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神はいる、と論理的に説明できるかた、お願いします。
感情論、妄信的説明はご遠慮ください。また、おそらくほとんどにこちらから反論の予定ですので、その心づもりでご回答お願いします。ちなみに反論はしていても、それは敵対の意志でも宗教を否定する意図でもありませんので、そこは予めご理解ください。ただ、つきつめたいだけです。それに感情的にならずにおつきあいいただける方のみ、お願いします。

●質問者: neyorawa
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 人生相談
✍キーワード:あい ほと 宗教 意図 感情的
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 35/35件

▽最新の回答へ

1 ● castiron
●12ポイント

「神はいる」ということは結局「神」とは何なのかを定義することに他ならないと思います。

なぜなら神はキリスト教にとっての神、イスラム教にとっての神、私にとっての神とどの神も「神」という名称は同じでも

それぞれ違うものです。

(それぞれの宗教に知悉している訳ではないのでイメージです。)

ここで「神はいる」ということを説明する上で私は万人が持ている神のイメージの共通項だと思われる「人智の及ばぬもの=神」として

話を進めていきます。

(ここで既に人智の及ばぬものについて考えるという矛盾をはらんでいる・・・)

では人智の及ばぬものとは何なのかそれは未知ということだと思います。

「わからない」ということこそが神であるならばその領域は減っても決して0に収束することはあり得ません。

そして現時点でわからないことというのは無限にあると言っていいほどあります。

よって「神はいます」。非常に現実的な存在ですね。

こう考えてみると「神」は何も行いません。ただいるだけなのでしょう。

そういうものに対して勝手な解釈をするから訳のわからぬ争いも起こるんでしょう。

◎質問者からの返答

たいへんお待たせしました。castironさん、いつも刺激的なご回答、楽しませていただいています、ありがとうございます。今回は遠慮なく反駁させていただきますが、ご容赦ください。

「未知こそ神である」との前提で論が進められていますが、「神は未知なるもの」でこそあれ「神は未知ということそのもの」ではないと思います。

個人的いち解釈でなく、「万人のもっている神のイメージ」からひねくれず判断するに、です。

「神=未知」のロジックにおいては、未知であることはすべて神となり、宇宙の果ても神、人間の心も神、ひいては僕にとって僕の知らない知識はすべて神となって、ちょっとおかしなことになりそうです。

反論、お待ちしてます。


2 ● kira2007
●12ポイント

いる。断言します。アインシュタインのビッグバン仮説が、実はキリストの聖書の創世記だとしっていますか?

貴方のいうところの神の概念が良くわかりませんが、

私は「宇宙の大いなる意思」と仮定してお話します。

仏陀にしろキリストにしろ実は人の子であって神ではありません。実在する人物です。

聖書や仏典には、処女懐妊とか、仏陀は木の又から生まれたという事が書かれていますが、私はこれは非科学的でありえないと思います。

たとえば地球上に生物が誕生したのは、ライアル ワトソン氏によると、サルにタイピングさせて、人間が理解できるくらいの文章ができるくらい理論的にはありえないそうです。

考えてみてください。物質から生命に変化するって、逆に科学で説明がつきますか?生命という言葉は意思を持った物質ととらえてもらって結構です。

人間の科学なんて全宇宙の説明をすることなど、まだまだ全然できていないのです。だから、アイン シュタインは「ビッグ バン

仮説」とした。そういう事です。

科学で説明できない事、それが宗教なのではないでしょうか?

まあ、私はキリスト教徒でも、仏教を信じているわけではありませんが、たとえば、聖書というのは、「人間は何故人を殺してはいけないの?」というのが誰も理屈で説明できないので、「聖書にかいてあるから」とか「地獄に落ちるから」とか説明するのです。

倫理を説くのも神=宗教にしかできない事ではないでしょうか?

「人生の意味」を哲学者たちは研究してきましたが、結局、宗教の理屈を使わずには、これを解明することができませんでした。

逆に「何故 殺人を犯してはいけないのか?」というのを論理的に説明してもらいたいものですね(笑)

◎質問者からの返答

ビッグバンの件は知りませんでしたね、ありがとうございます。

科学で説明がつかないから神はいる、は無理があるように思います。

反証可能性という言葉があります。反証の可能性があるものが科学、そうでないものはよくオカルトと呼ばれます。つまりオカルトとは反証不可能なところに逃げた仮説です。

反証不可能なものをすべて真実と認めるならば、「ムー」に出てくるような世界はすべて本当となります。そうではないですよね?


3 ● miharaseihyou
●12ポイント

「神」というと「信仰の対象」と答えてしまいそうですが、実は違います。「宗教」という「産業」は手当たり次第に人々の心の海に錘を垂らすのですが、広大無辺の海は変幻自在で深淵は果て無きものです。とは言え現実には人知の限界というものが存在します。限界の範囲内で一般に受け入れられている心理的なノウハウの無難なシステム、その内の一つが「ある宗教」です。受け入れられなかったらどうなるかというと「オ○ム心理教」のような消えていった宗教はたくさん有ります。信仰してもらってナンボの世界です。つまり信じる人の心の中には「神」は残念ながら存在します。

◎質問者からの返答

心の中には神はいる、という宗教観には反論できません。ぼくの宗教観でもあります。今回、反論しようと考えているのは神の実在証明にたいしてです。

そもそも質問の動機は、有神論者の多くが神を実在するものとして語ることへの違和感、「見たこともないのに、証明もできないのに、なんで”実在する”と信じられるの?」という気持ちです。


4 ● TNIOP
●12ポイント

神はいる、といっても神の定義はいろいろあるのでどれを指しているのかがわかりませんが、「心の中に存在する神」として説明します。


神というのは本来自分達のことを指しているのだと思います。

何かやましいことを考えるようになると、それを具現化しようと思う人間が現れて、最終的には自分にも被害が及ぶ。

この一連の流れが「神の行為」ということです。

思想や行動を抑制する概念が神として存在しているのだと思います。

◎質問者からの返答

基本的には上におなじくですが、TNIOPさんの解釈は無神論者が神を定義するにあたり使える説明だと思います。実在としての神への議論もこのあと出てくると思いますので、そっち方向でもぜひ再度ご参加ください。


5 ● ex-0808
●12ポイント

科学的に見て、生物の誕生の瞬間や宇宙の誕生などは人間の想像すら超えた状態が存在しています。


人間が想像することすら出来ない

=すべての生物が認識出来ない事象

=神(と呼ばれるもの)の意識化でしか存在出来ない

◎質問者からの返答

生物の誕生は「有機物→単細胞生物」といちおう説明されていたと思います。宇宙の誕生もいちおう「ビッグバン」とかで説明されています。それをもって”証明できている”とまで言うつもりはありませんが、”想像すら超え”てもいないと思います。

つまり次の「認識」についても、「絶対に認識できない」のでなく、「いまは認識できてない」にすぎなく、解明への途上にあるだけです。

おっしゃる論理では、科学が未発展の時代においては、リンゴが木から落ちることは神の証明たりえたわけで、いまや神は否定されています。

また仮にリンゴと宇宙は別だとして、今度ばかり、宇宙ばかりは絶対に知り得ないということであっても、知り得ないから神はいる、では完全な証明にはなりません。知り得ないがゆえに、”存在の可能性は否定できない”というのにすぎないと思います。


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