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何で「節分」って、豆を撒くのですか?
「鬼は外、福は内」は何となく分かるのですが、撒くのって『豆』じゃなきゃダメですか?


●質問者: tooh22
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 生活
✍キーワード:ダメ 節分
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

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1 ● shimazuyosi30
●27ポイント

なぜ豆を蒔く?

穀物や、果実には「邪気を払う霊力」があると考えられており、豆を蒔くことで豆の霊力により邪気を払い、福を呼び込む


http://koyomi8.com/directjp.cgi?http://koyomi8.com/reki_doc/doc_...


2 ● Moncler
●27ポイント

なぜ豆をまくのか?について

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E3%81%BE%E3%81%8D

豆を撒くことには、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。これは、中国から渡来して宮中で行われていた悪鬼・厄神払いの行事と、寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式が融合した物とも言われている。

ちなみに「豆打ち」とは、農業行事であったそうです。

節分の起源は、「追儺(ついな)」といわれる中国古代からの厄よけの行事が、わが国に伝わったもの、あるいは農業行事である「豆打ち」や「豆まき」が室町時代頃から、行われるようになったとされています

http://www.akamon.or.jp/i/0203.htm


3 ● hate_na_com
●26ポイント

http://www.kanshundo.co.jp/museum/saijiki_yogo/setubun01.htm

昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。


http://www.nagaitosiya.com/a/setsubun.html

豆も鬼と同様に、境界上の存在なのである。古代の人々は、一般の穀物を直火で炒って食べたが、豆は茹でて食べていた。古代人にとって、茹でることは腐ることのカテゴリーに属し、生と死の中間を意味したのである。豆を炒る、すなわち火で水分を追い出すことは、亡霊を追い出すことを意味している。死者の霊が蘇らないように、豆を炒って芽を出さないようにする。だから、豆を炒る段階で、既に鬼退治が行われているのである。


http://hisitu.bne.jp/zatugakuou/log/eid688.html

豆や稲などの穀物は、枯れて死んでしまったように見えても、春になると、もう一度蘇り実をつける。そこから、昔の人は、穀物には神聖な力があると考えた。


http://www.news.janjan.jp/living/0302030528/1.php

もとは五行相剋に由来していると言われています。大豆は硬い。「木火土金水」の五行では、硬いものは「金」に当てはまります。同時に疫病や災厄も「金」に属すると考えられています。つまり豆というのは、鬼に投げつけるものであると同時に疫病や災厄の象徴である鬼そのものでもあったのです。

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