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あなたはフィクションとノンフィクションのどちらの方により感動しますか?
理由をつけて回答してください。
理由は可能な限り掘り下げてください。(なぜなぜ分析並みに)

●質問者: Beirii
●カテゴリ:生活
✍キーワード:あなた ノンフィクション フィクション
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 13/13件

▽最新の回答へ

1 ● ito4367
●20ポイント

フィクションの方が感動します。なぜなら、実際あったことで演技ではないからです。僕の場合は野球をしていたので特に野球を舞台にした映画、ドキュメントには感動することが多いです。

実際にあったことは、どんな脚本家やライターでも想像・イメージでは書けないと思います。

フィクションの方が見た後、納得ができます。逆にノンフィクションは本当かなー?と疑問が残ります。

◎質問者からの返答

※フィクションとノンフィクションが逆ですよね?以下はフィクションとノンフィクションが逆であったとしてコメントしています。


実際にあったことでも、作品として公開する際にはそれを文章や言葉に変換する必要が生じます。

その時点で、それは厳密には事実では無くなると思うんですよね。ちょっと極論ですけど。

全ての事実をありのまま作品にすることは不可能なのではないでしょうか。

となると、作品に感動できるか否かは結局はその変換を行う人(脚本家やライター)の力量によるところが大きいのではないでしょうか。


個人的には、完璧な想像によって作られたフィクションとノンフィクションに違いは無いと思います。

もちろん、完璧な想像などあり得ないという根拠があれば話は別です。


ある日、野球を舞台にしたノンフィクションの作品にすごく感動したとします。

ところが後日、それが実はフィクションであったことを知ったとします。

恐らくがっかりすることでしょう。

しかし、あなたがノンフィクションであるとして観たその時に『感動した』という事実は変わることはありません。

とするならば、フィクションであるか否かという事実は、感動とは無関係であると言えると思います。


2 ● THOM0708
●50ポイント

映画や小説に関しては、圧倒的にフィクションです。

ドキュメンタリーものの番組や何かも見ることは見ますが、多くの場合、僕はそれにある種の「胡散臭さ」を感じてしまうんです。ノンフィクションものの場合、ある極度に限定された視点から現実を切り取ることによって、逆に現実を歪めてしまうことが多い気がするんです。

例えば、よく重病の患者をドキュメントするような映画、番組、小説がありますが、大抵の場合、「如何にその患者が苦しそうか」「如何にその患者が頑張って病魔と闘っているか」を記録しようとしますよね。僕が常にそれらに対して感じるのは、「現実はそんな単純じゃない」ってことなんです。つまり、感動狙いがバレバレなんです。「現実をそのまま受け止める」というような姿勢のものもありますけどね。只、それをするのはとても難しいことなんだろうと思います。

これに反して、フィクションの場合、もともとが虚構なワケですから、僕は構えることなくその世界に入って、作品を楽しめるんです。現実どうこうと言うよりは、それがもつ世界観を楽しむことが出来るんですね。もちろんそれらの中には意味もなく(作品的にはもちろん受け取る側を感動させる意図で)人が死ぬようなしょうもないものもありますが、多くは、作中で様々な技巧や工夫を凝らして我々を動かしてくれます。フィクションは、無から有を作りだすものですから、それ自体に何らかの意義や、美しさのようなものがあるんだ、と僕は思っています。

穿った見方かもしれませんが、これが大まかな僕のフィクション、ノンフィクション観です。

◎質問者からの返答

私なりにまとめてみました。

●ノンフィクションは事実と演出の境界に対する疑念が付きまとってしまい感動できないが、フィクションにはそれがない。

●フィクション/ノンフィクションに関わらず、基本的に制作側の意図が透けて見えると感動できない。


例えば、当事者から対面で実際にあったというお話を聞かされたとします。

お話の途中で聞きたいことを質問することもできます。

そして、そのお話はあなたの想像を超えたドラマティックなものであったとします。

とすればどうでしょうか。

#即ち、制作者の意図や演出に対する疑念が一切無い場合


3 ● iwaamap
●20ポイント

どちらかというとノンフィクションです。


基本的に、フィクションとノンフィクションという事は

作品を楽しむ間は関係ないと思います。

ノンフィクションと言えども

作品になっている時点で、事実以外の部分で

作成者の演出(コマ割り、音楽、など)が入っているでしょうし

「これは事実なんだ」という思い込みがあるかどうかに過ぎないでしょう。


ただ、ノンフィクションは事実であるので

作品に見る以外にも情報を参照できます。

題材になった事件や人物について知っていれば

感情の振れ幅は大きくなると思います。


私の場合は、こんな感じです。

◎質問者からの返答

事実を背景としたノンフィクションでも同様なことが言えるかもしれませんね。

史実を題材とした作品は、ほとんどそのようなものなのでは無いかなと思います。


とすると、ここにフィクション/ノンフィクションの違いは無いのではないでしょうか。


4 ● SALINGER
●50ポイント

ノンフィクションは現実に存在したという圧倒的なリアリティに、フィクションは作者や製作者の創造力やエネルギーに感動します。それぞれ感動の質が違いますが、どちらかと言うとノンフィクションにより感動します。


フィクションにおける演出や演技というのは、あるときは作品がよりリアルに近づけるようにするための手法であると思うので、結局は現実というリアリティには勝てないと思うからです。ただ、リアリティは感動にとって重要な要素ではあると思いますが、感動する作品にリアリティが絶対に必要と言うわけではありません。


子供のころはむしろフィクションに感動しました。漫画家の作り出す世界に、小説家の書く情景に、映画監督が作るストーリーに。「こんなオチを考えるなんてすごいな」という感じです。ただそのうち、フィクションに慣れ、より感動するストーリーやオチを求めているうちに、感動するということに鈍感になっていってると感じました。更に、人の考えることの限界もひしひしと感じていました。


その頃見たドキュメンタリーに「小留学生(日本語タイトル:小さな留学生)」というのがあります。この作品中国から仕事で日本に来る家族を中国人の女の子を中心に描いたドキュメンタリーです。私は号泣して見たのですが、創作や演技を超えた現実にこそ感動はあると思えた作品の一つです。


もっと子供のころは今ほど多様なサブカルチャーが氾濫していたわけでもなく、日々の感動や関心は現実という自分のノンフィクションの中だけでした。そう考えるとノンフィクションに回帰したと言えるかも知れません。

◎質問者からの返答

感動においてはリアリティが重要な要素であり、ノンフィクションは事実である分一歩抜きん出ているということですね。

例えば、事実を継ぎはぎしたようなフィクションの場合は演技や演出において差異は生じないのではないかと思います。

#個人的には演技や演出というものの創造性がそこまで低いかなというところに疑問を持ちます。


「小留学生」というドキュメンタリーに感動した理由、そして、今現在はどう思うのかが知りたかったですねぇ。

#ほとんどが子供の頃のことのようでしたので・・・

大人になって、フィクションに対しても見方が変わってきているものと思います。

同時に多くの現実を経験してきたことになりますし。

逆に言えば、より新鮮な方に感動する、ということなのでしょうか。


5 ● toku4sr4agent
●20ポイント

こんにちは。

自分の場合、どちらかといえば(今までの傾向を分析すると)

「ノンフィクション」をもとにした作品のほうに感動していると思います。


例を上げるとするならば、NHKの朝ドラ。

モデルのいないドラマ、

もともとフィクションだった作品をもとにして作られたドラマを見ていると、

どうも話しの成り行きが主人公のご都合主義と言うか、主人公のよい方向にばっかり進んでしまう。

現実だったら普通はこんなことはしないだろう・・・と思ってしまう展開が多いです。

(最近のドラマを例に出せば、「どんと晴れ」はこっちに入るかも)


それに比べると、実話をもとにしている作品の場合、

ある程度の脚色はあるにしても、現実にあったことをもとにして作られているので、そうそう主人公の都合のよいように話しが進まないこともある、

また、主人公は様々な苦労を重ねた上で、それを乗り越え成功した場合、

「本当にこういう苦難を乗り切ったんだ」とある程度感情移入ができるからです。

(最近の作品だと「いもたこなんきん」はこっちに分類されるかも)


フィクションならば成功するまでのストーリーなど、

どうとでも書きようがある。実際にはこんなに話しはスムーズにいくはずがない・・・という穿った見方もしてしまう。


簡単にまとめると、

フィクション:主人公の都合のよいように話しが進みすぎることが多い。

「現実にはそんなことありえない」という展開も多い。

ノンフィクション:主人公の都合のよいように話しが進まないのがかえってはらはらして面白い。仮に、「現実にはありえない展開」と思っても

「実話を基にして作られている」ということは、「やっぱり現実にあったんだ」と思えてしまう。

といったところでしょうか。


参考になれば幸いです。

◎質問者からの返答

ストーリーに関しては、それは作り方次第なのだと思います。

従いまして、ストーリー性とフィクションかノンフィクションかは直接は関係無いかなと思います。


それよりも回答を読んで感じたのは、フィクションかノンフィクションかという先入観が感動に影響する、ということなのかなと。一種のプラシーボ効果なのかもしれませんね。

しかしそれは『実話だから感動する』という前提のにおいて成り立つのだと思います。

なぜ実話は感動するのでしょうか?


ちなみに「おしん」はどうですか?

「おしん」は実話が基にはなっていますが、ほぼフィクションのようですね。

これは個人的な考えなんですけど、NHKの連続テレビ小説はその放送時間や放送期間の制約上、実話をそのままの形で放送するのは無理なんじゃないかと思っています。

たとえ実話が基になっているとしても、演出が入らざるを得ないのではないでしょうか。

即ち、NHKの連続テレビ小説は基本的に全てフィクションとみなすべきではないか、というのが私の考えです。


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