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Wikipediaによると、
沢田研二のアルバム「TOKIO」の発売日は1979年11月25日ですが、
シングル「TOKIO」の発売日は1980年1月1日です。
さて、ここからが質問ですが
アルバム「TOKIO」の中に、シングル曲「TOKIO」が収録されているのですが、シングル曲「TOKIO」の、放送での初露出は、1980年1月1日だったと記憶しています。
1980年1月1日、年越し番組(行く年来る年?)の中で、ニューイヤーの時報とともに、テレビに初めて、沢田研二が電飾ピカピカの衣装で登場して、「TOKIO」の初放映になった。
…と、記憶していますが、
それは正しいでしょうか?


●質問者: Stirn
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 書籍・音楽・映画
✍キーワード:11月25日 1979年 1980年 1月1日 Wikipedia
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● fightthepower
●35ポイント

ちょっと記憶にないのですが…そうだったとしたら凄い演出ですね。

ウェブではこの人の個人的レビューしか記事が見つかりませんでした。

http://www.amazon.co.jp/TOKIO-%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%...

(上から2番目のカスタマーレビュー)

◎質問者からの返答

どうもありがとうございました!


2 ● MEI-ZA-YU
●35ポイント

★『ほぼ日刊イトイ新聞』より

http://www.1101.com/cm_ongaku/2007-09-05.html

>1979年11月、沢田研二のアルバム

「TOKIO」が発売された。

その一曲目が「TOKIO」である。

作詞・糸井重里、作曲・加瀬邦彦。

アルバムのトータルなテーマも糸井重里の手によっていた。

シングルで発売されるのは1980年1月1日だ。

シングルよりアルバムが

先に発売されること自体異例だった。

80年代の幕開けを飾る曲として送り出された。

糸井重里はこう述懐する。

「いまでも覚えてますけど、

さあ正月が始まるという暮れに、

ジュリーがパラシュートをつけて歌ったんですよ。

それをテレビで見て本当にショックだったんです。

つまり、自分でやった仕事なのに、

『あ、俺はなんか違うところに行っちゃったな』

と思ったの。行っちゃったという根拠は

何にもないんだけど、80年代が始まる、

00と数字が並ぶ年が変わるその瞬間に

テレビで歌うジュリーを見て

『俺、運命は変わるかもしれない』

なんてドラマティックなことを思った。

同時にその反面、どうかなという

懐疑的なものもあったりもしましたけど」



★別のブログより ↓

http://blog.so-net.ne.jp/chibadult/2006-11-07


★ここの一番下にも ↓

http://park15.wakwak.com/~chiaki_naomi/chiaki_bbs0612.html

>80年代の最初は、紅白終わって沢田研二が「TOKIO」のパフォーマンスを

これも元旦の1時過ぎくらいでしたかやっていたのを見ました。

◎質問者からの返答

どうもありがとうございました!

大変参考になりました。

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