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精神科患者の自己決定権について・・・意識調査(再度)


下記のような場合を、どう思われますか?例えばですが・・・

患者は、ある医師に治療を受けましたが、信頼が出来ず、別の病院に移りました。治療方針に一貫性が無いと患者が混乱するという事で、別の病院でも、その病院の担当医のやり方では無く、最初の医師の方針で治療を行うようにしました。また、さらに、周囲の人が別の事を言うと患者が混乱するという事で、周囲の人にも同じようにさせ、最初の医師の決めた方向に心的誘導をし続けました。これは全て患者に隠してされました。

(患者は、混乱はしません。患者はそういうものだと認識し、治療はスムーズに行き易いです。ただ、本来得られる自然な機会を奪われました。自然な状態で、それぞれの人に関して、また、事象に関して、正しく状況・環境を把握していたら、違う事を感じ、違う選択をしていたかも知れません。長期的には、そのために患者が本来無かった苦しみを抱える可能性があります。逆に、本来無かった幸福が生まれる可能性もあります。)

この行為は、しても良い事ですか?

【Yes】 OR 【No】 +そう思う理由・背景は?

●質問者: A4A3A3y
●カテゴリ:政治・社会 医療・健康
✍キーワード:yes スムーズ 一貫性 医師 幸福
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 43/43件

▽最新の回答へ

[1]【YES】患者の「感情」vs 医者の「本義」 j1_surplus

これが裁判の場合、

「この治療法を呑むくらいだったら、治らない方がマシだった!」

と主張されたら、医者が負けます。

そういう時代だから、我が身が可愛い医者は【NO】にすべき。

しかしですねぇ、

患者の自己決定権に応えるのは、あくまで二義的なことです。

医者の本義は治すことです。

そもそも、前の医者の方針を継いだのは混乱を避ける為だけではないでしょう。

やはり、その治療法が正しいからです。

唯一絶対の正解ではないかもしれませんが、

少なくとも、誤った治療法だったならば引き継げないでしょう?

正しい治療法であるのに、患者が嫌がる、というのであれば

嫌がる人に苦い薬を飲ませるのと同じです。

つまり、糖衣に包むなどして、誤魔化してでも、正しく治療するべきです。

だいたい、病気は、早く確実に治すのが最優先です。

患者は一人ではないのですから、

限られた時間で、一人でも多くの患者を助けたいというのが

医者の「本義」でしょう。

勿論、「ただ単に治るだけではなく、

自己決定権を十分に保障された上で治りたい」という

患者の個人的な「感情」を否定する気はありません。

むしろ、ドンドン主張してよいです。

ただ、主張したからといって、

皆の権利が十全に通るわけではないというだけです。

結果として、患者が「医者不信・病院嫌い」になっても構いません。

悲しいけれど仕方が無い。

患者さんが元気にさえなってくれれば!


[2]>1 貴重なご意見ありがとうございます。 A4A3A3y

書き込み、ありがとうございます。

もし、可能であれば、さらに質問させて下さい。


1)精神科患者の場合、そういった形で元気になりますか?


2)「この治療法を呑むくらいだったら、治らない方がマシだった!」と言う方がいたら、その治療はしないか、本人が納得するまで話し続けるべきだと私は思います。(時間が無いというのは医師の事情ですので、医師の事情で話していられないなら、患者の要望を聞くか、何度かに分けて話すか等すべきだと思います。)

私個人は、死を選ぶ権利も患者にあると思っています。医師ではなく患者の人生です。また、人の価値観・意志そのものが人の存在・尊厳であると思っています。そんな価値観を持ち、伝える患者にも、そうしますか?患者の価値観や意志はそれくらい軽視されてしまいますか?


3)医者が、正しくない事もあります。また、価値観の相違の問題もあります。患者を騙して治療を行った場合には、正しく無かった場合には、患者の選択でも無く、患者が背負う事になり、本当に大変な事ですが、その辺りのリスクはどう考えていらっしゃいますか?


4)本人に分かった場合や、本人が周囲に対して何らかの不信感や不安感、不自然な感じを持った場合、人と人との本来の関係や環境を歪めてしまう場合など、本来起こらないはずの弊害が起こる事があると思いますが、それについてはどうお考えですか?どう対処していますか?


可能な範囲で、宜しくお願いします。(いわし形式でこんなに質問するのは、なんだか申し訳ないです。済みません。)


[3]>1 精神なら、患者が医療を信頼して納得しない限り元気にはならない takahiro_kihara

だから、その患者に関しては矛盾してますよ。

その患者は見捨てて、他の患者を救う、というなら、話は別ですが、

万が一自殺でも使用もんなら、責任問題に発展すること疑いなし。


いずれにしろ、皆さんまだ精神科への偏見が強いように感じますが。

質問者・解答者の中で、実際に精神科を受診したことのある人ってどれくらいいるのかなぁ?


[4]>3 偏見? A4A3A3y

精神科への偏見が強い?というのはどういう意味ですか?


[5]>4 精神科の患者=気違い takahiro_kihara

と見ている人が多いんじゃないかな、という意味です。

僕が時々使っているキチガイ、という言葉は、文字通りの意味で、

通常の人とは違う、ってことです。

でも、この問題は突き詰めて考えてゆくと、「普通」って何だろう?ってことになってしまいますが。


[6]>3 信頼は重要。 A4A3A3y

私も、信頼関係や患者の納得感は重要だと思います。


*ちなみに、精神科医療の問題に触れており、私(質問者)自身も精神科に通った事があります。私も驚いていますが、本当に精神科では、平気で患者に嘘を伝える心理・医療関係者がいます。(精神科患者だからそうして良いと思っているようなのです。この質問は、そういった方々の気持ちや意識を理解するためと、一般的に患者の人権はどのように考えられているのか知るためのためにしました。

また、お願いします。


[7]>5 普通?難しいですね。 A4A3A3y

普通(正常)も、精神障害も、それぞれの病名も、誰かが作った枠組みで、枠組みの作り方が違えば、ある病名は個性の範囲になっていたかも知れませんし、個性が病気になっていたかも知れません。普通の概念だって、人それぞれで、広範囲な枠を持つ人も、狭範囲の枠で縛る人もいますね。それに、正常な人でも色々な人がいるし、人には様々な側面もあります。

病気・・・なんてそれくらいのものなのだから、普通と大きく変わらない感覚で、出来る限り価値観や意志を尊重され、普通の対応を受けられるべき。と思います。


[8]病院を変える際 booboo_002

医療内容に納得がいかずによその病院に移る際、紹介状(診療情報提供書)を提出したのではないでしょうか。

措置による入院であった場合や、公的補助を受けたりしている場合に、診療情報が患者の知らないところで交換される場合があります。措置の場合は、診療情報の交換は致し方ないと考えられる側面があります。

また、精神科治療の主たる手段である投薬は、厳重に医師の管理下で行われない場合に急激な悪化の原因になることがあります。そのために、診療情報を提出されている場合には、以前に行われていた治療内容から、患者の様子を観察したり、訴えを取り入れて徐々に変えていくというのが一般的な方法としてとられるように見受けられます。

このような経験がある患者さんは、診療情報を提出しないで他の病院を受診する場合があります。いわゆるドクターショッピングです。ドクターショッピングで、相性の良い先生と出会う機会も、実際にあると思います。


薬に関しては素人ではありますが、実際に投薬内容の変化によって人がどのように変わるか目の当たりにしている立場から、ある程度よりも重篤な症状で長期間服薬していたり投薬量が多かったりする場合は、危険なことだと思います。

(精神医療施設を経て、精神障害者福祉にかかわる仕事をしています)


[9]反対です。 odorukuma

やはり、病状に対応する全ての治療方法やその考え方について詳しく話し、患者がその中から決めるべきと思います。それこそ、2?3人ほどの医師に診てもらうべきと思います。

そうでなければ、正常な判断能力のある患者は治療法の選択ができなくなってしまします。


[10]>7 例えば、有名な話で、 takahiro_kihara

アインシュタインは現在の基準ではADHDにされていたのではないか、という話があります。


人間の脳は一人一人違っていて当然なのですから、一人一人をもっと尊重しないとならないのだ、と思います。

現代の社会では、今までの反動で、例えば教育基本法の改正なんかでも、「普通」という枠組みに閉じこめる方向に日本が向かっているように思えます。

もちろん、一億の人がこの狭い国土の中で、皆勝手に動き始めたら、それこそ収拾がつかなくなり、それはそれで困った事態になるのでしょうが。


結局、精神の病の場合「気の持ちよう」なのではないでしょうか?

要は、運が悪かった、と。

僕は、そう思うしか仕方ない、と開き直っています。


[11]>10 同感です ssbi

多数決みたいなものですね、多い方が普通で、少ない方が異常。

医者も含めて精神病の人間に囲まれた環境だと、正常が異常になり

異常が正常になり。。。まあ、運が悪かったと諦めるしかなさそうです。

みんな必死になって普通になろうとし、凹凸なしタイプになろうとし

例えそのモデルがアブノーマルでも、ノーマルとして映り

自分はノーマルだということを非常識、無礼な行為でアピールする。

私はもはや、収拾がつかない状態になっていると思いますよ。

一人一人の自覚、勇気が必要だと思いますが

どうも無理っぽいですなw


[12]>10 運が悪かったとは? A4A3A3y

済みません。

運が悪かった?というのはどういう意味ですか?

そんな状態になっちゃったのは運が悪いせいで、そうあきらめて、その状態や社会からの扱いを、そのまま受け入ている?受け入れなさい?という感覚ですか?

なんだか反論のようで申し訳ありませんが・・・

私は、精神病を、「気の持ちよう」とは思っておらず、「違う状態」ではあると思っています。また、その状態になるには、大抵の場合、原因・理由・背景があります。その背景理解や解決によって良い状態に戻れる場合が沢山あるし、病気はその人の一部で全てではない。と思います。

「違う状態」だからといって、人間として、意志や価値観が全て無くなるわけではないし、状態が全く戻らないわけではない。その人の持っている人間性が、他の人と同じように尊重されなくてはいけないと常々思っています。特に本人の事・人生・環境に関しては。

そんな意識でいたら、障害者との接点の中で葛藤を感じなくてはいけない世の中でしょうか?それがスムーズに受け入れられる世の中でしょうか?行政や医師や、立場のある方々・国の仕組みからは、精神障害者の人権はかなりの範囲で奪われています。自己決定権・インフォームドコンセント・開示、説明責任・・・一般の人の意識でも、それは当然ですか?


[13]>11 宜しければ教えて下さい。 A4A3A3y

さらに質問させて下さい。

*一人一人の自覚、勇気が必要だと思いますが・・・誰のどんな自覚と勇気が必要ですか?


【補足】済みません。上記で質問してしまいましたが・・・運が悪かったというのは、そんな枠組みが作られて、世間でアブノーマルの枠に入れられた事について、運が悪かったという事?ですね。失礼しました。分かりました。


[14]>9 そう思います。 A4A3A3y

書き込み、ありがとうございます。

私もそう思います。

患者の納得感を大切にしない医師の多くは、自分が絶対に正しいという前提でいらっしゃいますが、実際そうではないですよね。他科でもですが、特に、精神科の治療で、絶対と言える事は、とても少ないように思います。精神科医でさえ、「曖昧な領域ですから間違いも起こるんです」「それぞれの見解が違う事も多い。」と言います。

間違いや問題が起こったら患者に背負わせる事になり、取り返しがつかない。患者の望まない影響を与える事になるかも知れない。間違う事もあるという事を理解して、患者への説明・納得感を大切にして、患者の選択として、患者に関する全ての行為を行って欲しいです。


[15]>8 お聞きしても宜しいですか? A4A3A3y

精神障害者福祉にかかわる仕事をしていらっしゃる方という事で、さらに聞いてみたいのですが・・・宜しければ教えて下さい。

精神科では、患者に対して、治療方針や医師の行為に関する説明をしない(薬以外の部分)、もしくは、正しくしない事が多々あるように思いますが、それは下記のどのような要素が強いですか?何か経験等もあれば可能は範囲で教えて下さい。

●医師の都合・利益(時間が無くて説明していられない・嫌がる人を説得するのが面倒・上手く説明できない・患者が何も知らない方が医師がコントロールし易い 等)

●患者の人権に対する意識の欠如(精神科患者の多くは、判断力が無い状態だから、

●医師が自分が絶対に正しいと思っている。(医師が決め、医師の指示に従う事で絶対に良くなる。医師の指示に従わせるのが最優先で、患者が拒否する可能性があるなら説明しない方がいい。)

●体の状態にだけ目を向けている。(体や脳の状態の改善で全てが良くなる。納得感があっても無くても変わらない。)

●隠して行う事そのものが治療(質問のような例ですと・・・周囲は本当に最初の先生の方針に同感で、同調している。と思わせる事で、本当は人それぞれが違う事を思い・感じ・伝える事を、一方向に統一して、患者にそういうものだと感じさせて、そう行動させる・・・という形で患者の行動を医師の思う形で変えた・・・医師からすると治療なのだと思います。)など


それぞれの場所で、それぞれの風潮があるかと思いますので、ご経験の範囲で構いません。

可能であれば宜しくお願い致します。


[16]日本の精神医療に期待するな k_y

日本の医療は、点数制度によって報酬が管理されていることはご存知かと思いますが、

http://shirobon.net/18/ika_1_1/i_m_1.htm

精神医療においては大抵は「診察」と「投薬」しかないと思います。

だから儲からないんです。儲からないから、発展しないんです。

考え方。技術。医師の人間性。医師の人材。すべてにおいて。

内科、外科等は、それ以外に検査、手術、注射、等、、、点数を稼げる方法がたくさんあります。

ヤブ医者に行くといきなり大量の検査をさせられるのが良い証拠です。

鬱病でしばらく心療内科に行った事がありますが、たいした説明もなく、

ただ対症療法的に薬を出されるだけで、あとは休めと言われるばかりでした。

その薬についても、ネットで効果や副作用をしらべたところ「ロクに効かない」というものでした。

たぶんあなたは精神的な問題をかかえた家族、知りあい等をかかえているのではないでしょうか。

精神系の疾患を抱えたとき、日本の精神医療では、「精神異常は、別の疾患の結果」という判断ができません。

たとえば、「低血糖」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E7%B3%96%E5%80%A4#.E7.96....

>症状に疲労感、ふらつき等があるため、自律神経失調症等の診断を受けたり、

>鬱やパニック発作、精神不安定等の症状が出るため、精神系の薬を処方されてしまうこともある。

>多くの医者は低血糖について詳しくないため、原因が低血糖であると診断されることは少ない。

http://mariyaclinic.jp/c_lbs/c_r1lbs_/lbs_html/c_r1lbs1.html

>てんかん発作、分裂症、うつ病、神経症、などと診断されることも多いようです。

>感情のコントロ一ルができなくなり、いわゆる「キレる」という状態や、

>不安感、恐怖感、焦燥感(イライラ)、自殺観念、怒り、落ち込みなどが起こります。

>そのため、あたかも性格異常と見誤られることもあります。

>これは、その人の基本的性格にも影響されます。悪い夢を見たり、不眠となることもあります。

低血糖を治せば、精神も正常に戻るのに、精神系の対症療法薬を処方されて、いつまでも治らない人がいます。

そのほかにも、「○×の病気の結果、精神に異常が出る」というものがあると思います。

とりあえず低血糖に詳しい医療機関のリンクをあげておきます

http://mariyaclinic.jp/


[17]納得がいかないなら、診療の受け方を変えるだけでは? sarumonkey

その患者さんの状態がわからないので、このケースの医師同士の判断が適切であったかどうかは、わかりません。

しかし、ご本人やご家族が納得できず、診療にも信頼がもてない状態なら、どんな治療法であれ、「不信感」が治療の妨げになるように思います。

医師のやり方や、患者の権利云々の前に、

本当に「患者が混乱しない」と言い切れるなら、新規の病院に、行き、以前の病院の話をせずに、新規に診療方針を立ててもらえばいいのだと思います。

どんな治療法なのか、というより、その医療を信頼できない状態での治療は、患者の負担を大きくするだけだと思います。

それは、こころの病気でも、外科や内科の病気でも同じことだと思います。


[18]>17 「不信感」が治療の妨げになる・・・ A4A3A3y

私もそう思います。

別の病院で事情をわかってもらうのは重要ですね。



*「患者が混乱しない」と言い切れるなら・・・というところについては、個人的には、患者が一時混乱しても、全てを真直ぐに伝えるのが本来の姿だと思います。混乱するから隠す。安心させるためにこう言っておく。そういった発想からの行動が、患者の感覚を狂わせ、環境も狂わせます。長期的に、それが良く転ぶか悪く転ぶかなんて絶対に予測できません(様々な人や場面や価値観の中で生きていますから)。また、医師の判断に主観や個人的な価値観が反映する場合も多いと思います。本人が背負っているものだから、本人が全て決める。本人の人生や環境や個性は本人が築くもの。助けが必要で本人が求めた場合には、本人の選択によって手助けする。この考えに、緊急時以外は全て徹するべきだと思っています。どうなのでしょうか?

何か考えるところがあれば、是非、また書き込んで下さい。

宜しくお願い致します。

ありがとうございました。


[19]>16 そんな事もあるんですね。 A4A3A3y

勉強して、医師の判断に偏りがないか?適切か?ある程度分かるくらいになるのも大切ですね。(なかなか難しいですけれど・・・)また、勉強を元に、医師が納得できるように意見を伝えられるようになる事も大切ですね。

ありがとうございます。


[20]>2 ロボトミー手術(医者の判断と回りの判断によって本人の人権が尊重されなくなった例) hanatomi

以前実際にあった、いくつかの本で読んだ有名な話です。

興奮が収まらない患者の「脳の前頭葉を破壊する」手術がおこなわれてそれにより、患者の興奮が収まり、周りが楽になったのでこれは有効だ。と「ノーベル賞」か何かを貰ったそうです。

しかし、後で調べると、前頭葉は「自発的な意思」を表現するのに大切な部位で、

その手術をした後の患者は「廃人」のようにぼーーーーーーーっとするそうです。

つまり、ロボトミーは、脳を破壊して生きているただの人形にする手術だったのです。


それから、この手術はされなくなりました。


[21]>20 子宮を取り去られた女性の例(医者と周りの判断により人権が尊重されなくなった例) hanatomi

精神障害の女性で、ある時期になるとパニックを起こす女性がいたそうです。

よくよく調べると、それは生理周期や、ホルモンの関係と密接に関連している。

そして、結局施設と病院の行った対応は「女性の子宮を摘出する」

そして実際にその女性は子宮を全て取り去られました。

これは実際に行われましたが、その後物議をかもし出し、最悪な対応だったといわれています。


[22]>21 患者の意志・価値観による判断の重要性・・・ A4A3A3y

患者の意志・価値観による判断の重要性を感じます。

患者自身が、発作が苦しくて仕方がなく・・・その時、解明されている最善の説明を受け、リスクも充分に把握した上で、前頭葉が取り去られて廃人になってもいいから手術をして欲しい。と頼んだ場合なら・・・また、子宮を摘出して欲しいと頼んだ場合なら、その結果は患者の選択ですので、医療関係者が責められるべきではないと思いますが、医療関係者と周囲の判断だけでされた事なら、怖いですね。本人では無い誰かの判断・選択で、本人の人生が歪められてしまう事は、大きな事でも小さな事でも、あってはいけないように思います。

絶対に正しいなんて事は、なかなか無いはずなのに・・・どうして、自分の判断が絶対正しいという前提で、こんなに平気で勝手な事をする医師がいらっしゃるのか?出来るなら、理解したいですが、分かりません。

事例の紹介、ありがとうございます。

理解を深めるために参考になります。

また、宜しくお願いします。


[23]>13 運が悪かった、については… takahiro_kihara

理解していただけましたでしょうか?

僕が精神の障害を負ったのは、交通事故が原因でしたが、原因が何であるにしろ、普通の脳が普通じゃない状態になってしまった、ということを「運が悪かった」と表現したのです。


世間の方で、「これが普通」と規定してしまう点に問題があるんだと僕は思いますが。

とは言っても、世の中なかなか変わらないから、「こういう人間もいるんだ!」ということを地道に表現して知ってもらうしかないのではないでしょうか?


[24]>23 地道に表現して知ってもらう・・・ A4A3A3y

心的外傷後ストレス障害でしょうか?脳損傷でしょうか?

そういった方もいらっしゃるんですね。

大変です。

事故・・・なおさら、周囲の人達に背景を理解してもらう事が必要ですね。出来るだけ本来の在り方で、環境で生きられるように。

kiharaさんは、強いですね。


[25]>2 それでは可能な範囲で j1_surplus

1)精神科患者の場合、そういった形で元気になりますか?

・残念ながら、「病状による」としか言いようがありません。

プラシーボと休養だけで回復する人もいれば、

実社会から隔離して、治療に専念できる環境を作ってあげなければいけない人まで、

様々でしょう。

ただ、傾向として「患者の望むようにしても治る率は低い」んじゃないでしょうか。


例えば、小康状態になった途端に

「早く治療を終わりたい、バリバリ仕事したい。休みはもう充分だ!」

という人は、概ね、焦りすぎです。休みが足りていません。

逆に、自分から「隔離してくれ!」などと言う人には、

むしろ実社会への接点を探してあげる必要があると思いませんか?


患者だって、なりたくてなった病気ではありません。

ということは、患者は知らず知らずのうちに、

「病気になりやすい思考パターン・ライフサイクル」

をしてしまっているということです。

それならば、それは変えてあげる必要があるでしょう。


2?1)嫌がる治療をするべきか?

・精神病のみならず、

「歯医者に行くくらいなら、虫歯のままでいい」という人や

「部屋を片付けるくらいなら、病気になってもいい」という人は

実際にいます。

でも、お子さんの虫歯を放置する親御さんを、私は褒められません。


別の例も出しましょう。

例えば、「腹を刃物で切れば痛いし、死ぬかもしれない」というのは「正しい」認識です。

でも、その「正しい」認識に基づいて、開腹手術を拒む患者がいたとしたらどうでしょう?

切らなきゃ治らないものを切らずに治せ、というのは無理な相談です。


2?2)時間が無いのは医者の都合!

・医者が足りないのも、毎年精神病患者が増えるのも、一日が24時間なのも

現場で戦う医者の都合でどうにかなってるわけでは、ありません。


医者の力が100だとして、 80必要な患者と20必要な患者がいたら、

80の患者に85を割く事はできないのです。

80の患者と医者が満足でも、20の患者は15では治らないのですから。

80の患者は80で治す。それでなければ、まるで救われません。


2?3)死を選ぶ権利も患者にある

・死にたいなら、死なせてあげるのも一つの考え方かもしれません。

それを見届ける義務は感じませんけれど。

でも!本当に死にたいんですか?楽になりたいだけじゃないんですか?

もしそうだったら、死なずに楽になりましょうよ。


3?1)医者が間違うリスク。

・精神病に限らず、医療ミスのリスクはつきものです。

また、悪辣な医者も、不勉強な医者も、いるにはいるでしょう。

が、それでも、相対化すれば、

一般人の判断よりは医師の判断の方がはるかに安全です。

そうでないのなら、医師免許制度は必要ありません。

どちらもリスクなら、まだしも安全な率の高い方を選ぶしかないということです。

悲しいかな、これは確率論ですけどね。


3?2)価値観の相違

・それは価値観の相違ではなくて、品揃えの問題です。

医者にだって「提供できる医術」があれば、「提供しようの無いもの」もあります。

同じチェーンのコンビニでも、店舗ごとに個性があるように、

医院によって、品揃えの量も質も方向性も違うでしょう。

それで納得できないのであれば、

特定の店に仕様変更を求めるのではなく、別の店を選ぶべきです。

どうしても看過できない場合は啓蒙活動をしても良いとは思いますが

それはまあ、個々の治療とは別問題です。


4?1)本来起こらないはずの弊害について

・医者にしてみれば、慣れ親しんだ自分の流儀を貫く方が楽なはずです。

それを敢えて、他人流でやったのは、自分流でやる方が困難が大きいと判断したからです。

仮に、「本来起こらないはずの弊害」が起きたとしても、

「本来起こるはずの被害」よりも小さいのであれば、

その差分は、流儀を曲げた医師の努力の賜物です。

「判断が間違っているかもしれない。結局、弊害のほうが大きいもしれない」

と思うのであれば、残念ながら3?1)の回答のとおりです。

その危険性が呑めないのであれば、そもそも医者に頼るべきではありませんでした。


・友人や家族の視点なら、そもそも病気自体が「本来起こらないはず」のことです。

治療に伴う面倒を嫌がるくらいなら、病気になったその時点で距離をおきます。


周囲に対して何らかの不信感や不安感、不自然な感じを持った場合?

弱ったときに、見捨てずに一緒にいてくれた周囲の人を信じられないということですか?

それは甘えです。贅沢です。絆への冒涜です。

それでも、というのであれば・・・・・・

・・・・・・それは残念ながら、

そもそも弱った姿なんて見せちゃあいけなかった相手でしょう。


4?2)本来起こらないはずの弊害についてどう対処する?

・「弱った心は治せます」 そうですよね?

それなら「歪んだ人間関係も直せます」 そうでしょう?


[26]>24 このサイト kuhypp

http://cgi.mh-net.com/lecture/disorder/intro.html

少し参考になりますよ。


[27]いい病院の見分け方 kuhypp

○作業療法士の人数が多いところ

と以前聞きました


[28]>22 世の中は完璧じゃないから kuhypp

医者だけに頼っても難しいですよね。医者も人間ですから。

精神を病んだ方は敏感だったり繊細だったり傷ついていたり、非常にデリケートなケアを必要としますよね。

なのに、国の基準に従った看護婦と医師では忙しすぎるんですよ。


以前、精神病院の入院患者が一年で半数になるくらい改善して退院した病院があり、それは新しく入った女ドクターのせいだったらしいですが、

どのようにしたかというと、

「時間を守れたら、おやつを増やす」

「騒がなかったら病院内用金券がもらえる」

「協力して生活できたら、自由に外を歩いてよい」

等をしたらしいです。

それまで反応が少なかった患者さんまで元気になったそうです。

ゴールは「社会で自分なりに生きていけること」ですよね

(事例は本で読みました。有名な女性医師ーたしか「死」について研究された方でした。)


[29]>28 いい医師もいますよ。 kuhypp

以前出合った精神科医師は、患者の立場に立つ、患者の立場に立ったいい医師でした。

逆に、ひどい病院もあると聞きます。

それは「経営」に重きを置いた病院。

しかし、本当にいい医師はいますので、いくつか探されたらいいと思います。

病院の医師は「こういう症状がきつい」といったら薬を出してつらく無いようにするのが常でしょうし、実際それで楽になった患者も多いのだと思います。

いい建築士と悪い建築士、いいお店と悪いお店があるように医者も色々あると思います。

私は足に怪我をしたとき、いくつも廻りましたよ。納得するところにしました。精神科に行く時も、いくつも廻ると思います。


[30]>25 回答ありがとうございます。 A4A3A3y

精神障害者にとって、医師は治療場面でも、社会生活でも、本人の人生や環境にとても大きな影響を与える人です。ある側面では、絶対的な権威者になってしまう事もあります。医師の一言が、医師が思っているよりも沢山の事を壊し、戻す事は容易ではない場合も多いです。


その医者が、本人の人生や環境を勝手に平気で歪ませ、医師の不注意やミスから生まれる苦しみを軽視し、「歪んだものも直せます」 「(説明無しの)危険が呑めないなら医師を頼らない方がいい。」と考えている方であれば、精神障害者の生活がどんなに不安か?


もし、j1_surplusさんが、医師なら、私は、ただ、その医師に診て貰わないように別のところへ行きます。j1_surplusさんとの接点の中では、苦しみしか生まれないと思います。


ただ、最低限、正しく医師の姿勢や行為についての説明をして頂けなければ、患者は、適切に医師を選ぶ事が出来ません。事後では遅いんです。取り返しがつかないんです。全てを背負うのは患者です。医師ではありません。ミスや弊害は取り返しがつかないんです。だから、正しい説明を事前にする事(インフォームドコンセントと自己決定権の重視)は、重要です。


間違いや苦しみは、技術的なミスで生まれる場合もありますし、技術的には必ずしもミスではないけれど、患者自身の価値観・生き方・在り方に対して大きなミスである場合もあります。(後者は、他人の物差しで計れるものではなく、本人にしか分からない部分もありますが、本人の人生に対するミスです。傷が一箇所治ったとしても、生きる力を奪う大きなミスです。さらに大きな傷を生みます。医学的にも、ストレスが病気を引き起こす大きな原因になっている事が示される現在は、医師にも容易に理解できる考え方だと思います。敏感な状態の患者を感情も含めて扱う精神科ならなおさらです。患者自身の価値観・生き方・在り方に対するミスの予測は、医師には出来ません。技術的に間違っていなければ良いわけではありません。)


せめて、私(医師)は、こういうやり方をしますよ。と伝え、患者が自分にとって苦しみが生まれる場所かどうか、適切に把握し、別のところに行く事を選べるくらいの最低限のインフォームドコンセントだけはして欲しいと思います(これは一個人の希望ではなく、義務です。社会的にも)。ちゃんと説明をしない医師なら、説明をしない医師です、という事でもいい。私は、こういうやり方・発想をする人間で、私のやり方でやりますよ。でもいい。それは、医師にとって都合の悪い事かも知れませんが、医師の都合よく動かして、ミスや間違いだけは勝手に患者に背負わせるような事はしないで下さい。患者の自己決定権を軽視した治療を行うなら、医師がそういう人だ、そういうやり方をする人だ。と分かった上で、その医師を患者が選んだ。と言えるくらいの状態にして治療をして下さい。別の考え方の医師が沢山いて、別の医師にかかった方が良かったなら、それが患者に認識できるように。j1_surplusさんの考え方は現在の社会の中では、極端な部分があると思います。

何も知らない患者さんが、診察を受けていたら、自分には明確に分からない形で何かされていて、苦しみを抱える事になった。という事だけは無いように、お願いします。


あまりに、傲慢な回答に、驚きました。わが身が可愛いなら【NO】ではなく、患者の人間性や価値観や人生を大切にするなら【NO】だと私は思います(もちろん、ミスや弊害が多く、責任を問われないために説明している医師もいらっしゃるかも知れませんので一概に言えませんが、j1_surplusさんの場合には、説明をしない上に、ミスや弊害に対しても無責任に見えます。・・・ミスや弊害は絶対に起こさない。それが起こったら、自分は首を差し出す。それくらいのつもりでやっている。だから、患者には一切迷いを与えず私のやり方でやる。というなら、その医師に掛けたい。と思う患者さんもいるかも知れませんが・・文章を読む限りでは、患者にとって最も危険なタイプの医師だと感じます。実際は違うかも知れませんので、違いましたら、済みません。)。


批判するようで本当に申し訳ありません。勝手に行う医師に対して多少理解を示せるような、知らない要素があれば・・・と思っていましたが、断念します。済みませんでした。医師の見分け方について、少し賢くなれたかも知れません。感謝します。ありがとうございました。


[31]>27 なぜか分かりますか? A4A3A3y

なぜですか?

もし、分かりましたら教えて下さい。


[32]>28 医師の忙しさについて・・・ A4A3A3y

色んな事例があるんですね。

医師が忙しい事については、確かに問題ですね。

一個人としてはどうにもならないですので、医師の忙しさに、患者側が気を使うという事自体は、現状しなくてはいけないと認識しています。

ただ、忙しい中で出来る範囲で本来あるべき治療をしようとして頂ける医師との接点の中で、患者が医師に短時間で伝わり易いように症状や病歴をまとめていく。とか、医師の示した方法について、自分で調べ、医師からの説明時間を短縮する。というような形で・・・あくまでも、本来の治療をしよう、患者の権利を出来る限り守ろうとしてくれる医師の姿勢が無くては、出来ない事です。

医師の発想や考え方そのものが、国の基準に適応するために、本来の目的(kuhyppさんの言葉を借りると、社会で自分なりに生きていけること・・・)を無視・軽視する形になってしまっては困りますね。

国の基準が良い形で変わっていく事も必要だと思いますが、その中でなんとかちゃんとした治療をしなくてはいけない一医師は、患者側の力や努力や学びを上手くマネージメントして、忙しい中で、本来の治療を行えるようにしていく事が必要なのかも知れません。

時間が無いから本来の治療が出来ないではなくて、説明責任や患者の自己決定権に考慮していられないではなくて、むしろ、上手く患者側を主体にしていく事で、医師の労力を軽減するような形が今後の望ましい在り方なのかな。と思います。(もちろん、信頼関係や適切なマネージメントが前提で、そうでなくては、むしろややこしく労力を増やす結果になりますが・・・)

少し、本題から離れてしまいました。済みません。

いい医師もいますよ。の書き込みも含めて、ありがとうございます。勇気が出ます。

医師の影響は大きく、医師が適切な判断をする人であったり、信頼できる方である事は、重要ですので、いくつか回ってでも、良い医師を探す事は重要ですね。

本当にありがとうございました。


[33]【Yes】 OR 【No】 +そう思う理由・背景は? A4A3A3y

引き続き、質問への回答もお願い致します。

*色々なご意見も、もちろん有難いです。

ありがとうございます。


[34]>25 同じ結果でも・・・ A4A3A3y

前書き込みに加えて・・・


ある失敗や弊害が起こり・・・患者が選んだものでも同じ結果が生まれたとしても、もしくは、医師の判断でやった方が多少ましな結果が生まれたとしても、・・・勝手にされた事で、患者自身が選んだものでなければ、それを背負うストレスや精神的な悪影響は、患者が納得して選んだものの結果の10倍も100倍も大きいという事も、付け加えさせて下さい。


また、まやかして傷を一箇所治す事に成功したとしても、そこから生まれる弊害(人への不信感や環境の崩壊)が、最初の治した傷よりも大きな傷を心に生む場合があるという事も。


医師の姿勢や対応と患者の病後の人生や病気の発症率の因果関係はデータとして示される事など恐らく無いと思います。記録に残らないかも知れません。でも、まやかしや嘘の中で、傷を一箇所素早く治して、元気になったというデータが残り、業績が評価されたとしても、本当は、もっと大きな苦しみを患者に背負わせている可能性がある事も理解して下さい。


本当の意味で、患者の人生を思い、心から元気になってもらうための治療をしようとしているなら。(そうでない場合は、恐らく何を伝えても報われませんが。)


済みません。

信じられず、感覚が分からず・・・

何か私のように考える人にも納得できるような要素があれば、是非教えて頂きたいですが・・・

難しそうに思います。


ありがとうございました。


[35]>26 この本の後書きに、良い言葉がありました takahiro_kihara

脳障害を生きる人びと?脳治療の最前線

脳障害を生きる人びと?脳治療の最前線

「障害を生きるも人生もまた人生であり、人生の価値に於いて優劣は存在しない。」


そら、僕もよく、「ウォ?、こんなんでええんか!」と叫んでますけど、良いんでしょう、死ななかったら。(最近の世の流れから言って、死にそうですけど、まだ当分大丈夫やろ。)


[36]>31 簡単ですよ。 kuhypp

病院側がお金を割きたくないのが、人件費だからです。

例えば悪徳病院(建設業や、アミューズメント団体が儲けを考えて建てた悪徳病院の場合)

医師1人

看護婦数人

を雇って、建物(箱)だけ作って患者を募集します。

激簡素化して書くと

●支出は 医師と看護婦の給料

●収入は 患者の数

なわけです。

そのため、多くの患者ができるだけその病院から離れないようにして、

しかも沢山売り上げが必要なわけです。


じゃあ、薬漬けにしたらいい。

そうすると、医師と看護婦の給料を払うだけで

大量の薬代と、患者の診療費が得られるわけです。

問題になったひどい病院はこれに加えて患者に別の患者のケアをさせるなどして更に看護婦の数を減らしていたそうです。


○○ いい病院の例 ○○

患者の苦痛を取り除きつつ、早く良くなって、できたら社会で自分なりの復帰をして欲しい=退院させるのが目標。


建物=できるだけ患者がくつろげる建物

医師=患者の状況に応じた判断ができる医師。

看護婦=豊かなケア、補助ができる看護婦

これだけじゃ行き届かないので、病院の支出になるわけですが色々雇うわけです。


作業療法士

音楽療法士

園芸療法士

理学療法士・・・・

ほかにもボランティアさんや、ありとあらゆる人を導入し、最大限患者の心の癒しにつながるようにするでしょう。


1人雇うには莫大な費用がかかるので、売り上げを考えた病院は雇いたくないかもしれませんが、患者を自分の身内のように考えるいい病院は配置するでしょう。

そして、薬は、「売り上げ」につながりますが、依存性もある。

そして精神病系の薬は副作用もある。

なので、できるだけ「ケチりながら」、必要な分だけを渡す医師はいい医師です。

薬によって良く眠れたりして、一時的に本人が楽になるなら、それは有効な使い方でしょう。それによって病院から社会に戻れる養生ができたらいいんですから。

ただ、薬はあくまでも体に負担ですので、(特に肝臓)「元気になるための補助」であり、それにどっぷり浸からせるような使い方はおかしいでしょう。

参考になったでしょうか


[37]>36 医師そのものの質も同じく良いでしょうか・・・ A4A3A3y

薬については、できるだけ「ケチりながら」、必要な分だけを渡す医師はいい医師というのは、実感がありました。でも、作業療法士が理学療法士についてのポイントは、全く知りませんでしたので、勉強になりました。

ありがとうございます。


抱えている本人の病状としては、作業療法士や、その他の心理関係者、ボランティア等の方々のお手伝いを必要とはしておらず、基本的には、信頼の置ける医師がいらっしゃれば、それ程手厚くなくても、充分な状態ですが、やはり、そういった姿勢の良い病院の方が、一人一人の医師の質や姿勢も良心的な傾向がありますでしょうか?

(大学病院や研究施設等の先生は、研究志向の方が多く、たまたまかも知れませんが、身勝手な感じもあり、姿勢に共感できない気がしています。その他の大きめの施設ですと、緊急患者や重症患者の治療が中心となる場合が多く、入院患者だけの病院等もあり、敷居が高い感じは多少ありますが・・・場所によりますでしょうか?その辺りはどうでしょうか?)

開業医等で医師一人でやっている所は、どうなのでしょうか?


色々と尋ねてしまい、大変申し訳ありません。

何か知っていらっしゃいましたら、お願いします。


[38]>30 御気に障ったようでしたら、すみませんでした j1_surplus

前回の書き込みに対して不快な思いをさせてしまったのであれば

すみません。

また、質問者に「ありがとうございました」

と言われてから更に返信する失礼をお許しください。

さて、私は医者ではありません。

医者だと言った覚えはありませんが

誤解させる表現があったのならば、それについても謝罪いたしましょう。

過去に、広い意味で医療関係の仕事に関ったことはありますが、

医者ではありません。

一方で、友人に患者が1人、元患者が1人いるという、

そういう立場の者です。


ある種の期待を裏切ったわけですから、

以前のポイントは、お返ししましょう。


以上のような次第ですから

私みたいな者が許せなくても、どうか安心してください。

私の作ったものは、所詮、道具です。道具は使う者次第です。

道具を使う医者はきっと、私みたいな阿呆ではないでしょう。


よって、以下は、医者でもない者の与太話だと思って流してください。


1.

>「(説明無しの)危険が呑めないなら医師を頼らない方がいい。」

とは言っていません。


そもそも、質問の例に出た医者は、説明責任を果たしています。

患者や周囲に対して、どのような治療をするかは言っています。

説明なしの勝手では決してありません。


確かに、「普段は別の治療をしています」とは言っていません。

だから「不十分だ」とお思いになったのでしょう。しかし、

むしろ他の患者への治療内容など、無闇に言うものではありませんし、

そこに医者の都合は関係ないでしょう。強いて言えば守秘義務の問題です。

>技術的には必ずしもミスではないけれど、

>患者自身の価値観・生き方・在り方に対して大きなミスである場合もあります。

>(後者は、他人の物差しで計れるものではなく、本人にしか分からない部分もあります

と、仰るように、患者個人の価値観は医者には窺い知れません。

患者自身が、

「この病気の治療法を全て教えてください。

私は正しい判断力があるから、その中から自分で選びます。

それ以外は受け入れません」

とでも言わなければ、医者の方で治療法や説明範囲を選ぶのは妥当でしょう。


また、周囲の人には、治療法のみならず、その意図も伝えています。

このように、場合によって、周囲と本人への告知時期をわざとずらすことは

他の病気でも、必要に応じて行われてきたことです。

貴方は気に入らなかったかもしれませんが、医者は効果的であると判断した上で

話せる範囲で話しているわけですから、一方的に「説明がなかった」とは言えません。

だから、「この行為は、しても良い事ですか?」と聞かれれば、

説明責任の観点からでも、私は【YES】と答えます。

でも、もし、「患者は諦めて、この行為で満足しなければいけませんか?」と聞かれていたら

【NO】と言えるでしょう。満足せずに別の解決策をお探しください。


2.

>「歪んだものも直せます」と考えている方であれば、精神障害者の生活がどんなに不安か?

いや、「一度歪んだら直せません」と言われるよりずっと安心だと思うんですが。


自然で健全な心身というのは、病気も疲労も知らない心身ではありません。

それは不自然です。

病気や疲労を抱えても、回復できるのが、自然で健全な心身です。


自然で健全な関係というのは、迷いも衝突も知らない関係ではありません。

それは不自然です。

迷いや衝突を繰り返し、乗り越えてゆくのが、自然で健全な関係です。


3.

>ミスや弊害は絶対に起こさない。それが起こったら、自分は首を差し出す。

>それくらいのつもりでやっているというなら、その医師に掛けたい。

>と思う患者さんもいるかも知れませんが


とのことですが、そういう医者こそ危険です。

人間は、間違うものです。絶対にミスをする生き物です。

純然たる事実として医療ミスは存在し、

貴方が許さなくても、私が許しても、存在し続けるのです。

それなのに、「私はミスをしない」だなんて言う医者の方がよほど無責任です。嘘吐きです。

それに、首を差し出すですって?それで患者は救われますか?


想定の中に、万が一のミスも含めて考えられる医者を選んでください。

「私はミスをするかもしれない」という医者の方がよほど正直です。

それとも、本当に医者にそんなことを言われたら不安で仕方がないとか?

もし、仮にそうなら、嘘吐きな医者と正直な医者とどちらが良いともいえませんね。


また、「ミスをしたら取り返せない」と思う完璧主義や

「技術的に間違っていなければ良いわけではありません」という結果主義も精神を患う元です。

最善を望むのは構いません、でも、一方で、最悪にも備えなくてはいけません。

さもないと、直ぐに簡単に諦めてしまうようになってしまったり

「起きたら困ることについては、起こってしまった後の事など考えない」といった

脆い思考に陥ってしまうでしょう。


4.

どうか、医者や周囲に「患者を治したい」という気持ちがあることを

思い出してください。

ただし、医者は「貴方だけを治したい」と思っているわけではありません。

「一人でも多くの患者を治したい」と思っているのです。


それを「まやかしだ」「一時しのぎだ」「怠慢だ」「無責任だ」

「評価のためだ」「医者の都合だ」「そんなことで、本当に治るわけが無いんだ」

と思われるのであれば、仕方がありません。

確かに、それほど浅薄で低俗で卑怯で悪質だと感じられる者になど関ってはいけません。


本当にご苦労なことだとは思いますが、改めて

「貴方が望むだけ、無限に時間を費やしてくれる医者」を探してください。

貴方の回復の為に、貴方の価値観に沿った最善を尽くしてくれる医者を探してください。

結果として他の患者の治療機会をたっぷり奪うことになったとしても、

貴方の言うところの

>傷が一箇所治ったとしても、生きる力を奪う大きなミス

の被害をうけるよりは、他の患者も、きっとずっと幸せなのでしょう。


私の友人を治してくださった先生や、その先生の、いわゆる派閥の方達は、

「一人でも多くの患者を治したい」という方なので

貴方が、あの先生方に巡り会わないことを、祈ります。


ただ、名指しで「あの医院はやめろ」と言うのは、いかにも名誉毀損ですし

恩のある先生にも、そこの医院で回復されていった沢山の方にも

大変申し訳ないので、そこの所はご勘弁ください。


5.

>勝手に行う医師に対して多少理解を示せるような、知らない要素があれば・・・と思っていましたが

それこそ、直接、当の医者に聞くべきだと思いますよ。

仮に私が医者だったとしても、私が傲慢だからといって、

他の医者まで傲慢である理由にはならないと思います。

実は紳士的で深遠な配慮があったのかもしれませんよ?

とはいえ、もう、はてなで聞くまでも無く、貴方の中では

【NO】という答えがでていたんでしょうね。

過去のご質問も拝見しましたが、そう感じました。

ただ、自分の答えは出ているんだけれど、不安もある。

皆に補強して貰って安心したかったのでしょう。

ということで、心配性の貴方が、もし、この患者であったなら

その医者が患者の周囲を巻き込んでまで

一貫性を守ったのは、

やはり治療上、意味のあることだと思いますよ。

とはいえ、どうしてもその医者を悪者にしたいのであれば

安心して悪者にしてしまえば良いと思います。

その分、3人目の医者の別の治療法は安心して受け入れられるでしょうから。

どの医者が治したかなんてのは些事ですからね。

最終的に患者さんが治ってくれさえすれば。


[39]>38 伝わりにくくて、申し訳ありませんでした。 A4A3A3y

j1_surplusさんが、お医者様ではなくて、安心しました。済みません。



説明責任については、説明が無かったあった。という視点では、捉え方によるかも知れません。ただ、患者自身の選択や患者の周囲の自然な環境・機会を意図して(操作的に)阻んだとは言えると思います。また、それを本人に対して説明無くしたという事は言えます。その点をインフォームドコンセントや自己決定権の問題と捉えています。

(私が問題を感じている部分は、厳密にどこを説明しなかったという事ではなく、患者に患者自身が置かれている環境を正しく伝えなかった・・・分からないようにして、ある意味では意図して騙して操作した事・・・また、その中で自然な機会・人との関わりを歪めた事です。自然な機会・環境、これは絶対に奪ってはいけないもので、他人の勝手な判断で行ってよいことでは無いと思うんです。患者は医師の操り人形ではありませんし、医師の価値観や判断が必ずしも患者にとって良いものであるとも限りません。その中で、医師の勝手な判断で、患者の自然な機会・環境を歪めるという事は行き過ぎた行為です。患者は緊急状態でもなく、人も自分も特別害する事はありません。私の説明が充分でなく、伝わりくくて、大変申しあけありません。自己決定権に関する意識調査としたのは、適切でなかったかも知れません。医師の権限の範囲を逸脱した行為に対する自己決定権の無視?というのが私の心の中でのニュアンスです。)


○患者自身が、

「この病気の治療法を全て教えてください。

私は正しい判断力があるから、その中から自分で選びます。

それ以外は受け入れません」

とでも言わなければ、医者の方で治療法や説明範囲を選ぶのは妥当でしょう。

この点については、勉強になりました。本人がそう伝えるように今後致します。


○>「歪んだものも直せます」と考えている方であれば、精神障害者の生活がどんなに不安か?

これは、患者に隠して勝手に色々な事をする医師が、勝手にして歪ませた事を、軽く、「歪んだものも治せます。」と言い、患者に背負わせた弊害やミスを軽視するような人だったら、軽率に何をされるか分からないから、どれだけ不安か?という意味で書きました。(治せるか治せないかは別問題として、「歪んだものが治せません。」と言っているわけではありあせん。意見全体のバランスへの批判です。伝わりにくいようでしたら、申し訳ありません。)

精神科では、絶対に正しいという事は、ほとんどありませんので、医師が何も言わずに私のやり方でやります。という事は許されないと思いますが、他科で、例えば、外科などにおいて、最高の技術と腕、実績を持っていて、自分以上の結果を出せる人はいないというような医師が、相手に人生をかけてもらう分だけ自分も人生をかけて最高の仕事をするんだ。と言って本当に最高の仕事をしている医師をテレビ等で見た事があり、その分野においては、それは一つのあり方なのかな。と思った事がありましたので、そういった在り方の医師を全て否定は出来ないと思いました。

でも、ミスや弊害もありますよ。起こっても当然です。でも、患者自身の自己決定権を尊重する事もしません。勝手にやる事もあります。私のやり方でやって、起こったミスや弊害は、起こるべきものだったんです。それが嫌だったなら、私にかかった、あなたが悪かったんですね。j1_surplusさんの意見の全体のバランスは、そんな感じに聞こえてしまいました。それでは、あまりにも酷いし、患者はそんな人がした事を背負わされてはたまりません。不安です。


○「私はミスをするかもしれない」という医者の方がよほど正直です。

私も、その点は、同感です。

私は完璧だから私のやり方でやります。という医師は、通常は危険だと思います。

ただ、もし、患者の自己決定権は軽視して、私のやり方でやります。と言う医師がいるなら、その医師には、最高の腕と技術と結果と覚悟が求められると思います。(精神科では、患者の選択や人間性を尊重しない事自体が正しくないですので、自分が絶対正しいと言う医師がいれば、その時点で間違っていると思いますが。)

ミスや弊害はあります。だからこそ、それを理解して、患者自身の選択で様々な事を行って欲しいと思っています。


○浅薄で低俗で卑怯で悪質だと感じられる者になど関ってはいけません。

医師の人間性に対する信頼が持てない事は、全ての問題の元だとは思います。外からや、少し関わっただけでは分からない部分があり、そんな風にされるとは・・・と事後に思うというのが、常です。

医師を見分ける目は、重要だと思います。良くない医師だと分かった場合には、患者側からどうにかするのは難しいですので、確かに出来るだけ早期に離れる事が最善と思います。



○「貴方が望むだけ、無限に時間を費やしてくれる医者」を探してください。

時間は求めていません。質問の例では、むしろ、患者が望んでいないのに、医師が勝手に余計な行為をして、患者に苦しみを与えた形になった例です。

価値観ややり方に相違があって、沢山の説明をしなければ、もしくは、しても理解し合えない医師なら、最初に姿勢を伝えて頂ければ直ぐに、こちらから去りますし、適切に捉え、理解し、説明し、余計な事をして自然な環境を阻害する事のない医師なら、時間は他の患者よりも短時間で済むくらいだと思います。短時間で伝え、対処してもらえるように努力はしていますので。


○医師の指名については、難しいですね。本などを読んで伺っても、実際は全く違うような事も聞きます。

私個人は、患者に明らかに酷い対応をした医師本人に、別の曜日に別の先生に変えて欲しい。と伝えた事はありましたが・・・

きっと、患者自身が、されては困る事や、何が必要かを、最初に伝え、合意をした上で診てもらう事が必要なのだろう。と思っています。そうすれば、最初に合意できなければ、去りますし、合意の上で進め、それ以外の時には医師が患者に適切に説明をしていれば、間違いも少ないですので、無駄な時間が生まれません。


○【NO】という答えがでていたんでしょうね。

そうです。答えは出ています。ただ、自分が絶対に正しいとは、相手の気持ちが分かりませんので、言い切れません。【Yes】と言う方も沢山おり、相手がどうしてそう思うか?自分が知らない部分で、実は相手にも共感できる要素があるなら、それを知った上で考えなくてはいけないと思ってはいました。圧倒的な権限を持って振舞う【Yes 】の方々との接点の中で苦しみが生まれてきましたし、今後もそういった事があるかも知れませんので。

あと、一般的な意識も知りたいと思っています。精神障害者は、一般の人達の意識の中に偏見等があれば、精神的に戦わなくてはいけない部分があります。


○治ったかどうかだけで図れないものもあるという事は、分かって欲しいです。

副産物で生まれる苦しみ・歪みがどれだけ今後の患者の人生を害するか・・・また、精神科の場合、同じ治るでも、治し方で治り方が全く違います。患者がどう治りたかったのか・・・場合によっては、荒んだ気持ちで人を憎みながら虚無感の中で、押さえつけられるように前に進み、形だけは出来て、治った。とされる事だってあります。でも、それは、本当は、元気にしたのではなくて、本来の姿から遠ざかり、実際の精神状態は悪化しているけれど、状況や環境、もしくは精神に重荷を背負わせて無理やり進ませた。形をつくっただけです。


患者が「医者不信・病院嫌い」になりながら、本当の意味で心が治せる事など無いと思います。医師がデータに残す治ったという記録は一面的な事に過ぎません。患者が嫌がる事をしても、それが本当に一心に患者を思う気持ちからされた事で、全て総合して、その医師・病院にかかれて良かったと最後に患者が思えるなら、患者にとって、良い事をしたと言える事もあるかも知れません。でも、患者が「医者不信・病院嫌い」になったなら、今後に背負わせた害の方が大きかったという事だと私は思います。


今までお聞きした中で個人的に思うところは、患者の自己決定権を無視・軽視し勝手な行為や余計な行為をする医師には、もしかしたら、ミスや弊害、また、そこから起こる精神的な苦しみを軽く思っていたり、無かった事のように思っているのかな・・・という事です。弊害やミスや苦しみを無かった事にすれば、強引な治療の方が一つの傷を治し、元気になった形をつくるには長けています。その視点の欠如が意見の相違を生んでいるのかな?そんな風に感じました。(元気になるという事を、全体像や精神も含めてではなくて、一つの傷を治すというところに設定しているとも考えられるかも知れません。)。どうなのでしょうか??

反論してしまい、本当に申し訳ありません。

今までの経験から、なんだか許せない気持ちが起こってしまします。


でも、ありがとうございました。

*ご意見等があれば、是非、書き込んで下さい。相手の気持ちを良くも悪くも知りたいですし、こちらの意見を説明した上でどれくらい納得して頂けるものかも知りたいと思っています。全く失礼ではありません。お忙しいかと思いますので、もちろん可能な範囲で。


[40]>38 もし可能なら・・・ A4A3A3y

私の友人を治してくださった先生や、その先生の、いわゆる派閥の方達は、「一人でも多くの患者を治したい」という方なので貴方が、あの先生方に巡り会わないことを、祈ります。

と頂きましたが、どのような派閥で、どのような先生がその派閥なのでしょうか?

そういったものの見分け方が分かると、間違いが少ないと思うのですが・・・

これも、もし、可能であれば・・・教えて下さい。

本当に可能な範囲で。


[41]>40 こうなっては特にお役に立つことが言えるとも思いませんが j1_surplus

○医者の派閥というのは、学閥と同じと考えて大丈夫です。

【技術】はともかく、【考え方】については

「誰に学んだか」や「何処で学んだか」が大きなポイントになるでしょう?

だから、一人、嫌な医者を見つけたら、

その医者と同じ出身の医者は避けるべきです。

例えば、大学病院などで、「別の医者に替えてくれ」といっても、

ルーツが同じですから、文字どおり根本的な解決にはなりません。


確かに、著書などから「良い先生」を探すのは難しいです。

ですが逆に「うわ!この医者の考え方は自分と合わないぞ!」というのは

簡単に判断できるはずです。

消去法というのは気が滅入る作業ですけどね。

で、良さそうな先生を見つけたら、その先生と同じ学校の先生を選ぶわけです。

学校で人を選ぶ、というのも失礼な話ですけどね。


○>元気になるという事を、全体像や精神も含めてではなくて、

>一つの傷を治すというところに設定しているとも考えられるかも知れません。

とのことですが、そう考えて無くても、それしかできません。

基本的に、医療は怪我や病気しか治せません。

神様ではないので、人生全体を豊かにはできません。

人生を豊かにする一助として、治療ができるだけなんです。


でも、悪徳医師で無い限り、助ける気は当たり前にあるんです。

だから、「助けてください。」と言われたら助けようとします。

場合によっては、患者を騙してでも助けようとするわけです。

というか、善意でやってますから、騙してるつもりすらないです。

貴方は「歪まされた」と感じても、医者は矯正した気でいるかもしれません。

ほら、例えば骨折のギプス。

一時的には不愉快で不自然な格好を強いますが

ギプスした方が骨は綺麗に繋がりますよね?

また、研究的野心が悪徳というレベルに達している医師で無い限り、

実績の無い治療法など採用しません。

万が一、騙されたと思っても、最終的には有効なのです。

少なくとも医者はそう信じてやっています。

因みに、経営至上主義の医者も実績の無い治療法など採用しません。

最中は兎も角、結果として患者が文句を言うような治療も嫌がります。

客の評判落として経営が回るほど景気のいい時代じゃないです。


ですから、もうお分かりだと思いますが、

「ただ助かりたいわけじゃないんだ、助からない方がマシなこともあるんだ」

という場合には

そう言わなくちゃあ、医者にも、周囲にも、伝わらないんです。

患者がハッキリ嫌がらないと、外科の先生はギプスを巻いちゃうでしょ?


そもそも医者は、「病気を治すことは良いことだ」と思ったから医者を目指したんです。

知識としては「俺に治して欲しくない患者もいる」と解ってる人もいるでしょうが

いきなりそこからは入れません。

周囲も同じで、兎に角「病気なんか早く治った方がいい」と思うものです。


○何度か、「医者が勝手にやってはいけない」と仰ってますよね?

でも、私は、それを「勝手」とは思いません。

医者も、おそらく思っていません。だからやるんです。

で、「勝手」というのは、相手に決定権を持たせない感覚なんですよね。

確かに、患者に正常な判断力がある場合、

患者に決定権があるのは、まぁ当然なんです。

でも、前述したように、医療行為は有資格者の判断が伴わないと行えません。

ですから、主治医にも貴方の治療に対する決定権はあるんです。

というか、診療を依頼するというのは、医者にその権利を与えるということです。

だから決して勝手じゃあないんです。

しかも、「患者には正常な判断力がある」と、担保するのは医者なんです。

歯痒いでしょうが、本人が幾ら「私は正常だ」と言っても

医者の診断書に「異常。判断力なし。」と書かれたら、

他の医者に覆してもらわない限り、

貴方には、法的にも社会的にも決定権はないんです。

で、ここが重要なのですが、

【それだけ重要な判断ができる者にしか、医師免許は発行されない】んです。

その前提だから、これが医者の脅迫でもなんでもなく、

正当な医師免許制度として成り立つんです。


貴方は医者に「この治療法は嫌だ」と言うことはできます。

「それは医者の勝手だ」と言うこともできます。

でも、本当に勝手か判断できるのは、患者ではなく、医者だけなんです。

他の医者が追従してくれない限り、

患者個人が「医者の勝手」と突き付けることはできないんです。

「医者だって人間だ、間違うかもしれない。どうしてそんな強権を持つんだ?」

と思うかもしれません。

それは、医療ミスのリスクがあっても、一般人に判断させるほうが

「言うまでも無くもっとずっと危ない」からです。比較にならないんです。

だから、無免許で他人を治療したら罰せられるんです。

全国の皆で同じ医師免許制度を認めて、長年運用していけるんです。


貴方が、貴方自身の病気について判断し療養するのは自由です。

でも、それは、自己責任で完結できるから罰せられないだけです。

もちろん、結果として、医者より貴方の判断が正しいのかもしれません。

でも、確率としては本当にもの凄くリスキーなんです。


安心感は重要です。当然です。

が、それと実際の安全性が

別個に独立した事象だということは認識できていますか?


そして、それを「自己決定権の無視」だと貴方が思うのであれば

それは、その医者が個人的に無視してるんじゃなくて、

制度全部がそうなのです。

精神病患者よりも精神科医の判断の方を

圧倒的に信用する国なんです。

言うまでも無いでしょう?


○治療に掛かる時間については

私は「長くなる」と思い、貴方は「短くなる」と思われています。

でも、医者を変えられてる時点で

もう「既に」長くなっていると思いますよ。

いや、貴方には必要なことというか、

変えなければ無限に長くなった(つまり治らなかった)確信があるのでしょうが

その確信は、強く伝えないと、周囲にとっての確信にはなりませんよ。

そして、周囲に確信させないと、また医者と一緒になって誘導してきますよ。


患者は「当事者」ですが、周囲は「待つ身」であります。

病気に限った話ではないんですが、

当事者の感じる時間は早く、待つ時間はそれより長いものです。


>こちらの意見を説明した上でどれくらい納得して頂けるものかも知りたいと思っています。

これは、残念ながら貴方が私の感覚を納得できないのと同じでしょう。

多分、理解はできても納得はできないんじゃないでしょうか。


[42]>41 回答、ありがとうございます。 A4A3A3y

回答、ありがとうございます。


○元気になるという事を、全体像や精神も含めてではなくて、一つの傷を治すというところに設定・・・

については、副産物が一切無い治療であれば、設定は傷(患者の抱えている問題を治す)ことだけで当然だと思います。ただ、別のところに副産物(影響)を与えながら、患部を矯正するようなやり方をするなら、その影響を全体の中で考慮して頂けないと困ります。質問の例は、他の部分に影響を与えています。周辺部分をクチャクチャにしながら患部を治しても、全体として治した事にはなりません。でも、形にしにくい精神科医療では、それが元気になった事になってしまう事があります。また、患部を治す治し方が本人の生き方に反していて、その後の精神への悪影響の方が治した部分よりも大きな苦しみを生むのも困ります。

やはり、医師に判断できない部分はあり、医師が決めるなら、充分な患者との会話が必要ですし、充分に理解する事が出来ないなら、患者の意見を最大限に優先すべきです。


○患者から良く良く伝えないと・・・というのは、本当にそうだと思います。そんな事をされるとは思っていませんので、なかなか難しいところですが、人にはそれぞれ感じ方・生き方があるから、変な事を勝手にしないで欲しいという事は、色々と例を挙げながら、分かってもらえるように伝えなくてはいけないのだろう。と置かれている状況からは思います。おっしゃる通りです。


○【それだけ重要な判断ができる者にしか、医師免許は発行されない】・・・決して全てがそうでは事はない事は、恐らくご存知ではないかと・・・。仕組みとして、そうなっている事、また、精神障害者に人権が無い国である事は、様々な経験から理解しており、接する人に気をつけないと、もしくは、気をつけていても、翻弄される立場なのだ。と感じています。

理不尽で、あってはいけない事だと思ってはいますが。

仕組みがそうである事は確かにそうです。

おかしい事があった際には、出来る限り証明し、一つのポイントがどうとか、専門的にどうという事ではなく、その人がした事が、全体の中でどんな影響を与えたかを示す事でしか、何かを訴えていく事は出来ません。しかも、事前に防ぐ事は、勝手にされる場合もあって、とても難しく、大抵事後になります。

精神障害者にとっては、本当に困難な世界です。

説明も理解も共有も無く、価値観や生き方に共感できないかも知れない医師に、黙って、人間性に関わる治療をされる事があるような状態です。しかもその権限の範囲さえ明確ではありません。普通の環境にいる方に想像できる事ではないかも知れません。医師でも理解していない方が多いように思います。


ギブス等については、その部分では、精神科医療は事情が違うと思います。本人の生き方や人間性・あり方の部分に治療が直結しますので、それを考慮しない治療は出来ない分野だと思います。この場合はこう。技術的にこれがいいから、こうする。という事は、出来ないし、それだけを医師のレベルは低いと言える分野です。もし、精神科でギブスのような矯正治療をするとしたら、今後背負わせる精神的苦痛や感覚の歪み(副産物)の方が大きくなる事が多いのではないかと感じます。同じ感覚でされたら怖いです。(分かり易く例えて頂いたのだと思いますので、ダイレクトにそういう意味では無かったのだろう。と思います。)



自己決定権については、患者が全ての影響・結果を背負う存在であるという意味で患者が基本的には全て持っているはずのものだと思います。

確立論で高い方が権限を持つという事ではなく、患者が背負っているから確立が低い方に何らかの理由でかけるのも、確立が高い方にかけるのも患者の意志次第であるべきだと思います。でも、なんとなく、そういう感覚ではありません。全体主義的な考え方が必ずしも個々の医師と患者に適切に当てはまるものでは無いという事の方が強く感じます。

また、医師の方が判断しやすい部分もあると思いますが、特に精神科医療では、本人の人間性・価値観を知らない医師よりも知っていて、四六時中その自分とつきあっている本人の方が判断できる部分もあり・・・この仕組みの中では、医師がそれをちゃんと認識してくれなければ、間違った事が起こる。という感じを持っています。恐らく医師がそれも全て考慮してやっているだろう。という事で任されている権利なのだろうと思いますが、そうでない事が多々あります。


部分部分はそうだと思います。理解できます。でも、理解はできても、やはり違う。納得は出来ない。確かにそうでした。

派閥の件、ありがとうございます。

勉強になりました。

ありがとうございました。


[43]>39 歪んでしまったもの・・・ A4A3A3y

前記述の中で、歪んだものが治せるかどうかは別問題として・・・と書きましたが、

もし、医師が、患者に関して患者に予想できないような行為や同意の無い行為を行うなら、医師は一切の害や影響を出してはいけないと思います。そのために起こった歪みは、その医師(自分)との関係の中では修復されないものだと思って行うのが妥当だと思います。そんな賭けを、勝手に人の人生に対して自分がしてもいいのか?また、そんな賭けをするくらい相手を知っているのか?間違いは絶対に無いか?

そうでなければ、患者に説明し、同意を得るべきです。

忙しいなら、患者が望んでいない行為など一切しないで欲しい。


また、患者との接点で医師にミスがあったなら、ちゃんと全てを真っ直ぐに伝えて、認めて誤って下さい。それ以上の償いはありません。

回答頂いた方は、きっとそんな意味では書いていないと思いますので、私が自分の経験に重なってしまっただけですが、歪みを勝手に作っておいて、「歪みだって直せるでしょ。」と言って、こんどはこうだ。今度はああだ。と言って、さらに修正のための操作を加えて、患者をズタズタにしていくのは辞めて下さい。

医師のメンツや立場や研究や・・・そんなもののために、敏感な状態の患者に、これ以上、曲がった苦しみを患者に与えないで下さい。

ちゃんと手を離してあげて下さい。

わざとであれば、なおさらですし、失敗であればなおさらですし、そうでなくて苦しみが生まれたなら、価値観や生き方の相違、その他、何か修復しきれないものがあるはずです。医師がもし、自分が精神を病んだ時に、誰にかかりたいか?自分と意見や生き方の大きく違う人にかかったら、どうなるか?自分の事として、想像できるなら、分かるはずです。完全に患者を主体にしながら対応・治療できる凄腕の医師でない限り、双方の人間性が大きく関わる分野です。


もし、傷が深ければ、患者は、その相手に何かしてもらう事など望まない場合の方が多いと思います。

自分を苦しめた人間に優しくして欲しいですか?助けて欲しいですか?娘を傷つけられた貧乏な親が、娘を傷つけた金持ちの男に謝罪も無くお金を差し出されて受け取りたいと思いますか?いくら必要でも、そんなお金を受け取る方が屈辱です。

傷が浅くて、患者が和解したいなら別です。この場合とは違うと思います。

でも、そうでなければ、本当の意味で、患者の心を思って真直ぐな対応をしてあげて下さい。

その勇気は、周囲の人や社会が認めてくれるはずです。



これだけは、お願いしたい。

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