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衣川の戦いにおける源義家と安倍貞任との和歌による歌問答についてその内容、歌などを詳しく教えてください。

●質問者: axwgt
●カテゴリ:学習・教育
✍キーワード:和歌 安倍 源義家 衣川
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● torisugari
●40ポイント

http://oak.zero.ad.jp/teru/gakusyu/kokontyo/kinu/index.html

義家・衣のたてはほころびにけり

貞任・年を経し糸の乱れの苦しさに

◎質問者からの返答

端々を忘れ始めていました。これでよくわかりました。ありがとうございます。


2 ● Baku7770
●20ポイント

日本の城大全・東山道・衣川柵

義家が衣川の館(たち)と衣類の縦糸をかけて「衣のたちはほころびにけり」と詠んだところ、貞任は裏切りを知っていたため、「年を経し糸の乱れの苦しさに」と詠み返した。と言われています。

貞任の歌の解釈は、衣を何年も着ていると糸がほつれて、組織も何年か経つと統率が乱れてと解釈されます。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。いろいろとわかりました。


3 ● TNIOP
●20ポイント

http://www003.upp.so-net.ne.jp/s-waichi/gosannnenn.htm

前九年の役で、義家が活躍しはじめる。この時期辺境の砦は「柵」と呼ばれたが、義家は次々と破った。

ある時「衣川柵」(岩手県・平泉町附近)も落した。その衣川に安倍貞任がいた。敗走する貞任を、義家

が馬で追った。追いながら 「衣のたて(館)はほころびにけり」 と歌の下の句を貞任に投げつけた。

と貞任は振り返り、にっこり笑い 「年を経し糸の乱れの苦しさに」 と上の句を返してきた。

義家は唖然・感動した。無知で卑しいとされる辺境の武人が、都の人間以上に「雅心」をもっていたとは。

義家は、この時追跡をやめたという。いわゆる「名場面」は義家と貞任の歌問答として知られる。

◎質問者からの返答

いろいろと解説もいただきありがとうございました。

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