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【イエはてな】イエ・ルポ#035
街を見渡せば、100通りの家族に100通りの家。家をのぞいてみれば、それぞれの暮らし振りが面白い!“イエ・ルポ”とは、実際に見たり聞いたりしたイエの話、またはご自分の家の暮らしの中で生まれたユニークな工夫やアイデア、習慣や出来事をミニルポ感覚で書き込んでもらう“イエ・ルポタージュ”コーナーです。
*〈今週のお題〉に沿った、みなさんが知っている面白いイエの話を教えて下さい。
*〈今週のお題〉以外の話題のイエ・ルポも常時自由に投稿して下さいね!

イエ・ルポ #035 THEME「心ポカポカ!おじいちゃん、おばあちゃんの思い出」を教えて下さい

→ルポ例はコチラ
http://d.hatena.ne.jp/ie-ha-te-na/20070820

※今回の「いわし」ご投稿はは8月23日(木)正午で終了とさせて頂きます。
※参考にさせていただいた「いわしへのコメント」には、【いわしポイント×20pt】を差し上げます。
※お願い
モラルのない一行投稿などはご参加者の皆様に大変ご迷惑となりますので、ご遠慮下さい。
またそのようなご投稿にはポイントの送信を控えさせて頂きますのでご了承下さい。

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●質問者: ie-ha-te-na
●カテゴリ:コンピュータ 生活
✍キーワード:8月23日 theme いね いわし アイデア
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 276/276件

▽最新の回答へ

[1]じいちゃんと野球観戦 miumiur

幼い頃はプロ野球ローカル地域に住んでましたが、年に一度、家族3代で応援してる読売巨人がやってきます。父のコネでバックネット裏の席を取ってもらい、その日だけ唯一、学校を早退させてもらい、じいちゃんと座布団もって応援に行ってました。普段はTVでしか観れない生の選手達を目の当たりにして、プロのプレイにじいちゃんと一緒に一喜一憂していた事が、今でも目に焼きついています。


[2]>1 じいちゃんと魚釣り F-15X

小学低学年の頃、じいちゃんに初めての魚釣りに連れて行ってもらいました。

釣竿は裏庭の竹を切り出して作ってくれた特別品で、行く前からうれしくてたまりませんでした。

あれ以来、今でのたまに、魚釣りに出かけます。

とても懐かしい思い出です。


[3]いつも用意されている麦チョコ kumaimizuki

小学生の頃、祖父母の家に遊びに行くと、必ず麦チョコが用意されていました。

祖父母が大好きだったり、我々が大好物だったりということはなかったのですが。

祖父母の用意するお菓子といったら麦チョコでした。

今でも、麦チョコを食べるとその当時の想い出が蘇りますね。


[4]ばあちゃんと花札 miumiur

正月には身内が祖父母の家に集まって、新年をお祝いするのが恒例になってました。男性陣は麻雀に興じ、女性陣は料理の支度やら配膳やらと忙しくしてました。幼い私は、ばあちゃんと従姉妹達と花札をやって、ばあちゃんをやっつけるとおこずかいを貰えるので必死にやってました。そんな正月がとても心地よかったですね。


[5]おじいちゃんの思い出 taknt

残念ながら、生存時の思い出はなく、幼稚園のときに 休んで

斎場に行って、棺桶に入ったおじいちゃんを見たのが最後でした。

六番目の兄弟の父の親なので、けっこうな歳だったんじゃないのかなと思いますが・・・。

小学生を卒業するまでは おじいちゃんが 生きていてくれたら よかったなと思います。


[6]手先が器用だったじいちゃん Kumappus

じいちゃんは、もともと左利きだったのを右利きに直されたせいで両手利きだった。そのせいかどうかわからないけど器用なひとでした。

僕ら孫に竹トンボの作り方を教えてくれたり、タコの作り方を教えてくれたり。最晩年はさすがに手が震えてだめだったけど字も達者だったな。日本画も我流で描いてたし(だから家の中が定期的にニカワ臭かった)。

ものを作ることが好きになったのはじいちゃんのおかげです。


[7]あまり思い出がありません otayori

3歳から事情があって核家族で、祖父母の思い出が少ないです。

ただ、今30を過ぎて、祖父母に心で語りかけるようになりました。意外と親が理解できない自分のことをわかってたり、話が合ったりしたかも・・・と都合の良いイメージで、エピソードで聞いた人柄から推測して「こう言ってくれるかも」と思うと元気が出ます。


[8]ばあちゃんはいつも小遣いをくれたり、 matakiteshikaku

買い物についていくと必ず何かおもちゃを買ってくれた。そんな記憶ばかりですね。

じいちゃんよりばあちゃんの想い出の方が強いのはそのせいかもしれないですね。


[9]祖母からもらった手紙 Cocoa

小学生のころ、私はちょっと周りから浮いていました。いじめというほどではありませんが、どのグループにも入れずに孤立していました。ちょっと学校に行くのがつらい時期がありました。

そんなことを年賀状の片隅に書いたら、祖母から封書の手紙が返ってきました。人はみんな愛されるために生まれてきたのよ。○○ちゃん(私のこと)も、○○ちゃんのクラスの人たちもみんな同じ。誰かと誰かが仲良しなら、それは○○ちゃんも誰かと仲良しになれるという証拠。まだ○○ちゃんは仲良しになれる人と出会う前なんだというだけだから、どんな人と仲良しになれるか、それを楽しみに学校に行くといいよ、みたいなことが書かれていました。

私は祖母の手紙を信じて、誰と仲良しになれるのかを楽しみに学校に通うことにしました。そして、いつのまにかいい友だちに恵まれるようになって、楽しい小学生時代を過ごすことができました。

人はみんな愛されるために生まれてきた。今でも私の座右の銘みたいになっている言葉です。


[10]おばあちゃん子でした Kumappus

私はおばあちゃん子だったので、何かとかわいがってもらった記憶がいろいろあります。

お菓子買ってもらったり、おもちゃ買ってもらったり。

しかし、年取ってくるとわかったんですが、それって母親とばーちゃんの確執を生んでいたようで(笑)。

嫁姑問題ってのを子供の身ながら感じていました。

気をつかうってことを、そこで覚えたはずなんだがなあ(笑)生かせていない。


[11]>7 私も同じです Cocoa

私も生まれた時からの核家族なので、祖父母とはずっと遠くに離れて育ってきました。でも父母から聞かされた話や、いくつかの手紙のやり取りなどを通して、とても身近な存在には感じ続けています。

心の中で話しかけるっていいですね。私もそんなふうに、遠く離れていても、祖父母のことを身近に感じながら育ってきたのかなぁと思います。


[12]おじいさんのカメラ iijiman

中学生の頃、祖父がカメラをくれました。

わーい!と思ったら、フィルムサイズが「4×4」という、

珍しい(というか、ほとんど売ってない)カメラ・・・

でも、それは祖父が若い頃、大枚をはたいて買った宝物だったそうで。

祖父は私が高校生の頃、他界しました。

カメラがそのまま、思い出の品になってしまいました。

ちなみに祖父は「メカ」が好きだったそうで、若い頃からバイクや蓄音機(ゼンマイ式のレコードプレーヤー)何かも持っていたとのこと。

そして、何でも分解して自分でチューニングしてしまう。

ただ、蓄音機だけは、分解したらゼンマイが飛び出してしまい、始末に負えなかったそうです。


[13]おじいちゃんは珍しい切手をたくさん持っていた。 matakiteshikaku

なかなか見せてくれなかったけど、昔のお金とかも持っていたみたいです。自分が子供の頃といえば、記念切手を集めるのが結構はやっていた時代なもので。いまは、トレーディングカードって感じでしょうか。


[14]おばあちゃんと乳母車 vivisan

私もハザマさんと同じく、生まれたときには母方のおばあちゃんだけでした。

うちは私が幼稚園の頃より両親が働いていましたので、おばあちゃんが私達兄弟の子守担当でした。

母は6人兄弟でしたが、歩いても30分の距離のところにおばあちゃんのイエがあり、一番イエが近かったのでいつも通ってきてくれました。

そういう意味でいえば、数ある従兄弟たちの中で一番おばあちゃん子でした。

今では珍しいですが、おばあちゃんは腰が曲がっていたので、歩くときには必ず籐でできた乳母車をひいていました。

どこへいくにでも乳母車をひいています。近所の買い物でも。

歩けるにもかかわらずおばあちゃんの乳母車に乗せてもらうのが楽しかったです。

今考えると重いのにひどいことをしたなぁ・・って思います。

おばあちゃんが使っていないときに乳母車で何度遊んだことか・・。

田植えをしているときは、いつもお昼どきになると乳母車の中におにぎりと水筒をいれて差し入れてくれていました。

私は遊んでいるだけでしたが、おばあちゃんにありがとう♪といいながら、おにぎりをほおばっていました。

おばあちゃんのおにぎり・・いつも梅干しかはいっていなかったんだけど、おいしかったのです。

おばあちゃんが亡くなったとき、ぽつんと乳母車が置いてありました。

それを見て号泣した覚えがあります。今はもうありませんが・・。


[15]おじいちゃんの歯がとれた!!!! tadatarai

夏に田舎に帰り、親戚一同で食卓を囲んで、わいわいと食事をしていたときのこと、

3、4歳ぐらいだった私が、急に、ワ?!!! と大声をだして泣き始めました。

周りは、何がおこったのか、わからず、辛いものがあったのか、食べては行けないものをたべてしまったのか、背中を叩いたり、逆さにしてみたり、とても大騒動でした。

しばらくして、そういうことではないらしいとわかり、わたしもようやく落ち着きはじめて語ったところによると、

「う、えぐ…、ひっく…、お、おじいちゃんの…えぐ…歯が…う…ぜんぶとれちゃったよ?…ひく…う…」

だったようです。

単に総入れ歯をはずしただけだったのですが、見慣れない子どもにとってはびっくりだったんでしょうね?^^);;;

私本人は全然覚えていないのですが、夏に集まるたびに言われます…。ただ、おじいちゃん、おばあちゃん含め、その場にいた人がどんどん少なくなってきているのが寂しい限りです。


[16]>3 想い出の食べ物 FLOW_GAMA

想い出の食べ物とかありますよね。

おじいちゃんは干しいも(白い粉のついたやつ)が好物で、遊びに行くと

必ず干しいもをくれるので小学生くらいのときから私も大好きでした。

なので私は干しいもが想い出の食べ物です。


[17]>8 お小遣いくれますよね odorukuma

祖母は何かあれば必ず、何もなくてもよくお小遣いをくれました。


[18]>17 もらいました ootatmt

小遣いもくれるし、いろいろ物も買ってくれます。


[19]イチゴのおばあちゃん H-H

本当のおばあちゃんは物心つくまえに亡くなられたので、わたしは「おばあちゃん」というと、親戚のおばあちゃんです。

子供好きのおばあちゃんで、孫ではない私にもやさしくしてくれました。そして「イチゴのおばあちゃん」と孫たちみんなから好かれていました。

それは、子供の日になるとおばあちゃんが作っているイチゴ畑に孫たちを呼んで自由にイチゴ狩りをさせてくれたからなんです。(とても現金な愛称ですよね(笑))毎年、子供の日は甘くて大きいイチゴがとても楽しみでした。

私が大人になっても、子供の日にはたくさんのイチゴをパックに入れて届けてくれました。背中が大きく曲がって歩くのも大変なのに、その日だけはちゃんと来てくれる「イチゴのおばあちゃん」。

ある日、イチゴのおばあちゃんの家を修理するお父さんにくっついて行ったとき、なんだか様子が変でした。

私の顔を見るなり「立派に大きくなって。。。」と何度もうなずきながらら、静かに泣き出してしまったのです。

なんだか分からないけど、涙の止まらないおばあちゃんの顔を見ていると私も涙がでてきてしましました。

どうしてだったんだろう??と疑問が残りました。

その年、イチゴおばあちゃんが亡くなりました。

おばあちゃんは私と会うのが最後だと分かっていたんだと思いました。

あの日、ちゃんと最後のあいさつに行けてよかったと思いました。

「おばあちゃん、おいしいイチゴをいつもありがとうございました!」


[20]戦争体験談 ootatmt

おじいちゃん、おばあちゃんといえば戦争体験談を聞いた人も多いのでしょうけれども、うちの祖父母はあまり戦争体験は語ってくれませんでした。

わりと平和な地域に住んでいたからでしょうか。


[21]おばあちゃんのおにぎり sayonarasankaku

お腹をすかしていると、

よく、おばあちゃんはおにぎりを作ってくれました。

お醤油をまぶしたおにぎりで美味しかったです。

今、自分で作っても、どうも違う感じ。

やはり、おばあちゃんじゃないと、あの味はでないです。


[22]方言が宇宙語みたいだったなぁ blanccasse

母が東北出身なのですが、叔父や叔母の使う方言は理解出来ても、

祖父の話す方言は、まっっっっったく理解不能。

純粋な東北弁は、取っ掛かりも掴めない、宇宙語のようでした(笑)


話し掛けられてもちんぷんかんぷん(汗)

小学生だった私は、目を丸くして呆然と聞くだけ。。。

でも、いつも身振り手振りを交えて何とか分からせようとしてくれ、

何くれと気を遣って、優しくして貰いました。


ど田舎のことだし、おもちゃを買って貰った訳でも、

遊園地などに連れて行って貰った訳でもないけれど、

言葉は分からなくても、伝わって来た暖かい気持ちは、

目の前で搾ってくれた牛乳の味と共に、しっかり覚えています。


[23]>20 特高警察に国電で席を譲られた祖父 iijiman

祖父は南方に出征していましたが、なんとか生き延びて終戦後帰国。(だから私が居る訳ですが。)

ボロボロになって帰ってきて、東京で国電に乗っていたら、特高警察をやっていたという人から「ご苦労様でした」と、座席を譲られたそうです。特高警察って、私もよくわかっていないですが、戦前から戦中にかけて、むちゃくちゃ恐い存在として知られていたそうで、その人から「席を譲られたんだから驚いたよ」と言っていました。

暗い時代には、もう後戻りしてほしくないものです。


[24]祖母をお母さんと呼んでしまった!! YuzuPON

母の母が家にやってきた時、私はあまりに若く見えるのに驚きました。母も年のわりに若く見えますが、母の母もかなり若く見えて、そしてきれいな人です。

ちょうど季節が夏で、少し離れた所で大きなお祭りがあるということで、家族で祖母をそれに案内することになりました。せっかくだから浴衣で行こうということになったらしく、母と祖母はどこから調達してきたのか、二人揃って浴衣姿になりました。祖母は浴衣がよく似合い、さらに若く見えました。逆に母は和装のせいか、いつもより落ち着いた感じに見えました。

お祭りの雑踏の中で、まだ小さかった私は、父と母、そして祖母の三人の大人についていくのがやっとでした。あぶなくはぐれそうになって、「おかあさん」とたもとを引っ張ると、なんとそれは母ではなく祖母でした。祖母と母はよく似ていましたし、祖母が若く見えたので、思いっきり間違えてしまったのでした。

祖母は、まぁまぁうれしいことを、それじゃ今日は私がお母さんよと言って、私の手を引いてくれました。このお母さんは本物のお母さんと違って、何でもねだると買ってくれます。私はリンゴ飴や綿飴やイカ焼きなどを次々と手に持ちながらお祭りを歩きました。

それから私は祖母が帰るまで、ずっとおばあちゃんとは呼ばずに、お母さんと呼び続けました。今でもこの祖母のことは、おばあちゃんとは呼ばずに、お母さんと呼んでいます。住んでいる所の地名を付けて○○のお母さん。母方の親戚とはあまり行き来がなく、ほとんど会っていませんが、今も○○のお母さんと呼ぶと、何だかとても温かいものを感じます。


[25]>21 わざわざ外にでて F-15X

おにぎりを作ってもらい、わざわざ家の外で食べました。

外で食べるおにぎりは格別でした。


[26]ばあちゃんに看病してもらった raigou

思い出ってほどおぼえていないのですが、風邪をひいたときに祖母に看病してもらった記憶があります。ちょうど祖母が遊びに来ているときに風邪をひいて、兄と母はでかけて二人きりで看病してもらった記憶があります。暑い夏の日に昼寝してる自分を団扇で仰いでいてくれたぼんやりとした記憶…数少ない祖母との思い出です。


[27]>18 先に書いたけど Kumappus

それが嫁姑(かーちゃんとばーちゃん)の確執を生んでいたのでした。

ま、世の中にはじじばばをうまく利用して自分たちは旅行に行ったりする人たちもいるみたいですけどねー。


[28]>26 りんごのすりおろし Kumappus

子供の頃、扁桃腺をよく腫らして熱出してたんですが、そういうときにはばあちゃんの知恵、というかりんごのすりおろしをよく作ってもらいました。

喉が痛いんで水もごくごくとは飲みにくい、ごはんも食べにくい、そういうときのための工夫だったんでしょうね。


[29]>22 まさに宇宙語! YuzuPON

うちも父方の親戚はかなり方言の残っている土地の人たちですので、親戚が集まると、何を言っているのかよく聞き取れません。特に祖父母の代の人たちはあまり標準語を使わないので、何かを話しかけられると、えらくびびった思い出があります。今はそこそこ解読できるようになりましたが。

でも方言の持つ温か味はいいですね。私もいつか方言で親戚の会話に混じれたらいいなと思います。


[30]>19 なんと… YuzuPON

人は、もうこれが今生の最後の出会い、といったことがわかるのでしょうか。私も高齢になったら、そんなことを感じる時がくるのでしょうか…。

でも、イチゴおばあちゃんがどんなにH-Hさんのことを思っていたかが伝わってきますね。そのおばあちゃんも、会う人会う人全てに、もうこれが最後と涙を流されていたわけではないと思います。それはきっと本当にわずかな人に対してだけ。深く深く愛していた人に対してだけだったのだろうと思います。

きっと今もイチゴを見ると、そのおばあちゃんのことを思い出されることでしょうね。よいお話をありがとうございました。


[31]>15 あれはショックですね YuzuPON

私も祖父母ではありませんが、親戚に総入れ歯のおじいちゃんがいます。ばくんと入れ歯を外したのを見た時には驚きました。当時は総入れ歯というものを知らなかったので、本当にびっくりしました。

それからしばらく、歯磨きが恐かった思い出があります。あまりゴシゴシやると自分の歯もああいうふうに取れてしまうのではないかと…。

だんだん、そうしたご高齢の人たちがいなくなってしまいますね。寂しいです。会える時にたくさん会っておきたいと思います。


[32]近所に住む おじいちゃん、おばぁちゃん taknt

みんなのを 読んでて 思い出しましたが、身内だけではなく、

近所に住んでた おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出が ありました。

うちは農家じゃなかったんですが、周囲は 大半が 農家だったので

農作業をやっている家が 多かったです。

畑や田んぼで 農作業をしている姿が なつかしい思い出として

よみがえってきました。

年寄りでも 達者に元気に 働いていて ああやって仕事するんだなぁって思ってました。


[33]>31 確かに「総入れ歯」にはビックリ!! matakiteshikaku

コップに入れて洗っていたと思うんですが、子供ながらに少なからずショックを受けた記憶が・・・。


[34]>30 きっと・・・ sayonarasankaku

今でもイチゴを見て、おばあちゃんの事を思い出してあげるのが、

おばあちゃんが一番喜ぶでしょうね。


[35]愛しのじいちゃん raigou

祖母については健在だったころの思い出がありますが、祖父は母方は産まれる前に、父方は産まれてすぐに亡くなってしまいました。だから産まれてすぐの自分を母が連れて行った時に「あかあか来たのかぁ!」って喜んでくれたことを伝え聞いていることが唯一の大事な思い出です。思い出がない分、今生きていてくれて話ができたらよかったのにと思うこともしばしば、なんだか憧れ的な存在になってるような気がします。


[36]兄弟が生まれる時に、ジジババのところに預けられた。 matakiteshikaku

なんか、すごく居心地がよくって帰りたくないなぁ?と思っていた記憶があります。でも、ジジババとずっと一緒にいるとヒマで飽きてきちゃうんですよね。


[37]眠るまでのお話タイム KRR

小学校に上がる頃あたりまでは母の実家に遊びに行ったら夜は必ずおじいさんに寝かしつけてもらっていました。なぜ、おじいさんかといえば、眠るまで楽しいお話をしてくれるからです。これが楽しみで寝る時にはおじいさんが晩酌をしたり、大人たち同士で話をしていたりしても、必ず一緒に寝ようと誘っていました。もちろんおじいさんは喜んで私が眠るまでお話をしてくれていました。


[38]>9 いいお話です YuzuPON

孫のちょっとした言葉も気にかけてくれて、そしてていねいに返事を返してくれるおばあちゃん。豊富な人生経験からにじみ出てくる言葉で、明るい道を指し示してくれるおばあちゃん。おばあちゃんて、本当にかけがえのない存在ですね。

親には相談できないようなことでも、祖父母になら相談できるということも少なくないと思います。祖父母って本当にありがたい存在だなぁと改めて感じさせられました。


[39]>35 孫が来ただけで手放しで喜んでくれますよね KRR

その喜ぶ姿が孫の私たちにも素敵に楽しいのです。


[40]>28 冬はりんご、夏は桃 KRR

さすがにメロンとかは有りませんでしたが、病気といえば「すりおろし果物」が定番でしたね。手ごろなすりおろしておいしい果物が無いときには、重湯の甘いのを作ってくれましたよ。


[41]>27 お年玉、お小遣い集金行脚 KRR

子供によっては沢山稼ぎますよね。祖父母、親戚などからの収入が結構な金額になるとニュースなどで伝えられます。


[42]>29 たしかに momokuri3

方言は慣れないとまるで外国語か宇宙語ですね。標準語と同じ言葉でも発音が違うので聞き取れないということもよくあります。でも方言の暖かさは独特ですね。普段は標準語を話している人でも田舎に帰ると方言に戻るというのもいい感じです。今年の夏、私はどこにも行けませんでした。またあの暖かな方言のある町に行きたいです。


[43]おじいちゃんの写真 sayonarasankaku

私が物心つくころには、おじいちゃんはもう亡くなっていました。


家には先祖らしき人の顔の写真が、額に入れて幾つもかざられていました。

私が「この人が私のおじいちゃんだわ」と思っていた写真は

実は、おじいちゃんではなかったのです。


かなり長い間、違う人をおじいちゃんだと思い込んでいました。


[44]おじいちゃん・おばあちゃん時間 Coco-Cola

親と違って雰囲気が優しいから私ら孫は安心できるというのと、お年寄りだからゆっくりと動くというのとかで、なんだか一緒にいるとゆったりとのんきに過ごせるように思います。


[45]>41 うらやましい momokuri3

私の家は父母とも実家から遠く離れていますので、親戚を回ってお小遣いを稼ぐというのが不可能な環境でした。お年玉なども、父母以外からもらった経験はほとんどありません。

でもクリスマスなどに祖父母からプレゼントが届いたことは今でもいい思い出です。祖父母のくれるプレゼントは、父母のくれるプレゼントより価格帯がずっと上なんですよね(笑)。


[46]>38 ほんとにそうですね。 H-H

YuzuPONさんと同感です。

おばあちゃん、おじいちゃんは人生経験が豊富だから、言葉に深みがあって、安心できる存在ですよね。

手紙を書いてくれるやさしいおばあちゃんの話、じーんときました。

私も、子供が困っていたら、そういってあげようと思いました。


[47]仏壇がおじいちゃん Mac_Do

私の生まれる前の日にあの世に召されたので、入れ替わりに私がこの世に来ました。


[48]>45 お年玉は ootatmt

結局、親に取られるのですが...(^^;


[49]>23 年代の差かもしれないけど Kumappus

うちの母方のじーちゃんは元職業軍人で勲章をつけた写真が飾ってあった記憶があります。

ただ、それがどの戦争の頃かはちゃんと聞かなかったので記憶が曖昧です。

父方のじーちゃんばーちゃんはあまり戦争中の体験を話してくれなかったような。

せいぜい「玄米を一升瓶に入れて棒でついて精米した」とか「空襲で逃げたときに墓石の角に足をぶつけて骨が見えるような傷になったけど必死だったのでそのときは全然痛くなかった」とか(十分壮絶な気もするなこうやって書くと)。

むしろ父親・母親のほうがちょうど戦時中は中学生とか小学生だったので印象が強かったのかいろいろ話してくれましたね。お腹が空いた系の話が多かったけど、子供だから余計にこたえたんでしょう。


[50]一緒に元気に遊んだ仲 inu_punch

祖父は元気な人で盆などで帰省すると数人いる孫たちを引き連れて近所の川原や広場で一緒に遊んでいました。両腕を持ってもらって振り回してもらう、ジャイアントスイングという足首を持つプロレス技の逆パターンが一番人気の祖父の得意技でした。


[51]>24 ほのぼの・・ぽかぽかですね。 H-H

おあばあちゃんの優しさはお母さん以上のものを感じますね。

無邪気になんでもねだったYuzuPONさんがまたかわいくて、

おばあちゃんと孫の話ってどうしてこんなに泣きそうになってしまうんでしょうか。

ほんとにほのぼの良いお話でした。


[52]>48 お年玉は自分のものでした odorukuma

親が預かってくれるなら、大きくなったときに有意義な使い方ができそうですね


[53]>42 方言マスター odorukuma

祖母宅に住んでいた時は当たり前のように方言で会話していましたが、

祖母宅にすまなくなってからは自然と標準語になりました。

今聞いたら、まだ何ていってるか分からないかもしれないです;


[54]>46 私もじんときました momokuri3

人はみんな愛されるために生まれてきた。もし同じ言葉を本か何かで読んだとしても、自分だけは違う、なんて思ってしまったかもしれません。でも、慈愛深いおばあちゃんの言葉だったから、心の底から信じられたのだろうと思います。

辛さを抱きとめてくれる父母以外のもうひとつの手。深い人生経験を通して相談に乗ってくれる祖父母の存在。本当に有り難いですね。


[55]>16 お菓子を用意しておいてくれますよね odorukuma

バナナであったり、笹団子であったり、果物や野菜だったり。


[56]>33 私の祖父の話しではないのですが toku4sr4agent

私の祖父ではなく、妹の夫の父(妹から見て義理の父)には外孫がいるのですが、

孫の前で入れ歯を外したんだそうです。


それを見ていたお孫さんは、他の人におじいさんのことを話すとき

「おじいちゃんってすごいんだよー、歯が取り外しできるんだよー」と言ったそうです。


人によって感じかたって違うんですね。


[57]リサイクル料理の達人のおばあちゃん maido_cafe

生まれたのがいわゆる戦前のおばあちゃんなのです。何かにつけもったいないと言っては大事に使います。食べ物もそう。今ではエコとかそういう観点からリサイクル料理が時々スポットを浴びますが、こんな言葉が無かったころから食べ物は十分に使い切ります。

私の中での一番人気は、パンの耳のカリカリスティックです。サラダ油で軽くサクッと揚げたのにお砂糖やジャムをまぶしただけのシンプルさがいい。味もシンプルで飽きないんですね。

後はスイカの皮付近の果肉です。よくある再利用法としては糠漬けにでもするというものですが、これを甘く煮てデザートとして出してくれることがありました。桃缶とかの汁が残っていれば、それで煮ると桃風味でスイカの味は殆どしない不思議なスイカのできあがりです。


[58]>55 お供え物だったりすることもあります maido_cafe

お供え物が下がるのが楽しみな孫たちです。


[59]>52 貯金してました raigou

小学校の頃から自分の親からもらった分以外のお年玉は全部貯金。成人して結構な金額が溜まってるかと思ったら意外と溜まっていないんですよね。子供の頃には大金だと思っていたのに、いまでは大したことがない金額に感じてしまう。同じ金額のお金をつかうとして、今の方が有意義な使い方は出来るかも知れないけども、子供の頃の方が幸せと満足感を感じられたような気がします。なんだか「俺も大人になってしまったなぁ」なんてしみじみ思ってしまいました。


[60]>11 盆暮れ正月とかにだけ会える maido_cafe

割と多いと思いますよ。核家族の家庭は結構多いですからね。七夕じゃないですけど、年一回会えるか会えないかということもありますよね。


[61]>51 いいなぁ、すごくいい!! momokuri3

間違えて呼んでしまったことから深まったおばあちゃんとの絆。いいですね。すごくいいです。本当のお母さんとまた違った優しさを見せてくれるおばあちゃんに「お母さん」と甘える、幸せそうな姿が目に浮かびます。

お祭りという特殊空間が生んだ浴衣マジック。若くて綺麗なおばあちゃん。本当にいいお話です。私もほのぼのしました。


[62]>59 ぽち袋の中がお札になった子供 maido_cafe

それまでは幼児扱いだったような気がします。


[63]>58 お盆過ぎは odorukuma

私も、頂いたお供え物を食べるのが楽しみでした。


[64]>2 いいですね?! odorukuma

私は祖父と遊んだ経験がないので、こういう話を聞くとすごいいなぁと思います。


[65]おじいちゃんのにおい V99

人って結構それぞれににおいがありますよね。特におじいちゃんはそばにいるとおいだけで存在が分かりました。今どきなら加齢臭なんじゃないか、といわれそうですが、実は貼付薬だったんです。ドラッグストアとかで貼付薬売り場に近づくとおじいちゃんを必ず思い出します。


[66]>32 畑仕事の手伝い odorukuma

私の祖母宅は農家で、ご近所も農家で畑や田んぼもお隣だったりで、身内以外の方とも交流がありました。

農作業は家に関係なく手伝い合ったり、機械を貸したり、お昼を一緒に食べたりしてました。

そういうお付き合いだったので、自分の子と同じように可愛がってくださいました。


[67]>62 喜ぶと思って・・・ sayonarasankaku

孫が喜ぶと思って、お小遣いをくれるんですよね。

今、思うと少し切ないな・・・

おばあちゃんに、お小遣いを渡してあげたかったな・・・


[68]>65 お線香の匂い odorukuma

ありますよね、お年寄りが持つ独特の匂い。

加齢臭もそうですが、私はお線香の匂いをかぐと、祖父母の家を思い出します。


[69]いつもラジオはNHKのおじいちゃん momokuri3

父が、おじいちゃんラジオが壊れちゃったんだってさ、と言いました。私は、夏休みに会いに行った祖父の姿を思い出しました。いつも何かしら体を動かして仕事をしている人でした。傍らではいつもラジオが鳴っていました。

当時私は中一くらいだったと思います。電子工作にハマりだしていた頃でしたので、そうだ、自分でラジオを作ってプレゼントしようと思い立ちました。

雑誌を調べて一番ケースがかっこいいキットを選んで、乏しいお小遣いで注文しました。届いたキットを組み立てました。それは既に出来上がっている無調整の基板がセットされた物でもなければ、IC一個で出来ているような単純なものでもありませんでした。一つ一つパーツを基板にハンダ付けし、組み上がった後も若干の調整が必要な古典的なキットでした。

基板の組み立ては無事済みましたが、トラッキング調整というやつがうまくいかず、どうもダイアルの低い方と高い方の感度が均一になりません。なかなかうまく調整ができきれないまま祖父の誕生日が近付いてきてしまったので、仕方なく不完全な調整のままで、もしかしたら良く聞こえないかもしれないけどと手紙を添えて、そのラジオを送りました。

数日して祖父から手紙が返ってきました。すばらしい手作りのラジオをありがとう、おじいちゃんはNHK第一ばかり聞いている、NHKはとてもよく入る、これからはこのラジオをずっと愛用していくよ、というようなことが書いてありました。

しばらくしてまた祖父から手紙が届きました。孫が作った手作りのラジオで聞いているということを番組あてに書き送ったら、そのお便りが採用されて番組で読まれたというのです。

以来、私も時間があるとNHKラジオを聴くようになりました。祖父と同じ番組を聴きたかったのです。祖父のお便りは、その後も何回か番組に採用されていました。私の作ったラジオで聴いてくれているということが生で伝わってきて、本当にうれしくなりました。


[70]>61 かわいいお話♪ SweetJelly

お母さんと間違えられてうれしいおばあちゃんと、やさしいやさしいもう一人のお母さんに甘えちゃったYuzuPONさん。お二人の幸せそうな笑顔が見えるようです。今でもおばあちゃん、ではなく、「○○のお母さん」と呼んでいるんですね。とってもすてきです。いつまでもお若くお健やかなおばあちゃん、いえいえ、お母様でいらっしゃいますように!


[71]仁丹の匂い ootatmt

おじいちゃんはいつも仁丹の匂いがしていました。

子供の頃、なぜアレを食べているのか不思議でしたね。


[72]>69 手作りの品を愛用してもらえる幸せ SweetJelly

すてきなプレゼントをされましたね。そして、それを愛用してもらっている様子が番組のお便りでわかるなんて、本当にすてきです。

ご高齢の方はラジオを友としていらっしゃる方が多いみたいですね。私の祖母もそうみたいです。きっと祖母もNHKだろうと思います。NHKはきっと全国ほぼ同じ番組ですよね。離れた所に住んでいる祖母ですが、私がお便りしたら、それ、聞いてくれるのかな。私も今度ラジオにお便りしてみたいと思います。


[73]>64 おじいちゃんとお勉強。 dankichik

うちの祖父はもと教師だっただけに、教育熱心でした。祖父が我が家に遊びに来るたびに、教科書を音読させられたり、漢字のお稽古をさせられたりしました。小さかった私は不満ながらも毎回ちゃんとこなしてましたねえ。テストでいい点数を取るとすごく喜んでたのが思い出されます。


[74]いそいそと。 dankichik

祖母の家に遊びに行くと、いつもいそいそとお菓子とお茶の準備をしてくれます。私が遊びに行くのが分かっていて、ちゃんとお気に入りの和菓子を買ってくれているのです。

お茶だったら私が入れるよ、と言うのですが祖母は「座っときなさい」というばかり。孫にかまうのが本当にうれしそうなので、私も座って待ってます。

おしゃべりをしながら一緒にお茶を頂く、幸せなひとときです。


[75]>67 最近は… yoshigyu1318

おばあちゃんは、よく孫にお小遣いくれるんですよね。

でもあげすぎると良くないといって自分の懐にしまう人とかいるんですかね?


[76]>56 あります。 Spaceshuttle

私も幼少の頃、祖父の入れ歯をはずすのをみて「便利だな」と思いました。「なんで僕の歯は外れないの?」と聞いたりしました。懐かしいです。


[77]入院した時に駆け付けてくれたおばあちゃん SweetJelly

私の祖母は、一種異様な近寄りがたさを感じさせる人でした。特に名家の家柄というわけではありませんが、若い頃から茶道や華道に精通してきたらしく、立ち振る舞いが凛としていて、隙がないのです。子供の頃は、その風格が恐いように思えて、祖母の前に出ると、とても緊張していました。正直苦手な人でした。

ところがある時、私はちょっとした事故にあって、入院してしまったんです。そこに祖母がやってきてくれました。遠くから電車を乗り継いで駆け付けてくれたんです。

ベッドで寝ている私を見て、祖母は、恐かったでしょ、痛かったでしょ、でもよかった、たいしたことがなくて本当によかったと、私の手を取って泣いてくれました。その姿はあの近寄りがたかった祖母とは別人のようでした。

それからしばらく祖母は私の家にとどまって、毎日のようにお見舞いに来てくれました。枕元にお花を飾ってくれたり、楽しいお話をたくさんしてくれました。お見舞いに来てくれる友だちにも優しくしてくれました。というより、友だちとの話の輪の中に入って微笑む祖母は、まるで同じ歳の友だちの一人に思えるほどでした。

そんなことがあってから、私と祖母との関係は一変しました。あの近寄りがたかった祖母が、誰よりも優しいおばあちゃんに変わったのです。

今はあまり会えません。遠くに住んでいるので、めったに会うことはできません。でも、優しいおばあちゃんの笑顔を思い出すと、会いたくて会いたくてたまらなくなります。今でも親戚の人たちの中には、祖母のことを苦手だという人がいます。おばあちゃんは相変わらず、凛とした気を放っています。でも、その下に隠れている少女のような可愛らしさを私は知っています。すてきなおばあちゃんです。


[78]>56 ウチでは yoshigyu1318

祖父は総入れ歯なのですが、あるおもしろいエピソードがあります。

昔、旅行先でタクシーにのってホテルを出てレストランに向かったとき、途中まで行ったときに、入れ歯を忘れたことに気がつきました。そのことをタクシーの運転手さんに話したら、ホテルに戻ってくれたのですが、そのとき料金メーターを止めてくれたんです。

旅行者に対してとてもやさしい運転手さんで、とても良い旅になったことがあります。


[79]手作りの机・椅子 Spaceshuttle

私の祖父は「建具師」でした。私が小学校に入学する際にお祝いとして「お手製の机と椅子」を貰いました。期待したと思うのですが、勉強は程々で・・・ でも(傷だらけですが)まだ残ってます。


[80]祖母が作ったぶどう酒 to-ching

祖母が作って押入れの中にいれていました、小さな時からのんべいの私は祖母に内緒でよく飲ませてもらったものです。何と!祖母も嬉しそうでいた!


[81]>60 私もなかなか会えません SweetJelly

遠くに住んでいるので、本当に七夕より会える機会がありません。もっとたくさん会いたいなぁと思います。夏休みに会いに行きたかったけど、けっきょく今年は行けませんでした。今ちょうどそんな、会いに行きそびれてしまった時なので、よけいに会いたくなってしまいました。


[82]>75 漫画の本を買うのに to-ching

良く良く小遣い貰ってました、我が家では漫画禁止だったので助かりました。少年サンデー懐かしいなぁ・・・


[83]お灸! Spaceshuttle

祖父がよくやってました。うちの地方では「やいと」と言います。

子供心に「なんで大人はあんな熱い・痛いものをするのだろう?」

と不思議でした。事実、時々加減を間違えて「熱う!」と飛び上がって背中を払っていました。・・・正直な話、今でも疑問です。

やった事のある方に「気持ちいいですか?」と聞きたいです。


[84]>83 私の場合はマッサージ! to-ching

祖母が上手で良くやってもらいました、今から思えば逆じゃねーの?と思いますが・・・また、手がガサガサして、背中をかいてもらうのにも重宝しました。


[85]>79 すごい!! SweetJelly

おじい様手作りの机と椅子なんてすごいですね。それもプロの建具師の仕事なんて。お孫さんのことを思って精魂込めて作ってくださった世界に一つの机と椅子。すごいです。素晴らしいです!!

今もちゃんとその机と椅子を持ち続けていらっしゃるんですね。使い続けてできた傷も含めて宝物ですね。いつまでもいつまでも大切にしてください!!


[86]祖父の道具袋 to-ching

とにかく「まめ」な人でした、何でも治し、何でも作った人です。その特注の道具袋、とんかち、のこ、巻尺、ノミ等々収納されており何だか欲しかったです。いつも腰にぶら下げてました、懐かしい・・・あの袋も自作だったのかな?


[87]>76 祖母の入れ歯 to-ching

歳を取ってくると、歯茎が痩せ入れ歯が合わなくなります。うちの場合最悪で、お袋が何件も歯医者を梯子して、なんとか使えるものに成った時は2人で手を取り合って喜んでいたものです。


[88]いつもお買い物に一緒に行っていたっけ・・・ dayday

母が勤め人だったので、保育園の頃はおばあちゃんにくっついてました。

お買い物に行くのにも一緒にで、まるで金魚のフン状態。

おばあちゃんと過ごす時間のほうが、両親と過ごす時間よりも長かった気がします。


冬の終わりに、私は骨髄ドナーになりました。

手術の前日に見た夢に、もう亡くなっているおばあちゃんが出てきました。

ニコニコ笑っていたので、きっと応援していてくれるんだと思いました。

おばあちゃんにくっついていた金魚のフンの孫娘の応援に来てくれたんだと。

経過良好で、ドナーになった私も、骨髄液を受け取った弟も元気です。


[89]>4 祖母とジグソーパズル to-ching

ややぼけて来たので、私がジグソーパズルを与えました。祖母はすっかり嵌ってしまい、ほぼ死ぬまで一日中やってました、すっかりぼけ症状も改善!びっくり。ジグソーパズルの箱も沢山たまりましたよ?。亡くなった時、好きだったコーラとジグソーパズルも一緒にお棺の中へ。なんと100歳の大往生でした。婆孝行したかな?


[90]プチ旅行 choco-latte

うちのおじいちゃんは旅行が大好きで毎年夏休みになると、私達孫を数人連れて山梨や静岡の温泉に連れて行ってくれていました。

ある日おじぃちゃんから電話がかかってきて

「今からちょっと小旅行に行ってくる。お土産いっぱい持ってくから待ってろよ」

と…。

千葉か群馬あたりに旅行に行ったのかと思っていたのですが、

おじぃちゃんと電話で話して1?2時間たった頃

ピンポーン

と玄関のチャイムが鳴りました。

出てみると、そこには梨やら葡萄やら、かごいっぱいに持ったおじぃちゃんが…。

「あれ?旅行に行ったんじゃなかったの?」と聞いてみたら

「ここまで自転車でくるのは小旅行だよ」と…。

おじぃちゃんちの家はうちから車で30分?40分。

ちなみにその時のおじぃちゃんは70過ぎ…。

つい先日果物狩りに行ってきたらしく、早く私達に食べさせてあげたかった

ので家まで来ちゃったらしいのです。

「言ってくれたらこっちから出向いたのにぃ?」

家族みんなでビックリしちゃいました。

うちに入り、おじぃちゃんが持ってきたフルーツを食べて

おじぃちゃんの旅行の話を聞いて、

夕方になったところで

おじぃちゃんが「そろそろ帰る」というので

帰りは父が「車で送って行くょ」と言ったのですが、

「ちゃんと一人で帰ってこそ旅行だ」と言い張り

再び自転車に乗って家に帰ってしまいました。


おじぃちゃんはもう死んでしまったけど、

いつも私達にサプライズな事をしてくれたとても愉快なおじぃちゃん

でした。


[91]>87 うちのおばぁちゃんは choco-latte

冷蔵庫の中に入れていました。

ホルマリン漬けになっているんだと思い

おばぁちゃんちには観ちゃいけない謎の部屋があるんじゃないかと思っていました。


[92]>90 温泉いきました odorukuma

祖母といとこと、そんなに遠くない海岸沿いの旅館に。

おばあちゃん、徹夜させてごめんなさい(笑


[93]>77 本当は優しいおばあちゃん Fuel

うちの祖父も、ちょっと近寄りがたい威厳を感じさせる人でした。

でも孫には優しいんです。

包み込んでくれるような優しさがあります。

そういう優しさを知っているのは孫だけの特権かもしれませんね。

親戚の人も緊張してしまう凛とした気の御祖母様。

でもその下にある本当のやさしさをSweetJellyさんだけが知っている。

すてきですね。


[94]>91 部分入れ歯 odorukuma

祖父は部分入れ歯でした。小さい時は、入れ歯ことよくわからずに、歯が取り外しできるなんて祖父はすごいなぁと(笑


[95]>49 戦争へ行かなかった祖父 to-ching

何故か取られませんでした、不思議でたまりません。特別位の高い家に生まれたわけでも無いのに・・・警防団には入っていたようですが。だから、戦争の話なんて聞けなかったですね。


[96]おかあさんに怒られると choco-latte

いつもおばぁちゃんに言いつけておかあさんの事を叱ってもらっていました。

普段は怖いおかあさんはいつもおばあちゃんちに行くと優しくなるので、化粧をすると人格が変わるのだと思っていました。

私のことを叱りすぎだとおばぁちゃんに怒られたおかぁさんはもちろん帰りの車の中で私のことを叱るのでした…。


[97]>92 行った行った! to-ching

祖母と!温泉旅行。楽しかったなぁ?、駅で乗る汽車を間違えたり、温泉街で迷ったりはらはらドキドキでした。


[98]>94 考えて見れば to-ching

合わない入れ歯は技工士の問題ですよね。


[99]>84 やっていましたね Fuel

祖父はよく足に自分でお灸をやっていました。

私もなぜあんな熱いことをわざわざするのだろうと不思議でしたが、

これをすると足の疲れが取れるんだよ、あー気持ちいいと、

本当に気持ちが良さそうでした。

私はまだ深刻な足の疲れを感じることはありませんが、

いつかそういう感覚を感じるようになった時には、

やってみたくなるのかな…。

できれば生涯健脚でいたいものです。

やはり熱いのはいやですから(笑)。


[100]>2 釣も懐かしい to-ching

何度か祖父と2人だけで、何も喋らずジッと竿をみて、何か沢山話をしてやればよかった・・・


[101]>95 うちのおじいちゃんもいっていません vivisan

お盆の期間中に、戦争の話題が出たので聞いてみると、母方のおじいちゃんは戦争にはいかなかったそうです。

健康診断をしたときに、背が低かったのでパスできなかったということでした。

これでパスしていたら赤紙が届くようになっていたと母は言っていました。


[102]>101 本当に体験した人はあまり語りたがらない Fuel

戦争体験は、それは想像を絶する体験だったのだろうと思います。

私の親戚にも、当時、大切な人を戦争で失った人たちが何人もいます。

おそらく戦死者が誰も居ない家系なんて、日本にはないのではないでしょうか。

どこの家も必ず何かしらの辛い体験があるはずです。

でも、人は本当に辛かったことは思い出したくないのでしょう。

高齢の親戚が集まって出る話は、当時を懐かしむ話ばかりです。

その心情を思うと、和やかに語る昔話の下に隠された辛い時代の体験が、

少し見えてくる気がします。


[103]>102 そうかもしれませんね momokuri3

うちの親戚にも戦死者がいますが、そういう話が出るのは稀なことです。でも一度だけショックを受けたことがありました。それは親戚の人たちとお墓参りに行った時のことです。数人の親戚が、あちこちのお墓に線香を供えて回っていました。私は親戚の人たちのお墓かなと思っていたのですが、実はそれはみな同郷の戦没者のお墓だったということでした。ひとつひとつのお墓にみな戦争の悲しみが込められているのかと思うと、まだまだ「戦後」は終わらないのだなと思います。


[104]>103 父方の長男は choco-latte

戦争で戦死しています。

仏壇の前にはおじぃちゃんの弟と、父の兄弟が軍服をきた白黒写真が飾ってありました。

曾ばぁちゃんは空襲のときにおじぃちゃんの背中で死んだそうです。


[105]>34 イチゴのおばあちゃんは… Fuel

今でもずっとH-Hさんの胸に生き続けていますね。

私はわりと、魂は永遠という話を信じています。

きっとイチゴのおばあちゃんは、

今でも変わらずH-Hさんのことを慈愛の眼差しで見守ってくださっていると。

そして今でもH-Hさんがイチゴを食べると、

おいしいかい?なんて微笑んでくださっている気がします。


[106]>36 うちも choco-latte

弟が生まれるとき一週間くらいおじぃちゃんちに預けられました。

生活のリズムがあんまりにも違い、眠くないのに寝かされた覚えがあります。でも目が覚めて、おとうさんの帰りをひたすら待っていたような。今だったら絶対に待たずに寝てますね。ハイ…。あの頃はいい子だったなぁ…わたし。


[107]>85 思い出の品ですね Fuel

たたでさえ最初に買ってもらった机というのは思い出深い物ですが、

それが御祖父様の手作りとあってはなおさらですね。

机と椅子を作るのに、どのくらいの時間がかかるのでしょう。

その時間、ずっとSpaceshuttleさんのことを思い続けてくれていたのでしょうね。

その思いが貴重ですね。

本当に、いつまでも大切にしてほしいと思います。


[108]>68 そうそう rock6

信心深いからお線香は欠かせない。だから、お線香のにおいが自然に信心と共に体に染み付いているんだなぁ、って思いますよね。


[109]>99 もぐさに線香で火をつける本物の灸 rock6

やり方には、もぐさを小さな山のようにするのや、針のように細くするのや、いろんなのがあるみたいです。うちではおばあちゃんが得意でしたよ。細いの。風邪気味になったり、おなかがゆるくなったりしたら、「ちょっとおいで」と声が掛かりました。細いので慣れれば、そんな熱くないのですが、その声掛けはちょっと怖く感じていました。


[110]今だからほのぼのですが・・・ shig55

子どもだった当時は、ショックでした。田舎に行ったとき、祖父は孫の私が来てくれたとても喜んでくれました。田舎のことで何もご馳走するものがないといろいろ心遣いをしてくれたのです。その中の一つ、鶏肉を夕飯に出してくれることになったのです。肉は肉屋さんから買うとばかり思っていたのですが、田舎にはそんな店はありません。自給自足です。庭で飼っていた鶏を捕まえて、喉を切り、血を出してから熱湯に浸け、羽をむしり取ります。そして解体して肉を取るのです。骨も無駄にはしませんでした。細かく砕いて肉団子を作ります。この一連の作業を見てしまったのです。自分が生き物を食べているのだということを実感として見てしまいました。結局、自分の前で起こったことを子どもだった私は理解できず、その事実に圧倒されて、夕飯に出された鶏料理には一つも箸を出すことはできませんでした。

今だからこそ、孫を歓迎するつもりで祖父がしてくれたことを懐かしく思い、そんな時代だったのだとほのぼのと思い出します。その祖父も90歳の天寿を全うして旅立ちました。食べると言うこと、生きると言うことを実体験として教えてくれた祖父でした。


[111]>57 おばあちゃんお味=おふくろのおふくろの味 rock6

イエの料理が伝えられていくとすれば先々代のイエの味伝承者ですものね!リサイクル料理も時代的にわざわざ「リサイクル」とかって呼ばなくても、ちゃんとやってた人も多いでしょうね。


[112]>50 一緒に遊んでくれると嬉しいですよね! rock6

祖父母とは帰省シーズンにしか会えないんですが、何かにつけ子供と遊ぶのが好きでしたね。孫たちは子供だけに近所の子と仲良しになったりします。すると、そういった子と一緒にちょっとした遠足に連れて行ってくれたりして楽しかったです。


[113]>110 田舎で知る命の大切さ・・・ rock6

今は日本全国大して変わり映えのしない風景が増えたから、そこまでガチにワイルドな体験というのはしなくて済むと思いますが、自然豊かな「田舎」では小さな命たちの生々しい生き様を直に見ることができます。ペットを飼うと命の大切さの教育になる、という話もちらほら聞きますが、自然たっぷりの田舎でワイルドな体験をするのが人間の原点に近く、一番いいのかも知れませんね。


[114]>96 おかあさんは一番怖いのだ! rock6

地震、雷、火事、親父・・・嘘で?す!

地震、雷、火事、母親・・・だと思います。誰かが助けてくれるとなると、子供としてはヘルプ・ミーのシグナルを自然と出してしまいますよね。


[115]>80 うちは梅酒 rock6

ぶどう酒は発酵させて作るやつですよね?昔は結構、山葡萄とかで手作りする習慣が各地にあったようです。日本酒もそうみたいですよ。うちの祖母はそこまでしなかったのですが定番の梅酒が常備でした。祖父が好きなんですよね。だから、薄めたのを飲ませて貰ってました。

この文章をお堅い人に見られると怒られそうですが!


[116]私に「ふるさと」をくれたおじいちゃん watena

家族で祖父の家に遊びに行った私は、毎日が楽しくて楽しくて仕方がありませんでした。祖父も私が来たことを本当に喜んでくれて、連日山や川に私を連れて行ってくれました。私も、おじいちゃんおじいちゃんと祖父にひっついて回っていましたので、父の休みの終わりが近付いて家に帰る頃には、もう祖父の家から離れられないような気持ちになってしまっていました。

家に帰る日の前の晩、祖父が、楽しかったよ、また来いよと言ってくれたのをきっかけに、私は帰りたくないと泣き出してしまいました。おじいちゃんに抱きついて、離れたくないと、いつまでも駄々をこねていました。

けっきょく祖父母の取りなしで私はもう少しとどまっていいことになり、父母は先に帰ることになりました。それから約半月の間、私は祖父の子分のようになって、連日田舎の遊びに駆け回りました。祖父は面白いことをたくさん知っています。昔の子供の遊びをたくさん私に教えてくれました。

夜寝る時も祖父と布団を並べて眠りました。寝る前には、土地の珍しい古い話をたくさん聞かせてくれました。

そして田舎の子供のように真っ黒に日焼けした私を、祖父が家まで送り届けてくれました。一緒に列車に乗って、駅弁を買ってくれたり飲み物を買ってくれたり、帰りの道もそれは楽しい旅になりました。

祖父は一晩私の家に泊まって帰っていきました。さすがにその時はもう、離れたくないと駄々をこねてはいけないと思っていましたので笑顔で見送りましたが、やはり涙が出てしまいました。

あとで考えてみると、祖父は生業はもうリタイアしていたものの、地域の役職などがたくさんある忙しい身の人でした。その祖父が私のためだけに、いったい何日の時間を費やしてくれたことでしょう。また、矍鑠としていたとはいえ、もう高齢の祖父には、遠路私を家まで送り届けてくれたことも、大変な負担だったと思います。

都会育ちの私には「ふるさと」と言える場所がありません。でも、祖父と遊び回った山や川が私の「ふるさと」です。今でもその地に立つと、あの時の楽しかった思い出が昨日のことのように思い起こされます。祖父に連れられて遊び回っていた野山は、父が子供の頃に駆け回っていた野山と同じです。そのことが父と私をつなぐ絆にもなってくれました。

私に「ふるさと」をくれたおじいちゃん、大好きです。


[117]>44 田舎時間のゆったりのもとですね! potetoma

割と普段からゆったりしているようですしね。


[118]>116 第二、第三のふるさと potetoma

都会で生まれ育つと都会が故郷なので、「田舎」とイメージできる「ふるさと」とは縁が無いって感じになりますね。私も都会人二世なので、第二のふるさとが「田舎」になります。


[119]>115 今ではなにかとやばいですが watena

たしかにお堅い人に見られると叱られそうな話ですが、昔はお手製のお酒はよく造られていたそうですからね。酒造りが法的に問題になりはじめたのは酒税法が出来て後のことですから、人道に反する違法行為とはまた別の話だろうと思います。

手作りの葡萄酒は、おりとして底に貯まるカスも天然酵母として使えて、とてもいい物のようですね。ふるさとの味として、そういうのが自由に作れる時代が帰ってこないものでしょうか。一部「特区」とかいってドブロクなどは作れる特例があるらしいですが、むしろお酒などは企業が儲けを前提に醸造する物だけに課税していくのが本筋のような気がします。

おばあちゃんの味の葡萄酒なんて、本当に貴重だと思います。


[120]>112 私の祖父も watena

別ツリーで書きましたが、私が祖父の家にいる間中、まるでガキ大将のように私を連れ回して、色々な昔の遊びを教えてくれました。そのへんに生えている草や木までが遊び道具になりました。あの楽しさは今でも忘れません。


[121]>104 うちの親戚には玉砕した部隊にいた人がいたらしいです watena

でも、親戚は誰もそのことには触れません。玉砕ですから戦死を見届けた人もいませんし、遺骨も帰ってきていないので、今も亡くなったことを信じられない気持ちなのでしょう。

逆に古い人たちが集まる席では、足を組んだ瞬間靴底に流れ弾が当たって跳ね返って無事だったとか、そういう笑い話として話せる体験ばかりが出てきます。でもその裏には、休憩中でも銃撃にさらされる戦場の恐ろしさが語られていますね。

直接悲惨さや恐ろしさに触れない体験からどれだけ当時の本当の様子をリアルに想像できるかが、再び起こりうる戦争を食い止められるかどうかのカギになるのかもしれません。


[122]>107 最高の入学祝いですね watena

今も手元に残っているというのが素晴らしいです。ついてしまった一つ一つのキズもまた貴重な成長の記録です。そういうふうに長く使い続けてきたことを、御祖父様は何より喜んでくださっているのではないかと思います。その机は今も現役で何かの形で使い続けられているのでしょうか。できることならこれからもずっと使い続けていってほしいと思います。


[123]おばあちゃんの愛情 hanatomi

おばあちゃんの思い出で一番覚えているのは、・・(^_^)

恥ずかしいけど、みんなもそんな経験あるのかな。




私がとっても小さい頃、

ししゃものようなお魚を食べていたとき、

そのかけらが目に入ってしまいました。

痛くて痛くて、いたいいたいと片目をつぶっていたら、

おばあちゃんが

こっちへおいでとひざの上に手招き。



言われるがままにひざの上に寝て、上を向いて横になって。

そして、手で目に入ったししゃもの尻尾のかけらを取ってくれるのかなとおもっていたらなんと!!!




おばあちゃんは私の目をパックリ食べたんです!



めちゃくちゃびっくりしたけど、

終わったら、目のチクチクは無くなっていました。



おばあちゃんは、にっこりしていたのか、どんな顔していたのか覚えていないけど、

私はいきなりの経験にビックリ!!

まるでキスされたようなきもちでした。



昔の人って、こんなことしてくれるんですね。

めちゃくちゃに驚いたけど、

あったかくってやわらかかった感触を覚えています。

って、ちょっと恥ずかしい話で、誰にも言ったことなかったです

(^_^;)

でも 子供心に、ちくちくをすぐにそうやってとってくれたきもちが嬉しかったです


[124]>109 腰におきゅう hanatomi

うちの祖母もやっていました。ときおり、線香で火をつけてといわれました。

いつもお灸をすえるところは少し茶色くなっていて、ちょっと怖かったです。

でも、気持ちよかったのかな。


[125]褒めてくれる sayonarasankaku

おばあちゃんは、たいしことじゃなくても、

「すごいね」「えらいね」

と、いつも褒めてくれた気がします。


話も聞いてくれたし、とても優しかったです。

親の優しさとは、また違う優しさでした。


[126]>82 お小遣い hanatomi

おばあちゃんから良くもらいました。

ちいさな頃に書いてたおこづかいちょうが出てきて、おばあちゃんがしょっちゅう、しょっちゅう、おこずかいをくれていたのがわかって、胸が痛くなりました。おばあちゃんありがとう。。。


[127]>72 いい贈り物をしましたね watena

御祖父様にしてみたら孫がラジオを組み立てたというだけでも大変な自慢だったでしょうから、それが自分への贈り物として届けられた時は、きっと驚き、そして大喜びされたでしょうね。放送に採用された御祖父様のお便りというのも、きっとそんな感動が書き綴られたものだったのではないかと想像します。

また御祖父様の聞いているであろう番組を一緒に聞いていたというお話も胸を熱くします。離れていても心が通い合っている祖父と孫。いいですね。


[128]>10 おばあちゃん hanatomi

私の実家は孫がいるのですが、その父が上手で、「おばあちゃんところ行きたいって」「おばさんに遊んでほしいんだって」

などと電話がかかってきて、

子供が上手におばあちゃんや、おじいちゃん、おばなどに甘えてきます。

やっぱり甘えられると嬉しいもので。(私もおばの一人。)

祖母(母)もそれが元気の素のようにも見えます。

やっぱり子はかすがいでもあるのではないかとも思いつつ・・

確執を生む事もあるのかなぁ。。私もおばあちゃん子だったんだけど、兄弟が多かったからなぁ・・


[129]>14 おばあちゃん。 hanatomi

私もおばあちゃんに乳母車でよく散歩に連れて行ってもらったこと、覚えています。

おばあちゃんの歩くのはゆっくりだけど、なんだかとっても楽しかった。

vivisan、畑で食べたおばあさんのおにぎりは愛情たっぷりで最高だったでしょうね。

愛情たっぷりだと、うめぼしだけでも本当においしい。

どんどんみんな年をとるなあといましみじみ思ってしまいました。


[130]>120 おじいちゃんは知恵のついたガキ大将かも! don_bay

本当にガキ大将だった頃とは比べ物にならないほど知恵がついているから教える内容や教え方なんかも比べ物にならないほど濃くて上等になっているかも知れませんね。


[131]近所でも有名だったおじいちゃん。 helltaxi

私が小さい頃、祖父と祖母と一緒に暮らしていたのですが

おじいちゃんは、一年中毎朝庭で寒風摩擦してました。

家の塀はそんなに高くないので家の前の道を歩いている

人からは丸見えで不思議な光景だったんじゃないでしょうか?

今、私が人の家の庭でそんなことしているおじいさんを見たら

やっぱりびっくりすると思います。


[132]>47 生まれ変わりですか!? don_bay

と一瞬思ったんですが、赤ちゃんは生まれ出る前から生きていますよね。それにしても凄いタイミングです!


[133]>131 「元気ジジィ」 don_bay

親しみを込めてこう呼びたいですね。たまに見かけますよ、朝から木刀振ってる人とか。現代的になるとゴルフクラブを振ってますけどね!


[134]>125 多分本気で「凄い」と思ってたりするのでは? don_bay

大人になると分かるんですが子供って凄いんですよね、何かにつけて・・・だから、おばあさんとかおじいさんとかと普通に呼ばれる(ヤンキー結婚2世代連続の場合を除く)年齢の人達から見ると余計に「凄い」と思えたり見えたりすることも多いのかも知れません。


[135]五世代同居のおばあちゃん riceball

私のおばあちゃんは、今時珍しく五世代が一つ屋根の下に暮らす家で生活をしています。なんと10人家族!

おばあちゃんの住む街では他に例が無いそうです。


7人の子供を産み、20人近くの孫がいて、ひ孫はその倍近く(詳細不明)、そして最近、玄孫(やしゃご)が産まれました☆


それだけじゃないんです。うちのおばあちゃんの凄いところは、この子供(は当たり前だけど)から玄孫まで全員の名前と、生年月日を覚えている事!!

親戚同士でも「○○のうちの子供の名前なんだっけ?」とか「○○のお嫁さんの名前は?」なんていう会話が飛び交うのに、おばあちゃんは正確に覚えてるんです。

どこどこのうちは今年、小学校入学だ、成人式だと、節目の度にお祝いを用意してくれます。


90を越えた辺りから身体も自由が利かなくなり、居間でのんびり生活しているおばあちゃんだけど、テレビをみながら高校野球の対戦表をつけていたり、何よりもプロレス観戦が好きなおばあちゃん(笑)


孫が全て結婚するまでは、生きてて欲しいと願っています。


[136]>111 電話でレシピなんかを母が聞いていました don_bay

「あの味はどうだったかな?」なんて言いながら電話で味付けの加減を聞いたりしていました。今、私は母を通り越しておばあちゃんに直接電話してしまいますけどね。


[137]>123 すごい! vivisan

なんかおばあちゃんの愛情をすっごく感じますね!

こういった取り方のほうが傷つけることが少ないからなんでしょうか?


[138]>65 膏薬 vivisan

うちのおばあちゃんも肩が凝ったりしたときは、膏薬をつけていました。

それがまたすごいニオイなのです。

なので、だいたいどこにいるのかはすぐわかりましたね。

その膏薬は今でも売っています。効き目はあると思いますが私は使ったことがありません。


[139]祖母の背中で見た夕日 Oregano

とても小さなころですのであまり記憶が鮮明ではありませんが、私は祖母の背中におんぶをしてもらっていました。だんだん夕暮れがせまってきて、西の空が真っ赤な夕焼けになっていました。祖母は「夕焼け小やけの赤とんぼ」の歌を歌ってくれたと思います。西の方はずっと開けていて、ただまばらに木が生える雑木林だけが見えていました。

私は直前まで祖母にわがままを言って困らせていました。メロンパンが食べたくて食べたくて、買って買ってとせがんでお店まで連れて行ってもらったのですが、メロンパンは売り切れていたのです。近所にお店はそれ一軒しかなく、そこで売り切れていたらもうどこも買いに行く所はなかったんだと思います。

それでも私はやだやだ、メロンパンメロンパンとぐずり続けていたので、祖母は仕方なく私をおぶいながらお散歩をして気を紛らわしてくれていたのでした。

私は、おばあちゃんごめんねと言いました。祖母は、私こそメロンパンを買ってあげられなくてごめんよと言ってくれました。真っ赤な夕日が西の空に沈みそうになりました。私は祖母の背中から降りて、手を引かれて帰りました。本当は背中から降りたくありませんでしたが、これ以上祖母にわがままを言ってはいけないと思ったのだと思います。

その後私はあまり祖母と会う機会が無く、次に会った時はもうずいぶん大きくなっていたので、祖母におんぶしてもらったのはおそらくこれが最初で最後だったと思います。でも、この時祖母の背中で見た真っ赤な夕焼けと太陽は、今でも記憶にはっきり残っています。温かかった祖母の背中の感触も一緒にです。


[140]>137 私も似たような記憶が Oregano

私は母にでしたが、目にゴミが入った時に、動かないでねと言われて目を開かされて、舌先でペロンとなめてゴミを取ってもらったことがありました。うわぁとびっくりしましたが、母は、お母さんのお母さんもこうしてくれたのよと言っていました。


[141]>54 深い愛に包まれていますね riceball

人生の大先輩であるおばあちゃんからの温かく、深みのある言葉だったからこそ、Cocoaさんは素直に受け入れ、学校生活が楽しくなったのでしょうね。

親とは違う、「おばあちゃん」という一歩距離を置いた人でも自分を想ってくれ、何気ない一言を気にかけて手紙を書いてくれるなんて嬉しいですよね。

おばあちゃんから受け継いだステキな言葉を、次の世代にも伝えていってくださいね!


[142]>135 すごい!! Oregano

なんと5世代同居ですか。すごいですね。スポーツ大好きとのことで、お歳相応にお体はいたわらないといけないでしょうが、お気持ちは元気いっぱいのご様子です。たくさんの家族に囲まれて、いつも一人一人に愛情をかけていらっしゃることが、いきいきとした毎日の秘訣なのかなぁと想像します。

お孫さん全てが結婚するまでといわず、曾孫さん全てが成人するくらいまではお元気でいてほしいですね。いつかギネスに載るかもしれませんね!


[143]祖父母の家 tehi

昔、子供の頃行ったときはものすごく大きな家だと思っていたけど、ひさしぶりに行ってみたらなんか小さく感じました。イメージは小さいときのままでしたけどね。


[144]>126 家のおばあちゃんは tehi

ケチなので一切お金はもらえません。おじいさんはくれましたけど。


[145]>134 心が広い ootatmt

だから、小さなミスは気にせずに、なんでも褒めることができるんじゃないでしょうか。


[146]>97 元気なおじいちゃんですね riceball

ハツラツ元気なおじいちゃんが目に浮かびます。

道中は孫の喜ぶ顔、驚く顔がみたくてウズウズしていたのでしょうね。


[147]駅で待っていてくれたおばあちゃん castiron

小学生の頃1人でおばあちゃん(おじいちゃんも生きてたけど)家に行った時、

何を思ったか各駅停車にのっておばあちゃん家の最寄り駅まで行ってしまいました。

乗客の少ない車内、薄暗くなってくる空。不安で一杯になってしまいました。

でも、その目的の駅に着いたときおそらく1時間以上待ったと思いますが改札口の外で

笑顔で手を振っていてくれたおばあちゃん。その当時もちろん安心して嬉しかったです。

しかし、今考えて自分が同じ立場だった時を考えると不安で駅員に問い合わせたり、ホームの中に入って待ったりして到着した時はたぶん「なにやってるんだ!」としかってしまうと思います。

それを踏まえるとおばあちゃんは私のことを信頼して改札口もくぐらなかったし笑顔で私を迎えてくれました。

母に祖母の話を聞くと本当に貧乏くじばかり引いたそうですが本当のやさしさを持ったおばあちゃんでした。

私が中学生の時無くなりましたがやさしさをもらうばかりでもっと喜ばせてあげたかったなぁと今でも思います。


[148]>141 お祖母様の愛に涙 Oregano

子供にとっては学校生活がほぼ毎日の全てですから、お祖母様からのその手紙は、人生を変えてくれた手紙と言っても過言ではないと思います。読んでいる私も、胸に熱い物がこみあげてくる思いがします。今、色々なことで悩んでいる子供はたくさんいると思います。誰にも相談できずにいる子供たちがたくさん。おじいちゃんやおばあちゃんがいる子供は、一度おじいちゃんやおばあちゃんにSOSを出してみたらいいかもしれませんね。

お祖母様からいただいたすばらしい言葉。私もCocoaさんからさらに次の世代に、ずっと語り継いでいってほしいと思います。


[149]>136 私の母の味も母の母の味だったのでしょうね Oregano

私の母も、きっとその母から家庭の味を受け継いできたのでしょうね。それに父や私の好みが合わさって、今のわが家の味になっているのだと思います。そういえば母方の実家のお節料理は、わが家のお節料理と同じです。


[150]>119 「果汁」といって梅酒を送るおじいちゃんもちょいヤバ NAPORIN

・・・・高校で寮生活の孫息子に、わざわざ送ったそうです。

わざわざ送るな!といいたいところですが

その孫息子は子供のころからとても丈夫な肝臓だと知れ渡っていたそうだし、

手作りでおいしいけれど甘くてたくさんは飲めないので、せがまれてつい送ったのでしょう・・


[151]>130 今年は碁と百人一首、去年は将棋が流行りました NAPORIN

トランプ、花札、麻雀、パチンコ、ボウリング、ビリヤード・・・親戚を捜せば、どの競技も一人はアマにしておくのがもったいないくらいの名人が居るのです。

全部おじいちゃんの血かな?(おばあちゃんも意外とまけずぎらいなのですが)

おじいちゃん、ゲーム好きの子孫が多くて喜んでいると思います。


[152]>132 生まれ変わりではありませんが Oregano

私の名前は、祖父の名前から一文字もらっています。父もその祖父から一文字もらっています。もちろん一文字丸々受け継ぐとみんな同じような名前になってしまいますから受け継ぐのは部首の一部だけですが、わが家では代々こうやって、父の父から一文字もらって名前を付けていくのが恒例みたいです。生まれ変わりではありませんが、名前で先祖につながっていくっていいなぁと思います。


[153]>124 一度だけお灸を指の股にすえてもらいました NAPORIN

アレルギー体質が軽くなるといっていました。効いたのかなあ?

大きくなって鍼灸師に行くようになったのは姉妹で私だけですが、このときの思い出があるのかもしれません。(妹も受けたけどすごく小さかったし)


[154]>127 すばらしい贈り物! vivisan

momokuri3さんは中一の頃から自作が好きだったんですね?。すごいです!

テレビのない時代はラジオが娯楽でしたものね。それに持ち歩くこともできますし。

本当に本当におじい様はうれしかったんだと思います。

こういった心の通い方もあるんですね。じ?んときました。


[155]ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん ootatmt

今は長生きをする人が多いので、ひ孫の顔を見ることができる人も多いのではないでしょうか。

子供ができるまでの間隔が長いので逆に孫の顔を見るまで時間がかかるかな?

ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃんぐらいになると、親戚中の宝物になりますね。


[156]>118 都会っこの田舎 NAPORIN

私も両親も祖父母も転勤族みたいな子どもで、よく遊びに行くのは町中で、特定の田舎はなかった(おじいちゃんは借家暮らしで本当の田舎には行ったことがなかった)ですが、とうとう私にも田舎ができました!結婚によってです。

旦那のおじいちゃんは本当の田舎にすんでいて、五右衛門風呂(今は壊しました)と土間のかまど(ドラム缶製ですが収穫期はフル回転)と裏の池と田んぼと畑のあるおうちです。まるでダ○シュ村!

最初はとても怖かったんですが、今はなんだか大事にしなきゃいけないなあと思います。


[157]>122 成長を見続けている机とイス riceball

手作りの机に椅子なんてステキですね。きっと素材選びからデザインまでSpaceshuttleさんを思いながら作られたのでしょうね。

きっとお祖父様は、Spaceshuttleが今でも大事にしてくれている事が何よりも嬉しいと思いますよ。

みなさんがおっしゃっているように、これからもずっとずっと大切にしていって欲しいと思います。


[158]>149 私も受け継がないといけませんね Cocoa

私は料理はわりあい得意な方だと思いますが、ぜんぜん母の味を受け継いでいません。私がしっかり受け継がないと、母の母の味が絶えてしまいますね。明日から少しずつ教わろうと思います。今さら教えてなんて照れくさいですが、このツリーを母に見てもらって、おばあちゃんからの味を教えてって言ってみようと思います。


[159]>74 お茶菓子 akilanoikinuki

小さい頃、私はお饅頭が大好きな子供でした。

そのせいで、大人になった今でも、遊びに行くととりあえず饅頭が出てきます。おなかがいっぱいでも出てきます。おばあちゃんにとっては、私はいつまでも小さな子供なのかもしれないと思います。


[160]>89 祖母と百人一首 NAPORIN

父は末っ子で父方の祖母は最初から高齢でした。

向こうにしてみれば孫も男女とりまぜて多くいたので、珍しくもなかったのではないかと思います。

いとことはあそんでも祖母とはあまりゲームなどはしなかったのですが、私も思春期にさしかかったごろ、なくなるまえに一度だけ坊主めくりをして遊びました。

なぜ遊ぼうと思ったのかきっかけは思い出せませんが、今も、いい思い出です。


[161]>140 そうなんですねw☆ hanatomi

そうなんです、なめて とってくれるんですよね。とってもとってもびっくりするんですが、なんだか嬉しいんです(^_^*);

vivisan、

全然痛くないんですよ。まったく。そして、さっぱりとれるんですよ。ちくちくが。


oreganoさん

お母さんのお母さんにされたということは、きっと、うちの祖母も、そのおかあさんにしてもらったんだろうなぁ。

なんだか、あったかくっていいですね。

動物のコミュニケーションに近い感じで、(^_^;)

ほほえましいきもしたりしますね。

一度してもらったこれがずっと心に嬉しく残っているので、お子さんが居る方はやって見てほしいですw

びっくりしてもぜったい喜ぶと思います 笑

とってもやわらかくって、あったかいんです 笑


[162]>13 昔のお金も^-^ hanatomi

ありましたね!古い珍しい切手!

うちのおばあちゃんは古いお札なんかももっていて、もらった覚えがあります。

ちいさいお札でした。

昔の人は集めてましたよね。^?^


[163]お手玉 akilanoikinuki

祖母の言葉では「おじゃみ」と言うのですが、すでに亡くなったほうの祖母が、お手玉を作ってくれました。中身は、父と私、姉が山でとってきた木の実で、外側は和風のは切れです。姉には紫の布で三角のおじゃみを三、私には紺色で丸いおじゃみを二つ作ってくれました。

何歳かはっきり覚えていないのですが、小さかった私には二つを扱うのが精一杯。ぼちぼち育っていた姉は三つで遊ぶやり方を教えてもらっていました。

そのおじゃみの大きさは、今の私の手で言うと、人差し指と親指で輪を作ったら、その中を通り抜けるほど小さな物です。その小ささを見ると、おじゃみを作ってもらった時の私は、とても小さかったのだろうと思います。

残念な事に、その祖母は私が小学生の時になくなってしまったのですが、いつもニコニコして、やさしいおばあちゃんだったのを覚えています。


[164]>6 ものづくり、いいですね^-^ hanatomi

私もおばあちゃんに「貝の根付」を教えてもらいました。昔の人の手ってすごいですよね。どんどん色んなものを作っちゃう。

ものづくりが好きになったのは、財産ですよね^-^


[165]>12 蓄音機w hanatomi

昔のメカは、開いて見ると本当に楽しそうですよねw

メカ好きのおじいさんなんて素敵ですね。

蓄音機って、すっごく発明されたのが昔の気がしますが、その機械があるなんて、そんなにめちゃくちゃ遠い時代じゃないんですね。

それなのに今は録音や再生は全然当たり前になっててすごいなぁ。

おじいちゃん、おばあちゃんの話は時代を感じて面白いです。


[166]>156 私も都会育ちでふるさとがありませんが Cocoa

祖父母の住むところをふるさとって呼んでもいいですよね。父母のふるさとを受け継げるって、とても幸せなことだと思います。

そして結婚したら、だんな様のふるさとも、自分のふるさとにできるんですね。どんなふるさとを持つ人と出会えるかわかりませんが、ちょっと夢見てしまうお年頃の私です(笑)。


[167]>162 聖徳太子の前のお札 NAPORIN

なぜか、小判や刀の図録をもっていて、

本を見せてもらうだけでもおもしろかったです。

あとの収集癖は、土産物の人形。木彫りの熊をはじめて見たのは母方のおじいちゃんち。

笠をかぶった和服人形や、クリスタルのコップなどの並ぶ戸棚。

廊下も物置に近いほど物、物、物だらけ!!

きっと子供たち(うちの母含む4人)が集めたものも混じっていて、捨てられなかったのでしょうね。


[168]>121 うちのおじいちゃんも hanatomi

うちのおじいちゃんも、若い遺影が飾られています。

(戦争で無くなったそうです。)

戦いで解決しなければいけない未熟な私達だったという事を良くよくよく踏まえて、戦争はもうやめようという方向に行ってほしいと心から思います。

日本国内で、山賊やいくさがなくなって、代わりに警察と裁判ができたように、

国際的にも 法律や、平和的な警察的なものができて 力 で解決する事がなくなってほしいものです。

山形と青森が戦争したなんておかしいみたいに、

アメリカとどこそこが戦争したなんておかしいなという感覚になってほしいです。


[169]>161 私も目ではありませんが Cocoa

風邪をひいて鼻が詰まって苦しかった時に、なんと母に口で吸って鼻を通してもらったことがあります。熱を出してぐったりしていて、自分で鼻をかむことができなかった時です。あんな汚い物を口で吸っちゃうなんて。風邪うつっちゃうかもしれないのに。その愛情には、子供心に本当に驚きました。あとでやはり、母の母もそうしていたと聞きました。母という存在は本当にすごいですね。


[170]>155 うちの娘には2人のひいばあちゃんが居ます NAPORIN

お盆には本家で娘のひいばあちゃんと会ってきましたが、

写真って便利ですね、うちの娘からみたら

ひいひいひいおばあちゃんにあたる人の写真までを見せてもらいました!親戚中探しても残ってるのはこれ1枚きりでしょうね。

ただし、保存は雑でインデックスもすべてひいばあちゃんの頭の中。

言われなければ誰かわからなーーい・・・


[171]>138 漢方薬 don_bay

漢方薬マニア(?)の祖父母からはそこはかとなく漢方薬のの香りがしますよ。そんなに強くなくてまったりとした感じですね。


[172]>170 すごいですね ootatmt

長寿の家系なんですね。

昔の写真は貴重なので保管しておきたいと思いますが、なかなか整理できないです。

アルバムならメッセージを書き込んでおけるのですが、パソコンに保管しているデジカメの写真だと、後々の人が見ても分からなくなるかもしれませんね。


[173]>105 イチゴおばあちゃんにとって riceball

H-Hさんは、ホントの孫のようにかわいくてかわいくて仕方なかったのでしょうね。

みんなの喜んだ顔がみたくて、おいしいイチゴを作り続けていたことでしょう。

きっと多くの方から愛されていたおばあちゃんだったでしょうね


[174]>168 階級が掘られている墓石 Cocoa

本家のお墓に行くと、墓石の裏に、陸軍中尉誰々、みたいに階級付きで俗名が掘られているものがあります。何だろうと見ていたら、戦争でなくなった兵隊さんだと教えられて、少し驚いたことがありました。戦争は遠い昔のできごとなんかじゃないんですよね。

昔は藩どうしが戦をして、たくさんの人が死にました。でも今は同じ国の中で殺し合いをするなんて考えられない時代です。いつか、国と国との戦いも、きっと考えられなくなる時代がやってくると思います。でも、今の日本はその方向と逆の方へ逆の方へと行こうとしているように思えてなりません。私はこれから先、新しい階級入りのお墓なんて、一つもできてほしくありません。


[175]>174 そういえば近くの墓地にも ootatmt

たくさんの軍人さんのお墓があります。

死んでしまった人には話は聞けませんね...


[176]>172 デジカメ写真はファイル名以外に日付情報がついていることが多い NAPORIN

ひいばあちゃんのは

同じ日に取った写真が全く別のアルバムに

分かれて載ってたりするので

うかうかできません(笑)

摩周湖にそんなに何回も行ったのか!と

つっこみそうになりましが、

よく見ると同じ人が全く同じ服なのですよ・・


おばあちゃんも長寿ですが、

うちの娘が最初の内ひ孫(兼、最初の外ひ孫)なのです。

ひいばあちゃんたちは82歳と81歳かな。


[177]>147 きっとその時、とても喜んでくれていたと思います Cocoa

おばあさまはきっと、どんなに遅くなっても私がここで待っているよ、安心してゆっくりおいで、なんて心で話しかけながら待っていてくれたのでしょうね。

小学生で一人で電車に乗れたこと。そして間違いなく目的地に着けたこと。信頼して待っていてくれたおばあさまに、信頼通りに元気な顔を見せられたこと。それが何よりのおばあさまへの贈り物になったと思います。

やさしいおばあさまへの思いがあふれ出る文章で、ちょっとまぶたが熱くなりました。


[178]>176 話題がずれますけど ootatmt

そのうちデジカメ写真を解析して、誰が写っているかを判別してくれるソフトができるんじゃないかと期待しています。

「はてな」で頑張って実現してくれないかな?


[179]>167 尋常小学校の riceball

教科書とか、古めかしい新聞紙(何か特別な日?)とかもっていました。

平仮名ではなく、カタカナが使われている教科書で(確か)、おばあちゃんは教科書の冒頭部分を未だに覚えているようでスラスラ話していたのを覚えています。


それらは、当時のお菓子の箱等に入れられて丁寧に保管されています。今手に入れようと思ってもできないものがたくさんあります


[180]>173 すてきなおばあちゃん Cocoa

愛情にあふれたイチゴのおばあちゃん。きっと優しい優しい人だったのですね。そしてH-Hさんのことを深く深く思って愛してくださっていたおばあさま。

もうすぐやってくるお別れをわかっていらしたのでしょうか。それとも、もしかすると、未来のすでに天に昇られたおばあさまが、時間を超えてもう一度H-Hさんに会いたいって、過去にやってきてくださったのかも…なんて想像してしまいます。

すてきなすてきなイチゴのおばあちゃん。今も大人になったH-Hさんを、ずっと見守っていてくださいますね。


[181]>158 ヌカ味噌みたいに物で受け継がれる味もありますよね inu_punch

糠味噌女房が糠味噌婆さんになって次世代の糠味噌女房に糠床分けをするという感じですね。こんなの以外はもうイエの文化の伝承、という感じで親子のコミュニケーションで伝えられる感じになりますね。


[182]>175 祖父の海軍話 teionsinonome

私の祖父は海軍さんだったそうで、小さい頃によくその話を聞きました

戦地に行くはずだったのですが、風邪をひいたため行かなくて済んだとか

その時祖父が健康だったらもしかしたら私は今いなかったかもしれないわけで、そう考えるといろんな偶然が重なって今日があるんだな、なんて思います


[183]>108 あーうちも線香ですねぇ! rice_cookie

朝に晩にと仏様にお線香上げて、お経を上げて・・・って感じですからね。


[184]>139 一編の物語を読むようです Cocoa

美しい思い出ですね。おばあちゃんの背中も、そこからみた景色も、おばあちゃんに甘えてわがままを言ってしまった幼い心も、それを優しく受け止めてくれたおばあちゃんの優しさも、みんなみんな美しいです。

たった一度のおんぶの記憶をこんな美しい描写で思い出せるなんて、どんなにOreganoさんにとって大切な思い出だったのかがわかる気がします。素敵なおばあさまですね。


[185]>153 棒灸 type9

小さなころおじいさんが、棒灸というものをやってました。小さいころなので、楽しそうだなというの竹覚えています。

やったあとには少し赤くなって、何が変化あるのと思っていましたが、神経痛などがある人には効く人には効くみたいですね。

http://store.yahoo.co.jp/yorozuya-harumi/a5e9a5c3a5.html


[186]>133 きっとそう呼ばれていたかもしれないですね。 helltaxi

上半身裸でやっていたので目立っていたのできっと近所の子供達からは何かあだ名みたいなものがあって呼ばれていたかもしれないですね。


[187]>160 正月は2階で花札と麻雀大会 teionsinonome

祖母の家は2階に洋風の少し広めの部屋があって、オーディオやソファがありました

お正月で親戚が集まると、花札大会が催されていたのを覚えています

私は覚えてなかったのですが、麻雀大会もやっていたみたいです

子供は隅でトランプをやっていたのですが、今思えば大人は絶対賭け麻雀・花札だったんだろうな…

そんな祖母のキメ台詞は「マネー、マネー」でした 一生敵いません


[188]>117 そうそう! rice_cookie

年取ると偏屈になったりするのもいるので人にもよりますけど、幸いうちの祖父母は4人とも割りとできた人達なのでほんわかしてますよ!


[189]毎日上野動物園へバスで some1

当時は高齢者は都バスが無料だったのと、大人同伴での幼児が無料だったので、

幼稚園に通う前はそれこそ毎日、爺さんが私を上野動物園に連れて行ってくれました。


バスで出かけて、動物見て大喜びまでは記憶にあるのですが、

疲れて眠っておぶわれて帰ってくるので、帰りの記憶は全くなく、

目が覚めると夕飯の時間でした。


考えてみると初孫で当時の娯楽だったためか、爺さん体力使ってくれてたんだなー。


[190]>181 母の味は離れて暮らしている祖母の味とは違ってる rice_cookie

祖母の味の方が素朴に感じます。またこの素朴さがおいしいですよね!


[191]>70 本当に心ポカポカなお話ですね Cocoa

若くてきれいなおばあさまの浴衣姿。きっとすてきだったのでしょうね。本当の親子に見えたかもしれませんね。おばあさまには母親と違った種類の優しさがあると思うので、それを見ていた周りの人は、なんて仲良し親子とびっくりしていたかもしれません。

おいしいものをいっぱい買ってもらってご満悦のYuzuPONさんの姿が思い浮かびます。今でも「お母さん」と呼ぶすてきな関係が続いていることも心ホカホカです。


[192]>144 お手伝いをすると300円 teionsinonome

祖父は酒屋をやっていて、子供の頃自販機の補充を手伝うと300円くれてました

そのおかげで幼くして労働の対価のよろこびを学んでましたよ

一方祖母が亡くなった時、孫名義の通帳が出てきてもちろん私の分もありました

びっくりしたのとありがたいのとでジーンとしました

祖母が亡くなって15年ぐらい経ちますが、そのお金は1円も使ってません

祖母が残してくれたものだもの めったなことじゃ使えません


[193]明治生まれライダー flowerhill

うちのじいちゃんは、90才になっても原付バイクに乗っていた。

スピード違反で注意を受けて免許証を提示した時に、警察官が

「明治生まれなんですか!!」と驚いていたらしい。

いきなり凄い敬語に代わって「気を付けて下さい」って注意だけで、罰金を取られた事もないらしい。オーバーしているスピードが大した事無かったのだと思うけど。

免許の書換えでは、明治生まれで無事故無違反という事で、人前で優良運転手として褒められたらしい。

人前が苦手なじいちゃんが、焼酎を呑みながらテレながら話をしていた。

そういえば、他界する前日も軽量カップで計りながら、医者に認められた量だけ焼酎呑んでたなぁ。

あぁ、お盆のお供えに焼酎忘れた。日本酒じゃ物足りなかったろうなぁ。来年は忘れないようにしよう。


[194]>190 祖母のちらし寿司!! teionsinonome

母方の祖母のところの遊びに行くと、必ず散らし寿司を作ってくれます

しいたけが甘辛く煮てあっておいしいんです

てんこ盛りに盛られて、苦しいんだけど残すと悪いから必死で食べてます そして食べると「お代わりは?」って聞かれます ・・・それは無理ーーー

母曰く祖母は料理が嫌いで昔は魚料理なんてしてくれなかったらしいのですが、このお寿司は最高においしいです!


[195]今だからごめんなさい teionsinonome

15年ぐらい前に亡くなった祖母に今まで言えなかったごめんなさいをひとつ

ぶどうを食べていたら1粒すべってコロコロ・・・ そのままテーブルの下においてあった祖母の鞄にダイブ!

その後どうなったのか知りません

今までずーーーーーーーーーーっと気になってましたが私の胸に収めていた秘密

いい機会なので告白します ごめんねおばあちゃん!!!!!!!!


[196]>81 なかなか会えないから余計に大切になってきますよね rice_cookie

「ふるさとは遠きに有りて思うもの」なんて言います。

祖父母(や親)も「遠きに有りて思うもの」となると思いも強くなるような気がします。


[197]保育園のお迎え riceball

私の母方のおじいちゃんは、私や弟の保育園のお迎えをしてくれました。

母が迎えに来てくれる日は自動車なのですが、おじいちゃんが迎えに来てくれる日は徒歩。

園児の私や弟には30分近くの道のりがあったかと思います。

その道中、私や弟が駄々をこねないように、おじいちゃんは毎回、近くの商店街に寄ってくれてお菓子を一つだけ買ってくれました。

「一つだけだよ。」これがおじいちゃんにいつも言われた言葉でした。100円にも満たないお菓子で喜べるのはそれなりの知能だったからでしょうが、おじいちゃんが迎えにくる日は何か買ってもらえる!と楽しみでもありました。


おかげで、足腰がしっかり成長した気がします。


[198]>194 孫がいっぱい食べると喜ぶんですよね hare-nochi-noutenki

料理嫌いのおばあ様が作られたおいしいお寿司、孫なら何が何でも残さずに食べますよねぇ!おばあちゃんちに遊びに行くと太って帰った私です。


[199]おばあちゃんは優しくて、おじいちゃんは怖い! ayame2001

おばあちゃんはおっとりさんで、お料理の仕方を母より優しく解りやすく、辛抱強く教えてくれました。でもじいさんは怖かった。近寄りがたくて行儀が悪いと『こら!』と竹刀を片手に直ぐ怒鳴る。でもある夏の日、畑のスイカを手に『お前達に食べさせたくて取っといた』と、手渡してくれた時の事がなんとも言いようの無い思い出で忘れられません。


[200]>196 普通に暮らしてれば劇的なエピソードもなく hare-nochi-noutenki

可も無く不可も無く、普通のおじいちゃん、おばあちゃんと普通に接するという感じでしょうか。これが庶民の幸せ、つまり「青い鳥(鳩なんだそうですよ)」なんですよね、多分!


[201]>177 がんがん泣いてましたけどね castiron

しかし、その当時はおばあちゃんちに着いたらけろりとしたもんでしたが・・・

ちなみに、後から来た両親には思いっきりはたかれました。

そして姉たちからは成人を過ぎてしばらくたつのにいまだに言われます。

この事件(?)はまんま私の人格と家族関係をすべてを表しています。


[202]>152 子孫はみんな祖先の生まれ変わりだから hare-nochi-noutenki

細胞レベルで遺伝子を受け継ぎ、名前や行動で文化を受け継ぐ、ということになるんでしょうね。


[203]>183 そういうにおい、好きですよ hare-nochi-noutenki

心休まりますよね。和の基本なのかも知れません。


[204]>202 その通りですね SweetJelly

魂が永遠なのかどうかは誰にもわかりませんが、人は誰でも先祖がいなければこの世に存在できないこと、そして先祖の遺伝子や心や行動や願いや文化を受け継いでいくことだけはたしかですから、比喩的な表現ではありますが、みんな先祖の生まれ変わりなんですよね。

私も、おじいちゃんやおばあちゃんの心を何か一つでも受け継いで後世に伝えていける人になりたいです。


[205]>142 驚きです SweetJelly

五世代が健在というだけでも大変なことですが、さらに同居していらっしゃるんですね。なんと10人家族とは驚き。そして家の外にもたくさんのお子さんから広がっていったたくさんの子孫。もう驚きの素晴らしい一族ですね。

全てのお子さんから玄孫ちゃんまでのお名前と生年月日をきちんと記憶していらっしゃるのは、お一人お一人に対する愛情の印ですね。たくさんの愛に囲まれて、たくさんの愛を贈って、きっと世界一の幸せおばあちゃんではないかと思います。

これからも、もっともっと長生きして、玄孫ちゃんに彼氏彼女ができた時、うちのひいひいおばあちゃん紹介するよ、なんて言えるくらいまでお元気でいてほしいです。


[206]>201 いい思い出ですね SweetJelly

無事到着を信じてずっと待っていてくれたおばあちゃん。その優しい笑顔を見たら張りつめていた気持ちが一気にほぐれて泣いてしまいますよね。そして同じ肉親であっても、ご両親、お姉さんたち、それぞれに色々な思いと愛情の表し方があるのも、いいお話だなぁと思いました。ご両親もお姉様方も、何ごともなくてよかったという喜びの愛情表現ですよね。おばあちゃんももしかして今、天国からこのツリーをご覧になって、あんなことがあったねぇ、なんて微笑まれているかもしれませんね。


[207]>200 その通りですね!! SweetJelly

親戚って、不幸があると集まるっていうのがありますから、遠くのおじいちゃんおばあちゃんとなかなか会えないのはみんなが元気で幸せな証拠ですよね。夏休み、会いに行きたかったなと、ちょっとしょんぼりしていたのですが、なかなか会えない幸せにも感謝の気持ちが湧いてきました。おばあちゃんに手紙書こう!!


[208]>193 バイクでお迎え。 dankichik

うちの祖父も70過ぎで亡くなる前までバイクに乗っていました。ときどき幼稚園まで私をバイクで迎えにきてくれたこともありました。

祖父は若い頃にバイクで事故を起こし大怪我を負ったらしく、祖母はバイクに乗ってほしくなかったようなんですが、そんな小言はきかない頑固者だったので。。祖母はさぞ心配だっただろうと今になって思います。


[209]>199 うちは逆 SweetJelly

うちは、祖父はとても優しい人で、物腰もとても柔らかな人なのですが、祖母は茶道と華道の教授のお免状を持っている人で、お弟子さんもたくさんいて、口数が少ない、とても厳しい人っていう印象なんです。立ち振る舞いも隙が無くて、近寄りがたい感じの人でした。

でも私が入院した時に遠くから駆け付けてくれて、それは優しく看病してくれたんです。そんな中で、あの近寄りがたさの下にはまるで少女のような優しい心が隠れていることがわかりました。それに微笑むと、とっても優しい笑顔なんです。

ayame2001さんのお祖父様も、昔ながらの厳しさの中に優しい心を兼ね備えていらっしゃる、素晴らしい方ですね。昔と今とは時代が違いますから、昔風の立ち振る舞いで接してこられるとそれだけで緊張してしまいますが、本当はとっても優しい。そんな優しさに触れると、今までが恐かっただけに大好きになりますね。


[210]>209 おじいちゃんは寡黙、おばあちゃんは世話焼き。 dankichik

うちの祖父も寡黙な人で、子供心にちょっと取っ付きにくい人でした。でも何も言わずにいろいろ気を使ってくれたんですよね。

一方のおばあちゃんはとっても世話好き。遊びに行くとあれやこれやとお菓子をだしてもてなしてくれました。自分もたくさんしゃべるし、私にもたくさんしゃべらせます。

こういう違った二人が50年近く連れ添ったんですから不思議なものです。


[211]どうして遊んじゃいけないの? 大好きなおじいちゃんとの禁断の日々 TomCat

小さな頃、わが家は祖父+父母+私の三代家族でした。私は祖父が大好きで、いつも祖父の後をついてまわっていました。祖父はいつも私にミカンをむいてくれたり、チョコをくれたりするんです。和服を着ていることが多かった印象がありますが、たもとの中にはいつも何かしら、私の喜ぶ物が入っていました。洋服の時はもちろんポケットの中にです。

祖父とお散歩したり、本を読んでもらったり。当時の家には縁側がありましたから、そこで夏はスイカを食べたり、冬は日向ぼっこをしたり。梅雨時には庭に現れた大きなガマガエルと私と祖父の三人で、にらめっこをしたこともありました。

ところがある日、あれは木枯らしの吹く、冬に近い日だったと思います。私はそんな大好きな祖父と遊ぶことを、急に禁じられてしまったのです。私は当時、まだ幼稚園にも行っていない頃でしたから、なぜそんなことをいわれるのか、全く理由が分かりません。

ただ覚えているのは、おじいちゃんと遊ぶ、というと、だめよ、とたしなめる母の言葉だけ。何度、おじいちゃん、おじいちゃんと言っても、全く会わせてくれませんでした。私は、おじいちゃんと遊びたいと、ずっと泣いていましたが、祖父の部屋に近付くことも禁じられてしまいました。とにかく理由を理解していないので、私には突然禁じられたとしか思えなかったのです。

夕方、母が夕食の準備をしている隙に、私はナイショで祖父の部屋の前に行ってみました。あ・・・・。咳き込む声が聞こえます。やっと理由が分かりました。祖父は、風邪をひいてしまったのでした。おじいちゃんの咳は苦しそうです。絡んだ痰がなかなか取れないらしく、何度も強く咳き込んでいました。

私は泣きながら台所に駆けていきました。部屋に行っちゃダメと言われていたので叱られると思いましたが、それを覚悟で、おじいちゃんが苦しそうと母に知らせました。コンロには土鍋がかかっていたような記憶があります。きっと母は祖父のためのお粥を作っていたのでしょう。

すぐ母は祖父の部屋に行き、そしてもう大丈夫よと台所に帰ってきました。お部屋にいっぱい湯気を立ててきたから、きっと喉はすぐに楽になるわ、おじいちゃんがありがとうって言ってたよ、と母は言ってくれました。

それから数日、母は祖父の看病で忙しそうでした。数日してその忙しそうな様子がなくなったので、私はそーっと祖父の部屋の前に行ってみました。物音に気付いたのか、祖父は扉越しに私の名前を呼んでくれました。

遠慮がちに、おじいちゃん、あそぼ、と言ってみると、祖父は、まだもう少し、お前に風邪をうつすといけないからな、と言っていました。でも、喉がだいぶ楽になったから短いお話をしてあげようと言って、かわうそとタヌキとウサギが出てくる楽しいお話をしてくれました。

私は本当は祖父の枕元に行きたかったのですが、近くによってはダメだよと言われたので、ずっと廊下でお話を聞きました。タヌキとウサギは知っていましたが、かわうそというのは何のことか分かりませんでした。でもとても楽しいお話でした。

お話のお礼に、私は居間に戻ってミカンをむきました。いつもは祖父が私にしてくれることです。上手にはむけませんでしたが、房を一つずつ離して食べやすいようにして、母に持っていってもらいました。

それから数日して、祖父はすっかり元気になって、またみんなと一緒のテーブルでご飯が食べられるようになりました。祖父がまたミカンをむいてくれました。あの時お前がむいてくれたミカン、喉が渇いている時だったので本当に美味しかったよ、と言ってくれました。

今思うとあの時のミカンはひどくへたくそなむきかたで、所々厚い皮が房に貼り付いていたり、房が破れていたりする悲惨な物だったと思います。でも祖父はそんなミカンを喜んでくれました。久し振りに祖父がむいてくれたミカンは、私にもひときわ美味しく感じられました。

祖父は、私が幼稚園に行き始める頃、他界したようです。私は年長組にしか行っていないので、5歳になるかならないかくらいの時だったのでしょう。ですから、物心付いてからのそんな祖父との記憶は、ほんの短い期間のものでした。それでも優しかった祖父の思い出は山のように残っています。

小さかった頃、伝えられなかった、おじいちゃんありがとうの言葉を、今ここに・・・・。


[212]>208 かっこいいおじいちゃんですね TomCat

お二人の御祖父様共に、他界される直前までお元気そのものでいらしたんですね。素晴らしいなあ。やはり好きなバイクに乗るなど、活動的だったことが元気の秘訣だったのでしょうね。

なんか、お二人の御祖父様共に、生涯青春を貫いた方、という感じがしますね。近頃は定年後を第二の青春などと言うようですが、そんな言い換えではなく、本当に心も体も若々しかったんじゃないかなあと。そんな気がします。かっこいいおじいちゃんです。


[213]>205 おおおおお!! TomCat

これはもう、いつテレビが取材に来てもおかしくない家ですね。いや、家庭というプライベートな場をテレビで取り上げることの是非は別として、とにかくもう、鶴と亀が列を成して舞い踊るような大吉幸せご一家です。

私もプロレス好きですから、何よりもプロレス観戦が好きなおばあちゃんという所にグッときました。お若い時からお好きだったのでしょうか。もしかして、力道山とか、馬場さんの全盛期とか、人間発電所とか鉄の爪とか、みんなその目で見てきていらっしゃるのでしょうか。おばあちゃんの目から見て、今最も見所のあるレスラーは誰でしょう。ああっ、私もおばあちゃんとプロレス談義がしてみたい!!

こんな素晴らしいおばあちゃんには、それこそ玄孫の子が生まれるまでお元気でいてほしいですね。あと25回は夏の甲子園も見てください。今の時代、けっしてそれも夢じゃないですよね!!


[214]>37 私も祖父のお話が楽しみでした TomCat

祖父は昔話をたくさん知っていました。特にキツネやタヌキやウサギや牛や馬や、動物の出てくるお話をたくさんしてくれました。ネズミも虫も、祖父にかかると楽しい物語の主人公でした。

もう寝なさいと言われると、祖父の服の端っこを掴んでぐいぐい引っ張っていたのを思い出します。祖父のお話タイムは、幼児の頃の私の大好きな時間でした。


[215]テレビのチャンネル権はおじいちゃんが絶対・・・ type9

きまってゴールデンタイムは「時代劇」と「プロレス」

時には喧嘩もしてたような気がする。

昔は一家に一台のテレビが、今は一人に一台のテレビになって

世の中も変わったなあ。


[216]>5 私には祖父の告別式の記憶がないんです TomCat

私の祖父も、幼稚園に入るか入らないかくらいの時に他界しています。父は遠方の出身で、同居していたのは母方の祖父だったのですが、やはり母は歳の離れた兄弟の末っ子でしたので、当時の祖父は、もうかなりの高齢でした。

おそらく告別式は自宅でやったと思います。その時の写真も残っています。でも、祖父と過ごした日々の記憶は山のようにあるのに、なぜか告別式の記憶は、私には全く残っていないんです。

なぜでしょう。あまりに悲しくて記憶を消去してしまったのでしょうか。それともまだ小さかったから、告別式の間、どこかに預けられていたのでしょうか。そのへんの事情は分かりません。でも、いつの間にか祖父が家からいなくなっていました。だから今でも、どこかで元気にしてくれているような、そんな気がしてならないのです。お墓参りにも行ってるんですけどね。

takntさんの御祖父様との最後のお別れの記憶も、大切な思い出のひとつ・・・・だと思います。


[217]>43 そういうのってありますね TomCat

歴史のある家柄のお宅に行くと、日本間の鴨居にずらりとご先祖の皆様の写真が飾られていたりしますよね。みんな親戚ですし、昔の写真ですから、似たような年格好の方の写真はどれも似ていて、見分けが付かなかったりします。

父方の本家は今でもそんな感じの家で、仏間に行くとたくさんの写真が並んでいますが、どれがどなたの写真なのか、いまだに皆目見当が付きません。とにかく、一族というのはどことなく似ているなあ、くらいしか分かりませんw


[218]>71 そういえば TomCat

私の祖父も、仁丹の匂いがしていましたね。私も一粒もらって舐めてみたことがありますが、まずかったです。よくケーキに似たようなのが乗ったりしていますから、そういう美味しい物だと思いこんでいただけに、あの仁丹の味は裏切られました(笑)

仁丹の匂い、久しく嗅いでないですねー。今度買ってみようかな。あれって、何に効くんでしょう。二日酔いとかにいいですか?(^-^;


[219]>86 昔気質の御祖父様だったんですね TomCat

昔の人はとにかくいつも、何か仕事を探して働いていましたよね。大工仕事も男の大切な役割の一つだったのだろうと思います。

父方の祖父もそんな感じの人で、やはりよく手入れされた大工道具が整然と整理されていました。道具箱も自作なら、腰にぶら下げている袋も自作だったようです。おばあちゃんが作ったのかなとも思いましたが、器用に繕い物をしている祖父の姿を見たこともありますから、もしやあれも祖父の作だったのかもしれません。


[220]>88 なんとお祖母様が夢の中に!! TomCat

骨髄を提供する前日に懐かしいお祖母様が夢の中に!! これはもう、daydayさんと弟さんを応援してくれていたに違いありませんね。私が見守っているから何も心配はないよ、って。

経過良好とのことで、本当に何よりです。お祖母様の愛が、二人のお孫さんを守ってくださったんですね。血を分けた姉弟がさらに愛と勇気を分かち合って、こんなに仲のいい姉弟は天国でも自慢だよって、きっとお祖母様はそう言ってくださるに違いありません。感動しました。


[221]>143 分かります TomCat

子供は体が小さいですから、はじめて行く家は、なんか大きく見えてしまうんですよね。特に実家だなんだという言い方をされると、イメージ的にもすごく立派な家のように感じてしまいます。

私も父の実家に初めて行った時には、でかい家だなあと思いました。実際、古い家ですから庭が大きく、建物にもゆとりがあります。子供の頃は、縁側など何十メートルも続くような印象すらありました。でも、大人になって行ってみると、二間続きの部屋の前に縁側が付いているだけでした(笑)


[222]>221 木登りしていた木 dankichik

小さい頃、祖父母宅に遊びに行く度に玄関前に生えていた木に登って遊んでいました。小さい頃は高いところに登った気でいたのに、久しぶりに祖父母宅に行ってみるとなんだかとても小さい木で驚きました。私が生長したということでしょうかねえ。


[223]>222 ありますね。 vivisan

おばあちゃんが住んでいた家は、私の両親が現在住んでいますが、そこには井戸があります。

コンクリートでできていて蓋がしてありますが、小さい頃は井戸に近づかないように!といわれていました。

今は見下ろせてしまうんですが・・。


[224]>207 たしかに!! YuzuPON

そういえばうちの親戚も、久し振りに顔を合わせたかと思うと葬式だものなぁ、なんて言い合っていたのを思い出します。懐かしい祖父母を遠くでしみじみ思えるのは、本当に「青い鳥」のような幸せがここにあるっていうことに他ならないわけですね。

大人になると何かと時間が取りにくくなって、離れた所の祖父母には会いにくくなってきますが、それも祖父母から受け継いだこの体で元気に働けているおかげ。ありがたいですね。


[225]>223 あります、あります momokuri3

そう言えば私の祖父の家にも、大きな大きな柿の木がありました。それはもう大木のように思っていましたが、大きくなって行ってみると、柿の木は柿の木。そんなに巨大なものではありませんでした。子供の頃よじ上った枝も、今見ると、大人が上るにはちょっと細いかなという気がします。

祖父に連れられていった神社の境内も、とても広かった印象がありますが、実際今行ってみると、ごく普通という感じです。

でも、いつまでも子供の頃の印象は大切にしたいですね。


[226]>220 感動ですね momokuri3

今はなき御祖母様の笑顔に励まされて、移植に臨まれたのですね。こういう話をうかがうと、やはり命は永遠なんだ、懐かしい故人はいつも天から見守ってくれているんだと信じたくなります。御祖母様の祈りが通じて大成功。本当によかったです。これからもいつまでも御祖母様の面影を胸に、ご姉弟手を取り合ってお過ごしください。良いお話をうかがいました。ありがとうございます。


[227]>213 本当に何と素晴らしい!! momokuri3

おばあちゃん、子、孫、曾孫、玄孫。たしかに五世代。この素晴らしい御祖母様に、私的ピックアップ賞!!

90歳でスポーツ大好きおばあちゃんというのもいいですね。きっと今も甲子園に熱狂されていることでしょう。お歳がお歳ですから、今はお部屋で静かにお過ごしなのでしょうが、本当に若々しく、かくしゃくとしておられる様子が目に浮かびます。


[228]>184 私もじわりときてしまいました momokuri3

情景が浮かんでくるようで、なんだかとても懐かしい思いが込み上げてきます。おばあちゃん、という言葉に込められた温かさがよみがえってきます。おばあちゃんの背中を降りて、手を引かれて帰る二人の足元に、長いシルエットが影を落とす。その時感じた温もり。愛。私も子供の頃、どこかでこれと似た風景に出会っていたような気がします。


[229]お裁縫するおばあちゃん vivisan

ハザマさんのところにもありましたが、うちのおばあちゃんはお裁縫が得意でした。得意というよりも当時はそれが必要だったからだと思います。

着物も自分で仕立てていましたし。

どちらかというとおばあちゃんは無口でしたがいつも笑顔がたえませんでした。

おばあちゃんのイエに遊びにいくと、いつもおばあちゃんは編み物をしていました。

座布団カバーも椅子カバーも、はたまたこたつカバーまでセーターなどをほどいて作っていました。

わたしはおばあちゃんのお手製の座布団カバーがついた座布団に座るのが好きでした。

編んでいるおばあちゃんの手元を見ていると早い早い。

「おばあちゃん、すごいね!どんどんできていってるー!」

というと

「頑張ればはやくできるようになるよ♪」

っていってくれました。

その腕はうちの母に受け継がれています。

その後実際自分で編み物をするようになって、ホントにおばあちゃんすごかったんだ!と思いしらされました。

おばあちゃんは私が小学生のときに倒れてそのまま半身不随の体となり亡くなりました。

後から母に聞いたところ、仕立て中のウールの着物があったそうです。

私は和裁が趣味なので、単衣の着物程度なら自分で作りますが、おばあちゃんに教えてもらいたかったとホントに思います。

残念ながらその作りかけの着物はどこかにいってしまいましたが、今なら続きを私が作りたかったな・・。

そしておばあちゃんに認めてもらえるような腕になりたいと思います。


[230]>114 顔は似ているのに・・ vivisan

いつもガミガミ言う母と全く対称的なのがおばあちゃんでした。

おばあちゃんが怒ったところってあまり記憶にないのです。

私の見えないところで母を叱ったりしていたとは思うのですが、当時はなんで親子でこんなに違うんだろうと思っていました。


[231]>191 和やかな風景が目に浮かびます riceball

微笑ましいお話ですね。お母さんに間違われるくらい若くみえるだなんて、見た目だけじゃなくて気持ちも若いのでしょうね。

YuzuPONさんがお祭りの1日、おばあちゃんを「お母さん」と慕ってくれたことが何よりも嬉しかったと思います。

いつまでも若々しいお母さんでいてください!!


[232]>180 (投稿者の要望により削除されました) ie-ha-te-natest

(投稿者の要望により削除されました)


[233]おばあちゃん子 lovely-flower

おばあちゃんになついていました

おじいちゃんはちょっと怖くて近寄りがたい

けれど、病床で「きれいになったな・・」

この一言が今でも忘れられません

決して、キレイなわけでもなく、むしろ

太ってしまってみにくいはずなのに・・・・

この話を思い出すと涙がとまらなくなります・・・。


[234]>228 美しい記憶 YuzuPON

ある意味幼い頃の原体験とも言えるような記憶の一コマですね。子供の頃の記憶はそれからの人格形成の土台になっていきますから、この夕日と一緒に刻まれた優しさや愛や思いやりの心が、きっとOreganoさんの成長の、かけがえのない栄養になっていったのだろうと思います。

そういえばOreganoさんは以前、雑木林について色々と書かれていなかったでしょうか。お祖母様の背中で見た夕焼けの下に映えていた雑木林の風景が、今のOreganoさんの自然志向の原点かもしれませんね。

色々な意味で人としての土台を与えてくれたお祖母様。すばらしく、かけがえのない人ですね。


[235]>43 確かにー!!! Kid

僕の実家にも先祖の写真が飾られています。

で、それは見た目に老人だから幼い自分にとっては「おじいちゃんおばぁちゃん」の位置づけなんですよね☆

小さい頃って自分にはおじぃちゃんおばぁちゃんっていっぱいいるかのような気持ちになっていました(笑)

だから物心つく頃に亡くなっておられたのでしたらそういうこともあるんだろうと思います♪

やっぱり、血の繋がりもあるから似てますしね(笑)


[236]>166 祖父母と父の故郷が私の故郷 YuzuPON

私も生まれてからずっと、歩道の植え込みか街路樹か公園くらいでしか自然と触れ合えない所で育ってきました。でも祖父母の地は、それはすてきな所です。自然も、人と人とのつながりも、都市部では得られないものがあります。そういえば私も、そこで真っ黒になって遊び回った夏休みがありました。

今度行く時には、私もそこを故郷にするんだという気持ちで行ってみたいと思います。


[237]>154 これぞ自作好きの愛の表現!! YuzuPON

作る楽しみと贈る喜びが重なって、きっと最高の自作の楽しさが味わえたでしょうね。そしてお祖父様は、孫がこんなにも成長したという実感と一緒にそれを受け取ってくださった。最高の贈り物ですね。お祖父様がそのことをどんなに喜んで放送にお便りしたかが伝わってくるようです。きっと番組のパーソナリティも、その心を受け止めて採用してくれたのでしょうね。そして放送を通じてその感動が全国に広がっていったのでしょう。すばらしいです。


[238]>93 世代が違うと近寄りがたいのってありますね YuzuPON

特に日本の伝統を受け継いできたようなお祖母様なら、子供には近寄りがたい風格というか、年輪の重みのようなものがあったのでしょう。私も家族で父の田舎に行くと、必ず最初に「おじいちゃんにご挨拶していらっしゃい」と言われるのが、一番気の重いことでした。祖父は寡黙な人で、おじいちゃんこんにちはの後、何を話していいかわからなかったんです。

でも、やはりおじいちゃんは父の父。一緒にいると、だんだん目や口元で気持ちがわかる気がしてきました。帰りに、おじいちゃん、また来るねと言ったら、口元をきゅっと結んで、うんと頷いてくれました。振り返って手を振ったら、目を擦っていました。おじいちゃん大好きと心の中で叫んで手を振ったのを思い出します。


[239]必ずテーブルの上には、お菓子や果物が入った、 matakiteshikaku

入れ物が置いてあって、遊びに行って食べるのが楽しみでした。思い起こせば、せんべいなんて少ししけっていて、何だこれ?と思いましたが、歯の弱いじいちゃん、ばあちゃんにはそれくらいがちょうどよかったんだなと思いましたね。バナナも少し黒くなってて、すごく甘かったのを覚えています。


[240]>203 おばあちゃんの匂い Kumappus

うちの場合はヘアースプレーのフローラルな匂いでした。

ちなみにじーちゃんはポマードの匂い(笑


[241]>231 なんだか温かい気持ちになれました。 akashiroki

なんだか温かい気持ちになれる話ですね。それが、今でも続いているのに微笑ましさを感じました。

祖母は大変綺麗な方のようですね。私の祖母はかなり高齢でしたので見事なおばあちゃんの風格でした。


[242]>232 悲しくも素敵なお話ですね watena

人はいつかは別れねばならない定め。でも強い愛が心と心をつないでくれる。たとえ住む世界が天と地に分かれても。そんなことが信じられてくる話です。私も人生の年輪を重ねた時、こんなすてきなおじいちゃんになれるでしょうか。


[243]ちなみにそのすずめは元気に羽ばたいていきました。 Kid

幼稚園に入る前とか、もっと前かもしれないのですが、ある冬に

「じぃちゃん、ぼく鳥がほしい」

って言ったことがあったんですよ。


それは「こういう鳥が欲しい」っていうのがあったわけじゃないんですけどどこかで見た文鳥とかインコとかを見て欲しがったんでしょうね。


すると、じぃちゃんは「干し柿」を餌にして罠をしかけてくれて、

すずめをつかまえてくれました!!

そのとき、幼いながらに「じぃちゃんってすげーや!!」って思いました。


結局、なんだかすずめがかわいそうになって逃がしたんですけど、その逃がしたときのじぃちゃんの顔が嬉しそうだったことを今でも覚えています。


今更ながら「じぃちゃんって優しい人だったなぁ」と再確認しました。


[244]>233 素敵な言葉をいただかれましたね watena

綺麗になったな。御祖父様のお言葉でしょうか。その時、御祖父様の目には、真実美しく成長した姿が映っていたはずです。太ってしまってなんてとんでもない。そんなことは美醜とは無関係です。心美しく、体健やかに成長した、その姿を見る喜びを、御祖父様は綺麗になったと表現されたに違いありません。人は、愛する人をそういう目で見つめます。それは男女間でも同じことです。


[245]>243 優しくワイルドな御祖父様ですね watena

孫が鳥を欲しいといったらスズメを捕まえてしまう…。びっくりのワイルド御祖父様です。スズメは野鳥ですから、勝手に捕っては法律上やばいのですが…(笑)。でも、そういう捕獲術を心得ているのは、先人からの知恵を受け継いできた世代の方の素晴らしさですね。

そして、もののあわれということもよく知っていらっしゃる。逃がしてもらったスズメを見て、きっと心の中で、よかったな、元気でなと声をかけていらしたのだろうと思います。

もしかして御祖父様は最初から、愛するお孫さんにいい経験をさせてあげようと、逃がすことを前提にスズメにちょっと協力してもらうつもりで捕らえたのかもしれませんね。お孫さんにもスズメにも優しい御祖父様です。


[246]>240 ほうじ茶のような香りがしますね e-yokan

お茶好きだからでしょうかね。朝起きはもちろん、寝る直前にもお茶を飲んでいます。特におばあちゃんは。


[247]>206 待っててくれてありがとう riceball

castironが無事に来る事を信じて待っててくれたことが嬉しいですね。

おばあちゃんは待ってる時間に、会ったら何をはなそうかな、何をごちそうしようかな、と考えていたのかもしれません。ゆっくりとした時間の流れを感じます。


ご両親は、誰よりもハラハラドキドキしていたと思います。後ではたかれたのも、無事に到着したことと、心配をかけた分の愛情がこもったお仕置だと思いますよw


[248]>212 本当にカッコイイ watena

最近はご高齢の方の事故が増えていますから、全ての方に無理をしてでも活動的にとは申し上げられないかもしれませんが、でも70歳、90歳というお歳になっても現役で走っていらしたのは本当にかっこいいと思います。齢は重ねても老け込まないとおっしゃっていた方がいましたが、私もそういう歳の重ね方をしていきたいものだと思いました。


[249]おばあちゃんの広島焼き rikuzai

母が病気がちで、小学校に上がるくらいまでの頃、

妹と二人で母の実家に預けられていたことがあります。

祖母は女手一つで広島焼きのお店をやっていました。

元々広島焼きはボリューム満点ですが、

儲けはあまり気にせず、安価でおいしかったので、

近所の学生さんの「おばちゃん」的存在だったようです。


祖母の腕は血管が見えるほど細く、およそ力などないように見えたものですが、

ぐっと力こぶを作って見せてくれたときはかなり驚きました。

実際、広島焼きはてんこもりのキャベツを重い鉄ゴテで焼き押しつぶしで焼き上げます。

鉄ゴテは数キロあり、これを汗を流しながらも難なく持ち上げて次々とお好みを焼く祖母は子どもながらにとてもカッコよく見えました。


私は元々お好み焼きが大好きだったのですが、

祖母の焼くお好みはまた格別で、大人でもおなか一杯になる一枚を平らげると、

祖母が目を丸くし、すぐに目を細めて「よぉ食べる」と喜んでくれたのを覚えています。


小学校、中学校と大きくなってからは時折里帰りする程度になってしまいましたが、

その度少しお好みの香りのするキレイにたたんだ千円札を、母には内緒で渡してくれました。

そのお金だけは祖母が一生懸命お好みを焼いている姿を思い浮かべてしまって、

いつもなかなか使えなくて、長い間お財布の別の場所に入れて持ち歩いていました。


その祖母も既に鬼籍ですが、葬儀には祖母のお好みで学生時代を過ごした人もたくさんきてくれました。


いまだ、祖母のお好み焼きの以上の味のお好み焼きにはに出会ったことがありません。


[250]>232 (投稿者の要望により削除されました) e-yokan

(投稿者の要望により削除されました)

・・・というのがあるんですねぇ・・・

ハザマさんは何を伝えたかったんでしょうか・・・ie-ha-te-naのメインアカウントで書き込みしようとして失敗した、ということではなさそうですしね・・・

話がそれましたが、失礼しました。


[251]>169 私には経験がありませんが Fuel

そこで伝わってくる、心だけでない愛情。

たとえて言うならキスにも似た愛を感じます。

母や祖母ってすごいんですね。

愛する子供や孫のためなら何だってできてしまう。

ずっと昔から母や祖母という人たちは、そうやって子を育んできたんですね。

抱きしめるより強い愛を感じます。


[252]>214 主人公はうちの猫にゃん e-yokan

三毛なので「みーちゃん」。おじいちゃんのお話の主人公はいつも「みーちゃん」。猫視点でいろんな話を面白おかしくアレンジして童話仕立てにした感じですね。大きくなって漱石の「猫」を読んだときには、似た様な発想の小説だな、と思いました。


[253]>249 細腕繁盛記おばあちゃん Oregano

女手一つでお店を切り盛り。学生たちの良き相談相手となり、孫にもやさしいおばあちゃん。そしてお好みを焼かせたら世界一。なんてすてきなおばあちゃんなのでしょう。ほんのりお好みの香りがする千円札も泣かせます。そんな貴重なお金、軽々しく使えませんよね。同じお小遣いでも愛が違います。

そんなすてきなおばちゃんのやっているお好み屋さんだったら、きっと私もいっぺんでファンになっていたと思います。


[254]>187 祖父と将棋勝負 riceball

私が小学校低学年の頃、おじいちゃんとよく将棋をしていました。

普通に勝負をしていても、おじいちゃんに「(そういう風に動かすと)コマ取られるよ」なんてヒントをもらう始末。コマを減らしてもらっても勝てませんでした。

なんでこんなに強いのかはわからないのですが、今勝負したとしても勝てないだろうなぁ?


[255]>148 私も… Fuel

皆さんと同じ書き込みになってしまいますが、

ハガキの本の片隅に書かれていた孫からのSOSを受け止めてくれた御祖母様の、

愛情と奥深い言葉に感動します。

特に、人はみんな愛されるために生まれてきたという言葉が心に響きました。

同じような言葉は今までに何度も聞いたことがありますが、

それがこんなに強く響いてくるのは、

祖母というかけがえのない人の愛と共に届いた言葉だからなのだと思います。

大人になっても、人に裏切られる苦しみや、

孤立する悩みは必ずと言っていいほど体験します。

そんな時、きっとCocoaさんの御祖母様の言葉が、

私も支えてくれるなぁと思いました。


[256]>224 「便りが無いのが良い知らせ」 e-yokan

とも言いますしね。と言っても無さ過ぎるのも困りものかと思ったりしますから、電話や手紙、今時のハイテクおじいちゃん・おばあちゃんならビデオメールや電子メールなんかでコミュニケーションをとると、喜んでくれるでしょうね。


[257]>25 素朴な感じのおにぎり Kumappus

おばあちゃんのおにぎりは丸っこくておっきくて海苔がいっぱい巻いてあって中身はうめぼしかおかかか鮭か、だった。

手塩が多かったのかちょっとしょっぱかったような記憶も。

握りたてのあつあつを握るそばからもらって食べたり、冷めて海苔もしなっとしちゃったやつをおやつに食べたり。

懐かしいですね。


[258]>244 私もそう思います Oregano

お祖父様は本当にlovely-flowerさんが美しく成長されたことを喜んでおられたのですよ。それはもう眩しいくらいに。愛される人は美しいのです。お祖父様の愛、信じてください。


[259]>241 微笑ましい Fuel

お祭りを優しい御祖母様と歩いたというだけでもいいお話ですが、

御祖母様ではなくお母様として歩いてもらったというところが高ポイントですね。

お母さんと呼ばれて、それじゃ今日一日この子を息子にしちゃいましょ、

ときた御祖母様のノリの良さも最高です。

見た目だけでなく心も若々しい、

本当におばあちゃんなんて呼んだら失礼なような、

すてきな方なのでしょうね。

新ジャンルおばあさま萌え、なんて書いたら叱られそうですが、

私も優しくていっぱい甘えられて、

そして若くてきれいなおばあさまに手を引かれて

お祭りを回るなんていう体験をしてみたかったです。


[260]>224 「便りが無いのが良い知らせ」 e-yokan

とも言いますしね。と言っても無さ過ぎるのも困りものかと思ったりしますから、電話や手紙、今時のハイテクおじいちゃん・おばあちゃんならビデオメールや電子メールなんかでコミュニケーションをとると、喜んでくれるでしょうね。


[261]>66 肉親ではないおじいちゃん、おばあちゃんも Fuel

そうですよね。

私にも、いつも登校中にオハヨウと声をかけてくれたおばあちゃんや、

一緒に遊んでくれた友だちの家のおじいちゃん、

そのほか、色んな人の思い出があります。

いつも登下校時に「横断中」の旗を持って交差点の安全を守ってくれていた人も、

おそらく仕事をリタイアされてからのボランティアであろうご高齢の方でした。

考えてみると、私たちはたくさんの肉親ではないおじいちゃんおばあちゃんに、

色々お世話になって大きくなってきたんですね。

そういう人たちへの感謝も忘れないでいないといけませんね。


[262]>53 うちの田舎は東北ではありませんが Fuel

やはりかなり方言がすごいです。

大人になって訪れても、土地の人同士の会話は聞き取れないことがあります。

私と話してくれる時はほぼ標準語で会話してくれるのですが、

土地の人同士の会話は、やはり方言ですね。

でも、子供同士の会話を聞いていると、ほとんど標準語です。

テレビの影響か、学校が方言を使わない社会なのか…。

ちょっと寂しい気がします。


[263]>246 もしかして煎じ薬の匂いかも g6_6q

おじいちゃんに聞いたんですよ。「お茶っぽい匂いするよね?」って。そしてら煎じ薬の匂いだって言ってましたよ。お茶以外に煎じ薬飲んでると、こっちのが体に匂いとしてついちゃうみたいです。


[264]おばあちゃんの若い頃の写真 Kumappus

すごい美人が着物きてポーズとって横座りしてる…

(ちょっとキショいのしかなかったが)

http://www.posemaniacs.com/blog/2006/11/sit17_f_v0_h0.php

みたいな写真がばーちゃんの鏡台の引き出しの奥にしまってあった。

それがばーちゃんだった!!

どうみてもスタジオか何かでプロに撮ってもらったとしか思えない構図(小道具でからかさとか置いてあったり、寝てるのが毛氈の上だったり)だし。

どういう経緯でそんな写真撮ったの?と聞いたけど笑ってごまかされてしまった。

今となっては永遠の謎になってしまいました…。


[265]>204 親の心、子知らず g6_6q

というか、祖父母の心、孫知らず、ってならないようにしたいです・・・


[266]>218 ばーちゃんの常備薬だった Kumappus

食べすぎたりして気持ちが悪くなるとよくもらっていました>仁丹。

いつも引き出しから出してくれてたから常備してたのかなあ。グリーン仁丹とか梅仁丹のこともあった。

ちなみにケーキにのってるのは「アラザン」。あれは砂糖に銀がかけてあるものですからねー。


[267]>198 料理が嫌いといいつつ上手なのがかっこいい! g6_6q

「料理するの嫌いなのよね」とかって言いつつ、作ったら「ど?お!?」みたいな感じのおいしいのを出すのはなんか職人のようですね。


[268]>188 あ???のんびりしたい! g6_6q

そうだ、おばあちゃんちに行こう!


[269]>264 う!びっくりした!! sayonarasankaku

よく読んでなかったみたいで

昔のおばあちゃんの写真なんだと思って見たら、

すごくびっくりしました。(笑)


[270]>267 ダブルキッチンだったので Kumappus

母親の料理+ばあちゃんの(じいちゃん向けに作った)惣菜、ということがよくありました。

じいちゃんは年の割に肉とか好きだったので鶏レバーを醤油としょうがで煮たやつとか、肉じゃがとかが出てきたような。


[271]>192 成人するとくれなくなる g6_6q

100円だと缶ジュースも買えないけど、500円玉一つとかくれると、今でも絶対嬉しいと思います!

大人になったから、おばあちゃんにお小遣いあげる方になんなきゃなんないけど、孫からのお小遣いって受け取ってくれるのかなぁ・・・って思います。


[272]いつも着物でした。 sayonarasankaku

私の記憶の中のおばあちゃんはいつも着物でした。

洋服のおばあちゃんは浮かんできません。

けっこう、昔だったからかな・・・。


今は、普段着物のおばあちゃんって見かけないような気がします。


[273]>237 私も自作好きですが Oregano

ポータブルのラジオなら何かの仕事をしている時でも枕元にでも、いつも持っていてもらえますから、贈る方としてもうれしい贈り物になりますね。私も何台もラジオを作ったことがあるのに、おじいちゃんに贈りたいなんて発想が出てきませんでした。私はおじいちゃん孝行、した記憶がほとんどありません。いつもしてもらうばかりの孫でした。


[274]>266 アラザンに似ているので ootatmt

甘いのかと思うと、すごく辛い(?)んですよね。

食べ過ぎに効くんですか?


[275]>151 守備範囲広い! g6_6q

そんなに色々できると遊ぼうと思ったあとに何するかを選ぶだけで大変そうな気が・・・


[276]>151 守備範囲広い! g6_6q

そんなに色々できると遊ぼうと思ったあとに何するかを選ぶだけで大変そうな気が・・・

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