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勉強ができるってゆう
そのむこう側にあるものって何だろう。
(毎日かあさん出戻り編より)

●質問者: Beirii
●カテゴリ:生活
✍キーワード:勉強 毎日かあさん
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 19/19件

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[1]どうでしょう to-ching

満足感(優越感ではない)、安心感(最も、維持しなくてはならない強迫観念もあり」)、希望。知識の幅が広がり柔軟な考え方が出来ればさらに良いのですが・・・


[2]勘違い castiron

優秀な人(微妙な表現だけど)は大体勉強が出来た人が多いです。なので勉強さえすれば成功できると勘違いされているのだとおもいます。

優秀な人は「勉強くらい出来てしまう」のです。

(学歴のない人で成功している人は機会さえあれば誰よりも良い成績を取るでしょう)


[3]人に教える Zelda

勉強ができて自分の頭の中では理解していてもそれを言葉にし相手に伝える(教え、理解してもらう)事はまた別の意味で難しいもの。勉強ができるようになったならば次は解らない人に教えられるくらいを目指そう。教師というものは勉強が(知識だけが)優れていればなれるものではない。自分の考えを言葉として発っし、相手に応じて解りやすい言葉に変換し伝える大変な事をしている人。勉強ができるようになったならば次は人に教えられるぐらいに。むこう側は教える事、そんな感じが私はします(^^ゞ


[4]普通の日常・・・・ TomCat

勉強って、出来て当たり前なんですよね。実際にはとても大変なことですが、でも、どんなに頑張っても、「出来て当たり前」の評価しかもらえないのが勉強というやつなんです。

そりゃそうですよ。勉強というのは、未知を探求する学問とは違うんです。ただ既知のことを習うだけ。「当たり前」を理解するだけ。それが学校で言う「勉強」ってやつ。「当たり前」を理解しても、それはどこまでも「当たり前」。

それに子供の頃には理解しきり無かった「当たり前」は、いずれ大人になれば理解できるようになりますから、結局勉強なんか出来ても出来なくても同じこと。その向こうに待っているのは、どちらにしても普通の日常です。


[5]>2 そういうものかも hayamanakayama

優秀な人を何人か見ていると、そんな気がしますね。


[6]>5 たしかにその通りだと思います。 helltaxi

勉強できる人が優秀な人ってのは完全な誤解で

優秀な人には勉強ができる人が多いってのは

かなり納得できました。

たしかにその通りだなと。


[7]未知なる世界がひろがってる KUROX

わくわくどきどきするような知的な世界がひろがっていると

思います。

運動も同じです。

運動選手も超一流選手なら、ゾーン体験をしています。

「勉強ができるってゆうそのむこう側にあるものって何だろう」

そのむこう側に行った人間しか分かりません。

私は凡人なので、推測でそういうものがあるらしいということ

しか分かりません。


[8]データバンクの整備をすすめるのは何のため miharaseihyou

使おうと思わなければ使い道が無いじゃん。

じゃあ、「何かしたい」と思う気持ちは何処へ行って勉強すればいいの?


[9]能力の証明と能力の活用 castiron

勉強が出来て出世するような人は「能力の証明」として勉強が必要だったのでしょう。

一方、大学や研究者などは「能力の活用」のために勉強が必要だったのではないでしょうか?


[10]学歴と自己満足 aiguo

かな?


[11]出来ないことがまた一つ減る seachikin

出来ることが増えて、出来ないことが減る。

それだけで可能性が広がる。

よく言う、「出来ないよりは出来た方がいい」ってやつです。

出来ないことが多いと消去法になるけど、

出来ることが増えれば選択制になる。


[12]>7 そうですね to-ching

少なくとも未来への可能性はより開けるかも?


[13]脳の訓練と思考の開発そして強い精神力 ohana3939

困難な勉強を克服することにより、まず、強い精神力が身につくと思います。本来、勉強は皆できるものですが、早々にあきらめてしまうのです。最後まで頑張りぬいた人には強い精神力が身についていると思います。また、脳を訓練することにより思考が広がります。思考が広がることにより、世界観、世間を見る目も変わってくると思います。みなさん、大いに勉強してください。


[14]羨望のまなざし minamiho

バカには手の届かない世界で生きられます。

バカから見ると勉強が出来るって事は羨ましくて仕方がありません。勉強に取り組めるって事が既にかっこいいんですから。


[15]マジレスすると、人脈 NAPORIN

意外なことに、子供のころ社会的地位のない家庭で育った人よりも、社会的地位のある家で育った人のほうが、人を信じこみやすいそうだ(ビジネスブログのどれかに書いてあった。スネオは例外ってこと)。

また、礼儀正しさは最大の攻撃力とも(これはGMO社長の本より)。

自分の将来をバカみたいに無条件に信じられる、自分の家族を同じように信じられる、自分の友人を信じられる、そういう心の力は、勉強だけじゃないけど、勉強が一番手っ取り早くついてくる。知識で世の中の見通しが立つだけじゃなく、いろんな局面で人とまっすぐにつきあえる。

ただ、疑う力とか耐える力とか、欠点のある振る舞いからくる人間的魅力のほうが、友人としては、あったほうがおもしろいと思う部分もないではないけれど、実際、友人に子供っぽいオトナでいてほしいと望むよりは自分が本当に子供を産みそだてればいくらでも補える話。いずれオトナになる子供をいつまでも子供っぽく育てる必要はない。

それより、包容力があって、見通しをもっていて、人にもらうよりあげるほうが多くて、ひがんだりせず、しかもそれを苦にもしないオトナな友人がいっぱい増えた社会のほうがいいと思う。そのためには子供のうちから、心理的には十分子供でいるのと同時に、習う(おぼえる)ことはきちんと習わないと、劣等感は人をさいなむし、基礎の後れはひどいことになる。

母親としてサイバラさんには共感できる部分も多くあるし、一橋を出たというクラタマは私もあまり読まないんだけれど、サイバラさんは頭がいいと思うのに、はしばしで根本的教養の差も常に感じている(だから清水先生との共著はなんだかもう読めない)。

なにいってるかわからないでしょうけど、個人がそう思っただけですので読み流してください。

たぶん、男の子は脳の発達のしかたが私の知っている女の子のとは、かなり違うという下地があっての発言とも考えられる。本当に向いてない子は本当に向いてないからね、勉強に。


[16]遊びと同列 fumie15

少なくとも私にとっては「勉強」は遊びと同列にあるものでした。幼いころから体が弱く、あまり友人もいない私にとって本はもっとも身近にあるものでした。本で様々なことを知り、それが学校の勉強に繋がっていきました。私はそのせいで人より「勉強」ができたけれど、あまり友人がいないのでそれがコンプレックスになったじきもありました。


[17]>10 あとは自尊心 hizki

学校の勉強は、がんばったらある程度の成果は出る。

がんばった自分にも満足できる。自尊心も満足する。

けれど、社会で本当に必要なのは、要領がよさと、

適度な自己主張、コミュニケーション能力だと思う。

私は人付き合いが下手なので、勉強しても

要領のいい人に仕事を奪われたりする。

「要領のよさ」を勉強すべきだったと反省しています。


[18]子供にとって to-ching

特に低学年の場合親の「何でも買ってやる!」の嬉しい一言


[19]学校での勉強というと noboru

最終的にテストで成績が決まるわけですが、これは簡単に言ってしまえばどれだけ記憶出来たかを測定しているわけです。つまり学校で良い成績を取れる人というのは記憶力の良い人です。その他の能力については分かりません (他人から見た主観的な頭の良し悪しと学校の成績が一致しないのはこのためでしょう)。

だからといって学校の成績を(つまり記憶力を)無視して良いということはないとは思いますが、そればかりに注目してそれしか伸ばそうとしなかったら他の能力が伸びないままになるかも知れません。そうなるとやはり社会に出てから生き延びられる率がその分だけ下がるのではないかと思います。(もちろんこれは社会的損失にもなると思います)。



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