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■g:fukaborihone presents 第2回深骨賞
未発表オリジナルの読書感想文・トリビュート小説・トリビュートポエム・トリビュートイラストを募集します。

・課題作品は深堀骨『白熊座の女は真夏の夜にここぞとばかり舌を鳴らす』(http://bungei.net/bun/hone.htm)
もしくは、深堀骨『トップレス獅子舞考』(http://www2.ocn.ne.jp/~nukunuku/MyPage/TOP.HTM)です。
・作品にはタイトルをつけたり、選択した作品を明記したり、感想文と小説は300文字以上だったり、ポエムは200字以上だったり、ポエムの形式は問わなかったり、「トリビュート」といっても作品世界や登場人物に触れる触れないは自由だったり、投稿作品はパブリックドメイン相当として扱ったり、主催者が偏見で選ぶ最優秀作品には400ポイントを差し上げたり、本賞の主催は深堀骨部(http://fukaborihone.g.hatena.ne.jp/)というていでお送りしていたり、本賞とg:fukaborihoneは深堀骨先生本人やおよそ一切の「○○賞」とほぼ無関係だったりと色々ありますが、詳しくは募集要項(http://tinyurl.com/27bz53)をご覧ください。

●質問者: jundas
●カテゴリ:趣味・スポーツ 書籍・音楽・映画
✍キーワード:イラスト オリジナル タイトル トップレス トリビュート
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 1/1件

▽最新の回答へ

1 ● イン殺
●400ポイント ベストアンサー

*海老の話しようぜ、或いは『白熊座の女は真夏の夜にここぞとばかり舌を鳴らす』に興味はない

もちろん人は深堀骨ではないし海老でもないので、深堀骨の目指すところも海老という生物の神秘にも永遠に辿りつくことはない。あなたは 50 億分のほぼ 50 億の確率で深堀骨ではないだろうし、より圧倒的な確率で海老でもないだろう。あなたは永遠に亀に追いつけないアキレスのように深堀骨でも海老でもありえない。あたかも倖田來未がゲッターロボではないのと同じように、『駿河城御前試合』が末尾再帰でないのと同じように。中川翔子はヴァルシオーネかもしれないし『ドグラ・マグラ』はクラインの壷かもしれないが、それとこれとは全く異なる。

ぼくと深堀骨作品のなれそめを語ろう。覚えていない。だからこの話題は終わる。次だ次。

そもそも深堀骨作品を語ろうという努力は無意味である。なぜなら深堀骨作品は完全に無意味だからだ。それはもう月と地球の間の虚空ほども無意味である。かの小説群はあまりにもナンセンスであり、その文学的価値は徹頭徹尾ビタイチない。海老で言うと髭の先から尾の先までない。ぼくは無駄なことが嫌いだ。怖いんじゃあない、無駄だから嫌いなんだ。したがってぼくはこの終わりゆく夏のさなか、深堀骨ではなく海老の話をしようと思う。

ぼくが初めて海老を食べたのは 3 歳の頃だ。そんな記憶や記録は何一つ存在しないが、このような体験談では慣例上 3 歳の頃の話として記すのが一般的であるので 3 歳の頃の出来事とする。もちろん一切の記憶はないのでどのような味だったかは覚えていない。それがエビフライであったのか海老の刺身であったのか、はたまたエビチリであったのかエビビラフであったかも定かではない。この救いがたき欠落は、一つの真理を如実に示している。それは即ち、人が何かを愛するために過程や方法なぞどうでもよい、ということだ。諺に曰く、"引力、即ち愛(ラブ)!"。鹿が猟師の手から抜け出すように、鳥が罠から抜け出すように、人は海老と深堀骨を愛する。重要なのは今そこにいる海老と深堀骨であり、あと強いて言えば荒木飛呂彦だ。それは我々の目の前に厳然と存在するのであり、我々は彼らを愛するか、 DIS るか、さもなくば無視するしかないのだ。

大半の人間は海老について本気で考えることなしにその生涯を終える。それは人が深堀骨について本気で考えることがないのと同じくらい確実だ。人には海老のことや深堀骨のこと以上に、もっと考えるべきことがあるからだ。例えば、そう、荒木飛呂彦のこととか。しかしながら、いやだからこそ、海老や深堀骨について本気で考えることは人の新たな可能性を開拓する真の脳トレだと言えなくはないだろうか。計算能力や瞬間認識力を鍛えることは、畢竟計算能力や瞬間認識力を鍛えることでしかない。アスリートやボディビルダーが地上最強たりえないように、単純能力を鍛えることは真のトレーニングたりえない。誰もが考えないことを考えること、考えてはならぬことを考えること、それこそが深堀骨や荒木飛呂彦の領域に到達する唯一の道である。それに気付いて以来、ぼくは日夜海老のことを想い続けた。来る日も来る日も海老のことばかり考えていた。それで脳を鍛えていた。毎晩見る夢の中にイセエビやクルマエビやブラックタイガーが出てきてぼくが食べた。好物だった海老がもっと好きになった。エビフライもエビピラフもエビバーガーもエビチリも大好きになった。首まで海老漬けになった生活だった。近年の諺に曰く、"エビを食らわば殻まで"。まさしくぼくは日に 30 時間、髭の先から尾の先まで海老を喰らい尽くしたのだ。

それで海老のことが分かったかって? そう思うのが素人の浅墓さであり、海老に対する尊敬という概念を知らないアホ頭の発想である。日本人の海老消費量は世界一であり((『エビと日本人』 isbn:9784004300205))、海老界にはぼくごとき若僧が束になっても敵わぬ魔人が、さながら東京湾に沈められたコンクリ詰めの死体にたかる海老のように群れをなして蠢いているのだ。高度な生産性を海老に求めた彼らの研鑚の果てに、現在スーパー等で無頭海老として売られるシャム双子の如きかの両尾海老が生み出された事実は余りにも有名だ。海老を求める力こそは遺伝子を変え人を変え、世界を革命する力である。ぼくは科学的にもつながる話をしている。そも、海老は古来より不老長寿の象徴であり、ナチスドイツの鉤十字が交合する雌雄の海老を示していることは既に常識である。海老の魔力は世界に計り知れぬ影響を及ぼしている。一例を挙げよう。あなたは「蛇が血を流して絶命する呪文」を知っているだろうか。アルファベットの頭四文字、 ABCD である。これはかの高名な古今亭志ん生師匠の持ちネタであるが、この洒落が当初の案では「海老が血を流して絶命する呪文」であったことは案外知られていない。しかし AB が蛇よりも海老であることは常識で考えて明らかである。残念ながらこの高尚な冗句は「海老は血を流さない」という科学的事実によって闇に葬られてしまったが、かくのごとく海老が潜む言葉は世に限りなくばらまかれているのである。 THE BLUE HEARTS の名曲『リンダリンダ』の歌い出しが初期段階では「クルマエビみたいに美しくなりたい」であったことも知られていない。この案もまた車海老の美しさを理解しない愚物どもにより否定された。世界にはこのような奴ばかりだ。海老を理解しない種族は滅びる。これは経験に裏打ちされた事実なのだ。海老料理に手をつけなかったブチャラティはその時点で肉体の滅亡を暗示されていた。海老も食えないスタンド使いが生き残ることは不可能なのだ。山岸由花子の海老料理を前に戦慄する広瀬康一の姿は第四部屈指の名シーンである。生の象徴である海老に迫られながら死を予感する彼の姿はエロスとタナトスの狭間に生きる人間の姿を克明に描き出している。『最強伝説黒沢』の黒沢の好物が軟骨の唐揚げだったことは遺憾である。あれが川海老の唐揚げだったなら、最終回で黒沢が命を落とすこともなかったに違いない。グレン団が海に辿りつくのは 4 話遅かった。もしカミナが海老を喰らっていればチミルフごときを相手に命を失うなどありえない。ひとつなぎの大秘宝とは高度に連結された海老だ。全ての笛は海老を象って作られた。人で言う「新しい血族」が甲殻類で言う海老だ。テニスは海老だ。破面も海老だ。うさぎも海老だ。キメラアントこそが海老だ。海老だ。海老だ。海老なんだ。つまりは海老だ。全てが海老だ。それと荒木飛呂彦だ。分かったか、「歓喜と栄光の海老の世界」を。

◎質問者からの返答

投稿ありがとうございます。

本家顔負けの読後感、お美事です。

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