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【法律関係の方ご覧下さい】質問欄に書ききれないため、こちらに質問を書かせていただきました。是非意見をお聞かせください。ポイントは十分にありますので、多くの方からのご意見をお待ちしております。

http://d.hatena.ne.jp/blue-sea/

※質問終了後も日記内へのコメント承ります。気軽にご参加いただければ幸いです。

●質問者: blue-sea
●カテゴリ:学習・教育 政治・社会
✍キーワード:コメント ポイント 意見 法律
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

▽最新の回答へ

1 ● eiyan
●17ポイント

人が人を裁く限り矛盾は存在します。

昔とは現代は刑量が軽くなりました。

江戸時代の武士は約束を裏切るだけで切腹です。

人の人情は人を良くも悪くもします。

犯罪を犯した犯罪者を裁き反省を促す刑量は人が決めるのです。

極刑か執行猶予かを決めるのも人が決めるのです。

ですからそこには常に人情と感情が渦巻き矛盾が発生するのは防止出来ない状態にあります。

人が人を裁く限り刑期の矛盾はなくなりません。

ではどうすれば良いかがこれからの課題なのです。

http://hp.vector.co.jp/authors/VA018633/mna014.htm

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

人が作り出す以上矛盾が生じるのは私も同意なのですが、

「ではどうすべきなのか」を第三者的な見解ではなく、eiyan様自身の言葉で説明していただければ光栄です。


2 ● aoun
●17ポイント

だいたいそのお考えでも宜しいかと思います。


?理由がない?不可抗力ではない?故意による?残虐性を帯びている・・・という要件では全く現実的基準にならないでしょうし、6歳以上、明らかな残虐性なら児童でも死刑、なども論外ですね。おおよそ、質問者さんが友人とされた議論は大きな意味での話なのでしょうから、このあたり、話に出ていた具体的基準については、あまり重視せず、少し気づいた点だけ、ちょっとだけ、ご回答させて頂きます。


まず、死刑を適用する範囲を拡大するといことの目的ですが、これは従前よりはてなで時々なのですが、議論されている点なのですけれども、なぜ死刑を適用する範囲を拡大するのか?、という点です。目的は何か、という点ですね。

一つは報復。もう一つは国全体としての抑止。

この2点が主に取り沙汰されていますが、そもそも死刑とはどういう行為か、という点においては、それは、言わば国家が人間を殺害する行為な訳です。


以下飽く迄も、私の独断的考えですが、この点はよく皆さんが失念されている点ではないかなと思うのですが、この「国家」とは何か、という所ですね。「国家」とは「我々日本人全体を象徴する存在」「日本社会そのもの」「日本社会の意思」というようなものでは到底無い、ということではないと考える訳です。

そもそも憲法という法律が最高位の法律なのですが、この法律は三権分立から定め、政府と国民との関係、パワーバランスを規定しています。すなわち、憲法にとっての「国家」すなわち「行政府」等というようなものは、決して「国家の意思」として信用できるようなものでは全然なくて、その辺の私人程度として、その信頼性を考えるべきであるという立場だと、私はですが、無謀にも程があるというほどに大雑把に言えばですが、そう考えています。歴史的な視点で考えれば、大政翼賛会、全体主義、秘密警察、、、とてもではないですが、政府も警察もその運用において「国民の意思を体現する存在」「社会を代表して何らかを仕切る存在」「社会から何か重要なものを本当に任されるに足る存在」でなど有り得ないということだと思います。組織は組織として一人歩きをし、組織が持続することだけを目的に利を考え、そしてどんどん独走、暴走していきます。あくまでも実際に運用を考えた時の「国家」とは、このような私的組織を指すものであると考えます。ですので、市民コントロールというか、憲法の立脚点というか、そのようなことが重要になってくると思いますね。

そのような中で、そのような「国家」に何をやらせるのか、という点を考慮しなくてはならないのではないでしょうか。現行の社会体制も現在まで実に長く持続してきましたので、私も含めて、法的インフラ(憲法を筆頭に)、行政的運用インフラ(警察その他、人を裁くということ)についても、変に信頼してしまって、どこかしら空気にようにあって当たり前のものと捉えてしまうような、変な信頼感覚があるのかもしれません。ところが、社会というマスの規模を持つ巨大なものは現に毎日運営されていてマスのトラフィックな訳です。或いは、裁判所は全国にあり、事件も全国で毎日のように起きており、果てには、未必の故意だとか、無作為が何だとか、いろんなことがあり、そのような中で法律というのは巨大な全体にとっての、インフラな訳ですよね。


そのような中で、やはり、

或いは、例えば100人の命を救うためならば、その100人は1人を無残にその手で殺害しても良いのか?、いや許される筈は無い、というような議論。

すなわち、抑止力のために、現に人間様を引き釣り出して、殺害する、というような行為は許されない。他の何でもない、未来の殺人を防止する目的で、行政組織などというような立場の者が前もって、人間様を殺害しておく(分かりやすくするため無謀に極論すればですが)行為、こういう行為は許容できない、というような議論。

或いは、憲法においてすらも信頼性を与えられていないような組織を代表者として、そもそも殺害行為などというようなものをさせることの是非はいかがか、もっと公正な立場を取らせる事が重要ではないのか、と、いうような議論。

いろんな議論が当然存在するのではないかと思います。


或いは、角度を変えてみますと、例えば、死刑の範囲を拡大したとします。そうしますとそれはインフラの変更な訳ですので、当然、質問者さんのそのご友人にも適用される訳です。15年後、そのご友人の息子さんが13歳になったとしましょうか。13歳の息子さんが生まれて初めてデートしたとしましょう。彼女と海に行きました。彼女も13歳なわけですね。初キスでもしようかと崖の方へ行きました。

両者ともまだ子供ですので、楽しい初デートの筈がふと喧嘩になってしまいました。息子さんは男の子ですので軽い気持ちで怒った気持ちを表現しようと、その13歳の娘さんを突き飛ばしてしまいましたが、そうすると娘さんは崖から転落してボロボロになって死亡してしまいましたが、息子さんは怖くなってそのまま逃亡してしまいました。結局娘さんは非常に無残な姿で発見された訳です。目撃者は1人もありませんでした。

誰がこの息子さんに殺意が無かったと立証してくれるのでしょうか。現実には殺意が無かったことを立証する方法があるのでしょうか、無いのでしょうか。どうなのでしょうか。

ただ、このような場合にも或いは「殺人事件」は適用され得る、ということは、法律というものが誰にとっても身近な、インフラだということではないでしょうか。(上例は、まったくもって非常に極めて、とんでもなくいい加減に考えた、駄目例なのですが)。ですので、質問者さんが言われるように、法律を変更するということを、社会のインフラをいじるという視点で考えることは、極めて重要なことだと考えます。

はてな

◎質問者からの返答

熱い回答、誠にありがとうございます。

国家という次元にまで踏み込まれるとは思いませんでした。国家というものが必ずしも国民全体の意志の集結とは言い切れず、しかも抑止力はどちらかといえば国家や行政による一方的な都合とも言い切れる部分がありますね。その国家がよりよい方向に向かう為にも、社会のインフラ(結局は国民全体が作り上げていくような基盤)は常に形を変える必要もあります。 量刑、特に極刑の適用に関して、具体的に考えなければならない事は何でしょうか。宜しければ引き続きご回答をお待ちしています。


3 ● komap2
●16ポイント

http://www.yahoo.co.jp/

三流大学ですが一応法学部卒です。


>>?だけでも極刑としてよい

これは文中でも指摘されてる通り、どこからが残虐かの判断が出来ませんので無理ですね。

人間の環境は1000人いれば1000通り違いますから、判例で決めるのなら結局現在のやり方と変わりません。


その人達はナイフで滅多刺しにしたから凶悪とか、そういう次元でしか考えてないのではないでしょうか?


いじめられてたとか、親から毎日小言を言われてたとか、凶悪である判断が難しい事例はいくらでもあります。

そうすると今度は「本当にいじめられていたのか。」「どれぐらいのいじめを受けていたのか。」「親から何を言われたのか。」「その言葉はそんなに辛いことなのか。」など。

凶悪であるかどうかの判断はそんなに簡単なものではありません。


>>6歳以上であれば善悪の判断もできるだろうから

少年法の年齢引き下げについては今でも議論されてることですが、6才が善悪の判断出来るかというと難しいところです。

なんせ義務教育も始まってない年齢ですからね。

幼稚園に行ってない人だっていますし、親が教えてなかったら何も知らない状態です。


ただ、私個人としては現在よりは引き下げるべきだと思っていますので、極刑かどうかはともかく刑の軽減は中学校卒業までで十分だと思います。


>>こういった例えば凶悪犯罪のようなものは、法を厳しくするだけではまだまだ足りないものがあるのではないでしょうか。


法を厳しくすることで犯罪が減るというのは決して間違ってはいませんが、極刑を増やすことで犯罪が減るというのは大間違いです。


日本では年間3万人の自殺者がいます。

つまり、「死にたい」「死んでもいい」と思ってる人は何十万人もいます。

そういう人達にとっては死刑よりも懲役刑のほうが恐ろしいのです。


確実に死刑になれるのなら、強盗殺人など凶悪犯罪を繰り返し豪遊して死刑になりたいという人もたくさんいるでしょう。

しかし、もしも死刑になれなかった場合、何年も自由を奪われ毎日毎日働かされ続けることになります。


死刑制度はあくまでも「見せ玉」だから効果があるんです。

確実に死刑になれることがわかれば、それを利用する人間も出てくるということです。


ただ、現在の懲役制度だと最大でも7?10年程度で出てこれるというのは短すぎますので、やはり今以上の長期懲役刑や終身刑を導入することが犯罪を減らすことに繋がると思います。


もちろんこれは刑の厳罰化により犯罪を減らす場合の話で、マクロ的に考えるのであれば福祉や経済など根底から直さなければいけませんが、そちらは国の金銭的な問題もありますのでなかなか思うようにはいかないですね。

◎質問者からの返答

長い回答、誠にありがとうございます。

確かに昨今の社会状況では、年間の自殺者数もそうですし、自殺未遂者にいたっては推定200万人とも言われるほどの本当に悲惨な状況です。極端に刑を重くしても、それを利用して殺人に走る者が逆に出てくるかもしれないですよね。

小林薫被告の死刑判決が確定しましたが、今の法体制では1人を殺害して極刑になる公算は低い。だが友人の様な制度になってしまった場合、簡単に極刑となってしまう為に、繰り返しますがそれを利用する自殺願望者が出てきてもおかしくはない。極刑にすれば犯罪は減るというのもかなり安直な考えではあります。

私も終身刑の導入を考えていた所でした。計をより刑罰化することには確かに肯定的な部分はあるのですが、だからと言って何でも規制すればいいというものでもありませんよね。 一生生きて深く償い続けて欲しいと考える被害者の遺族もいるはずです。


4 ● kumonoyouni
●16ポイント

●日弁連より

http://www.nichibenren.or.jp/ja/committee/list/shikeimondai/01.h...

http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_res/2004_3.html


●「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム'90」より

http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/81/6.html


●毎日新聞「奈良・女児誘拐殺人:死刑判決 小林被告、表情変えず 不満漏らす場面も」

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060926dde04104...


などがご参考になるかと思いますが、まず現在の死刑の量刑基準は1983年(昭和58年)の最高裁の判例、いわゆる「永山基準」が元になっています。

これは、動機や殺害方法、前科など考慮する点はあるものの、一番大きなウェイトを締めるのは「被害者数」とし、殺害した人数によって、1人なら無期懲役、2人以上なら死刑というものです。

これにあわせ、身代金目的や保険金目的の金銭が絡む殺害である場合、量刑が重くなりやすいという通説がありますが、同じような条件でも、ある裁判では死刑、ある裁判では無期という判例もあるようですので、過去の判例を参考にすればよいと言っても、一概に一括りで語れない現状があります。


とは言え、私も被害者感情を考えると、加害者を保護する感の強い現状より、人を殺した以上、極刑に処するべきだという意見にはどちらかと言うと賛成の立場ですが、過去の誤判や冤罪、例えば前出でご紹介した日弁連のサイトにあるような1948年(昭和23年)12月29日に起きた熊本県人吉市内で起きた祷師一家殺傷事件

免田栄氏の大阪シンポ発言抜粋

2003年1月18日

昭和23年12月29日,熊本県人吉市内で起きた祈祷師一家殺傷事件は、2人の方が死去され、2人のお子さんが重傷を負われるという事件でした。その事件で私が疑われたわけでございます。全くなんの証拠もない。アリバイもあるのにアリバイを全部警察が消してしまう。1人の警察官がした事件処理は、最高裁の確定判決に類するという諺がございます。強制誘導尋問を使用して否応なしにその自白調書に拇印を押すようにするんです。一旦、拇印を押したならば、いかにそれに反論しても,そのまま最高裁まで行って確定します。

私の死刑が確定したのは昭和26年12月25日、クリスマスの当日でございましたが、私が今日あるのは、日本弁護士連合会の支援もありましたけれども、社会奉仕事業を長くやっておられた熊本の塩谷宗一郎という方が,本当に親身になって証人を捜し、証言をとって、支援していただきましたおかげです。もう亡くなられましたが、私の一生の恩師として忘れることはできません。

死刑が確定しまして、6回,再審をしまして、ようやく社会に出てきたんですけれども、その間に、死刑囚を約80人近く刑事場に見送りました。その一人ひとりの死刑囚が最後に刑場に連れられていく姿を見たんですけれども、本当に死刑判決というものに素直に従って行かれる方は少ないんです。で,私はその姿を見て、もし、自分が社会に出られたならば,死刑だけはなくしたい、死刑だけはなくしてほしいと思いました。社会に出て、私が、今でも、重い荷を負っているのは、再審で無罪にはなりましたが、いまだに一審の死刑判決は消えてないからです。まだ私は死刑囚なんです。もう一つは、無罪の判決があっても、その死刑囚が無罪になっても、釈放する条文が刑事訴訟法にないんです。それと年金の受給権がないんです。このような矛盾があるんです。

これから生涯、死刑廃止の運動を続けていきたいと思います。

というようなケースも中にはあったりしますので、もっと基準を明確にし、現法での矛盾や問題をあわせて考え、証拠不十分の場合には判決執行にも慎重であるべきという姿勢は崩さない必要があるように思います。


ご参考になれば幸いです。

◎質問者からの返答

非常に勉強になるご回答、誠にありがとうございます。確かに過去の判例を参考にするにも、どれを参考にするのかによって全く異なる事が考えられますよね。

また誤判による問題点までは考えつきませんでした。単に凶悪で残虐な殺人があったとしても、それを一律に極刑としてしまうと当然誤判によって一審で死刑判決を言い渡される無罪の人が増える事も考えられますね。そうした場合のために、より明確な基準や現行制度に対する問題点も慎重に考えなければいけない。

仮に一律極刑を導入した場合、無罪の人が誤判を受けた場合どうするのか。そこまで考えると、残虐性だけで例外なく決め付けてしまうだけでは難しいですね。もっと考えなければならない事があるはずです。

小林被告の事件に対する沖縄タイムズの社説も見つけました。確かにここでも永山事件に触れられていますね。これについても、もう少し調べたいと思います。

http://www.okinawatimes.co.jp/edi/20060928.html#no_2


5 ● なぽりん
●16ポイント

http://q.hatena.ne.jp/1148453282

http://q.hatena.ne.jp/1152462677

まずは類似質問を提示。わたしの記憶では、もっとよく似た質問があったはずなのですが、最近のはてなでは、ちょっと古くなると検索にひっかからないのです。


さて、殺人罪の量刑をご提示のようにすることには、残虐性の基準があいまいであることのほかにいくつかの問題があります。


1.そういう手合いは初めての殺人を起こす前に「検挙率も上がっており、極刑がまちうけているから犯罪は辞めよう」とは考えないので、犯罪抑止力にはならないだろう。すなわち、発生率は横ばいであろう。


2.破壊衝動は状況(悪いめぐりあわせなど)によりだれでも起こり得るものだ(教育により敷居は上げられる)。それをこらえられるように再教育して是正することで、その殺人者を育成した社会的コストを回収できるのに、なんでもすぐに極刑でつかい捨ててしまうのでは、少子化と人口減少を加速しそう。


3.人道性について国連やアムネスティなどに監視されており、あまりに平均から落ちれば某北の国のように経済制裁や内政干渉が入る。



また、利点は


1.同一人物による再犯は確実に防止できる


2.再教育しても無駄である場合には最初から再教育を放棄したのうが確実に社会的コストがお徳になる(年金もそいつの分は払わなくていいし)


3.日本独自の道徳観を世界中に示すことができる

◎質問者からの返答

類似質問や利点・不利点を挙げてくださり、ありがとうございます。

アムネスティという言葉は初めて耳にしました。もう少し調べてみます。

「抑止力」というものの捉え方にもよりますよね。先ほどのご回答2のaoun様(2006-10-11 11:02:16)のおっしゃるように、結局は国家の支配を握る者のための抑止力、ということも一部分考えられます。なので、「極刑にして抑止力を働かせる(極刑にしなければ抑止力が働かない)」というよりも、(そればかりでなく)「法の一層の刑罰化に当たって考えなければならない現行上の問題や代償」も議論する必要がありますよね。

社会的コストに関する見方も重要ですね。再教育の可能性を完全否定してしまうと、コストの損失以上に人権が認められなくなる部分も大きいと感じます。


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