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愚痴になるかもしれません。とある、教育に携わる仕事をしていますが、ここ数ヶ月の現場はもう死んでいます。あまりに「保身」に走りすぎです。「何かことが起きたときのいいわけの会議、報告」が多すぎます。例えば、生徒の相談も、「情報の共有」の錦の御旗のもとに、秘密なんて守られません。生徒に誠実になろうとすればするほど、結局は自分が苦しくなります。足をすくわれます。教育関係の方に限りません。仕事全般において、いつからこんな国になってしまったのでしょうか・・。まとまりがない質問でごめんなさい。

●質問者: aoi_ringo
●カテゴリ:学習・教育 人生相談
✍キーワード:いいわけ とある 会議 愚痴 教育
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

▽最新の回答へ

1 ● ElekiBrain
●16ポイント

かつて、私はいじめに遭っていました。もう既に遠い昔の事ですが、その頃の凄惨な記憶は今でも生々しく蘇ります。

今に限った事ではありません。昔から教員の間にはは保身ばかりが横行していました。生徒の中でいじめがあっても教師は見て見ぬふりを繰り返すばかりで、日々私の精神はすさんでゆきました。もちろん、周りの生徒も見て見ぬふり、母も耳を貸そうとはしません。私は一人で闘うしか道が残されていませんでした。

http://q.hatena.ne.jp/1163154756

にて書いた物語は、単なる創作でなく、単なるタイムリーな話をネタにしたものでもありません。あの中には私の怨念と情念が入り込んでいます(提示された物語の、母子家庭という点でも境遇は一致しています)。

そうした意味で、情報公開ということ自体は、私は賛成です。あまりに聖域が多すぎて、今まではこうしたことが明るみにはでてきませんでした。情報の共有は個人攻撃という問題も同時に孕みますが、個人個人が卑怯な真似をしないという教育をしてゆくことで、それは徐々に解決してゆくべき事でしょう。問題は情報共有ではなく、教える側の卑怯さであると思います。作家の北方謙三氏は、

「最近の奴らは学生運動とか起こさないね」

と嘆いてらっしゃいました。起こさないでしょう。なにしろ、教師が生徒に魂をたたき込んでいないのですから。


学校が腐敗している原因の一つに、PTAの存在が上げられると思います。初めは熱い想いを胸に教員生活を始めた先生も、一年ないし二年もすれば、大抵がおざなりになってしまいます。PTAが口やかましく、未熟な子供を擁護するからです。職員の全てが悪いわけではなく、未熟な保護者側にも大きな問題があるのです。この話は何も学校の現場に限ったことではなく、家庭環境の問題にまで発展します。

そして、そういった現代の軒並み問題である家庭環境で育った子供達は、またしても問題のある家庭環境を作り出します。これは、掘り下げると核家族化が進むと同時に進行してきた問題であると思われます。多くの頭でっかちな子供達は、多数の人間がいる大家族で育たなかったからこそ、あのように頭だけで物事を判断し、全てを「個性」の一言で済ませます。既におわかりだとは思いますが、現代を生きる教師もこうした歪んだ(本人は気付いていない)家庭からでた人々なのです。私にしたところで、それは例外ではありません。

つまりは、PTAに代表される親も、教師も、生徒も全てがおかしい。これらは一つに集約して考えることは出来ない問題なのです。

(※大家族は大家族で因習がありましたから、どちらがよいかは分かりません)


これらの問題を解決するには、学校サイド、PTAのみならず、それらを監視する第三の機関が必要ではないかと思うのです。そうなると行政という話になりますが、行政がそんな大役を買って出てくれるとは思えません。

一番良いのは、各学校の状況をカテゴリごとにグラフ化し、インターネット経由で国が発表する事だと思います。調査員をもうけ、一年間、一ヶ月ごとに監視体制を敷くのです。

これらを義務化すれば、入学に際してのめどが立ちますし、不正が横行する学校は衰退するでしょう。ランキング化は哀しい事ですが、これも時代、と諦めるところも必要でしょう。


しかし、これらのことよりも、まず個人が闘うことが重要かと思います。ポストなど糞食らえ、私は今までそういった生き方をし、様々な場所で正直に自分の想いを吐露してきました。損することもありましたが、後悔はありません。


暑苦しい内容で恐縮です。

◎質問者からの返答

貴重なお話しありがとうございました。

こういう議論も出来てうれしいです。

これからもよろしくお願いします。


2 ● fanatic_white
●20ポイント ベストアンサー

私は美輪明宏さんの本をこのところ続けて読んでいます。

それによると、戦後、食べることに必死、トタン屋根の住まい、米袋の衣服・・・等、生きることに必死になった親達の元に育った子供達は「生きる力最優先」という価値観を持つことになり、そこから「経済至上主義」が主流となり、・・・つまり、戦後そういう「こんな国」は始まった・・・と思います。

戦後ちょっとの間は戦前までの文化や美意識が残っていたそうです。でも、その後、そういうものよりお金、経済力が重視されるようになった。

誰も回答していなかったので書こうと思いました。青いさんの思うことは正しいと思います。あなたは凄くまともです。

また、秘密と言って文書を提出させ、それが職場中に筒抜けになることに憤慨した経験が私にもあります。おかしいですよね。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。わたしだけに打ち明けてくれた勇気を踏みにじるくらいなら、今日、辞めようかと思いました。幸い、相手も理解してくれて、中身ではなく、「相談している事実」は共有してもいいよ、ということでした。こんなことを言わせる自分が苦しいのです。でもご意見を読んで心強く思いました。ありがとうございました。


3 ● TomCat
●16ポイント

たしかに今の教育界は腐っています。でも私は少しずつ、教育界の内部から、改革の火の手が上がってきているのを感じています。生徒のためにと決死の覚悟で現場を立て直していこうとする先生方の姿が、少しずつ見え始めています。

しかし問題は、教育を腐らせた「張本人」の責任逃れです。教育を、こんなに風通しの悪い「密室」にしてしまったのは、誰でもない、「政府」なんですよ。

戦後すぐ、日本の公教育は、国家からは独立した、公選制の教育委員会が指導監督することとなりました。この時点で教育の場は、広く国民に開かれたものになったんです。教師達は新しい日本の担い手を育てる希望に満ちて教壇に立ちました。この時、日本の教育は輝いていたんです。

その教育委員会を公選制から任命制に「改正」し、いつの間にか市町村役場の一部課にしてしまったのが「政府」です。教育の「国家統制」の復活です。ここから現在の社会から隔絶された閉鎖的な学校運営が始まってしまいました。そこで澱んだ膿が、今一気に吹き出しているんです。

教育を腐らせたのは、誰でもない、政府なんですよ。その権力者の責任を曖昧にして、責任を現場に押しつけようと「工作」している連中が、「保身」に走るんです。権力者の代理人となって教育を腐らせてきた人間が、今必死に「権力者の保身」を代弁しているんです。

「俺たちは生徒のために頑張るんだ」、「俺たちは権力者の下僕じゃない、子供たちと共に歩む教師なんだ」という意識の人達は、逆にどんどん権力の横暴と、それによってねじ曲げられた教育の問題点を告発し始めています。

全ての教育者は、教育者たるの誇りをもって、教育を腐らせてきた張本人、政府の責任をこそ、堂々と追求すべき時に来ています。現場は、何の保身を図る必要もありません。全ての罪は政府にあるのです。

◎質問者からの返答

そうだったんですか。

なんだかむずかしいですね。

ありがとうございました。


4 ● kurupira
●16ポイント

礼儀正しさといった、今まで世界から見ても良いとされてきた日本人らしさが薄れてきたように思います。

今はなんとなく自由を履き違えてるような気がします。

この前のテレビでやってた小学校の状態を見て唖然としました。

こんなにひどいのかと。

これなら教師を辞めたくなるのも当然です。

親の教育がなってないのが明らかです。

私もわがままとは言えますが、先生を尊敬してました。

もう一度教育改革を見直すべきです。

◎質問者からの返答

自由は完全にはき違えてますね。

親も生徒も、そして教師も。

かなしいです。

ありがとうございました。


5 ● ichthyostega
●16ポイント

現在の日本は自由主義の名の下に、個人の権利が強く叫ばれています。しかし、この考え方は欧米の文化を基盤に発達した考え方です。欧米人と日本人は文化が違うので、基本の考え方が違います。欧米型の個人主義に基づいた考えをそのまま輸入したところに問題があるのです。考え方の違うところに異文化をそのまま持ってきても不都合が生じるのは明らかです。

日本人は戦後アメリカから個人主義の表面しか教わっていないのです。個人主義に基づく権利というものは義務を果たした上で初めて得られるもののはずです。


教育現場に口出しする権利がある人は、家庭で充分に教育している人に限られるべきなのです。

それを、家庭でろくに教育せずに、すべてを学校の責任にして、自分たち親は自分の気ままに生きている人たちがいます。そのような人に限って、すぐに学校の責任にしたり、給食費を払わなかったりするのではないでしょうか。

学校は社会性を学ぶところです。人間性や基本的な立ち居振る舞いは家庭で教育するものです。


もう一つは、体罰問題の頃から教師の立場が悪くなったようにおもいます。体罰はよいこととは言いませんが、「怒る」体罰ではなく、「叱る」体罰ならば許容すべきではないでしょうか。自分も体罰を受けましたが(多分30歳以上の人は体罰を受けて育ってきたと思いますが)、子供心にも、教師が私心で怒っているのと、教育のために叱ってくれているのとは何となく区別は付きました。また、数年たてば教育のために叱ってくれていたのは恩となって感じるものです。それを、形式的に「叩いた」からあの教師はダメだ、とか騒ぐからいけないのです。


これは非常識な大人が増えたことが問題でしょうけど、他にも問題はあると思います。

例えば、信号無視して警察に負われて、逃走中に信号無視して事故でけがしたとき、それに対して文句を言う親も親ですが、その文句を世間に伝えて、警察の責任と言わんばかりにニュースとしたマスコミにも責任があると思います。


ある一事象を捉えて、それがすべてであるような印象を社会に植え付けるマスコミの報道姿勢にも問題があると思います。最近のマスコミ報道は明らかに恣意的です。その報道をおもしろおかしく楽しんでみている我々社会にも問題があるのでしょう。

根は深いと思いますが、我々社会が成熟するのがもっとも確実なことでしょう。それにはこのようなちょっとした場でも、こういった市民レベルので意見交換がなされるのは非常によいことだとおもいます。

◎質問者からの返答

うまくコメントできなくて歯がゆいのですが、

とてもよく伝わります。

ありがとうございました。


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