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1945年9月3日、アメリカによる原爆投下の後の広島に初めて入った外国人ジャーナリスト、バーチェット記者は、その惨状を目の前にして「No more Hiroshimas」と打電したといわれますが、この有名な言葉はバーチェット記者が書いたものではないとの説も聞きました。この辺りについて何かご存知の方がありましたら経緯を教えてください・


●質問者: axwgt
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:1945年 9月3日 MORE アメリカ ジャーナリスト
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● KUROX
●35ポイント

■W・G・バーチェット

http://www.asyura2.com/0311/war41/msg/1100.html

打電は分かりませんが

>"I write this as a warning to the world"で

>始まる記事で、残留放射線の悲惨さを世界に知らせた。

◎質問者からの返答

ありがとうございます。この本であの有名な「No

more Hiroshimas」が出てくるか。


2 ● MEI-ZA-YU
●45ポイント

『ヒロシマ打電 第1号』

>なぜ打電第一号が、オーストラリア出身の

ウィルフレッド・バーチェット氏とされてきたのかを検証する

http://www.chugoku-np.co.jp/daden/toku01/t001005a.html

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

今堀誠二「原水爆時代」は持っているはずです。さがして当たって見ましょう。

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