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封印された日本の古代史。日本は【アイヌ人】の国だった?!日本という国は元々多民族国家で、アイヌ人を始めとする少数民族のもので、今でもその土地名を使用している。教科書では縄文・弥生の文化は教えるが、そのことは書いていない。
日本は昔の朝鮮半島の百済出身の【神武天皇】による大和侵攻により、他民族を支配し日本を形成していった国なのでは?!教科書でもそれを改めるべきであると思いますがどうですか?

●質問者: rthuk
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:アイヌ 古代 土地 多民族国家 大和
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 22/22件

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[1]隠されていませんよ。 fuk00346jp

縄文・弥生時代に主流二系統(南方系、北方系)が入ってきたのは御存知の通り。

東北、九州は早々に大和朝廷に合流

※一部に蔑称が含まれますが御容赦を

百済の王朝が滅んだ際日本に難を逃れています。で、この一族は姓に「王」をつける事を許されていました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88%E7%8E%8B_(%E8%B2%B4%E6%97%8F)

百済王


[2]普通、支配した側の言語になるけどね ssbi

まあ、百済は日本語だったかも試練


[3]支配と言うより・・・ kosibe

弥生時代の渡来人の流入は、支配したということではありません。朝鮮半島から亡命してきた人により、文化が伝えられて稲作が広がり、混血により、弥生人が成立した。その弥生人の中で、数百年かけて国家が形作られていったということになります。

朝鮮民族による大和侵攻説・・・5世紀ごろに騎馬民族が来て大和朝廷を作ったという説は、昔はやりましたが、いまは支持されていません。


[4]>1 公開情報ですょね。 sougetsu

古事記・日本書記にも、半島から来たニニギノミコト一派に、日本先住アマテラス系のオオクニヌシノミコトが支配権を譲るストーリーが書かれていますし。。。アマテラス系一派も、大陸からやってきたんでしたっけ?

「蛇」信仰系先住民族は、「土蜘蛛」と呼ばれたりしたとの説も(by荒川紘さん)。ニニギ一派による彼らの征圧クロニクルは、やがて「昔話」に溶け込み、口伝されて続けてます。。。


[5]議員さんで t-saitou

日本は単民族国家と言って叩かれれた時がありましたね、え?と誰だっけかな。


[6]古代史 yucken

古事記以前の歴史は話半分かな?とか思うので、教科書に正しい記述をする事自体が難しいのかな、と考えます。「ずっと単独民族だった」というのは明らかな誤りで、そういう記述は教科書から消すべきですが。

とはいえ、アイヌ人とか、熊襲とかの話題がもうちょっと書かれていた方が面白いかも知れません。古代日本は結構国際的だったんだなあ、って思えると、学ぶ方も楽しいでしょうから。


[7]日本は元々他民族国家ではありません。 marinelake

例えば、アメリカ合衆国は元々ネイティブアメリカンが住んでいましたが、国家はありませんでした。北アメリカという大陸があっただけです。

日本も大和朝廷ができる前は、集落や土豪らしきものはあっても、他民族国家なる日本国はありません。日本列島とう島があっただけです。

日本が他民族国家になったのは琉球やアイヌを併合してからです。


[8]確かに suikotei

誰かは失念しましたが、3?4世紀に大陸からわたってきた

人物(一族)が、当時の天皇にとってかわったという説も

あるようですね。

だから、天皇家も神武からずっと同じ系統ではないと。

確定できる資料がないだけに、信憑性には欠けますが、

古代日本は、今よりもっとたくさんの人種が存在した

のではないかと思われます。


[9]>4 朝鮮半島から来たという記述はないとおもいますが rthuk

ごく最近の教科書は見てませんが、神話のはなしとして天(アマ)からやってきたと記憶してますけども。


[10]アイヌが先住民族だったという記述は rthuk

どの教科書みてもないですよ。縄文・弥生としか書いてない。

意図的に侵略して奪ったこの国をごまかそうとしているのでは?

もとは朝鮮人と混じっているのでそれも隠しているのでは?


[11]>7 少数民族によるミニ国家・・・見解の違いとおもいますが。 rthuk

ネイティブアメリカンもひとつのミニ国家だとおもいますし。

琉球・アイヌ・熊襲・隼人他もっと沢山の少数民族国家があったと推察されます。

お互いに侵略しあって混血を繰り返していたらしいので、(魏志倭人伝)複合民族国家、多民族国家で間違って無い様に思います。


[12]>9 ごもっとも。 sougetsu

記紀に「半島」とか「大陸」とか書かれてるワケぢゃないですょね、、、学生やっ児童は、原本ではなくて、解説本かダイジェスト版を読むでしょうから、そちらには、現在の通説が書かれているかと思います。

もちろん歴史や神話にでも興味がないと、学生は記紀なんて読まないですし、まだまだ学校の教科書の影響力が大きいとい意味で「改定」が必要だとおっしゃてるんですね。


[13]>8 天皇家について kosibe

実在したと言われているのは10代崇神からです。

国家らしいものができたのが、そもそも4世紀ごろです。

4世紀?5世紀は5つの勢力で王朝が交代していると言われています。

おもしろいのでは、壬申の乱(7世紀)は、新羅人によるクーデターだった(天智天皇は新羅人)という説があります。


[14]私は天照=卑弥呼、邪馬台国=北九州説です matsunaga

弥生文化は半島よりも、中国長江流域から直接もたらされたものの方が多そうです。また、日本人は呉の大伯の子孫という伝承もあり、そちらに興味があります。百済はまだありません。

縄文人は南方の要素もかなりあります。そして、弥生人が大陸系の性質を色濃く伝えていること、アイヌは言語的にも遺伝子的にも北方的な要素が強いこともまた事実です。

私は神武以降すべての天皇が、数だけはいたのではないかと考えています。天孫族がどこから来たかは断定しませんが、その配下の久米氏はクメール人の可能性もあります。

国津神とされる系列として、出雲・大和、吉備、丹波、越などがあり、さらに土蜘蛛・国栖などがいます。もちろん隼人なども忘れてはなりません。

天孫族は、出雲の国譲りの話に残る出雲制圧を行ない、それから天孫族物部氏系が大和へ移住して原住民との混成政権を作り上げた。その後、神武勢力が北九州から大和へ侵攻し、物部・蝦夷連合政権を支配下に置いた、と考えています。

その後、物部・蝦夷連合は東方へ移り、それを追って大和政権も勢力を拡大していった。

したがって、単純に征服というだけでなく、混血・混合していった面も多いでしょう。

さて、蝦夷がアイヌかというと、これは疑問があります。むしろ、北上した蝦夷が、北のアイヌ文化にとけ込んでいった可能性もあります。

日本の地名で、アイヌ語起源とはっきり言えるのは、東北以北だけで、あとははっきりとアイヌ語とは言えません。有名な富士山=フチ(火の山)説も根拠が曖昧です。世田谷のセタはアイヌ語で犬ですが、では世田谷は犬に由来するのかといえば、それは憶測でしかありません。

谷川健一氏の「白鳥伝説」をお読みになれば、蝦夷と大和朝廷の関係が見えてくるかもしれません。

日本人が混血の多民族融合であることは事実です。しかし、「百済がアイヌを征服した」という表現では誤りになってしまいます。もっと厳密な言い方が必要でしょう。そして、その多民族国家形成が神武以降とするのも時代錯誤です(神武は4世紀初頭の人物と考えています。そして、百済は時代的に合いません)。


[15]>14 いろいろ kosibe

DNAから考えると下のようになるようです。

「日本列島には左の6つのコースで入ってきたと考えられる。このうち中国東岸からと沿海州からの両海上ルートは航海技術が進んでからの移住経路である。血液型の存在比の勾配やらミトコンドリアDNAなどから次のステップで日本人が成立したと考えられている。従来からの定説であった二重構造説と大きくは違わない結論である。(1)チベット人と別れた古いタイプの東南アジアの集団が旧石器時代に入ってきて縄文文化を担った。(2)次に東北アジアの集団が渡来して弥生文化を担い、(3)先住民と混血が進んだが、(4)アイヌと琉球では混血の割合が少なかった。(5)アイヌではオホーツク文化の担い手との混血があり、(6)琉球では大陸中国からの移住があった。」

http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/books190.htmより。

また、アイヌと沖縄の人々が、縄文人と近縁関係に関係にあるようです。

また、最近の考古学では、卑弥呼時代すでに前方後円墳の築造が始まっており、大和地方ではじまった前方後円墳が、4世紀、5世紀と他の地域に広がるようです。それから考えると、卑弥呼以降の時代に西方から来た勢力が大和地方の勢力を制圧したと考えるのは、無理があるのではないかと考えます。

また、国譲り神話は、ヤマト政権が出雲政権を支配下に置く過程の話と考えるほうが自然ではないでしょうか。

また、記紀は、史実とともに、神話、政権による全くの創作もありますので、どこまで信用出来るか分かりませんが、それに近い事実があったとしても、先に大陸からきて定住していた勢力に、あとからきた勢力が割り込んだという話になるだけで、異民族を侵略ということにはならないと思います。

それにしても、記紀の話は変な話ですね。国を譲ってもらって地上に降りたのに、何故か九州の南の方に定住。100万年以上立ってから、ようやく国の中心に向かって東征する。しかも10数年かかって大阪に着いたと思ったら、戦に負けて、南へ迂回して険しい吉野を通り、謀略を使ってようやく大和盆地にはいるという話です。標高1000メートルの険しい山道を大軍が通るなんて無理があります。日本軍のインパール作戦か、ポートモレスビー攻略を思い出すような話です。


[16]>15 補記 matsunaga

DNAの件はそのとおりだと思います。

言語的には、環日本海言語圏があり、その中で朝鮮語とアイヌ語が近く、原日本語は少し離れているというデータもあります。沖縄の言葉は原日本語に極めて近いのです。

このような重層構造は常に考えないといけないでしょうね。

天孫族のニギハヤヒが神武以前に大和の民を制圧していたという伝承もあります。ナガスネヒコとニギハヤヒの血縁関係は、少なくとも異部族の共存を描いていますし、また、蝦夷と縄文人の連続性もかなり信憑性が高いと思われます。

出雲の神々と大和の神々は共通性が多く、天孫族はその出雲/大和系の神々をいかになだめるかということが神話に書かれています。したがって、出雲・大和連合と天孫族が別勢力と考える方が合理的と思われます。

記紀の話は、年代についてはまるであてになりませんが、たとえば日向は「ひなた」であり、東の山麓を示すという見解もあります。また、ニギハヤヒ/ナガスネヒコ連合は河内の日下を本拠として大和を押さえていたと同時に、熊野で協力者が得られたとすれば、取り立てて疑問視すべき所ではないようにも思います。


[17]>12 スサノオは新羅経由で matsunaga

高天原から出雲に行ったという記述が日本書紀にあります。

しかし、ニニギが半島から来たとは書かれていません。


[18]>7 それは変。 matsunaga

当時、ネイティブアメリカンには部族があり、これは初期の大和朝廷くらいの規模にはなるのではないかと思われます。

また、イロコイ同盟などの政権があり、実はアメリカの民主制はこのイロコイ同盟も参考にされています。

したがって「国家」という定義にもよりますが、政体が存在したことは間違いありません。

さて、日本国という国名になったのは天武持統朝のことです。それ以前に日本という国はなかったともいえますし、それ以前の王権から日本の国の伝統が続いていたともいえます。

また、民族という定義ですが、もともと日本人が多数の民族の混成によってできています。渡来人も多く、天武が朝鮮系という説もあるくらいです。したがって「日本民族」が単一民族というのは誤りで、もともと混血民族と考えるべきです。

また「琉球やアイヌを併合して多民族国家になった」というのであれば、沖縄・アイヌは日本人ではなかったと考えているのだと思いますが、日本人と沖縄人の近親性は非常に明確です。また、大和朝廷の支配下にも、rthukさんがおっしゃるように隼人・熊襲・蝦夷その他多数の「アイヌ・沖縄と同程度には異民族の人たち」がいました。

神話にも天津神と国津神の2系統に加えて、土蜘蛛・国栖などの蝦夷系と思われる集団が記されており、これらは明らかに別民族と認識されていたことは間違いありません。

したがって、日本人はもともと混成民族であり、日本はもともと多民族国家であったと言い切れると思います。


[19]>14 邪馬台国 kubira711

邪馬台国が纒向政権のことだとしても、そんなことよりも初期の政権が

北九州、丹波、出雲、尾張その他の豪族の合議でなりたっていたことは

間違いなさそうなのでそれでいいのです。

記紀はそのことを知っていてなおかつ天皇家の正当性を盛り込むことに

腐心しているわけです。

この纒向政権の威光はあっという間に関東以南へ広がっていきました。


[20]>19 大和朝廷の成り立ち kubira711

大和朝廷の成り立ちは間違いなく原始共和制だったのですが

すぐにこの和は乱れてしまって、日本が内乱状態になったのも

また事実です。

しかし最後は徹底的なバトルロイヤルになる前に天皇家が

「わかったよ、あんたが大将でいいよ」という形で国譲りを

受けたと考えるのが一番世界史的な例から言っても自然です。

なぜアイヌが衰退したかと言えばやはり人種的、地理的、言語

的な隔絶があって、この纒向の原始共和制のメンバーからハズレテ

しまったからでしょう。


[21]NHK「日本人は何処からきたか」の番組内容によると rthuk

DNAをたどるとロシアバイカル湖周辺にすむ少数民族にあたります。

氷河期に歩いて樺太を通って、北海道東北と南下してきた、とありました。

だとすると北海道あたりに大和民族が棲んでいた証拠が見つかるはずですが、何もでてこない。あるのは弥生式文化のなごりだけ。

これだと本当に来たからわたってきたのか不明です。


[22]>16 国栖、土蜘蛛、アイヌ、縄文人は同じなのでは? rthuk

土蜘蛛、国栖というのはあまりデータがありませんね。

土蜘蛛というのは胴が短くて手足が長かったそうですが。

白人系ですか?いや白人系は秋田に一部に存在したから違いますね。

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