人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

現存するものの中で最古の“日本地図”は「行基図」であるといわれており、その原因は当時貴重であった紙に書かれたものは紙が漉き直され残っていない(行基図は布に書かれたものが残っている)というものらしいですが、

では、日本で“紙”に地図を書きそれが普通に残るほど紙が貴重でなくなったのはいつごろでしょうか?
活版術が伝来した時期ということになるのかもしれませんが、そうであってもそれ以外でも教えて下さい。
宜しくお願いします。


●質問者: ryota11
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 生活
✍キーワード:地図 普通に 行基
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● KUROX
●200ポイント

■紙・日本へ

http://www7.wind.ne.jp/hiraide/basic/history2.html

■印刷と版画の歴史

http://www.lian.com/TANAKA/comhosei/print/PP.html

■活版印刷

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E7%89%88%E5%8D%B0%E5%88%B...

中国で11世紀ぐらいにはあったようですね。

■土佐和紙

http://iroha-japan.net/iroha/C05_paper/07_tosa.html

平安時代からありますね。

------------------------------------------

平安時代には、貴族階級なら紙は普通につかえたと思えま

すが・・。

遣隋使を派遣するのに、地図も何もなくは無理そうですけど

どうやって行ったのかは、今のところ見つからないですね。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

印刷術自体は平安時代からあるのですね。

その印刷術が本格的に普及したのは明治に入ってからかもしくは入る直前のようです。

つまり紙がそれほど貴重でなくなったのも明治あたりからということなのでしょうか。


2 ● pikupiku
●150ポイント

紙が貴重でなくなったのは江戸時代に入ってからではないでしょうか。

庶民も本を読むようになって出版部数が増えるに従い紙の生産も増えたはずですので。



「江戸時代の初めでは井原西鶴の『好色一代男』や近松門左衛門の『曽根崎心中』などがその一例でした。

江戸時代の中・後期になると出版部数が数千部に達するものもみられ、柳亭種彦(1783?1842)の『偐紫田舎源氏にせむらさきいなかげんじ』 にいたっては刊行された38編それぞれが一万部以上も売れたといいます。」


江戸時代の ベストセラー

http://www.city.nagaokakyo.kyoto.jp/Files/1/12100001/html/tenji/...

◎質問者からの返答

あぁ、確かにそうですよね・・・。

木製パルプの印刷術が伝わったのは明治に入ってからとのことですが、それ以前にどうやってそんなに大量に印刷していたんでしょう・・・。

謎です・・。

関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ