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1956年(昭和31年)7月8日に行われた第4回参議院議員通常選挙において、
以下のような結果でした。

与党:自由民主党122議席
野党他:128議席

自民党が負けたかたちになっていると、
思うのですが、

☆もともと何が争点とされた選挙だったのか
☆総辞職に至るまでの経緯
☆その他当時の詳細な状況

各党の党首名なども分かるのであれば、できるだけ詳しく、当時の状況を知りたく思います。

どなたかご存じな方教えてください。

●質問者: shoma22
●カテゴリ:政治・社会
✍キーワード:1956年 7月8日 与党 参議院議員通常選挙 昭和31年
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● Dennis1
●35ポイント

各党の党首名

自由民主党 鳩山一郎

日本社会党 鈴木茂三郎

日本共産党 野坂参三

そのほか、政党・政治団体は緑風会、創価学会があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC4%E5%9B%9E%E5%8F%82%E8%AD%...


第3次鳩山一郎内閣

在任期間:1955年11月22日?1956年12月23日総辞職

http://www.promised-factory.com/100years_after/cabinet/hatoyama3...

鳩山の引退により石橋内閣に変る。

この時は単に引退により、石橋内閣となった。

http://www.ishibashi-mf.org/profile/



1956年当時は戦後政治

http://homepage3.nifty.com/katote/Jf.html

第2期「イデオロギー政治」(1953-60) サンフランシスコ講和条約にもとづく独立は、日米安保条約にもとづく米軍基地を残し、沖縄・小笠原は米軍施政権下にありましたが、日本の経済復興・国際社会復帰の条件をつくりました。二度と戦争を繰り返さないという日本国憲法の精神は、学校教育を通じて定着しはじめ、「平和と民主主義」が革新勢力の合言葉となりました。朝鮮特需で復興軌道にのり、50年代後半に急成長する日本経済は、国民の生活向上・消費ブームをよびおこし、家庭電化製品が狭い家に整うようになりました。55年に社会党が再統一し、保守合同で自由民主党が結成されて、「55年体制」とよばれる保守・革新対決の構図が定着しました。自民党は復古的改憲を党綱領に掲げましたが、いわゆる戦後民主主義の力に阻止され、60年安保闘争で対決は頂点を迎えます。

◎質問者からの返答

参考になります。

詳細、当時の状況が分かりますね?。

ありがとうございます!


2 ● Dennis1
●35ポイント

第4回参議院議員通常選挙 当時の状況

55年体制下での最初の国政選挙となった第4回選挙

第4回(1956年、上図)・第5回(1959年、下図)参議院選挙の結果。

1955年、自民党が誕生、社会党も再統一されて、いわゆる「55年体制」がスタートしました。そして1956年7月8日、55年体制での最初の国政選挙として第4回参議院選挙が行われました。

憲法改正を考える鳩山政権と与党自民党は、改正発議に必要な参院での3分の2以上確保を目指しますが、結局あまり自民党の議席は伸びずぎりぎり過半数。社会党が改正発議阻止にあと一歩のところまで議席を伸ばします。

緑風会はさらに議席を減少させてしまいます。自民党などへの流出も相次ぎます。公明党が議席を獲得します。

http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20070615A/ind...

◎質問者からの返答

これはオールアバウトですね。

分かりやすいです。

参考になります。

ありがとうございます。

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