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【総理大臣の政策って大事?】
過去の総理大臣の政策で悪いところは腐るほどあったと思います。
そこで逆に「この総理のこの政策は素晴らしかった!」と言えるようなものはあるでしょうか?
「言うだけ」ではなく、ちゃんと結果を出したものです。

単に悪いところが目立つからなのかもしれませんが、今まで私はそう思えたことがありません。
政治的活動は誰がやってもたいして変わらないから「言い訳がうまい人=良い(支持される)総理大臣」という感じがします(悪い意味ではなく)。

あまり古くてもあれなので20年以内ぐらいでお願いします。

●質問者: komap2
●カテゴリ:政治・社会
✍キーワード:うまい 政治 総理大臣 言い訳 過去
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 11/11件

▽最新の回答へ

[1]結果的に→JR to-ching

旧国鉄の解体・今のJRへ。中曽根さんのときでした、成功した例かもしれません。郵政民営化どう転がるのでしょう?ただ、まだ、旧国鉄の負債は払っているのでしたっけ?


[2]>1 なるほど komap2

たしか旧国鉄時代の借金は結局返せずに国が背負ったんだったと思います。

でもその後の経営状況は国鉄時代に比べたらかなり良くなってる感じはしますね。

事故とかの因果関係は微妙なので置いておくとして。


郵政民営化も同じで、都市部の経営状況は良くなって地方は赤字になるでしょうね。


[3]百年に一度の改革 xenobia

三公社(国鉄・電電公社・専売公社)の民営化 トリワケ中曽根康弘による国鉄民営化ですね。これを成し遂げるための、抵抗とマタ それを乗り越えるためのエネルギーは、大変なモノがありました。2年前にバカアホ小泉純一郎が強行した、弱い者イジメで何の意味もナイ(郵便局をコンビニ化するコトや郵便局で株や債券を売るコトがナンデ構造改革の本丸ナノカ!?笑ってシマウ!!!)郵政民営化とは雲泥の差がアリマス!

中曽根康弘に指名されて行政改革・国鉄民営化推進本部の一員となった真藤 恒(後のNTT社長)のもとには、反対派の刺客が乗り込んで来て、畳にアイクチを突き刺して脅されたと言います。マァ、そういう話は枚挙にイトマがナイくらい大変なミッションでした。推進派と反対派の間で凄まじい綱引きが行なわれたが、最後に推進派が勝利しました。コレが本物の改革ですヨ。小泉がヤッタ事ナンテ屁みたいなモノです。後10年も経てば、小泉改革のイカサマ性が白日の元にサラサレルでしょう。

国鉄民営化が成し遂げられた要因は、後にJR東海の社長になった国鉄内の人物を味方につけた事も大きなファクターだったが、何と言っても行政改革推進本部・臨調会長に孤高・憤怒のメザシ大王(質素をモットーとし、朝食はメザシのみ)の土光敏夫氏が就任した事が最大の要因。アノ人の元でなら、という気持ちが皆の中に満ち満ちていた。田中元総理の懐刀と言われたが、後に官房長官となって中曽根を支えた後藤田正晴(元警視総監)、先頃 お亡くなりになった中曽根のブレーンとして八面六臀に動いた元陸軍参謀長・瀬島龍三(後の日商岩井会長)、当初は反対派の旗頭だったが、後に改革派に加わった時の国土交通省大臣 三塚 博。沢山のサムライがいました。


[4]犯罪被害給付金 to-ching

http://www.npa.go.jp/higaisya/shien/kyufu/seido.htm

ちょっと古かった?大平さんの時?ではなかったか。全くそれまで泣き寝入りでしたが。


[5]>3 こちらも民営化ですか komap2

でも借金を返す予定が結局全然返せなかったんですよね。むしろ増えた。

まあ民営化しなかったらもっと増えてたでしょうから結果的には成功の部類だとは思いますが。


[6]拉致被害者に対する to-ching

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H14/H14HO143.html

小泉氏嫌いですが、今までの総理がやらなかったこと、はっきり認めなかった事実を認め、この法律を作った。良かったと思います。


[7]>4 というよりも komap2

これは「政策」とは違うのでは?(細かく言えばこれもそうなのかも?)

総理とか政党とか関係無く、事件や世間の動きからなるべくして出来た法律ですよね。

最近で言うとストーカー規制法とか、危険運転防止法とか。


まあ当然総理も関わってはいるんでしょうが、そういうのだといっぱいあると思うので、

経済とか外交とかに大きな影響を与えた方針や方策でお願いします。


[8]平成7年8月15日内閣総理大臣談話 I11

総理大臣の政策は大事です。平成7年8月15日に村山富市首相率いる日本国政府が発表した「戦後50周年の終戦記念日にあたって」、いわゆる「村山談話」は、日本の対アジア外交で多くの成果をあげ、巨大な国益をもたらしました。村山富市首相の素晴らしい政策のひとつです。

対アジア外交の現場で、日本の外交官の最も使用頻度の高い政府決定は、実はこの「村山談話」だったりします。それは今日現在でもそうですし、将来もこの談話を超える対アジア政策が、少なくとも自由民主党が与党である限り、内閣から発表されることは無いでしょう。

現在、日本の貿易先の第一位は中華人民共和国であり、日本国民は中国と貿易をすることによって巨大な利益を得ていますが、現在の私たちの豊かな生活は「村山談話」があってこそ実現できたものです。

日中貿易協定、韓国の日本開放政策、北朝鮮拉致事件で5人の被害者を奪還。これらは「村山談話」がなければ実現し得ないものばかりです。

安倍首相は首相になる前は村山首相を批判しまくっていましたが、首相になってからはそうした批判はしなくなり、「村山談話」を内閣として“継承”することを公言しました。それは、あの安倍晋三でさえも「村山談話」が国益をもたらすことを認めていることの証左でしょう。

村山総理大臣談話

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。


[9]>8 なるほど komap2

日中貿易協定とか中国との貿易は村山富市総理以前からとっくにやっていたような?

10年ちょっと前の話ですからすでに相当貿易は盛んでしたし、

その後の中国経済成長を考えても貿易先第一位というのはなるべくしてなった感じがします。

というか、日本と貿易しなかったら日本だけじゃなくて中国にとっても大打撃なんですよね。


でも他の一部の国についてはたしかに大きな影響を与えてそうな気がします。

といっても戦争関連で揉めてる相手はあと韓国ぐらいかな?

それ以外の東南アジア諸国はもともと日本に友好的なところが多いですよね。


政府が現在これをあまり声高々と言えないのは、賠償問題に発展するからでしょうね。

いつまでも謝罪ばかりしてればいいってもんじゃないというのも外交の難しいところでしょうか。


[10]小泉内閣における政府謝罪 Schuld

ハンセン病問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話平成13年5月25日

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0525danwa.html

ドミニカ共和国移住問題の早期かつ全面的解決に向けての内閣総理大臣談話

http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2006/07/21danwa.html


ハンセン病及びドミニカ共和国移住に関する政府謝罪と補償。

これでもまだ不十分だという向きもありますが、以前に比べれば、かなり進歩的だったと思います。

私は、この政策、対応が一般的にも賞賛を得るに適うものだと判断しました。


この質問についてですが、20年以内という制約は大変厳しいです。政策の結果を加味するということも考えると、時間的に限定されないほうが回答を考える者としてはずいぶん楽になるかと思います。価値判断が関係する場合、概ね成功した政策だったと多数に受け入れられるものはかなり少ないでしょう。


[11]>10 ありましたね komap2

ハンセン病はたしか控訴もしなかったんでしたっけ?

政策ではないかもしれませんが、総理の発言が大きかった一件ですね。

世間からは称賛されていた記憶もあります。


20年以内と指定したのは、古ければ古いほどするべきことはたくさんあったと思われるからです。

戦争の後始末に関する他国との条約の締結とか、経済的に不安定な状況での経済政策とか、それは誰でも思いつくことであってそんなにたいしたことではないと思うのです。


それが、現代のように経済・外交がかなり安定してしまっている状況でいったい何を成し遂げられるのか。という疑問なのです。

20年以上前になるともうバブル期とかバブル崩壊期に入ってしまいますので、だいたい20年ぐらい前までとさせていただきました。

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