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幕末の維新志士達が長崎にいた、ことには
理由が幾つかあると思います。

坂本龍馬やそれ以外にも。

時代背景なども含めて、分かりやすく説明している
ページを教えてください。

よろしくお願いします!

●質問者: shoma22
●カテゴリ:旅行・地域情報 芸術・文化・歴史
✍キーワード:坂本龍馬 幕末 長崎
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● tokyosmash
●35ポイント

幕末の長崎に志士が集まっていたとのイメージがあるようですけど、海援隊(亀山社中)のメンバー以外はそんなに居なかったと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%8F%B4%E9%9A%8A_%28%E6%...

長崎は当時唯一の開港地だったために、武器を買い入れるために薩長(つまり志士側)の上級武士は出入りしていたと思いますが、一般的な志士はそんなにいなかったのではないでしょうか。

志士を輩出していた薩長土以外ではやはり京都が圧倒的に多くて、江戸もそれなりに居たでしょう。長崎は特筆するほどの事はなかったと思います。

◎質問者からの返答

なるほどー。

ありがとうございます。

あまりいなかったのですね。他と比較すると。

ただ、私が知りたいのは、少ない人数だとしても、その人達が長崎に居た理由なので。

これ以降に回答していただける方、

具体的な人物の名前を出して貰って、

その人物が長崎にいた理由を教えて貰うことは

できないでしょうか。

よろしくお願いします。


2 ● kitchensamurai
●35ポイント

まず、土佐藩では後藤象二郎。

http://www.eonet.ne.jp/~kazusin/tosa/gotoshojiro.htm

それから佐々木高行。

http://www2.inforyoma.or.jp/~kaien/html/ziken11.htm

佐賀藩では、大隈重信、副島種臣がいました。藩の英語学校、「致遠館」が長崎に開設され、

そこの責任者として派遣されたのです。

http://www.waseda.jp/jp/okuma/educator/educator01.html

鳥羽伏見の戦いのあと、長崎奉行が逐電してしまいます。

それで、在留の外国人に対して、以後は諸藩が共同して事務を行うと通告して、

奉行所の運営にあったのが、佐々木、副島、大隈を中心としたひとびとでした。

まもなくして、澤宣嘉、井上馨などもやってきます。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/03/post_d045.html

◎質問者からの返答

なるほど。

分かりやすくありがとうございます!

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