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講演会で講演が終わった後、「会場で質問がある方、手を上げて下さい」って司会者の方が言っても、普通は誰も手を上げません。(サクラの人?が手を上げる程度です)ところが米国では質問したい人から何人も手を上がるそうです。

この理由って日米の「国民性の違い」って言ってしまえば簡単ですが、詳しく説明するとどうしてこうなるんでしょうか?

ちゃんと説明できる方、教えて下さい。よろしくお願いします。

●質問者: kinopitt
●カテゴリ:政治・社会 生活
✍キーワード:サクラ 司会者 国民性 普通 米国
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 10/10件

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1 ● minkpa
●18ポイント

http://www.ism.ac.jp/~maeda/KSJapan/index.htm

こちらの研究所では、日本人の国民性を歴史的な背景も含めて調査しており、その結果を掲載しています。


2 ● Baku7770
●18ポイント

国民性の違いという説明もできますが、契約という考え方があるからです。

ジャンルや行動も全然違いますが昔映画の撮影をしているとどうしても今日中に撮っておかないといけないシーンがある。しかしチャールズ・ブロンソンとの間には1日の撮影は何時までと決めた条項があってその日はもうこれ以上撮影できない。で、頼んでみるとブロンソンは契約を盾に受け付けない。散々すったもんだした挙句あきらめて帰りかけたスタッフの背中からブロンソンが「おい、今何時で撮影時間はまだ残っているが、これからどのシーンを撮る?」と聞いてきたそうです。つまり、スタッフが背中を向けた瞬間、ブロンソンは時計の針を戻したんですね。それなら最初から受ければいいじゃないかと思うのは日本人の考えですが、それをやってしまうと契約をまとめたエージェントに対して裏切り行為になってしまうということもあります。

アメリカでの講演も同じ考えです。申し込みが済んだ時点で講師と受講者との間で契約が成立していると考えます。この演題で講演する。受講者はそれを聞いて理解する。理解できない点は質問して理解を求めるのは受講者の権利でありそれに回答するのは講師の義務である。という考え方に基づいての行動です。

有料の講演でも無料の講演でも同じです。主催者に対しても全く同じで受講すると伝えたのは、理解して帰るという契約をしたんだから、解からない点を質問をするのはむしろ義務であると考えています。

最後に他の受講者はどう考えているかというと、質問者が質問している間待つのは他人同士の契約に口をはさむことであって自分にそんな権利はないし、それを無視して帰ることはその後々のセミナーで自分が質問する権利を放棄してしまうことに等しいし、もしかして自分が理解していないことにすら気が付かなかった点があればセミナーの内容を理解して帰るという契約に違反するという考えに基づいて質問者とのやりとりを見守ります。


3 ● なぽりん
●18ポイント

質問をすることで、受け手の理解度が発信されます。

日本人「質問なんかしたら、内容がわかってなかったのかと馬鹿にされそう」

アメリカ人「質問しなきゃ、内容がわかんなかったのかと馬鹿にされそう」

と考えるという説があります。

あと、日本では、主催者側で、講演者のイメージコントロールのために、ぶしつけな質問を嫌い、質問時間を5分とか短くする傾向があります。また、実際、そういうシステムに助けられて、本当にわかっているのではない人、度胸のない若い人などが原稿丸おぼえで席に立ち、質問を受けてしどろもどろになるケースも多いです(国会とか、学級会とか見ててもそんな感じですよね。訓練ができてない人を無理矢理矢面に立たせることも。)

良くできたカンファレンスではそういうことはないと思います。リラックスしつつ、自分の手持ち札を晒し合い、高度すぎてついて行けないなと思ったら、別の場所でやってる本当に意見を言えるくらいには理解できる講演の方を聞きに行きます。いきなりわからない話を聞いても無駄ですから。そういう形の講義は日本ではたとえば大学のゼミから訓練が始まることもありますし、職業についてからのこともあります。アメリカでは高校のディベートの授業で訓練がはじまったりしますが、苦手な人もけっこう残るようです(理系向けのプレゼンテク講座があったりします)。

あともう一つ、日本では、「共通」の下地が多いと思われているので、「ここは皆さんご存じでしょうから省きます」という形でのレベル選別を途中で行う講演も多いです。会場が賑わわないと格好がつかないから無理矢理集められたのに、「ご存じ」でなかった人には残り30分なりの話は全部無駄です。サクラ以下の屈辱的な体験です。早く終われ、質問なんかできるかと思うでしょうね。

上手な講演は、募集時点で「?を理解している人、興味のある人」と聴衆を制限しつつ、効率的な広告を行います。ハコを大きくとりすぎたからという理由で近所の人を無理矢理集めたりはしませんし、ウェブ中継でメール質問などを受け付ければ収拾がつかないほどくるかもしれません。

なんにせよ、聴衆と講演者のレベルマッチングがうまくできているかが如実に現れるのが質問といえます。


4 ● Minion
●19ポイント

端的に言えば「出る杭は打たれる」文化と

「自己主張をしなければ埋もれる」文化の違いだと思いますが、

こちらに面白い心理テストとその説明がありましたので紹介します。


http://tool-4.net/?id=Nstudents&pn=16

テレビ画面に海底の映像を映し出します。

泳ぎ回る数匹の小魚、貝、海草。そこへ3匹の色鮮やかな大きな魚が泳いで通り過ぎます。

何が映っていましたか?と問われると

アメリカ人:鮮やかな大きな魚が泳いでいた

東洋人:その他に、小魚や貝・海草があった

このテストを受けたアジア人は背景のものに気付く可能性がアメリカ人より70パーセント高いそうです。

逆に言えば、アメリカ人は背景に紛れた細かいものには目が行かず、目だっている大きくて鮮やかな魚にしか注意が行かない、ということでしょう。


西洋では人々はいつでも自主的な考えを尊重してきました。

ギリシャ人は討論が好きでした。ギリシャ人は牧畜や漁業で生計を立てていたから、独立心が強かったのです。

他方、中国では人々はずっと緊密な社会で暮らしてきたので、本当の公開討論の伝統はありませんでした。中国社会は農業に基づいており、緊密な協力が必要とされました。

日本の伝統は中国の伝統に似ています。

2000年度のノーベル賞受賞者の白川秀樹博士は言います。「日本文化は稲作農業に基づいています。稲作農業は多くの水を必要とし、それゆえみんながそれ水を平等に分け合わなければなりません。稲を植えることはまた、チームの人々が同じ速さで一緒に働くことを要求しました。(→稲を植えるためには組になった人々が同じ速さで共に作業しなければなりませんでした。)このことはすべて個性が奨励されていなかったことを意味してきました。」現在、日本の子供たちは、出る杭は打たれる(←突き出したクギは叩いて平らにされる)ことを教えられます。他方でアメリカの子供たちは、きしむ車輪は油を差される(=大騒ぎをするほど注目を集める、ごね得、はっきり自己主張しないと何も得られない)ことを教えられます。


古来、農耕民族だった日本人は誰もが平等であることが必要で、要するに「出る杭は打たれる」という社会的な文化が育ったようです。

現代社会でもその傾向・民族性は続いており、子供の頃から目立つことを嫌う子供、目立つと叩かれる経験を繰り返しながら日本人は目立たないように生きることを「学んで」いきます。

一方欧米では「自己主張しないものはダメ」という教育を受けます。

狩猟民族ゆえの文化なのかもしれませんし、アメリカではフロンティア・スピリット(開拓者魂)ゆえなのかもしれません。

子供のころから自己主張をする教育を受け、そのように訓練をさせられる民族と、子供のころから目立つと叩かれて育った民族との違いが出ているのでしょう。


5 ● LABO
●19ポイント

そもそも日本の国土の特徴が日本国民の”国民性”を形成している一つの要因でしょう。日本は海に囲まれており、アメリカと違い土地を開拓する文化がありませんでした。すなわち開拓よりも保守を大切にしていた時代が日本国民の国民性を培った一つだと言われています。

したがって自分の意見を通すことに美学を感じていないため(もちろんすべてではありません)確率として、欧米に比べ自己主張が少ない人種といえますね。

http://q.hatena.ne.jp/1194345936#answer_form


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