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人を殺してもよいのはどんな時でしょうか?

「人を殺してはいけない」という事に関する質問は何度かされているようですが、逆のケースについても知りたくなりました。
戦争?凶悪犯罪者?死ぬ間際で苦しみ続ける病人?殺してくれと懇願されたから?重い障害を持って産まれる事が判明した胎児?・・・色んなケースがあると思いますが、できるだけ多くの人が納得できる理由を教えてください。
どういう条件であれば「人を殺してもよい」事を多くの人が納得し受け入れられるのでしょうか?

●質問者: YOSIZO
●カテゴリ:人生相談
✍キーワード:凶悪犯罪 戦争 病人 胎児
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 42/42件

▽最新の回答へ

[1]堂々巡りになっちゃいそうだけど hamster006

人を殺した人のことは、殺してもいいんじゃないかなぁ。


[2]正当防衛と緊急避難 dev_zer0

正当防衛:

例えば射殺するのは普通は殺人です。

しかし、相手が銃を乱射してるなど、他人に被害を及ぼしている場合

警察官は相手を撃つことが出来ます。

また、状況によっては狙撃することもあるかもしれません。

緊急避難:

カルネアデスの板が代表的な例です。

どちらかが死ぬしかない状況の下であるならば、

他人を殺しても罪には問われません。

死刑を執行する場合:

日本には最高刑として死刑制度があります

死刑執行人は殺人をしている訳ですが、これも死刑という制度が存在する限りは

誰かが行わなければなりません。


[3]普通ならば納得・受け入れはしないと思います NAPORIN

ただ、納得しやすい論理のすり替えというのはあって、

「タバコを吸ったりして寿命を縮めるのとどこが違うか?(違わないだろ?)」とか

「他の生物を殺して食べるのとどこが違うのか?(違わないだろ?)」とか

いう定番のごまかし方は、あると思います(通常のオトナであれば嘘くさい論理ととらえるでしょうし、メッキがはがれやすいですが)。

単に法律でそこまで想定されていないような殺し方を選び、自分に報復が及ばないようにすれば他人がどうなろうとかまわないと考える人もいるかもしれません(普通でない人/犯罪者/外国での傭兵稼業)。

戦争もそのように「自分が脅かされるのがイヤだから他人を脅かすしかない」という視野狭窄状態に大勢の人間の考え方を誘導できれば、かなり成功すると思われます。


[4]空気読めばおk YOSIZO

うーん、

「人を殺してもみんなに許されるケース」

があるんじゃなくて

「みんなが殺して良いと思ったケースでは、殺人が許容される」

てことですかね?

そもそも「人を殺すな」というのは人社会の暗黙の掟で、それを道徳とか倫理と言う言葉できたわけですしね。

ならば、その社会から「殺せ!」と要請があった場合、殺人は許容され時に賞賛されるんでしょう。

戦争はそれの最たるものですが、卑劣な犯罪者に対しても(報道によって)社会の怒りが高まれば、普段温厚な人たちも声高に殺せ(死刑)と叫びだすわけだし。相手が少年でも。

ただ、時がたって冷静になると「やっぱり殺すのはよくないよね」という意見もでてみたり、「いや、あの時はあれで正しかったんだ」と反論されてみたりもします。後の祭りですが。

「殺人も空気読めばおk」ってことなんすかね?


[5]死刑囚の死刑執行 navy_fia

少なくとも法律で「○○をしたら死刑になります」となっているのでこれは執行する(殺す)に値すると思います。

死刑の存続論争も加熱していますが、最近の調査でも約半数は死刑に賛成しているわけですので、これだけの人はこの「人を殺してよい」という状況を納得していると思います。


[6]無差別大量殺人を企て実行した人など、 doriaso

感情的な主観と司法という客観(裁判官の主観だけど・・・)が

合致した時には、国が代表して該当者を殺しても、多くの国民は

納得するのではないでしょうか?


[7]人を殺すのは悪いこと thunder-hero

殺人を「どういう条件であれば」許されるか、という質問ですが、

人を殺すのは絶対的な悪ですので、許される行為ではありません。

よって、多くの人が納得し、受け入れられる回答は皆無です。

一時の感情で、「こんな人は殺してもよいのでは」という主張も出てくる

でしょうが、自分がその立場になったら基準が変わってしまうものです。

では、「なぜ人を殺すのが悪なのか」が議論の対象になりますが、

ここでは簡単に「全てその人に跳ね返ってくるから」と言っておきます。


[8]>7 安楽死は? YOSIZO

重い病気で苦しんで、もう長くはない、これ以上苦しみたくないと望んでいる人を殺す場合はどうでしょう?

その人を安楽死させてあげる場合、医者が「人を殺した」ことになると思うのですが、それも絶対的な悪なのでしょうか?


[9]結果に責任を持てる場合 shellan

殺害に限らず何をしてもいいと思いますよ。

殺された本人、生んだ親や家族そして周りの恨みと悲しみ、法律の上での裁き

すべてを受け入れることができれば問題ないと思います。

数週間前、痴呆の妻を持つ旦那さんが余命宣告をされ妻を殺害した事件がありました。

愛するが故の殺害、周りがどうとらえるかは分かりませんが私はある種共感できる殺害です

もっと他に方法がなかったのか。と考え突っ込むべきところは多いかもしれませんがね・・。


[10]>4 空気嫁は so-asano

殺してもいいよね。生き物じゃないけど。


[11]>2 横からの追記、とでもいうか so-asano

> しかし、相手が銃を乱射してるなど、他人に被害を及ぼしている場合

他人じゃなくて自分でも OK。殺人だと、過剰防衛になる可能も高くて、微妙だけど。

> どちらかが死ぬしかない状況の下であるならば、

> 他人を殺しても罪には問われません。

逆に、こっちは、自分ではなく、他人にも適用できる余地はある。ただ、具体的なケースは想像しづらい。無関係な第三者を殺せば、より多くの命が救える場合なんて、そうそうないような。

> 死刑執行人は殺人をしている訳ですが、これも死刑という制度が存在する限りは

> 誰かが行わなければなりません。

実際には複数人で同時にスイッチを押させて、誰がやったのかは分からない仕組にしてたりするよね。これでも、行為だけを見れば、共犯による殺人として理解されるんだろうけど。


[12]>8 絶対的な悪とは thunder-hero

「安楽死」はそもそも、「自発的な生命の活動維持」を中止することですから、

医者が殺したとは一概に言えないでしょう。

承諾した家族が殺したかもしれませんし、世論全般が安楽死容認に傾いた場合、

実行者は一人ではないと考えることができるかもしれません。

ただ、実際に手にかけて殺した場合はもちろん悪です。

苦しんでいる人であっても、生命の重さは他の人と変わらないからです。


[13]>4 同意 retorin

戦争とかノリで始めるようなモンですしね。


[14]殺すという機会 to-ching

一人殺せば殺人犯、10万人殺せば「英雄」と言う諺(?)がありますね。また、人を「殺す」機会と言うのは「殺人」「戦争」「死刑」と言う諺(?)もあり。難しいです全て?を付けたいです。


[15]>12 そうでしょうか? YOSIZO

>ただ、実際に手にかけて殺した場合はもちろん悪です。

>苦しんでいる人であっても、生命の重さは他の人と変わらないからです。

安楽死でその人を苦しみから解放してあげて、殺される本人からも感謝されるような場合でも、それは悪なのでしょうか?

家族も本人も世論も法律も全てがその殺人(安楽死)を容認したとしたら、それは悪とは呼べないのでは?

基本的に、「悪」と言うのは世の中に拒絶されるものですよね?

容認されたのならそれは殺人であっても悪ではないのではないでしょうか?

難しいですが。


[16]「殺す他なかった場合」だけ。あとは… kyousum

誰もが納得する「人を殺しても良い場合」ってのは「人を殺す他なかった場合」だけだと思います。「人を殺す」と「人を殺さない」のどちらも選べるときは、「人を殺さない」を選ばなくてはならない、と考える人がそれなりにいると思います。

で、万人が納得する「人を殺す他なかった場合」としては正当防衛とか緊急避難くらいしかないと思います。「この人を殺さないと、他の人or自分が死ぬ」という状況ではじめて万人が納得すると思います。

(もっとゆるい基準で殺していいという人も多いでしょうが。例えば、死刑囚は殺していいとか)

ただ、「人を殺しても、他人はあまり責めない場合」というのはあると思います。例えば、「幼い子供を殺された親が怒りのあまり殺人者を殺してしまった」という場合、他人はあまり責めないでしょう。

「殺して良い場合」としてお墨付きを与えることに関しては厳しく判断すべきと思いますが、具体的に「殺してしまった」人に情けをかけていい場合はあると思うのです。


[17]本人が望む場合。 ttz

極端に言えば、本人が望むのであれば。

本人が本心から望んでいるものを周りが止める理由って何だろう。


[18]>17 間接的な自殺ととられるからでは YOSIZO

「他人に自分を殺してもらう」という事は、本人には自殺であり、相手には殺人であるため、二重にタブーを犯すからでは。

一般的に、殺人がタブーであるように、自殺もするべきではない事だという意見が多いからだと思います。

「殺人はダメだけど自殺はいいよ」という意見はあまり耳にしませんよね。


ただし、日本では武士の切腹のように、切腹=自殺=潔い死に様 と受け取られるケースも多少はあるかもしれませんが。。。


[19]>4 暴徒の理性はあてにならない気がします。 hrkt0115311

こんばんは。


>時がたって冷静になると「やっぱり殺すのはよくないよね」という意見もでてみたり、「いや、あの時はあれで正しかったんだ」と反論されてみたりもします。後の祭りですが。


冷静じゃない状態の集団に「殺してもいい」と言われたとしても、理性が働いているか疑わしいので、誰もが納得するケースにはならないと思います。関わってしまった人たちは「戦争が悪かったんだ」的な発言をするかもしれませんし、関わらなかった人たちは「歴史は繰り返す」などとつぶやくのかもしれませんね。


ただ、私がどう思おうと、実際にご指摘になられたことは繰り返し起きていることなので、社会にはそういう一面があることは事実だと思います。


[20]>18 「本心からの自殺」に関する疑いと、周囲の振る舞いについて。 hrkt0115311

こんばんは。


「本人が本心から望んでいる」かどうか、見極めるのが難しいと思います。

臓器としての脳が病んでいない状態で、自殺する方がどれくらいいるのだろうと、私は疑問に思っていますので。


また、自分で死にきれなくて、人の手を借りる場合、巻き込まれた人は殺人者になってしまうので、助けを求められた側は「死ななくても、死にたい人が抱えた問題を解消する知恵」を提供できないだろうか、と考えています。


こんな視点から考えますと、「本人が望んだから」という理由では、あまり納得できないのです。


[21]>15 安楽死はアリでしょう。 ttz

安楽死はOKと思います。

激痛や苦痛に耐え続けなければならない理由って何でしょう。その先に死しか待ち受けていない場合、何のために生き続けなければならないのでしょう。本人はもちろん、親族であってもこれ以上苦しむ姿は見たくない、あと十日で死ぬのだとしたら今楽にしてあげたい、という考え方は間違いではないと思いますが。


[22]死刑はアリ? ttz

死刑と殺人、全く違うものですが、でも同じものであるような気もします。


[23]>16 少し違うかもしれませんが。 hrkt0115311

こんばんは。


>人を殺す他なかった場合


上記について、考えました。生き延びる上で、人を殺める以外に選択肢がなかった、という理由でも、結果的には死刑になるかもしれません。無罪になっても社会的な制裁は受けるかもしれません。ただ、監禁されて命の危険があったとか、親に虐待されて逃げようとして事故で親を死なせてしまったなどというケースを想像すると、「誰がその立場に立たされても、他に選択肢はない」と社会に受け入れられやすいかもしれません。もちろん、積極的に殺害してよいというお墨付きをあたえる意図はないです。


[24]>7 戦争時 honzuki

戦争時、明らかにもう助かる見込みの無いけがを負った兵士が、

「痛いから、殺してくれ」

と言った時、僕のおじいちゃんの親友はやむなく殺したそうですが、それは悪なのですか。


[25]>9 それはあまりに honzuki

暴論ではないですか。

責任を持つと言いましても、死んだ人を生き返らせることはできません。

死刑や遺族の悲しみを受け入れることができれば殺してもよいというのでは、自分が死にたいと思っている人間はいくら人を殺しても良いことになりませんか。


[26]>15 この問題は thunder-hero

「本人が望んでいるから」

という理由で、殺人が是か非かを論ずるわけにはいきません。

たとえば、「死にたい、けど自分では勇気がない」という人を、あなたが

崖から突き落としたとしましょう。この時点で、悪ではないと言いたい

のですね?

ところが、突き落とした瞬間、「ありがたやー」といって落ちたとしても、

「やっぱイヤー!!」といって墜落していったらどうですか?あなたは

ただその絶叫を聞くのみでしょう。

何か釈然としない思いが残るのではありませんか?

これは一例ですが、実は肉体上は安らかに死んでいるように見える人でも、

心の奥底では最終、大きな悔いを残して死んでいるとしたら?

どんなに死にたい、と言っている人でも、死は怖くない、とうそぶいて

いる死刑囚でも、実地に最期を迎えると、生きたい、という思いが強烈

に頭をもたげるものです。人間というものは生への執着のカタマリでは

ないでしょうか。

死に面した悔やんでも悔やみきれないその思いが最後に発露するのであれば、

どんなに本人がその直前まで望んでいたとしても、家族が何を言おうとも、

やはり悪の業が残されるのでしょう。


[27]>21 死生観は多様ですので hrkt0115311

ホスピスなどでは、痛みと苦痛のケアと、家族(後には遺族になる方々)のケアもしていますね。痛みのコントロールができない病気もあるとは思いますけれども、「あと10日で亡くなるのなら、10日待つこと」を大事にしたい患者・家族・医療関係者もいるのではないでしょうか。

EX http://www.hospice.jp/oyakudati/volunteer.html


安楽死を選ぶ方、ホスピスを選ぶ方など、死生観の数だけ選択肢も必要になるかなと感じました。また、安楽死を否定するつもりはないのですが、少し心配な点があります。安楽死については、患者さん本人の意思の表明が本当に反映されているのか分からない場合が怖いですよね。例えば私が余命を宣告される病気になったとして、安楽死を望んでいないのに意思表示ができず、「可哀相だし本人も望んでいるでしょう」と安楽死させられたら、とても無念だと思うのです。


[28]>21 そこなんです thunder-hero

問題はまさにそこにあります。

「激痛や苦痛に耐えてまで生きねばならぬ理由」

これが曖昧模糊のままだから、すべての議論が宙に浮いているのではないでしょうか。

苦しみの最期を迎える宿命にあるのは、何も、残された命があと十日、という人ばかりではありません。

僕も、あなたも、死へ向かう行進を続けている生身の人間なのです。ですから命を奪う側だけの視点でいたならば、片手落ちです。命の短さを感じるほどに、残された命で何をなすべきかの強烈な生きる願望が心の奥底からわき上がってくるはずです。

その時、何ができるのか?何が必要なのか?

常に眼前に突きつけられたこの命題に答えられないのであれば、他人の命を奪う権利を持つ人はいないでしょう。

生命の尊厳は、真に人生の意義を知り得た人にしか分からないものだからです。


[29]>24 追いつめられた理性 thunder-hero

心の痛む話ですね。

人が人の命を奪う。だれもが忌み嫌うことではありませんか。

いいか、悪いか、と聞かれれば、戦争は悪だ、と誰もが答えるでしょう。

しかし実際に戦争に駆り立てられる人間は、何をするか分からない。

ここに人間の性の哀しさがあります。

戦争は人を追い立てる。

人間が人間の視野を、人間でない窮地に狭めてしまうのです。

人は時に狂気に走ることは、歴史が証明しています。

かくいう自分も、戦場に送り出されれば、どんな恐ろしい行為でも

やってのける残虐さを保持していることに、慄然とせずにおれません。

だからこそ、平時に善悪をきちんと知っておくことは大切であると思います。


[30]自分の家族が殺された場合は? ttz

その場合、殺した相手を自分で殺す事がなぜダメなのだろう。


[31]>30 遺族の中で、誰に優先権があるか? adlib

復讐権を認めると、相続・譲渡について、面倒な手続きが必要ですね。

双子や五つ子だと、全員一致して権利を行使するとは限りません。

たぶん婚約者にも、権利を与えろという世論も起るでしょうね。


[32]>24 自殺幇助罪ですね。 adlib

法律は、善悪の原因よりも、行為の結果を裁くのです。

何もしなければ、不作為の罪に問われます。

あなたなら、どうしますか?


[33]>1 その権利を、誰に与えますか? adlib

現行法では、アカの他人である公務員が処刑執行人ですね。

彼らと同じ資格を、臨時に与えるとしても、日時場所その他を指定

されると、とても実行不可能ですね。


[34]>5 私もそう思います applepink

これ以外の理由でいいと認められる場合はないのではないでしょうか?

たとえ本人が死にたがっていたとしても、正当防衛だったとしても、

裁判にかけられますよね。

裁判になる・捕まる=殺して言い訳ではない

ということから、自分の手で殺しても罪にならない死刑執行人のみが人を殺してもいい時ではないでしょうか。


[35]>5 同感です terapon

目には目を、は行き過ぎだとしても、人を意図して殺めた人間は法の裁きにより死刑として執行されるのはやむを得ないのではないかと思います。あくまでも法の裁きによるべきで、個人的な復讐ではいけません。

執行人が公務員であるのはそれが公の職務だからではないでしょうか。


[36]>34 死刑執行機械はどうか YOSIZO

刑の執行を人が行うべきではないのかも。

密室に入れてコンピューターが罪の重さを判断し自動的に死刑執行すれば、少なくとも人が人を殺す事はなくなります。

人は殺人と言う罪から開放され、プログラムとパラメーターが冷徹に人を処分するのです。

人間がそういうシステムを受け入れるかは別の問題として。


[37]>4 やっぱ違うな。 YOSIZO

>「みんなが殺して良いと思ったケースでは、殺人が許容される」

これって、

「人殺してもよい」と皆が納得する理由は、「それが皆が納得する殺人だから」って事ですよね。

だめだ、これじゃぜんぜん理由になってないですね。

すいませんでした。


[38]○【否】! nanairokamen

○如何なる場合も【否】!


[39]>36 それは honzuki

ナイフで人を殺したら、責任はナイフにあると言っているようなものではないですか。

あからさまに死刑になるとわかっている人間だった場合、その人をその部屋に入れるだけで従来の死刑となんら変わりありません。


[40]時代背景 otiba08

戦国時代のように人殺しが英雄と称えられる時代もあれば、現代のように一人の人間として重宝される時代もあります。

もし世界の人口が増加し続けるのであれば食物連鎖の長である人間が人間によって間引きされる時代がくるのかもしれません


[41]>31 そこまで冷静に考えられる人は殺さない。 ttz

感情が高まって勢いで!というのも実際は理性が働くからあまり聞かないけど、あったとしても同情したい。


[42]>35 なぜ honzuki

なぜ法の裁きではよく、個人的な復讐はいけないのでしょうか。

死刑執行人だって殺したくて殺すわけではないし、被害者の遺族だって自分の手で仇を討ちたいと思うのではないでしょうか。

そう考えると、昔の仇打ちが正当となされていた時の方がいささか合理的なような気もするのですが。

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