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【サクマ式ドロップス】
戦前に発売された「サクマ式ドロップス」が発売されるに至った経緯を教えて下さい。
経緯というのは、発売年はもちろんですが、どういういきさつであの時代にあんな砂糖をいっぱい使ったものの発売に至ったのか、ということなどです。

あと、
「サクマドロップス」を販売している「サクマ製菓」のHPはありますが、
「サクマ式ドロップス」の「佐久間製菓」のHPが見当たりません。。。



●質問者: ryota11
●カテゴリ:旅行・地域情報 芸術・文化・歴史
✍キーワード:Hp ういうい サクマドロップス サクマ式ドロップス 佐久間製菓
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 4/4件

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1 ● MEI-ZA-YU
●90ポイント

http://members.jcom.home.ne.jp/kim-tetsu/history.htm

>時は明治41年(1908年)までさかのぼる。

日露戦争(図8)の数年後、明治もそろそろ終わろうという頃の事だ。

その頃の飴といえば夏になれば溶けて飴どうしがくっ付いてしまうものだった。

ところがその年どんなに暑くとも決して溶けてくっついたりはしない飴が発売されたのだ。

その名も“サクマ式ドロップス”。

それを開発発売したのは和菓子職人佐久間惣次郎率いる佐久間惣次郎商店。

それまでの飴は水飴を主な材料としていたのに対し、

惣次郎氏は砂糖とクエン酸で溶けずに、さらに清涼感のある味わいの

まったく新しい飴を作ったのだ。この製造法を“サクマ式”という。

あの、溶けずに缶の中でカラカラと音がするのは“サクマ式”の証明であり、

“俺は他の飴玉とはちょっとばかり違うのよ”というメッセージだったのだ。

(当時もたぶん缶に入っていた・・・んじゃないかなぁ。調査中)

だからこそ現在においてもかたくなに缶である事を止めようとしないのではないだろうか?

もちろんサクマ式ドロップスは大いに売れ、佐久間惣次郎商店はサクマ製菓

(佐久間製菓ではなく、サクマ製菓であることに注目)と名を変え大きくなっていった。

当時ドロップスというハイカラなネーミングにはなじみがなかったためか、

ドロップスの“ス”は“酢”のことで中にお酢が入っているから

酸っぱいのだ、というまことしやかな伝説が流布していたという。

これもいかにサクマ式ドロップスが新しいお菓子であり、ヒット商品だったかを示す逸話といえる。


http://www.excite.co.jp/News/bit/odd/00051078286091.html

>実はこの缶入りのアメには「サクマ式ドロップス」と「サクマドロッス」、2つの種類があることをあなたはご存知でしょうか。

「サクマ式ドロップス」の方は赤色の缶に入っており「佐久間製菓」が作っていますが、

「サクマドロップス」の方は緑色の缶に入っていて「サクマ製菓」が作っています。

そもそもこの2つの会社、もともとは同じ会社だったのですが、戦時中に砂糖の供給が止まり、

「アメなぞ役に立たないモノ作るとはナニゴトか」と解散せざるを得なくなり、戦後に会社が分裂。

イロイロあったすえに、戦前の社長の息子さんがおこした会社のアメが「サクマドロップス」、

番頭さんがおこした会社のアメが「サクマ式ドロップス」、ということに落ち着いたそうであります。


http://kan-chan.stbbs.net/retro/sakuma/

◎質問者からの返答

あ、結構ずばりなページがありましたね!

ありがとうございます!


2 ● Minion
●80ポイント

まず明治29年最初のドロップスが発売されたようです。これはサクマ式ドロップスとは全く関係ない会社のドロップです。

http://www.lo-tus.co.jp/web-content/top/image/yomoyama/yomoyama-...

聞くところによれば、(明治29年)芥川鉄三郎という人が、輸入されたものを研究

して国産化したのが最初だそうです。


それまでの夏になると溶けてしまうドロップを改良して発売したのが明治41年サクマ式ドロップスです。

その当時は砂糖もふんだんにあったのでしょうね。

砂糖不足で製造ができなくなったのは戦時中のことのようです。

http://members.jcom.home.ne.jp/kim-tetsu/history.htm

時は明治41年(1908年)までさかのぼる。日露戦争(図8)の数年後、明治もそろそろ終わろうという頃の事だ。その頃の飴といえば夏になれば溶けて飴どうしがくっ付いてしまうものだった。ところがその年どんなに暑くとも決して溶けてくっついたりはしない飴が発売されたのだ。その名も“サクマ式ドロップス”。それを開発発売したのは和菓子職人佐久間惣次郎率いる佐久間惣次郎商店。それまでの飴は水飴を主な材料としていたのに対し、惣次郎氏は砂糖とクエン酸で溶けずに、さらに清涼感のある味わいのまったく新しい飴を作ったのだ。この製造法を“サクマ式”という。

戦争が激しくなり、さまざまな物資が不足し、1940年、砂糖もまた配給制になった。戦争が激化し、それまで台湾やジャワから供給していた砂糖もほとんど本土に入る事がなくなり、サクマ製菓は立ち行かなくなり会社は解散せざるを得なくなった。

◎質問者からの返答

おぉ?、いい情報です!

ありがとうございます!!


3 ● BQbunka
●90ポイント

以前に調べた原稿ですが……。

最初から缶入りではなかったようです。

のちにドロップ王と呼ばれる佐久間惣次郎は、13歳の時千葉県の日吉から上京し、八王子の稲毛屋で有平糖の技術習得後、新杵に入った。そこで主人に命じられたのはドロップの研究。

その後独立し明治40年11月に神田八名川町で三港堂を開業した。商標は菱型に船マーク。翌年には資本金1000万円従業員60人にて佐久間惣次郎商店を創業、「サクマ式ドロップ」を発売した。

佐久間式メッキスドロップが、夏でも溶けないのは酸味料クエン酸を使用したため。透明感をだすクエン酸を「お薬」とよび、秘中の秘とし金庫に保管したという。

「ドロップ製造成功の秘訣は、燃料を研究するのが肝要で、自分はコークス使用で成功した」と佐久間氏は人に語っている。

大正4年2月にはアンズ及びレモンドロップを発売。缶入りのドロップは大正2年に5銭で発売したのが始めである。

一方、一緒に働いていた弟の佐久間権作は惣治郎と不仲になり、ある日袂別した。これを見て大正7年1月17日東京ドロップ合資会社を宮本菊之助らが上野に設立。技師長に佐久間惣治郎の弟権作を据え、商標を「大砲」とした。これは大砲で兄の会社の「船」を撃沈する趣向であったが、

「不遜の輩権作の腐敗精神で技術は窃取できぬ。佐久間式には私の魂がこもっている」と激怒した惣治郎の前に弾は外れ、敗退をよぎなくされた。

弟を一蹴し、世の中に好評をもって迎えられた佐久間式ドロップは、大正7年5月には店員賞与が年4回になり同年6月15日池袋へ工場を移転、11月15日に池袋工場操業を開始し12月1日に本店を池袋へ移すなど大繁盛の池袋時代を迎えた。

大正9年8月8日に堤徳蔵の協力を得て池袋に佐久間製菓株式会社を創立。株式会社に改組した後、大正14年10月21日にドロップ王佐久間惣治郎は永眠したのであった。昭和10年11月には大阪工場の操業を開始したが、偉大なるドロップ王を失った同社は同業者の攻勢で経営難に陥る。昭和の戦前には不景気のため不良債権に悩み、後継者の佐久間久夫が、取引先の日東製飴所の山田弘隆を取締役に迎えることにした。救世主山田は経営再建に成功し、たちまち専務に昇進。ドロップに加えチョコレートの生産も開始し攻勢に転じる。この功績を以て昭和12年12月、山田弘隆が佐久間製菓社長に就任するが、満州事変以後、戦火は激しく、政府の出した昭和19年11月25日の企業整備令により佐久間製菓は廃業の道を選択したという。

●戦後

昭和23年、佐久間製菓の元番頭、横倉信之助により、池袋に再興した佐久間製菓は、焦土の子供らに夢を与えようと缶入りドロップを象さんのデザインにする。また偽物が横行し、当時の菓子飴新聞(昭和26年4月3日号)の広告には「50年の歴史を物本当のサクマ式ドロップスはこれ 池袋佐久間(ニセモノあり 昔ながらのヨット印に象さん図案のサクマ式に御注意)」とある。

続いて昭和24年3月7日、渋谷に山田弘隆元社長の三男、山田隆重が再興したサクマ製菓は丸印にヨットのマーク、池袋の佐久間製菓は菱印にヨットのマークであった。

もとは同じ戦前の佐久間製菓であるが、戦後2社が分立、現在までに続く。両者の違いの見分け形は、社長の息子が設立したのは、カタカナ書きの「サクマ製菓」で本社は渋谷恵比寿。缶入りドロップは緑色の缶で11種入り。番頭さんが設立の佐久間製菓は池袋が本社で「サクマ式」の登録商標が使える。

http://q.hatena.ne.jp

◎質問者からの返答

う?ん、別の質問でのご回答もそうなのですが、

教えて頂いている内容はとてもありがたく興味深いものなのですが、

この内容の出所を是非一緒に教えて頂きたいです。

でないと、ネット上の噂と同じですから。。。

ただ、参考にはさせて頂きます!

ありがとうございます。


4 ● BQbunka
●30ポイント

BQbunka です。

私の著書「ザ・おかし」(扶桑社、1996年)p86?p95です。

調査したときの資料としては「日本洋菓子史」(池田文痴庵、日本洋菓子協会)および、業界関係者からの聞き取りによります。

また、国会図書館にて菓子業界誌の「日本菓子飴新聞」をすべて読みまして、ノートにとりまして、それをまとめました。

あまり深い内容だと怪しまれてしまうようですね。

ネットより単行本のほうが確かだと思っている価値観が、私にあるものですから…。

今後はお控えいたします。

大変失礼いたしました。

http://q.hatena.ne.jp/answer

◎質問者からの返答

あ、ありがとうございます。

なるほど、分かりました。

怪しんでは一切いません。嘘だとか思っているわけではなく、本当だろうと思うだけに、出元が知りたいということですね。


本まで出版されていらっしゃるほど調べられたんですね。

知らなかったとは言え失礼しました。

ありがとうございました。

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