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【クラシック音楽とキリスト教にお詳しい方、お願いします】
ベートーヴェンのピアノソナタ「熱情 (Appassionata)」の第二楽章 (Andante) は、実際に宗教的な場で使われるのでしょうか。あるいは宗教的な背景があるとか? (確かに宗教曲のような響きはありますが。)

バレンボイムがパレスチナの名誉市民権を得てラマラでピアノ・リサイタルを行なった (演目はベートーヴェンのソナタ3曲とショパンのノクターン) ということを報じるBBCの特派員日記の最後の一文に、バレンボイムが聴衆に向かって「音楽家は直接和平をもたらすことはできないが、音楽は人の心をオープンにさせる力」というようなことを語った、という記述のあとに:
Anyone listening to him play the Andante of the Appassionata would say amen to that.
(彼が「熱情」第二楽章を弾くのを聞けば誰もがアーメンと言うだろう)
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/7186757.stm
とあるのですが、なぜほかの曲ではなく、「熱情」第二楽章なのかがピンと来ません。

※ウィキペディア(日、英)は参照済み、ウェブ検索もしてみましたが手がかりが見つけられません。

●質問者: nofrills
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 書籍・音楽・映画
✍キーワード:Andante BBC HIM とある アーメン
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/2件

▽最新の回答へ

1 ● adlib
●10ポイント

具象と抽象の混在 ? 政治・宗教・芸術のシェアリング ?

プロテスタント教会(正統ルター派)オルガン奏者バッハの《平均律》

が《旧約聖書》で、カトリック(ギリシャ正教)信者ベートーヴェンの

《ピアノ奏鳴曲》を《新約聖書》と対比されることがあります。

プロテスタントでは儀典的な《ミサ》に批判的なはずですが、バッハ

は《ミサ曲ロ短調》などの大作5曲を遺しています。ベートーヴェンは

《荘厳ミサ》の他、下記のように宗教的な緩徐楽章を書いています。

たとえば、彼自身の葬列(18270329)で吹奏楽隊によって演奏された

《ピアノ・ソナタ第12番?“ある英雄の死を悼む葬送行進曲”変イ長調》。

《ピアノ・ソナタ第23番“熱情”?》は、もっとも瞑想的な最後の作品

《弦楽四重奏曲第16番?》と同じく変ニ長調で書かれています。

「ある偉大なる人の思い出に捧ぐ」と添書された“英雄の葬送行進曲”

《交響曲第3番?》ハ短調に対して、天上のラッパが響きわたるような

《交響曲第9番?》変ロ長調は、まさに死後の世界を暗示しています。

つぎのように、恣意的なイメージを述べた例もあります。

── 変ロ長調は宗教的といってしまってはいささか言いすぎである。

事物の世号との結びつきを感じさせる優しい感情を伴っていて、変ロ長

調はむしろ宇宙的な調である。

── アラン/宗 左近・訳《音楽家訪問 1927-1965 白水社》

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1657834.html

バレンボイムの「和平をもたらすことはできないが、人の心を云々」

という発言は、芸術家が政治に言及するときの常套句で、政治家が芸術

を論じたり、科学者が宗教を語るような矛盾に満ちています。

このような立場を認めると、音楽芸術の通俗性や退廃から目をそらし、

ヒトラーがワグナーを、黒澤明がベートーヴェンを愛したような目的外

利用を咎めることができなくなるでしょう。

近代の市民社会においては、誰もが一票の有権者にすぎないのです。

たとえば、孤高の写真家ブレッソンは、晩年にこう述べています。

「わたしはアナーキストだ。そして無神論者だ、とくにカトリックのね」

ごく最近(20071221)ブレア前首相は、プロテスタント(英国国教会)

からカトリックに改宗しています。在任中は国王の名代として大主教を

任命する立場にあったので、退任後に決断したようです。

すこし前(20060317)サッカー監督トルシェも、外国人の養子を迎え

たのを機会に、カトリックからイスラム教に宗旨がえしています。

いずれも表向きは、家族がひとつの宗教にまとまるためだそうです。

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060322

↑改宗の季節 ↓夏至の訪問者

http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070622

◎質問者からの返答

「宗教曲のような響きがある」ことは感じているのですが、「熱情」第二楽章は変ニ長調で、それがそのような印象を与えているのだ、という恣意的解釈もできる、ということでしょうか。


ご回答をうまく読み取れていなかったらすみませんが、質問の意図は、そのような「印象」の論ではなく、BBCの記者が、多くの人に読ませるためのBBCの記事で、この日、ベートーベンのソナタを3曲演奏したバレンボイムが「熱情」第二楽章を演奏するのを聴けば、誰でも「アーメン」と言いたくなっただろう(<超訳)と書いていることの根拠、つまり、曲そのものが宗教的背景を有するのか、宗教的背景のあるコンテクストで用いられているのか(あとから思いついたのですが、例えば英国のテレビシリーズなどで「祈り」のシーンで使われていた曲だった、などといったことも考えられます。コメント欄参照)、などといったことが知りたいのです。


なお、バレンボイムの発言が「芸術家の常套句」であると言い切れるものであるかどうかは、私は判断を留保しています。彼(とエドワード・サイード)の活動について、それほど知らないし、一般論をいきなり当てはめて考えることもちょっとなぁと思うので。ものすごく深く、また広く、さまざまなことを考えた挙句、「常套句」とされてしまう心境にたどり着くことは稀ではありませんし。また、ブレアやトルシエの改宗についてはもちろん知っていますが、それとここでの話との関連性は私には見えないのですが。


あと、本題とは大きくずれますが、

> 近代の市民社会においては、誰もが一票の有権者にすぎないのです。

ラマラおよびヨルダン川西岸地区に、あるいはガザに、そう言える状況があるのでしょうか。


2 ● shimarakkyo
●80ポイント ベストアンサー

コメントをまんまコピペするのも気が引けたし、気になったのでもうちょっと調べてみました。


まず「英」語のメディアに限定して検索(例:http://www.google.com/search?q=beethoven+piano+sonata+appassiona...)しましたが、ベートーヴェンの「熱情」第二楽章に限定された逸話(Coronation streetのアノ有名なシーンで使われた!とか)は見つける事が出来ませんでした。


jyoushikitaroさんがおっしゃっている様な事はBBCのRadio3が放送していたBeethoven Experienceという番組の解説の中にもありました。

The Andante is like the calm between two storms and is a set of variations on a theme that is more harmony than melody.

(Beethoven Experience http://www.bbc.co.uk/radio3/classical/pizarro/sonata23.shtml)


「アーメン」と言いたくなる気持ちを引き起こすような宗教的な背景、というのとは少しずれるかもしれませんが、Andras Schiffが2006年にウィングモアホールで行ったベートーベンの作品に関する講義の音源がガーディアンのサイトに掲載されていて、ピアノソナタ23番も当然ありました。


メインページ:http://music.guardian.co.uk/classical/page/0,,1943867,00.html

23番: http://download.guardian.co.uk/sys-audio/Arts/Culture/2006/12/05...(音が出ます)


シフがピアノを弾きながら作品に付いて語る、という趣旨のもので単純に聞いていて面白かったのですが、第二楽章を解説する際の彼の言葉のチョイスがちょっと興味深いです:

after the storm we must have tranquility, serenity in the solemn theme;

this simple theme with solemn procession;

it is festive and solemn;

tendency of going from the darkness into light, seems like the sun coming out;

tendency of going from larger to smaller note values in each variations;

we are still in the dark at the first variation and come out in the light at the final variation;

after the apotheosis comes the epilogue

...


ざぁっと聞き取ったので不正確ですが、solemn, apotheosisといった単語が頻繁に使われているのを聞いて、第二楽章が宗教的な荘厳、それもキリスト教に限定されない「宗教というものに本来備わっている(inherentな)荘厳」な感じを表しているというのは暗黙の了解なのかしら、と思いました。で、これ以上は専門知識はおろかターミノロジー(ムーブメントと楽章の違いすら分かってないし orz)も無い私には調べられませんでした。


何でみんながこれを聞いてぱぱぱっと「宗教」「厳か」「神聖」といった単語を連想出来るのか、私も知りたいです。

◎質問者からの返答

shimarakkyoさん、丁寧に調べてくださって、ありがとうございます。

まず、コメント欄でのドイツ語版ウィキペディアのご紹介、たいへんありがたかったです。(単純な文章量だけでも英語版やフランス語版と比較にならないほど!)


そうか、コラールか、ということでベートーベン合唱幻想曲("Choral Fantasy")の連想かもしれないなあとちょっと思いましたが、「思った」だけで根拠はありません。


検索をしてみたら、ちょうどダニエル・バレンボイムとベルリン・フィルのがありましたので、URLをはっておきます。

http://www.youtube.com/watch?v=H6ryZAqqedw


> Coronation streetのアノ有名なシーンで使われた!とか

実は私も、ああいう「連続ドラマ」の名シーンなのではなかろうかと思っていたのですが、やっぱり見つからないんですよね。そういう使われ方はされていないのか、あまりに当たり前すぎて誰も書こうとしないのか、そのへんはわかりませんが。


ただ、「ベートーベンのソナタ」が英国の大衆文化でパロディの対象になっていたということは、下記などでも明らかです。下記はダドリー・ムーアによるパロディ演奏。

http://www.youtube.com/watch?v=GazlqD4mLvw


アンドレアス・シフの解説、おもしろいです。今聞いています。回答で抜粋してくださった箇所と同じような解釈というか印象というか、それはかなりの範囲で共有されているようですね。ご紹介いただいているBBC Radio 3のページに、「熱情」全体についてのものだと思いますが、Hubert Parryの "Here the human soul asked mighty questions of its God and had its reply." ということばや、レーニンの "It is marvellous superhuman music." ということばが引かれています(レーニンの "superhuman" などはそれ自体が読解を要することばですが)。実はこれを読んで、ますます気になってきたことで質問を立てたのですが(なぜthe Appassionataではなく、the Andante of the Appassionata で特定されているんだろう、と)、よくよく考えてみれば、激しいところではなく、とりわけ荘厳な響きのあるところ、ということかもしれないですし。


(以上、2008-01-18 20時32分)

以下、IDコール用の追記@23日朝:

この質問は、今日のお昼ごろ(12時から13時の間)に閉じたいと思います。

(以下、用が済んだので消しました。)

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