人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

「第二次大戦中九州などに疎開した沖縄の児童が非常に優秀で、疎開先地域の上級学校への進学者の大部分を占めてしまった」というような話が小林よしのり氏の最新刊にありました。この裏付けを取りたいのですが。

●質問者: qqc77r49
●カテゴリ:学習・教育 芸術・文化・歴史
✍キーワード:中九州 児童 地域 学校 学者
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● minkpa
●27ポイント

最近の小林よしのり氏の書籍に書いてあるものは裏付けを取らず推測で書いているものがほとんどですよ。

◎質問者からの返答

情報有難うございます。ですがこのコメントでは店先で「ここには売ってません」と言われているようで、お代は払えない気持ちになります。すみません。


2 ● macbeth
●27ポイント

まあ一般論になりますけど、その昔、小林よしのりさんが柳美里と論争になったとき

「わしは裏はとらん!」

と公言してましたから、話半分に聞いておけばいいんじゃないですか?

◎質問者からの返答

情報有難うございます。ですがこのコメントでは店先で「ここには売ってません」と言われているようで、お代は払えない気持ちになります。すみません。


3 ● filinion
●26ポイント

みんな、小林氏が嫌いなのはわかりますが……。質問に答えてない……。

私も嫌いだけど。

http://k0001.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec04/cont00/docu140.htm

上のリンク先には

「疎開学童は、国民学校を卒業すると国庫補助が全面的に打切られた。就職し、自立せよとの通達であった」

と書いてあります。

「加久藤の疎開学童、及び野尻の疎開学童合わせて十数人が進学した。(略)学資等は、疎開学童へ毎月生活費として給付される国庫補助金の中から捻出した」

とあることから考えても、そもそも経済的にあまり多数が進学できたとは思えません。

ただ、十数人、というのは、2校合わせて71名のうち、ということです。

以下の記事でも、80名の児童から11名が進学したと書かれています。

http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap02/sec04/cont00/docu146.h...

学年の人数構成がわからないのですが、下の記事によれば、

http://www.ne.jp/asahi/gakudosokai/s.y/sub33.okinawanosokai.htm

「国民学校初等科第三学年ヨリ第六学年マデノ男児希望者」

ということですから、卒業学年に当たっていたのはおよそ1/4程度でしょうか。

そう考えると、進学率が50%程度だったわけで、旧制中学の他に農林学校なども計算に入っているとはいえ、当時としては決して低くない水準だったと思います。

とはいえ、「進学者の大部分を占め」るには、絶対的に人数が足りないのは自明と思いますが。

◎質問者からの返答

丁寧で貴重な情報有難うございました。少し実状が見えてきました。

この際、好き嫌いは抜きにしてよろしくお願いします。

関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ