

デパートって値切れないものだと思ってたけど、案外値切れるもんだな。と教えてくれたのは母です。


最近母と買い物に行っていないのでまた行きたくなってしまいました。

◎質問者からの返答

ですよね。デパートって「母の思い出」と重なりますね。それもまだ若くて元気だった頃の。もうあのころの母の年齢超えたのに、記憶の中のデパートと母は新鮮な感じです。今の子達も、スーパーのこと、いつか思い出してくれるのでしょうか。そのころはすべてネットの時代かもしれないですね。


母子家庭だったのでよけいに若かった母を思い出し、切なくなりました。


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