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1945年3月9-10日の東京大空襲が第二次世界大戦の進捗全体に果たした役割について知りたいのですが。例えば、天皇がその1週間後に視察され、「とうとう東京も焦土となったね」(?)のようなことを言われたとは聞いていて、例えばこれが早期終戦の伏線となった確証などがあるとよいのですが。そんな意味での東京大空襲の「役割」が知りたいのでよろしくお願いします。

●質問者: qqc77r49
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:1945年 3月 伏線 天皇 東京
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 6/6件

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1 ● clever_playboy
●19ポイント

役割は皆無ではないだろうが、 その犠牲に見合う効果があったかは疑問である・・・という説がこちらに書いてあります。↓

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kaz_h/Dictionary/Entry/tokyostrike.h...



直接の関係はないですが、「東京大空襲は日本の責任」と言った驚くべき内容の祈念館建設が、多くの都民が知らない間にすすめられていた。。。ということもあったのですね。

下記を読んでビックリしました。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~t-tutiya/missitu/heiwakinenkan.html

◎質問者からの返答

ありがとうございます。下段の祈念館については、たぶんに特定の思想信条が入り込んだものだったのでしょうね。


2 ● Baku7770
●19ポイント

確実に言えるのは、昭和天皇や軍中枢部そして国民に戦争に負けているという事実を突きつけたと言うことでしょうね。

これは、私を含めて戦後生まれの人間には信じられないことなのですが、当時は新聞報道も規制を受け、大本営発表の虚報をさらに上塗りするといった内容だったようです。

ミッドウェー海戦以後、大本営発表で虚飾を重ねてきました。国民だけを騙すならまだいいのですが、天皇陛下や軍や政府の中枢部まで騙したようです。ここでは陛下はミッドウェー海戦の正確な数字を知っていたことになっていますが、私が聞いているのはミッドウェー海戦の悲惨な数字を知られたくなかった相手は陛下ですから、海戦後しばらく経ってから知られたのではと考えます。

そういった状況ですから、本部は充分な戦力を有していると信じて作戦を立案する。実行するにはこれだけの兵力が必要だといってもあっちこっちで敗け続けているから戦力が揃わない。

しょうがないから、これだけの戦力しかありません。じゃぁ作戦を練り直しましょう。ってやっている間に戦局は大きく変わってしまいます。若しくは少ない兵力を暫時投入しては失敗するということを繰り返していたんですね。

私の祖父も戦時中海外放送の聴けるラジオを所有していたことで特高に逮捕され、拘留されています。

国民に対しては本土決戦で戦っても無駄だということを知らしめました。

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竹槍ごときで、当時の最新鋭の自動小銃や短機関銃で武装した米歩兵と戦ったとしても被害の方が大きいのは歴然としている言えるのは現在だからであって、当時の国民は善戦くらいはできると考えていたようです。ところが大空襲で米軍が本格的に責めてきて、日本軍の高射砲が役に立たないのを目の前にして、これは負けると初めて感じた国民は多いようです。

◎質問者からの返答

なるほど。高射砲の効果については、硫黄島に滑走路があってそれでかなり米軍の被害が減ったということも聴きました。高射砲に打たれ傷つきながら飛び、通常なら海に墜ちるものが何とか硫黄島に着陸できたということです。余談でしたが。


3 ● goldwell
●18ポイント

それまでの空襲においても

といった点からただでさえ迎撃が難しいところを、3/10,11の空襲ではそれまでの常套手段であった高高度爆撃ではなく、夜間低空爆撃によってより正確な爆撃を実施し、大規模な被害を東京にもたらせたと言えます。

強風によって日本のレーダーが不具合を生じたり、火災が広がったという不運もありましたが。

そしてこの空襲は、同じ戦略爆撃でも軍需生産拠点を主として狙ったものではなく、投下された爆弾の種類から見ても最初から市街地(つまり一般市民)そのものを狙ったと言う点が特徴的ではないでしょうか。


この日を皮切りに名古屋(3/12)・大阪(3/14)・神戸(3/16)といった大都市への夜間爆撃が続けられ、日本国民への抗戦意欲というものを確実に削いだと言っても過言ではありません。


また、以下の記事には、「3月10日は日露戦争の奉天戦の日であり、陸軍記念日となっていた。日本の戦争継続の気力をそぐ為、あえてこの記念日が選ばれたと言われている。」という記述もあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E7%A9%B...


戦略爆撃の目的として「戦争遂行能力と抗戦意志を挫く」ことがありますが、アメリカの容赦なく相手が完全に音を上げるまで攻めつづける強烈な意志を感じさせる爆撃であると思います。


ちなみに同じ枢軸側でもドイツの都市への空襲(例えばドレスデン空襲)は、油田や生産拠点を目標としたり、英・米・ソの政治的駆け引きの結果で行われたりしていることが特徴的です。


尚、当夜空襲警報発令が遅れた原因として、興味深い証言があるページを見つけました。。

下記URLの(3)、天皇の安眠への配慮から

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/dai-kuushuu.htm

結果を知る現代からすれば「愚かなこと」と簡単に言えますが、当時の軍人としては苦悩の選択だったのかもしれません。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。精密爆撃ではない一般人をも巻き込む爆撃という意味では大変なことですね。


4 ● kumonoyouni
●18ポイント

無差別都市攻撃はドゥーエ理論からはじまっており、ドイツのゲルニカ爆撃、日本も中国の重慶に対して無差別絨毯爆撃を行なった過去があります。

この当時、ルーズベルト大統領は

「過去数年来、地球上の各所で行われている戦争行為において、防守されていない人口中枢地の一般市民に対する空中からの過酷な爆撃は、数千人の保護なき婦女子の殺傷をもたらし、人類の良心に深い衝動を与えている。すべての国の軍隊が、如なる事情の下においても、平和的人民、または無防備都市への空中爆撃を行わないとの決定を確認すべきである」

と発言しています。


しかしながら、アメリカの思惑もあいまって、無差別攻撃を推進するカーティス・E・ルメイによって東京をはじめとする都市型大空襲がはじまります。

当時、日本は小磯国昭内閣でしたが、その後継者争いの中、選ばれたのは鈴木貫太郎でした。

東條英機は陸軍関係者が選ばれず反対したそうですが、日本が追い込まれた陸軍の責任を問われると反論できなかったそうです。

そういう意味では効果的であったとも言えるのかもしれませんが、そこからの日本の終戦交渉は無視され、非人道的な攻撃は止まることなく、広島、長崎の原爆へと突き進んでいきます。

というのが、下にある参考サイトからの大まかな流れです。


ちなみに今年、広島では「原爆投下を裁く国際民衆法廷」が開かれました。

http://www.k3.dion.ne.jp/~a-bomb/

戦争にはそれぞれの言い分があると思いますが、何が正しくて何が悪かったのか、皆で考え、二度と悲劇を起こさぬよう考えていかねばなりません。

そういう意味で歴史を振り返るというのは大事だなとこの年になって考えさせられる今日この頃です・・・(苦笑)


ご参考になれば幸いです。


※参考サイト

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/musabetu.htm ・・・無差別絨毯(じゅうたん)爆撃について参考になります

http://www.himeji-castle.gr.jp/JAPANESE/phoenixs.html ・・・都市攻撃までの流れが参考になります

http://www.shibutaniosamu.com/profile/pro_japan.html ・・・東京大空襲などの国際法の論点など参考になります

http://homepage3.nifty.com/yoshihito/pearl.htm ・・・真珠湾攻撃について参考になります

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/daitoasenso/tainitisenryaku_pe... ・・・これも真珠湾攻撃絡み

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%B... ・・・カーチス・ルメイ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E8%8C%82%E5%BE%B... ・・・ 東郷茂徳

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E8%B2%AB%E5%A4%A... ・・・ 鈴木貫太郎

◎質問者からの返答

ありがとうございます。鈴木貫太郎の登場によって終戦への道が引かれたと私も理解しており、そのタイミングと東京大空襲と天皇陛下のご意向の関連などが一例として拾えたらいいなと思っている次第です。また無差別爆撃は重慶が最初と説く書籍も最近書店で見かけました。まこと歴史解釈は難しいですね。


5 ● kumonoyouni
●18ポイント

2回目の回答失礼します。

>例えば、天皇がその1週間後に視察され、「とうとう東京も焦土となったね」(?)のようなことを言われたとは聞いていて、

という点についての見つけました。

http://www.geocities.jp/showahistory/history3/20a.html

昭和20年3/10未明、東京大空襲、下町一帯を襲ったアメリカ軍の無差別爆撃で民間人8万人超が死去、夜の12時から2時ぐらいにかけ、わずか2時間の出来事だった。東京の1/4がこの空襲で壊滅したという。

宮城(皇居)にいた昭和天皇は大空襲の実態を自ら確かめたいと強く思ったようである。陸相の杉山元や参謀総長梅津美治郎の反対を押し切る形で、昭和天皇は3/18、東京大空襲の焼跡への巡幸(視察)を強行する。杉山陸相や梅津参謀総長が昭和天皇の焼跡視察に反対したのは、昭和天皇が戦争被害のありのままの姿を目にする事で戦争終結の意志を強くする事を恐れたためであった。

当日朝9時、昭和天皇は極秘で宮城を出発、車には側近など7人が同乗し、警備も最小限に留められた。「戦災地のありのままを」という昭和天皇たっての希望で、焦土と化した現地を取り片付けて見た目をつくろうような事は行われなかった。焼け落ちた深川富岡八幡宮の跡地で被災状況の説明を受けた昭和天皇は、車で四ツ木橋、汐見橋、錦糸町とまわり、ところどころで車を止めて被災地を歩くなどした。生気を失って歩く人々の姿、放置されたままの焼死体、初めて目にした戦争被害の惨状に昭和天皇が杉山陸相ら軍首脳が危惧したとおり、戦争終結への思いを一層強くしたのは事実である。

この日の焼跡視察を終え、昭和天皇は関東大震災の時も馬で被災地を視察した思い出とオーバーラップさせて、「今度の場合は、はるかに無残な感じだ。コンクリートの残骸などが残っているし、一段と胸が痛む。悲惨だね。侍従長!これで東京もとうとう焦土になったね」という意味の事を藤田侍従長に語ったという。昭和天皇の大空襲の焼跡視察には取材記者の同行が許されていた。焼跡視察に関する昭和天皇の感想などは無論、報じられなかったが、昭和天皇が焼跡を視察したという事は翌日には国民の知るところとなった。

昭和20年4月、松代に巨大な地下要塞が完成、軍は昭和天皇の疎開を求める。しかし昭和天皇は「わたくしは市民といっしょに東京で苦痛を分かちたい」と疎開に応じず、松代大本営は幻となった。5/25には宮城も空襲によって一部の建物が焼け落ちるなどしている。

がご参考になるのではないでしょうか?


この時、昭和天皇が戦争の惨状を視察されたのが1945年3月18日、鈴木内閣誕生が1945年4月7日、

先にご紹介した鈴木貫太郎Wikipediaからの抜粋で

重臣会議の結論を聞いて天皇は鈴木を呼び、首相として組閣するように命じた。このときのやりとりについては、侍立した侍従長藤田尚徳の証言(侍従長の回想)がある。あくまで辞退の言葉を繰り返す鈴木に対して、「鈴木の心境はよくわかる。しかし、この重大なときにあたって、もうほかに人はいない。頼むから、どうか曲げて承知してもらいたい。」と天皇は言った。命令ではなく、“頼む”から首相をやってくれ言われた人物は、初代内閣総理大臣・伊藤博文以来、41代で28名が首相になっていたが、後にも先にも鈴木だけである。鈴木自身は、自分には政治的手腕はないと思っていたが、天皇に頼むと言われてはそれ以上辞退はできなかった。昭和天皇の生母・貞明皇太后は天皇よりも30歳以上年上の鈴木に対し「どうか陛下の親代わりになって・・・」と語ったと言う伝説もある。

という流れを見ても、鈴木貫太郎への説得の際のお言葉は東京大空襲の惨状をご自分の目で視察した後での発言だと感ずることができるのではないかと思います。


最後に、東京大空襲の「役割」が早期終戦に向かう切欠になったのかと言う点についての私見ですが、日本側から見ればYESと言えるのかもしれませんが、連合国(主にアメリカ)から見れば答えはNOではないでしょうか。

なぜなら、東京大空襲をはじめとする都市攻撃を受けて既に壊滅的状況があり、日本の終戦交渉を知っていたにも関わらず、原爆投下を行なった一連の流れを見てもそれは明らかのように思います。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/gennbakutoukaiinnkai.htm

http://www.geocities.jp/karenn_502/diary/2002-05/2002-05i.html

http://www.chokugen.com/opinion/backnumber/h11/jiji_990809_59.ht...

アメリカにすれば、B29にしても、原爆にしてもあわせて50億ドルとも言われる開発費をかけて作ったはいいが、ドイツ敗戦色濃くなるに従い、それを試す場が日本しかなくなっていったわけで、以前から計画していたものを取りやめる気はなかったわけですし、ソ連にしても兼ねてからアジア侵略に積極的だったわけで、アメリカからの働きかけがあるまでもなく、日本が終戦交渉してきても無視するのはシナリオ通りで、戦後、自分たちがいかに優位で終るか、他国に対し自国の力を見せつけたい、ただそれだけだったのでしょうね・・・。


ご参考になれば幸いです。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。様々な人間の思惑がうごめいているのは、日本だけでなく米国も同様だったのでしょうね。

過去沖縄戦を研究した際、小堀桂一郎氏の説「硫黄島や沖縄戦での日本兵一人ひとりの働きが米国の心胆を寒からしめ、無条件降伏がポツダム宣言の条件付幸福を呼び、その結果国土分割を避け得ていまの日本がある」に行き着いて、沖縄戦の悲惨な犠牲が少し報われた気がしました。東京大空襲もその線上で、日本の中心軸を終戦に向かわしめ、自殺的国家解体を封じたと言えるのかも知れませんね。ありがとうございました。


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