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理数系が得意な人と、文系が得意な人がいるのはなぜですか?高校の先生も、予備校の先生も、理系分野も文系分野も結局は「論理を追うこと」だと言っていました。僕は小さい頃から理系分野が好きでしたが、生物や地学はよくても微積や物理になるとどんなに勉強してもものになりませんでした。ただ、文系は勉強しなくてもそこそこ取れたので、結局文系に進み今に至っています。好きこそものの上手なれと言いますが、好きでも上手になれず、嫌いでも適性のある分野があるのじゃないかと思うようになりました。両方できる人は別として、理系、文系と得意分野が分かれてしまう謎について教えてください。仮説でもかまわないです。どちらも「論理を追うこと」なら、どっちもできていいのに、どっちかに偏ってしまう傾向があるのは何故なのでしょう?本当は理系に進みたかった者より。

●質問者: Vegasindy
●カテゴリ:学習・教育 人生相談
✍キーワード:予備校 先生 勉強 地学 微積
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 14/14件

▽最新の回答へ

1 ● kitata1
●15ポイント

これは私の考えですが、それは理系は好きだが得意ではない文系は嫌いだけど得意と言う状態なのではないでしょうか?

つまり、理系は面白いけど上手く理解ができないか覚えられない。

文系は面白くないけど理解ができるかうまく覚えられる。

これが私の考えです。違ったらすいません。

◎質問者からの返答

その通りだと思います。ただ、もう少し突っこんで、おもしろいのになぜ理解できないのか、なぜおもしろくもないのに理解できるのか、教えてもらえるとうれしいです。単純に、理系はおもしろいけど難しいから理解できなくて、文系はおもしろくないけど簡単だから理解できるというのならいいのですが、それだと理系科目は得意なのに文系科目はできないという人を説明できなくなってしまいます。また、好きだからできる、嫌いだからできない、というのならわかりますが、好きなのにできない、好きじゃないのにできるという人がいるのは何故なのか、そこんとこを知りたいと思っています。回答ありがとうございます。


2 ● cymneve
●15ポイント

>どちらも「論理を追うこと」

これを言った人は文系だと思います。私は、理系とは人間嫌いな人というか自然を見て何か発見するのが好きな人で、文系は人間を見て人間とは何かを考えるのが好きな人だと思います。生物が好きな人はこの中間でしょうか。

物理は自然の動きや構造を説明します。化学は物質の振る舞いを説明します。数学は、それら説明する為を言語に相当します。

理系の人が文系の科目を嫌いなのは、文系の科目の教師がツマラナイ人間である(理系の人から見て)からだと思います。

また授業も教科書を読むだけで、実験等実技が無いのが退屈にさせます。

学校を出て年月がたてば、大概人間の歴史や文学に興味を持つことでしょう。

音楽や美術等は学校時代から趣味としてやる人も多いです。音楽も美術も数学で説明できそうで出来ないところが大変興味深いところです。

学校生活等で自分のミス等で自分が窮地に陥ると、理系なら黙るかぶっちゃけるかしますが、文系なら、責任転嫁して逃げるか大嘘かまして先延ばしするかします。

職業訓練等で言うところの「適性」は技能能力を指します。手先が器用かとか、同じことを何時間も繰り返せるかとかの傾向を見ます。

当人の興味の対象とは関係ありません。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

>理系とは人間嫌いな人というか自然を見て何か発見するのが好きな人で、文系は人間を見て人間とは何かを考えるのが好きな人だと思います。

このご意見には納得させられるものがありました。


3 ● adlib
●12ポイント

文系理系分離論 ? わたしのケース・スタディより ?

小学生のころから、やや不得手だった算数が幾何や代数になって益々

苦手になり、化学記号から化学式に至って、ついに絶望しました。

いまになって、担任教諭の影響ではなかったかと空想しています。

小学校三四年は理系の男性教諭、五六年は文系の女性教諭でした。

私立の中学校では理数英、高校では理理理とつづいた結果、留年して、

最後にようやく文系(日本史)の恩師にめぐりあいました。

担任以外の理系教諭に、とても現実的な合理主義者が存在しましたが、

むしろ文系教師に、現実的思考の持主が多かったのです。

理系教師は(一般論として)日常思考では精神論者らしいのです。

たとえば、なぜ勉強しなければならないか、という疑問についても、

理数系の担任は、だれひとり明快な理由を示してくれませんでした。

まじめに勉強するのが当然だ、と問答無用なのです。

ところが、ただひとり文系の先生は、つぎのように分析されたのです。

いまの高校教育は、大学進学のためのカリキュラムだから、学問的に

完結していない。すぐに役立たないのを承知で、大学を目ざすべきだ。

卒業目前に、初めてこのような論拠に接したのは、遅きに失しました。

いま思うに、小学校の文系の女性教諭も、受験については明快でした。

「首席でも末席でも、他人から見たら同格」という態度だったのです。

おそらく青少年期の適性などは、右利きか左利きかほどのちがいで、

社会人として要求されるのは、もっぱら説明能力ではないでしょうか。

すなわち、理系集団と文系集団では、説明技術がことなるのです。

小泉首相が「会社もいろいろ、社員もいろいろ」と答弁したように、

安倍首相まで「年金もいろいろ、掛金もいろいろ」とは強弁できません。

要するに、同意が得られない説明など、しょせんは無用なのです。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。出会うことのできた先生の影響というのは大きいと私も思います。


4 ● white-whale
●15ポイント

理系でも生物や地学は暗記系が多かったはずです。

おそらくこの場合の理系好きというのは「より具体的な新しいこと、イメージしやすいことを知るのが好き」だからではないでしょうか。文系、主に歴史系が理解しやすいというのはある出来事が起こり次に何が起きたかという流れが分りやすいからだと思います。

物理や数学の微積は「あるきまりごとの中でものを考える」のが肌に合わないから不得意だったのではないでしょうか。基本となる抽象的な枠組みを意識してつかもうとしないと、どんなに問題を解いても身に付かないのです(論理的理解が出来ないため)。

論理を追うのは得意だけど文系が出来ないという人はおそらく「暗記が嫌い」または「現代文、特に評論の解き方を習っていない(これを教えるにはきちんとした訓練が必要で、良い教師に巡り合うのはまれ)」のいずれかだと思います。

論理を追うのは得意だけど理系が出来ないという人は「きまりごと」と「典型問題の重要性」を把握していないからだと思います。

数学も確かに論理的理解は必要ですが典型的な問題は暗記のような状態になっています。基本が大事、というのはこれを覚えないと論理的飛躍のある問題が解けないからです。また東大文系などの良問はこれだけでは解けず、文章を正しく読み取り論理的に考え試行錯誤する力が必要とされます。

こんな感じでしょうか。人に聞かないと分らないこともあると思いますがネットでは人に聞くのも簡単なのでもう一度挑戦するのも悪くないと思います。

余談ですがこれからは文理横断的な能力が必要とされることが多くなると思います。例えばそれは文化的衝突だと思われている問題の背景にある経済格差を解決したり、医療の発展とともに複雑化する倫理的問題を考えることなどです。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。もう一度理系を勉強したいと思いますが、ネットで色々なことを調べたり聞けたりする現在は、どんな勉強をするにあたってもいい状況なのかもしれませんね。


5 ● bangohan
●6ポイント

高校程度なら、論理力が弱くても文系科目なら対処できる。微積や物理はもっと論理力が要求される。

論理力が足りなかったということでは?

◎質問者からの返答

ありがとうございます。微積や物理の方が論理力が要求されるというご意見ですね。

ただ、論理力だけの差であるとするなら、微積や物理のように高度な論理力を必要とする学問は得意なのに、文系科目は苦手とする人を説明できないと思います。


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