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●質問者: ayaka2002
●カテゴリ:学習・教育 人生相談
✍キーワード:あなた 偽善 幸せ 愛情 感覚
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 19/19件

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6 ● bijyou
●50ポイント

仏教語の『愛』は、「愛欲」という用い方のように、否定的な意味を持つことが多い。一歩まちがえると憎しみに転じる、憎しみと背中合わせの感情とされている。

ayaka2002さんが問題にしている感情は、仏教語では『慈悲』と呼びます。

「慈」は、他人にたのしみをあたえること。

「悲」は、他人のくるしみをのぞくこと。


以上は、中村元先生のご説です。

そこからぼくの考えた、愛するという感情の解釈は、『その人のよろこびをその人と同じくらい、それ以上によろこぶこと。その人のかなしみをその人と同じくらい、それ以上にかなしむこと』です。

『愛』には、その人がよろこべば、その人と同じくらい、それ以上にうれしくなれるという見返りがちゃんとあるように思います。

◎質問者からの返答

よろこびを相手と同じくらいに喜ぶのはできるような気がするんですがかなしみは難しいです。ありがとうございました。


7 ● ad1975
●13ポイント

その人の為なら全てを捧げることができる…そのような気持ちです。母親が子供の命と引き換えに死ぬことや、戦場で家族守る為に散っていった人などがそうです。自ら自覚した上で、命を投げ出すという行為は、愛がなければできない行為です。神を用いることでしか、愛を否定できない者には永遠に愛など理解できないでしょう。

◎質問者からの返答

その通りですね、ありがとうございました。


8 ● threecloudjp
●13ポイント

自分よりまずその人の幸せを願いたい、という気持ちは偽りではなく確かに存在しうると思います。そこに自己犠牲の自覚はなく、そうしたいからしているだけ、という場合も少なくないのではないかと。

しかし少なくとも私は、与えた愛に見合う(多分に主観的な判断基準によりますが)見返りを心の中では常に求めていますし、周囲の人も大抵そのようです。

自己犠牲の精神自体は偽りでなくても、心のどこかで見返りを求めるのがごく当たり前の人情だろう、というのが私の認識です。



ところで、三浦綾子氏がエッセイの中で「沈没寸前の船の中で、最後のひとつの救命胴衣を見ず知らずの若い女性に譲り、自らは死んでいった」という神父の話を取り上げ、これを「無償の愛」と呼べるのではないか、と述べています。

実際に自分が同じ状況に立たされたときに同じ行動を取るかと考えるととてもその自信はありませんが、人間でも、一途や信仰心や意志の力によってこのような行動を取りうるのだということは言えるのではないかと思います。

◎質問者からの返答

確かに、相手の幸せを願いそのように努力していたとして、どこかで反応を求めてしまいますね。ありがとうございました。


9 ● jelousy1002
●13ポイント

人を愛するという気持ちに同じものはないと思います。

「自分よりも相手の幸せを願える」という気持ちもあるひとつの愛する形だと思います。

例えば、彼女の身代わりに自分が死ぬ。という場面。

映画などではここで身代わりになって死ぬのが愛の証であるように表現されています。しかし、みんながみんなこんな映画のようにできるわけがありません。

死がどうしても恐ろしい人もいると思います。彼女のためならなんだってささげられる。しかし死ぬのだけはどうしても怖いんだ。

この男性が彼女のことを愛していないとはいえません。死以外のすべてをかけて彼のできるかぎりに彼女を愛しているからです。

だから、客観的に愛を計ることはできないと思います。

見返りを求めない愛情は神くらいしかなしえない のは神の愛の形でしょう。

私は彼女が一万円くれといわれても絶対にあげません。けど彼女が困っているなら全財産渡せます。彼女と同じくじをひいたら自分があたってほしいと思います。

それでも彼女をあいしています。

よくわからないですね。

◎質問者からの返答

最後のくだりはとてもリアリティーがありました。愛の形に答えはないのでしょうね。ありがとうございました。


10 ● TomCat
●13ポイント

人を愛する気持ちというのは、好きな人のことを思うだけで心がうきうきしてくる気持ちです。嬉しくて嬉しくて仕方がない。無上の喜びが途切れることなく四六時中続いていく。そんな気持ちです。

だから、何にでも感謝したくなってしまうんです。誰にでも優しくしたくなります。そんな嬉しい気持ちが愛する人に注がれる時、それが「見返りを求めず尽くしたい心」「自分のことなど度外視して相手の幸せをひたすら願う気持ち」になって現れるわけです。

けっして何も得ずして相手に尽くしているわけじゃない。予めそれ以上の喜びを受け取っているから、偽善ではない無償の愛(実は報償を先取りしている愛)が注げるんだと。私はそう思います。


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