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わたしは、青年の頃、恩師の紹介でこのちいさな町の大学に、文学を教えるために赴任した。ちいさいけれど、キリストの教えを守る家族的なこの大学で、わたしはいろいろな講義をしてきた。あのコたちももう母になり、そして、わたしももうずいぶん歳を取ってしまった。明日、わたしは、大学を去る。理事長に申し出たら、学長とふたりで翻意するよう説得されたが、わたしにはやりたいことがある。やらなくてはならないことがあるのだ。明日が最終講義。大学は学生に告知しようと提案してくれたが、丁寧に断った。わたしは、大教室でマイクを使った講義など似合わない。いつものちいさな教室でほんとうに文学が好きな生徒に語りたいと思う。花束なんてもらったら、泣いてしまうだろう。だから、学生にも伝えていない。わたしが去った後、一枚の紙切れが掲示板に貼られたらそれでいいと思っている。夜も更けてきた。明日の講義の内容が少しずつ頭の中に浮かぶ。
「創作はてな」です。もしよかったら、続きを考えてみてください。

●質問者: aoi_ringo
●カテゴリ:生活 人生相談
✍キーワード:はてな キリスト マイク 創作 大学
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 5/5件

▽最新の回答へ

1 ● aiguo
●20ポイント

いつもの教室に立つ。学生たちの顔を見渡す。知的好奇心にあふれた、明るいキラキラした目。おっと、中にはバイトで疲れたのか、半分目が閉じて居寝りしている学生も。今日が最後の授業になるなんて夢にも思わないのだろう。見慣れたこの風景、このコたち、今日で最後だと思うと何だかいとおしい。

◎質問者からの返答

淡々としていますが、いいと思います。

ありがとうございました。


2 ● sun5sun
●20ポイント

当日の講義も難なく終わった。

私はいつもの教室をいつものように去ろうとした。

さよならとも言わず、後にする教室。

そのとき、生徒が叫んだ。

「ありがとう」

私は振り返る。

生徒は花束を皆持っていた。

私は驚いた。同時に涙が溢れた。

「ずっとココロの中に居ます」

彼らの言葉で私は、先生になって本当によかったと実感した。

何故彼らが去ることを知っていたのかは未だ解らない。

しかし、私は、ココに居たことを一生忘れない。

私にとっても彼らにとっても、出来事はココロ深く刻まれる。

消えることのないモノ。

◎質問者からの返答

分かります。この気持ち。

ありがとうございました。


3 ● jyouseki
●20ポイント

明日、最後の授業で、私が伝えたいことの本質はたった一つしかない。

「全ての人間は神の子であり、キリストが特別な存在なのではない」

ということである。

キリストを神格化することは、それだけで人を平等と考えていないということだ。

全ての人類は同じ神の子であり平等であるという本質に基づいて宗教が普及すればあらゆる争いごとはなくなる。

理想論に過ぎないと言われるかもしれない。

それでもいい。

人間は最終的に理想の世界を築くという試練を神に与えられて創造された存在である。

今はまだ発展途上の過程の段階にあるため、現実がかけ離れているのは当然のことだ。

無理をして理想を求めず、現実を受け入れながらなすべきことを考えること、これこそが現代の人々が必要としていることだ。


私が長年の経験で得た大切な宝を、より多くの人々に伝えるために、書籍を残さなくてはならない。

名声などはいらないから、仮名で1冊のみの出版とする。

どこの出版社も相手にしてくれなかったら、自分で印刷して配布すればよい。

残された短い余生の中で、精一杯のことをしてから神の元へと帰りたいと思う。

◎質問者からの返答

キリスト系の学園をふまえてくださいました。

ありがとうございました。


4 ● TomCat
●40ポイント

明日私は、今の単元のまとめをそつなくこなす。そして、おや、今日は珍しく時間が余るな、などと時計を見る仕草をしてから、小さな教室の黒板に、こんな字を書く。

God grant me the serenity to accept the things I cannot change,

the courage to change the things I can,

and the wisdom to know the difference.

「私は、この小さな教室が大好きなんだ。ほら、まるでアメリカの古いテレビドラマに出てくる、小さな村の教会みたいだろう?

さて、1943年。まだ日本が戦争をしていた時だ。昭和で言うと18年。イタリアでムッソリーニが失脚して、その後を受けたピエトロ・バドリオが無条件降伏をした年にあたる。

そんな年の夏、アメリカ、マサチューセッツ州西部の山村の小さな教会で、一人の牧師が祈ったのが、この言葉だった。

誰か、これを訳してくれないか」

『えーと、神よ、変えられないものを冷静に受け容れる恵みを、

変えられるものを変える勇気を、

そしてその二つを見分ける知恵を・・・・』

「Good!! あはは。英語の授業じゃなかったね。ラインホールド・ニーバーという牧師のこの祈りは、礼拝の後、ハワード・チャンドラー・ロビンズという人に伝えられた。この人は色々な祈りの言葉を集めた小冊子を作っていてね。ロビンズはそれを自分の作っていた本の中に入れて発行したんだ。

やがてこの祈りはカードとなって、戦場の兵士たちに配られた。戦争が終わると、今度はアルコール依存症と戦う人々の目にとまって、断酒会の合い言葉にもなっていった。

さて、ここで私が言いたいことは、まず宿命を受け入れる勇気だ。人間、生きていれば辛いこともある。悲しいこともある。でも、それをあるがままに受け入れられる勇気。それをみんなに持ってもらいたいんだ。

どうあがいても、もがいても、変えられないものはある。たとえば人は老いる。これはどうあがいても、変えられない。君たちはまだ若い。明日は今日よりも瑞々しく新鮮に成長する。しかし私はもう、よぼよぼだ。明日は今日より確実に老いていく。でも私はそれを恐れない。老いていく明日を恐れて生きるより、それを冷静に受け入れていく方が、どんなに明日を生きる喜びを大きくしてくれるか分からないからだ。

そしてもう一つ。変えられるものを変えていく勇気。これをみんなに持ってほしいんだ。たとえば今日、うん、そこの君だ。君はやっと一区切り付いた私の授業だが、その単位を落としてしまう。君は嘆く。どうしよう、この単位を落としたら私は留年だ。ああ、社会に出るのが一歩遅れる。目指していた夢が閉ざされてしまうかもしれない。ああ、私はその運命をあるがままに受け入れよう・・・・。

違う。君はここで必死に運命と向き合う。担当教官に食らいつく。もう一度、もう一度チャンスをください、と。すると君は自分の力で違う運命を掴み取れるかもしれないんだ。どうだい、君、食らいついてくるかい?

あはは。よしよし。君の単位は保証する。

変えられないものをあるがままに、静かに受け入れていく勇気。変えていけるものを、情熱をもって変えていく勇気。そして、何が変えられないもので、何が変えられるものなのかを見極める知恵。これが神の恵みなんだ。

さあ、君たちが受け入れるべきものは何だろう。そして変えていくべきは何だろう。それは人それぞれに違うだろう。でも何かに迷った時、何かにつまずいた時、この祈りを思い出してほしい。

God grant me the serenity to accept the things I cannot change,

the courage to change the things I can,

and the wisdom to know the difference.」

・・・・。

そして私は静かに教壇を去る。これが私の受け入れるべき運命だ。しかし、私にもひとつだけ、変えていくべきものがある。それは、私の人生。

私は若き日に恋をした。そしてそれに破れ、今日まで独身を通してきた。しかし、そんな私をずっと支え続けてくれた人がいた。その人は、私と同じ文学部の教官室にいる。明日、そこを去る前に、私は彼女に花束を贈る。彼女からお別れの花をもらうんじゃない。私から贈るんだ。そして言ってみる。結婚してください・・・・と。

さあ、私の青春は、今ここから始まる。

◎質問者からの返答

今回も最後があれれ、と思ってしまいましたが、とても深い学識を感じました。すごいなあ・・と思いました。まるで、わたしが講義を受けてる気分になりました。

いつもありがとうございます。


5 ● komeke
●50ポイント ベストアンサー

明日もいつもどおりの教室でいつもどおりの生徒たちにいつもどおりの講義をしよう。

そう考えていると、生徒一人一人の顔が次々と浮かんくる。

みんなわたしの授業を熱心に聞いてくれていたコたちだったなぁ。


随分と長いことこの大学に留まっていたことを思い出す。

赴任してすぐの頃は、まだ生徒もわたしも慣れなくて、いろいろ戸惑いもあった。

私のようなタイプの講師がいなかったせいか、最初はさして文学に興味もないのに、

単位目当てで出席する学生も多かったように思う。


しかしわたしにできることは文学の世界の素晴らしさを生徒に伝えることだけだ。

そう思ってわたしなりに講義を続けてきたつもりだ。

最初は単位目当ての学生も徐々に文学に興味を持ち始め、

しまいにはわたしの講義はほんとうに文学好きの生徒ばかりになったなぁ。


わたしが教えられる事はもう全て教えた。

わたしはどことなく達成感を感じていた。

わたしはこの大学が好きだ。生徒たちも好きだ。

正直言って去り難い気もしている。


だけど、わたしはこの大学で人生を終えるわけにはいかないのだ。

もう一つ、やり残している事があるのだ。




まだ若かった頃だ。

旅行好きだったわたしと妻は暇を見つけては年に2?3回、旅行に行った。

旅といってもわたしのささやかな給料では国内旅行が精一杯だったのだが、

それでもわたしたちには充分だった。


数々の見知らぬ土地を訪ね、美しい景色に心奪われ、初めて口にするその土地の馳走に感動した。

その中には季節を変えて二度、三度と訪れる土地もあった。

そして妻は決まってこう言った。


「お互い歳を取って、時間がゆっくり流れる季節になったら、また来ましょうね。

その時には今とは違った景色がきっと見れると思いますよ。」


妻が病に倒れてからは、以前のように旅行に行くことは叶わなかったが、

わたしたちはいつも思い出の中で旅をしていた。

どの場所も色褪せることなく、まるで昨日の事のように思い出すことが出来たのだ。


10年前に妻に先立たれ、一人となってからはそれは益々鮮明に思い出された。


わたしは決めていた。ずっと前から。

いや、最初からずっとだ。


妻と妻の思い出と供に旅をするのだ。

妻の行きたかった場所へ連れて行ってやろう。

約束を果たしてやろう。


あの日と同じ場所に立てばきっと妻の笑いが聞こえてくるだろう。

きっと妻の笑顔が見えるだろう。


そんなことを考えているとふと妻のぬくもりを感じたような気がした。

右肩があたたかいような感じなのだ。


そういえば、あの頃、今日のように、わたしが更けゆく夜に、考え事をしているとき

決まって妻はそっとやさしくわたしの右肩に手を置いて、

「あなた。まだお休みにならないの。」と言っていたな。


わたしはゆっくりと立ち上がり、部屋の灯りを落とした。

◎質問者からの返答

参っちゃいます・・、この文章。

とても好きなんです。この雰囲気。

ありがとうございました。

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