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藤原師実は堀河天皇の「おじいちゃん」。
白河上皇は堀河天皇の「お父さん」。
それまでだったら藤原氏の摂関政治で「おじいちゃんの思うがまま」だったはず。
でも今回は「お父さん(白河上皇)の思うがまま」になっちゃいました。
なぜ藤原氏は白河氏に負けたのですか?
どうして歴代天皇は白河氏の戦法を使えなかったのですか?

●質問者: pro0
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:なっちゃ 堀河天皇 天皇 摂関政治 白河
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● 潮澤 昴
●35ポイント

摂政関白が関わった前例が無かったんでしょう。

院政

外戚関係を媒介に摂政関白として政務にあたる摂関政治と異なって、院政は直接的な父権に基づくものであったため、専制的な統治を可能としていた。


2 ● すだこふつ
●35ポイント

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A2%E6%94%BF

白河天皇の先代である後三条天皇が藤原氏を外戚に持たない天皇であり、この天皇が権力奪回を計り摂関を補佐する公卿から藤原氏の数を徐々に減らすことを成功させ、白河天皇の代には藤原氏が公卿の多数派とはいえなくなっていた。

また藤原賢子の実父の一門である村上源氏が公卿の要職についていおり、彼らの助力を得ることに成功したことなどが理由として挙げられます。

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