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http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50774093.html
私は大学教員をしていますが,指導している学生には小飼弾さんのいう「バカ」になって欲しいとつくづく思います.ちなみにここでの「バカ」というのは,激しい情熱を持って何かに取り組むといったような,ある種の挑戦,非常識な取り組みのことだと理解しています.その結果,貴重な経験を得たり,視野が広がるといった,プラスの効果が期待できることは間違いないと思います.
どのようにしたら学生諸君に「バカ」になるための取り組みをはじめてもらうことができるでしょうか.
弾さんは気軽に「『バカ』になれ」とおっしゃいますが,同じことを学生に伝えても,それだけではなかなか難しいです.もちろん私の指導力不足が一因であることは承知しているのですが,それを補うなにかよいアイディアがあればぜひ答えをお願いします.

●質問者: hananomai
●カテゴリ:学習・教育 人生相談
✍キーワード:「バカ」 アイディア プラス 力不足 大学
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

▽最新の回答へ

1 ● sadajo
●17ポイント

http://www.nishida-peer.org/seminar/welcome-01kawano.htm

3を参考に

◎質問者からの返答

大変面白そうな先生ですね.参考になりました.


2 ● なぽりん
●17ポイント

私の10年以上前の思い出からすると、学生時代というのは、

お金もないし(ある人も居たけど)

時間もなかった(ある人もいたけど)と

非常に足かせを感じる状態でした。


彼女・彼氏のゲットばかりに情熱を費やしてと嘆かれることが

多かったのですが、打算的だ利己的だといわれながら

彼女・彼氏を必死でゲットすることにより

学生にとってどれだけの時間と光熱費・食費が浮くのか

(逆に費やすことも多いけど)、

社会人は計算したことがあるのかヨと

思ったものでした。


心理的・社会的な枷があると「バカ」にはなりにくい。

というか、とてもなれない、なりたくないです。

では「情熱」はというと、これも心理的に

無駄にどんどん発揮することはできないですね。

たぶん、まずは「要領の良さ」ばかりを

追い求めてしまうのは仕方がないことなのです。

(それに社会人になってみると

要領が良いことは決して悪いことではないです。

誰でも払ってる税金をはじめとして、

要領をわかっていることでどれだけ得するか。)


ただ、今になってみるとそのくだらないけど必死な

「要領のよさ」が最終的に「バカ」だったということは

ありえます。

バカへの忌避感で、とっちらかった何でもありな未来への道を

追い立てられるようにじりじり進んでいるのが彼らです。

だから、「バカ」=「悪くない」を伝えるより

「「要領がよい」のなかに、後で見れば「情熱」になるものと、あとでみれば「バカ」になるものがある、その区別を今から大事に考えろ、人生は1つを失うことで一つを得る取引(ジャンプの漫画で有名な等価交換の原理。化学系なら質量保存則)の連続だが、

自分の人生の最終目的はなんなのかよーく考えろ、

卒業時の自分がどうあるべきか考えろ」と伝えるほうが

先決なんじゃないかなと思うんです。

よくあるノートのコピーにしても、サボりにしても、

最終目的とか順位がしっかりしていれば情熱ですよね。

逆にインターネットで情報収集してしっかりしているように見えても、

情熱が間違った方向にいって、怪しい掲示板の魅力にひきこまれて

夏休み中ずっと一日中張り付いているようになってしまっては

本末転倒です

◎質問者からの返答

10年ぐらいたつと,学生時代の貴重さがわかってきますよね.

>自分の人生の最終目的はなんなのかよーく考えろ、

これはそのとおりかもしれませんね.

長文の回答ありがとうございました.


3 ● ただたらい
●16ポイント

「バカ」になる、というか、とりあえず、動機付けをさせなければならないのかな、と思います。

そこで、当方の経験ですが、以下の二つの手法をおすすめします。すでにやっておられたら申し訳ないのですが…。

また、対象とする学生の人数、専攻、学年によっても変わってくるとは思います。


(1)相互教授法

http://www.beatiii.jp/beating/017.html

簡単に言ってしまえば、「教えることによって学ぶ」ですが、グループの中で役割を明確にすることにより、立場が違うと見方がちがう、ということを実感させるものです。

社会人になると、こうした立場の違い、見方の違いというのは自ずとわかるのですが、学生の間は、同じサークル、同じ専攻、同じ出身などで固まるケースが多く、わかりにくいのではないかと思います。

最初は、教員と学生の間の相互作用(コミュニケーション)が大切ですし、それがないと成り立たないのですが、学生同士が慣れてくると、学生同士の相互作用でも、そして、自分自身のなかの相互作用(自問自答、自分で考える)でも、学習が成立することが期待されます。


(2)グループワーク

すでにされていると思いますし、また、前提条件として無理な場合もあるかもしれませんが、できるだけ、違う専攻、違う学年でグループを構成することをおすすめします。

これは、(1)とも関連するのですが、コミュニケーションを積極的に行わせるためには、「え?知らなかった」「そういう考え方もあるんだ?」と、ある意味びっくりさせることも必要です。

日々の学習の中で、こうした驚きを教員が与え続けるのはやはり、限界もあるので、これを学習者同士で行う、という方法です。

同じ事象でも分野が違うと切り口が違いますし、学部生と院生ではやはり「年の功」で、その分野に対する基本的な知識量が違う場合があります。また、社会人などが混ざっていれば最高ですね。

このグループワークにおいて、教員は、学生同士のコミュニケーションが活発になるようなテーマを作り、もしくはテーマを作らせ、環境を整え、たまにはカンフル剤で介入し…ということが必要になってくるでしょう。


参考になれば幸いです。

◎質問者からの返答

教えることは自分にとって最大の教育だったりします.私はゲームを研究分野の一つにしていますので,ご提案の取り組みの有効性もよくわかります.切り口を変えるというのはやはりポイントかもしれませんね.ありがとうございました.


4 ● duck75
●16ポイント

http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/archives/50067272.html


「バカ」になれないっていうのは、実はちょっと逆説的ですが、「視野が狭い」からなんじゃないか、と思ったりします。


「バカ」になる、っていうのは、ある意味、それまで自分の積み上げてきた分野での業績、知識、常識、パラダイムなど一切合財を捨て去る、ということは、自分にいま見えている視野を絶対視せず、相対化して、別の見方にシフトすることができる、ということですから。


そういう意味で、なんだか「バカ」から若干離れてきている感がしなくもないですが、哲学、思想、文学、芸術、宗教、文化人類学、民俗学、外国語(翻訳)など、おおまかに括ると、「比較?学」といわれる分野を学ぶことは、自分の視野を相対化するひとつの有効な手段かもしれません。

◎質問者からの返答

jobsのスピーチはいいですね.相対化する視点も大事ですね.特定分野の研究をしていると,つい忘れそうになります.

「一切合切を捨てる」というフレーズがぐっときた感じがします.教える方法についての質問だったのですが,やっぱり自分が得してるかもしれません.


5 ● sharia
●16ポイント

アリハウスはどうでしょうか。

http://www.chikawatanabe.com/blog/2006/11/post_2.html

◎質問者からの返答

旦那さんのようにならないか心配です..


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