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刑法230条の2で違法性阻却事由説に立った上で、真実性の証明の失敗の結論を導く方法として、事実の錯誤+証明対象修正説を採用する場合には、
その根拠を説明する過程で、
裁判時に要求される「証明があったときは」という訴訟法的な要件を、行為時の実体法的な表現に引き直して、「証明可能な程度の真実性があったとき」と考える、と説明されます。
「裁判で証明できるときは、常に行為時においても証明可能な程度の真実性があった」といえるのは当然の事だとしても、「裁判で証明できなかったときは、行為時にも証明可能な程度の真実性はなかった」とはいえないのではないでしょうか?

単純に、命題として考えれば、
「裁判で証明できる→行為時においても証明可能な程度の真実性があった」というのが、与えられた命題ですが、
正しいといえる、その対偶は
「行為時においても証明可能な程度の真実性がない→裁判で証明できない」であって、
「裁判で証明できない→行為時においても証明可能な程度の真実性がない」というのは、命題の裏にすぎず、当然の帰結としては導き出されないと思うのです。

●質問者: orph
●カテゴリ:学習・教育
✍キーワード:事実 刑法 命題 対偶 採用
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 7/7件

▽最新の回答へ

[1]人証というものの裁判での広範な用いられ方を前提とすれば。。。 aoun

当然、裁判で立証できたからと言ってそれが真実であるとは限りませんし、裁判で立証できなかったからと言ってそれが真実でないとは、当然限りません。。。


よって。。。『「裁判で証明できるときは、常に行為時においても証明可能な程度の真実性があった」といえるのは当然の事だとしても、「裁判で証明できなかったときは、行為時にも証明可能な程度の真実性はなかった」とはいえないのではないでしょうか?』。。。は、それはその通りですよね。。。


。。。しかし、結局は、

「行為時においても証明可能な程度の真実性がないから、よって裁判で証明できない」というよりは。。。やむを得ず。。。もしかするとですが。。。

「裁判で証明できないということは、行為時においても証明可能な程度の真実性がない」とせざるを得ないのではないでしょうか。。。


[2]230条の2の要件 jute

客観的構成要件のはなしか、主観的構成要件のはなしかという問題ではないでしょうか。

第230条の2には?公共の利害に関する事実、?公益を図る目的、?真実性の証明という3つの要件があります。

?、?は故意という主観的意図に関係しますが、?は客観的なものです。

原則、たとえ真実であると思っていても真実性の証明がないとダメです。

しかし、例外的に

真実だと誤信したことにつき確実な資料・根拠に基づいて相当な理由が認められるのなら違法性阻却事由の事実の錯誤として故意を阻却しても妥当だ、ということです。


[3]私(質問者)が知りたい部分 orph

違法性阻却事由の事実の錯誤を問題にするためには、

行為時に証明可能な程度の真実性が「ない」事が前提です。

事実の錯誤+証明対象修正説では、

?裁判時に真実性の証明に失敗したという事は、

行為時にも証明可能な程度の真実性がなかったという事であり、

?行為時には存在しなかった証明可能な程度の真実性を存在すると誤信したので、被告人の違法性が阻却されるか 否かの問題になり、

?違法性が阻却されるか否かの判断は、客観的に確実な資料・根拠に基づく誤信か否かによる

と説明するのですが、

行為時に証明可能な程度の真実性が「ない」事を説明する ?の部分が 間違っているんじゃないかと思うのです。

つまり、「裁判で証明できない→行為時においても証明可能な程度の真実性がない」とはいえないのではないかという事です。

?の部分が違うと、刑法230条の2における違法性阻却事由説を、事実の錯誤+証明対象修正説では説明できなくなる。そして、「行為時において証明可能な程度の真実性がない」と言えないとすれば、そもそも、何故、罪に問われるのか分からなくなる。何故、構成要件に該当するのかが不明になる。

刑法230条の2で違法性阻却事由説に立った上で、真実性の証明の失敗の結論を導く方法として、事実の錯誤+証明対象修正説を採用する場合には、

「裁判で証明できない」と「行為時においても証明可能な程度の真実性がない」とを演繹的に結びつける為の理由が必要だという事です。

その理由が知りたいのです。

事実の錯誤+証明対象修正説を採用する人はどう説明するのかを知りたい。


[4]>3 レスです。 sptmjp

http://q.hatena.ne.jp/1172062119/75168/#i75168

事実の錯誤+証明対象修正説では、

?裁判時に真実性の証明に失敗したという事は、

行為時にも証明可能な程度の真実性がなかったという事であり

?と説明するのですが、

これはどこの文献に書いてあるのでしょうか?



また私見では上記は必ずしも論理的に結びつきません。



処罰阻却事由と違法性阻却事由とごっちゃにしていませんでしょうか。

「事実の証明」はあくまで処罰阻却段階での話し、「証明可能な真実性についての錯誤」(事実の錯誤)はあくまで違法性阻却事由段階での話しではないでしょうか。


事実の証明がなされれば処罰阻却され、仮にその証明に失敗したとしても「行為者がその事実を真実と誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である」と判事されています。


仮に裁判で真実性の証明ができなかった場合でも証明可能な程度の真実性はあった、つまり健全な常識から真実性を認定するに足りるだけの客観的資料を認識した時は犯罪の故意はなかったと判断されるということです。


[5]>4 話し合いの前提として、確認しましょう。 orph

まず、sptmjpさんは、名誉毀損罪の事例でどの説を採用して、論理構成されますか。

私は、

刑法230条の2の不処罰の根拠の説明では、違法性阻却事由説の立場に立ち、

客観的に確実な資料・根拠に基づいて真実と確信して発言したが、真実性の証明に失敗した場合、名誉毀損罪が成立するかについては、事実の錯誤+証明対象修正説を採用します。


[6]私(質問者)が採用したい説と、そのために私が知りたい部分 orph

処罰阻却事由とは、犯罪成立要件を具備するため犯罪は成立する(違法性・責任故意ともにある)が、一定の事由が存する結果、政策的に、刑罰権の発生が妨げられる場合のことです。

故に、まず、構成要件該当性判断を経て、次に、違法性の判断を経て、さらに、責任故意の判断を経て、故意犯が成立した後、処罰阻却事由の存否が判断されます。

230条1項で、構成要件該当性ありと判断された物は、次に、摘示された事実の真実性を判断される。

真実性があることを証明できれば、違法性が阻却される。ですので、この段階で判断されるのは、処罰阻却事由ではなく、違法性阻却事由です。

刑法230条の2で違法性阻却事由説に立った上で、真実性の証明の失敗の結論を導く方法として、事実の錯誤+証明対象修正説を採用する場合には、

この違法性判断の場面で、230条2項を使い、真実性を証明できた場合のみ違法性を阻却します。

そして、裁判時に真実性を証明できなければ、違法性があると判断されるのです。この部分を私は問題にしています。

犯罪の成立要件は、行為時に認められなければなりません。違法か否かは、名誉毀損の行為時に決まっているのです。

故に、事実の錯誤+証明対象修正説では、

裁判時に要求される「証明があったときは」という訴訟法的な要件を、行為時の実体法的な表現に引き直して、「証明可能な程度の真実性があったとき」と考え、

裁判時に証明できる真実性は、名誉毀損の行為時にも、存在していたはずと、説明するのです。

この説では、裁判時に、真実性を証明できなければ、名誉毀損の行為時にも摘示された事実に関して証明可能な程度の真実性がなかったはずだから、違法になると説明するのです。

違法性があると判断された場合は、次に、責任故意を阻却するか否かの判断がなされます。

裁判時に、真実性を証明できず、行為時にも無いとみなされた証明可能な程度の真実性をあると誤信したのは、相当な理由に基づくのか(この場合は確実な資料・根拠に基づく誤信か)の判断です。

確実な資料・根拠に基づく誤信であれば、故意が阻却され無罪。

確実な資料・根拠に基づく誤信でなければ、230条成立です。



この説では、裁判時に証明できる真実性は、名誉毀損の行為時にも、存在していたはずと、説明しています。これは当然のことで、納得できます。

しかし、裁判時に、真実性を証明できなければ、名誉毀損の行為時にも摘示された事実に関して証明可能な程度の真実性がなかったはずだから違法になると説明している事は間違っているのではないか。刑法230条の2で違法性阻却事由説に立った上で、真実性の証明の失敗の結論を導く方法として、事実の錯誤+証明対象修正説を採用する場合には、

「裁判で証明できない」と「行為時においても証明可能な程度の真実性がない」とを演繹的に結びつける為の理由が必要ではないか。

事実の錯誤+証明対象修正説を採用する人はどう説明するのかを知りたい。


[7]>4 返答していただきありがとうございます。 orph

私の勘違いで、先の記述に誤りがありました。すみません。

訂正いたします。

訂正箇所は、

行為時に証明可能な程度の真実性が「ない」事が前提です。

行為時に証明可能な程度の真実性が証明できない事が前提です。

?裁判時に真実性の証明に失敗したという事は、

行為時にも証明可能な程度の真実性がなかったという事であり、

?行為時には存在しなかった証明可能な程度の真実性を存在すると誤信したので、被告人の違法性が阻却されるか 否かの問題になり、

?違法性が阻却されるか否かの判断は、客観的に確実な資料・根拠に基づく誤信か否かによる

と説明するのですが、

行為時に証明可能な程度の真実性が「ない」事を説明する ?の部分が 間違っているんじゃないかと思うのです。

?裁判時に真実性の証明に失敗したという事は、

行為時にも証明可能な程度の真実性がなかったという事であり、行為の違法性が認められ、

?行為時には存在しなかった証明可能な程度の真実性を存在すると誤信したので、違法性阻却事由の錯誤として、責任故意が阻却されるか否かの問題になり、

?責任故意が阻却されるか否かの判断は、客観的に確実な資料・根拠に基づく誤信か否かによる

と説明するのですが、

行為時に証明可能な程度の真実性が「ない」事を説明する ?の部分が 間違っているんじゃないかと思うのです。

「行為時において証明可能な程度の真実性がない」と言えないとすれば、そもそも、何故、罪に問われるのか分からなくなる。何故、構成要件に該当するのかが不明になる。

230条1項で既に構成要件には該当していますね。

以上が訂正箇所です。

しかし、訂正した後でも、依然として、

「裁判で証明できない→行為時においても証明可能な程度の真実性がない」が必然ではないので、

「裁判で証明できない」というだけでは、名誉毀損行為の違法性を認められず、

刑法230条が成立しません。

故に、

刑法230条の2で違法性阻却事由説に立った上で、真実性の証明の失敗の結論を導く方法として、事実の錯誤+証明対象修正説を採用する場合には、

「裁判で証明できない」と「行為時においても証明可能な程度の真実性がない」とを演繹的に結びつける為の理由が必要ではないかという疑問が解消されません。

事実の錯誤+証明対象修正説を採用する人はどう説明するのかを知りたいです。

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