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早期終了はしないのでじっくり考えてみてください。

悪魔なり神様なりがやってきて、あなたにこう言いました。
「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」
あなたならどうしますか?

1)あなたにとって最愛の人は誰か
2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか
3)選択した理由

をお答えください。(2は2択のみです)

この質問はhttp://q.hatena.ne.jp/1166512471のご質問で「自分の命と引き換えに世界平和」という方が何人かいらっしゃったことから思いついたものです。

●質問者: hokuraku
●カテゴリ:人生相談 ネタ・ジョーク
✍キーワード:あなた 世界平和 平和 悪魔 最愛
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 25/25件

▽最新の回答へ

1 ● なぽりん
●16ポイント

私の最愛の人をうばわれたら私は平和ではいられないので

論理破綻していますよ、という

それでもあえてというならば

1)自分

2)平和

3)被害が最小限

または

1)遺伝子をうけつぐ子ども全員

2)命

3)同じ選択を世界全員ですれば結局平和になるんじゃ?

◎質問者からの返答

最愛の人は自分、ですか。

できればこの後の回答される方は最愛の人=自分はナシでお願いします。

(自分だったら差し出せるけど最愛の人なら差し出せない、という人がいそうだったので質問立てたところですので)

それと、この選択を迫られているのはあなただけ、という状態です。(説明が足りなくてすいません)

また、「最愛の人」は不特定多数にならないようにお願いします。

(あなたにとってその「最愛の人」がいなくなったときのことを容易に想像できる範囲、ということです。)


さて、それでは頂いたご回答のほうを。

「命」をとっても、別に身の安全が保障されるわけではありません。「これまでどおり」の生活なだけです。

今の世界と同じ、どこかで飢えている子供がいてどこかで戦争が起きていて、どこかで生まれたばかりの子供がひっそりと息を引き取る、そんな世界のままです。

それでもいいですか?

(いや、良いこともいっぱいあるんですけどね、世界には^^;)


2 ● zuborer
●11ポイント

1)家族

2)家族

3)平和の概念なんて個々で違うから

◎質問者からの返答

そうですね、「世界平和」という言葉は「最愛の人」という具体的な対象に比べるにはあまりに曖昧模糊としているといえますね。


回答を読ませていただいて、もし自分が悪魔だったらなんといって持ちかけようか、と考えてしまいました。


3 ● DRY
●16ポイント

1.彼女

2.最愛の人の命

3.自分の中で平和がどんなものか描けていないから。

暴力的行為が無くなって思想が統一されてる世界だとしたら逆に怖い。

◎質問者からの返答

3連続で最愛の人の命ですね。

もし世界平和が達成されたら歴史に残る偉人になれますよ?世界中の美女だって(たぶん)よりどりみどりですよ?

などと言ったところで気が変わるとも思えませんけどね。


例えば世界平和ではなく犯罪が無い世界であれば、もうちょっと具体性が増すのでしょうか。


4 ● TomCat
●16ポイント

1)あなたにとって最愛の人は誰か

彼女です。もう両親はいませんし。

2)最愛の人の命と世界平和のどちらをとるか

最愛の人の命です。

3)選択した理由

平和とは、誰一人、人としての可能性が暴力的に阻害されることのない社会を指します。この人の可能性の阻害が社会構造に起因するものを構造的暴力と呼び、その最たるものを戦争と言うわけです。

戦争がない状態だけを平和というのではない。暴力による人の可能性の阻害が全て排された世の中を平和と呼ぶのだということ。

この神または悪魔の提案を考えるにあたっては、まずこの点の認識が重要です。

さて、その認識に立って

「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」

という提案を検討すると、そのそもそもの出発点において、他者の人としての可能性を阻害する提案であることが分かります。

他者の命と引き替えにもたらされるものは、たとえその結果世界の武力衝突が無くなったとしても、それを平和と呼ぶことはできないのです。

もちろん、自らの意志で平和のために命を投げ出すことは、自らの人としての可能性を断つのではなく、逆に最大限に生かそうとする行動と評価出来る場合があるでしょう。

たとえば第二次大戦中、カトリックのコルベ神父は、処刑されようとする一人の男の子供のためにと、その男の身代わりを買って出て処刑されました。

またベトナム戦争中、一人の僧侶が、戦争に抗議して壮絶な焼身自殺を遂げました。

これらの死は、けっして否定されるべきではないと考えます。

しかし、平和のためといいながら、自国民を兵隊として死地に送り込んできたような国家指導者は、はたして平和の貢献者と言えるでしょうか。答えは否だと思います。むしろそれは、最も平和に敵対する愚行と定義づけなければなりません。

結論です。

「お前の最愛の人の命と引き換えに、世界に平和をもたらしてやろう」

こんな提案してくる者は、平和のそもそもが分かっていないんですよね。となれば、もたらされる「平和」も、インチキきわまりないものでしょう。

今、世界は「テロとの戦い」という名のもとに殺し合われた結果のインチキ平和が、アフガンにもイラクにも、捨てるほど転がっています。そこからさらに新しい殺し合いが頻発しています。そんな偽の平和なら間に合ってます。

◎質問者からの返答

長文ありがとうございます。

質問文中の悪魔、というのが悪かったのですかね。なんか皆さんに警戒心を与えてしまっているような。


こちらで定義も示さずに質問したのも悪いのですが、今回いただいた回答は

1.平和とはこういうものだ

2.この人物のいう平和は自分の定義と矛盾している

3.だから信用ならない、現状維持が良い

というお話ですよね。


「平和」の定義がTomcatさんのいうとおりかどうかは分からないのですが、「こいつは信用なら無いから現状維持」という話とは別に、仮にこの人物が信用するに足る人物であって、最愛の人の命との交換が成立した直後からTomcatさんの定義するところの「平和」がもたらされるとしたらいかがでしょうか。

単純に、両者を秤にかけるとしたらどうなるか、ということですね。


5 ● ai_hika
●11ポイント

1)家族(不特定多数と言われようが、比べようがないくらい大事なので)

2)最愛の人の命

3)私にとって、知らない人間の命より、最愛の人の命の方が大切だからです。

自分のことも満足にできない人間が、それ以外の人のためになにかを思い何かをするなんて、自己満足でしかないと私は思います。

私はまず、私のために、最愛の人の命を守ります。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

とてもシンプルで、素直な回答ではないかと思います。

たぶん私も聞かれたらこういった回答をするんじゃないでしょうか。


この質問をしたそもそものきっかけは、

「自分の命を捧げて人のために」

ということは崇高かもしれませんが、その人のことを愛する人のことはどうなるんだろう、と思ったのが始まりです。

(うまく説明できませんが…)


相対的に見れば、自分の最愛の人の命というのは最愛の人から見て自分の命のことになりますよね。

もちろん誰が命の扱いを決めるか、という点が重要ではあると思うのですが…


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