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太平洋戦争が、よく言われるように無謀な(=勝ち目のない)戦争であったかどうかを調べてみようと思っています。
無謀であったかどうかは「勝った!」と見なすラインをどこに引くかによって変わってきます。
例えば日露戦争は戦線を注意深く限定し、早くから講和の算段をしていたので、ロシアという大国相手であっても「無謀な戦争」にはなりませんでした。
そこで質問です。
太平洋戦争の開戦にあたって、日本の戦争指導部は「何が、どのような状態になったら勝利」と考えていたのでしょうか。
例:「米本土に陸軍が上陸して、アメリカ全土を占領したら勝利」

例えば開戦直前、昭和天皇に「絶対に勝てるか」と問われた杉山参謀総長が、絶対とは言えないが見込みはありますと回答したそうですが、このとき杉山参謀総長は(あるいは昭和天皇は)勝利ということを「何がどうなること」とイメージしていたのかが知りたいのです。
できれば、何々を読めば書いてあるよ、という情報が欲しい。
よろしくお願いします。

●質問者: tgk
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:アメリカ イメージ ロシア 上陸 参謀総長
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 17/17件

▽最新の回答へ

1 ● flying_baobab
●13ポイント

失敗の本質 日本軍の組織論的研究 という本のご一読をおすすめします。

組織が未熟で、当事者全員が思い思いの勝敗ラインを勝手に引いていたのが敗因ではないか。

http://books.yahoo.co.jp/book_detail/18472494

◎質問者からの返答

ありがとうございます。読んでみます。

> 当事者全員が思い思いの勝敗ラインを勝手に引いていた

これがその通りだとしたら、こんな状態で戦争した国って歴史上他にあるのだろうか。

ゴールが決まっていなかったら、兵力の配置・開発する兵器・次の作戦対象・その他もろもろ何も決められないような気がしますが...


2 ● hanjuku
●13ポイント

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569645305/hatena-q-22/re...

「マクロ経営学から見た太平洋戦争」もおすすめです。

マクロ経営学から見た太平洋戦争 (PHP新書)

マクロ経営学から見た太平洋戦争 (PHP新書)

  • 作者: 森本 忠夫
  • 出版社/メーカー: PHP研究所
  • メディア: 新書

戦力パリティに関する考察や日本軍の戦費は、1938年頃にピークに達し、太平洋戦争開戦当時には、すでに漸減傾向(つまり、明らかに疲弊していた)であったことなどは、「勝ち目のなさ」を示していると思います。

参謀本部が勝利条件をどのように捉えていたのかは、今となっては誰にもわからないかもしれません。

アメリカ国民は惰弱ゆえに、緒戦突破すれば講和するという目算であり、長期化したときの見通しは、レトロスペクティブにみる限り、無かったとしか判断しようがありません。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。森本氏は「魔性の歴史」というのを読んだことがあります。

おおざっぱに言うと「日中戦争でいっぱいいっぱいなのにアメリカと戦争したのは無茶だ」という話でした。

普通に考えればそういう理解になりますが、それ以外に当時の日本の行動を理解する方法はないのかなーと思ったものです。


3 ● すだこふつ
●13ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B...

戦史叢書。

65、68、69、70、76巻 大本営陸軍部 大東亜戦争開戦経緯1?5

100、101巻 大本営海軍部 大東亜戦争開戦経緯1、2

軍が何を考えていたのかお知りになりたいのならこれがお勧めですね。

入手は困難ですが大きめの図書館には大概置いてありますので借りてみてください。


詳しい話は紹介した本を読んでいただくとして、簡単に言うとこんな感じ。

戦争目的:大東亜共栄圏樹立。東アジア一帯を日本の植民地もしくは属国にすること。

勝利条件:大東亜共栄圏をアメリカに認めさせ講和する。

その為の手段:ドイツに欧州で勝ってもらう。アメリカも孤立すればこっちのいうことを聞くだろう、それまで適当に暴れてよう。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。これはよさそうな資料ですね。探してみます。


4 ● koujirou2007
●13ポイント

当時の日本政府首脳部の課題は、1)満州国の承認と2)石油禁輸の解禁が最大の目標だった。その目標でアメリカと対米交渉を行ってきたが、アメリカの態度は煮えきらず、態度を明らかにしなかった。一方、国内経済が一向によくならない日本は、戦争に踏み切れば米国の譲歩が引き出せるかもしれないと考え、開戦に踏み切ったという理解です。

従って、この2つをアメリカが認めさえすれば勝利と考えていたと思います。杉山参謀長も天皇もそう理解していたはずです。昭和天皇は、米国で日系人移民が人種差別を受けて苦しい生活を余儀なくされていることに憤慨されていた、とのエピソードもあります。

ソースは小島襄氏の「天皇」。リンクは後で見つかればもう一度答えます。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。こちらの本ですね。

http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%80%88%E7%AC%AC1%E5...

アメリカをどこまで叩けば、満州国承認と石禁輸解除を勝ち取れるという判断があったのだろう?


5 ● pasosavi
●13ポイント

こちらに似たもの質問があって

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=...

saiphys氏の回答が、

小生が海自(海上自衛隊)の幹部学校で戦史を教えていた父親から聞かされていた、

現代の自衛隊の視点から見た一般論にかなり近いように思いました。

勝敗ラインの引き方は陸海で一致せず混乱していたものの

ミッドウェーですべての方向が決まってしまった、というものです。

それまで緒戦で勝ち続けていた精鋭と装備とがこの時に大きな打撃を受けたため

相手に一矢報いる術がなくなってしまったそうです…

(少数精鋭が多数非精鋭へと転換した


こちらが詳しいですね…

http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/gendai/56-dainiji4.html

この資料も父親から聞かされていた話と一致しています。

つまり、明確なラインが開戦前に設定されていたというよりも、

真珠湾への奇襲で米国の太平洋艦隊を壊滅させることに成功したので

あとは数ヶ月で大東亜共栄圏内での物資の確保の確立に努めるのみ

英米はヨーロッパでの戦争もあるので恐れるに足りず

ということだったようです…

最終的に日米が一騎打ちで消耗戦などという構図は開戦時にはなかったはず

◎質問者からの返答

回答ありがとうございます。

ミッドウェーで敗北したのが致命傷になった、という話はよく聞きますが、ミッドウェーの作戦てハワイ攻略のためのステップだったんですよね。

ソースは忘れたけど。

ミッドウェー・ハワイを落とすことに成功していたら、その後日本はどこまで行くつもりだったのか。

どこまで行くかはミッドウェーを狙った時点で決まっていたはず。なのにそれが書いてある本がなかなかない。不思議だと思っています。


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