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ペルーの「マチュピチュ遺跡」に関してですが、

?なんの目的で造られた都市なのか(なぜあのような場所に作る必要があったのか)
?インカの人々はどこへ消えてしまったのか(消えた経緯なども含めて)
?その他マチュピチュの謎と、それに対する説

に対する学者などが唱える様々な説を教えて下さい。
現在の最有力説である必要はありません。
ある程度有力なものを、「こんな説がありますよ」という感じで紹介頂けたら嬉しいです。
?に関しては「スペイン人から逃げるため」以外でお願いします。

なんだかめんどくさいかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。

●質問者: ryota11
●カテゴリ:旅行・地域情報 芸術・文化・歴史
✍キーワード:かめ スペイン ペルー マチュピチュ 学者
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● jealousy
●50ポイント

ショップ.学研 学校では教えてくれない失われた文明の謎

↑この本を参考にしてます。

建設の目的

?宗教センター説

マチュピチュの孤立した立地条件と自給自足体制から、それがインカの宗教の聖域であったとする説。

?アクリャ説

この地から173体の人骨が発見されており、その中の150体は女性で残りは子供だった。

このことから、太陽の神殿に仕えた処女アクリャの住む場所ではなかったかとする説。

?地殻変動説

巨大彗星の接近により引き起こされた大洪水により地面が削りとられ、その後の地殻変動により

隆起、あのような山頂になったという説。

インカ人はマチュピチュを放棄し、更に奥地へ移住していったとの説がある。

◎質問者からの返答

へぇ??!

どれも面白いですね。

ありがとうございます!!


2 ● kanan5100
●50ポイント

増田義郎『インカ帝国探検記』(中公文庫)にはこのように書かれています。

マチュ・ピチュで発見された約百の洞窟の中から、百七十三体のミイラが掘り出されたが、そのうち百五十体は女性のもので、しかも、残りの男性のミイラは、老人が大部分を占めているという。おそらくこれらのミイラは、太陽の処女(アクリャコナ)のものなのだろう。そして、頑丈な肉体労働者風のミイラがひとつもないという事実を、古記録にあるトゥパック・アマルーの反乱の際、兵士として役立つものはすべて召集された、という事実と結びつけ、さらに女性のミイラのある者が、頭を両手でつかみ、口を大きくあけて絶叫する表情を示していることなど考え合わせると、インカの最後の戦いに若者をぜんぶ徴発したトゥパック・アマルーは、自己の運命を予感し、たとえどんな事態がおこっても、太陽の都の秘密を守りぬくために、太陽の処女たちとわずかの残留男性たちを、ひとりのこらず殺させ、遺体を洞窟にほうむってから、山を下ったのではあるまいか。

http://q.hatena.ne.jp/1196935571

◎質問者からの返答

ん?、これがやはり有力な説になるんでしょうか。

どこへ行ってしまったかというのは、案外そんなに説がないんですね。

ありがとうございます。

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