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釈尊の如薪尽日滅って、なんですか? 釈尊は火に入って死んだってこと? あと読み方も教えてください。その行為にいたった前後あたりの経緯ふくめ、できるだけ詳しい解説希望です。

●質問者: neyorawa
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:前後 希望 釈尊
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● kappagold
●27ポイント ベストアンサー

仏此夜滅度 如薪尽火滅

仏此の夜滅度したもうこと 薪尽きて火の滅するが如し

生命はよく火に例えられます。人間の生命とは煩悩という薪を焚いて燃やして生きているようなものだというのです。 「あれもしたい。これもしたい」 こういう欲望があって、それを達する為に生きているのが我々なのです。ですから、こういった欲が無くなれば生きているのが無意味になり、生ける屍となってしまいます。食を求めるのも欲、財産・地位・名誉・住居を求めるのも欲なのです。

こういった欲の為に悩むのを煩悩といいます。メラメラと心の奥から沸き上がってくる煩悩のことを火と表現し、火の種である薪が無くなり、火が消えるようになるのが理想の入滅(死)です。しかし現実にはそういった人は少なく、なんらかの悩み(子供・財産・死の恐怖など)に引きづられながら完全燃焼の死をむかえるのです。・・・日月燈明如来の入滅は夜であり、薪が尽きて火が消えるような理想的な入滅であったというのです。


http://www006.upp.so-net.ne.jp/shorikai/sub182.htm


以下のサイトの終わりの方にもちょっとだけ説明があります。

http://www.shogoin.or.jp/nanikuwa.html

◎質問者からの返答

とてもよく理解できました。ありがとうございます。


2 ● markII
●27ポイント

http://www.shogoin.or.jp/nanikuwa.html

日滅ではなく火滅ですね。



更に五仏の三昧地に入る六大理観のことや、尽深の説明を要するものがあるが、

特にあげておきたいものは、

採燈の文に 四大和合身 骨肉及手足 如薪尽火滅 皆共入仏地 の言葉。

採燈護摩では乳木が百八煩悩を表すのみならず、これが即ち我々の骨、肉である。

煩悩に充ちた私達の体を焼きつくす、即ち自分をそのまま仏に供養する、

ここに生まれ変わり自身が浄化されるのです。

供養の最大なるものは我が身を直ちに仏に差し上げる。

自分を捨て仏の役に立てるところにある。香花果物等の供物も、自らの心を仏に

奉るところにこそ生きた尊い供物となってくるのです。

◎質問者からの返答

訂正まで、ありがとうございます。「ひ」で変換ミスでした。


3 ● csc
●26ポイント

http://www.shogoin.or.jp/nanikuwa.html

このページの下段に

煩悩に充ちた私達の体を焼きつくす、即ち自分をそのまま仏に供養するとある

◎質問者からの返答

どうもありがとうございます

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