全く狂わなければいいんじゃないの?
0.000000000000000000000001すらも。
そしたら消えるでしょうね。
法で裁いてもらったほうがいいと思います。
仕返しでおあいこというのは小学生レベルですね。
戦争とか大きなものになると裁く人がいないですから・・・
だと思う。
被害者加害者双方の言い分があるでしょうし、状況にもよります。
ネタとしてはあんまり。
日本には「人間性」という言葉はなかったようだけれど、
人間のほうが畜生よりはマシだという概念は普遍的に存在していたと
思う。
今の日本では、人類が未来にいけばいくほど
畜生よりも人間のほうがよりマシになっていくという
期待、理想、常識が通用しなくなってきていると感じてしまう。
どんな?
集団になると無理だろうね。
が法学的には私的復讐は有ってはならない。
心の中だけにしまえればいいだろうし、
家庭や恋人では憎しみに憎しみで返すことも有りかもしれない
しかしひとたび「復讐」を行えば、
最終的に司法が裁くまでおちてゆく悪循環が起こる。
社会とか、人の目とかはそういうふうに働くものだ。
憎しみを(隠して)持っていることだけでも
そんな人とは付き合いたくないとか
そんなストレスがあっては長生きできないだろうという人も多い。
まして、自分のやり方で復讐しようとする
(=悪意を行動に出す)人はなんらかの社会的制裁を受ける。
法治国家で許された復讐は司法にゆだねるしかない。
でもまあ、例示のサイト自体が、
アンブローズビアス「悪魔の辞典」を踏襲するかのような
ネタサイトですし、復讐と憎しみを切り分けて書いてくれないのに
まじめに考えてもしかたのないことですね。
私ならこのようなサイトにはあまり近寄らず、
必要ならば「悪魔の辞典」を500円の文庫で買って読みます。
かな。
世の中には沢山あると思う。
ン、でも「憎しみ」とは?かぁ…
ネタというよりも純粋な疑問ですから
もうチョイ説明を
日本のようにきちんとした法治国家であればその考えは通用しますが・・・
それに復習の方法は、やられたことをそのまま返す事だけが復習ではありませんから合法的な方法だってあります。
法というのはあくまで人が決めたルールであって、頼るものではなく利用すべきものです。
極論ではありますが、もし戦争を始めた2つの国があったなら両方とも滅んでしまえば殺し殺されの循環はなくなりますよね。
状況によりけりなんですよ。
あと二つ。
必殺仕事人に頼むしかないでしょう。
現代でも復讐屋がありましたね、非合法だけど。
不可能だということ。
一人残らず馬鹿だから。
相手に憎悪を与えるとき、自分はプラスを得る(と思い込む)
憎悪の倍返しはぷよぷよの例えを用いると
おじゃまぷよの打ち合いなのではと思います
よって、どちらかが「ばたんきゅ」になるか
(憎悪の)ゲームに飽きるまで終わらないのではないでしょうか
それとも、1悪1和1か?
その者は数年経ったら刑務所から出てきます。妻と子供を殺された旦那は泣きながらこう言いました。「刑務所から出てきたら私のこの手で殺す!」と…
彼のこの言葉をだれが責めることができるだろうか?
さらに彼はこう言いました。「死刑を全うすることで罪を償ってほしい。」と…
法は時の為政者によって常に都合のいいように作られている。
だからこそ、法は万人にとって決して平等ではない。
憎しみや怒りの感情は、理不尽なこと不平等なことがその身に起こることでもたらされる。
加害者、被害者双方の心の秤が水平になるように、復讐心を抱かなくてすむような真の平等を目指した法を作るように、私達が働きかけていかなければならないのかもしれません。
あと利用と頼るは客観的には同じことでしょう
要するに、心構えの問題としてはどう捉えるのもありだけど、
破滅にまわりを巻き込もうとしたら回りは当然どうやってでも
(法を改造したり新作作ってでも)止めるよということ。
でももともと引用先の文章が論理的に整合してない悪文だから
これ以上の議論は無意味。
個を重んじる風潮が、社会の広がりを感じさせなくなっている気がします。復讐にしても、それは当事者同士で完結できればまだしも、必ず周りの誰かがそれに巻き込まれる事を考えていない事が問題。心理学からのアプローチとしてもサイトならいいですが、好き勝手な議論は、もっと狭いコミュニティでやってほしいな。
宇宙の法則、「自分が出したものが自分に帰ってくる。」
「なにも罪の無い人がどうしてこんな酷(ひど)い目に遭うのだろう」と言う言葉を聴きます。
これは、魂の連続性を知らないからです。
一つの人生だけを考えると理不尽に思われます。
ひとつの魂が経験するたくさんの人生に連続性があると考えた場合、自分が出したものが返って来ていると考えると
悪の連鎖は自分のところで断ち切らなければなりません。
人を憎んでる人の険しい顔をテレビでみていると虚しくなりますね人間でいることが。
加害者側は「事故」であると考えていても、被害者は「故意」を疑いますし、「悪意」の有無についても双方が納得する様なものは得られないでしょう。だから案件に応じて考えるしかないのでは?
それと「人それぞれ」
注意書きの「絶対に倍返しの復讐してはいけない。」部分は無視されて、復讐やりすぎて不幸になる、というバターンも多いかも。
複雑っぽいサイトですね・・・
そのパターンもありますね
そうかもしれませんね
難しいですね
人間でいることが・・・なんか・・・ですね
最悪なパターンですけど、たしかにありそうですよね。
アメリカなんていい例ですよね。ビル一つ壊されただけで2つの国を崩壊させたわけですから・・・
例えどんな愛し合った家族ですら自分以外は他人ですから、
言葉の意味を言うと『利用』は能動的、『頼る』は受動的意味合いです。
>>要するに、心構えの問題としてはどう捉えるのもありだけど、
私が言いたかったのはそれです。実際に復讐しなくてもそういう心構えをしていれば憎しみの輪が大きくなる事は無いんじゃないかと思っているわけです。
最後に、物事は大きな目で観ることが必要です。絶対的な事なんてありはしません。この考え自体も絶対ではありません。
そんな人がいたら神のような存在でしょうね。
そのとおりです。
人間が生まれてくる目的は人生を通してあらゆることを勉強、経験するためです。
何のために、あらゆることを勉強して、経験するのでしょうか。
究極の目的は魂を神と同じレベルにするためです。
初めからそんなことができる人であれば人間として生まれてくる必要はありません。
少しでも神に近づこうとしてのた打ち回って苦しんでいるのです。