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人が空気をよんでうごくという行為は、魚や鳥が自在に群れる際の何かと似ているとおもうのでしょうがどうでしょうか


●質問者: surippa20
●カテゴリ:科学・統計資料 生活
✍キーワード:うご どうでしょう 空気
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 7/7件

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[1]うーん honzuki

どちらかといえば、鳥や魚が自在に群れるのは本能的なもので、人が空気を読んで行動するのは後天的な経験によるものだとおもうのですが。

確かに鳥なんかが一糸乱れずきれいに並んで空を飛んでいたりするとそういうことを感じることはありますけど。

空気の読める人というのは、大抵世渡りがうまいですよね。

逆に、空気の読めない人というのは友人も少ないし人気もあまり出ない。

空気を読むのは難しいです。


[2]KYの逆…でしょうか? Im_Me

物理的な意味であったら申し訳ないです。

所謂、「空気を読む」という意味であるなら、逆に思えます。

自分自身が無く、目的があったとしても、「群れ」がそれにそって動いているからそうせざるを得ない、

あるいは、群れにそって動くしか知らない自分に気がつくことも無い。

そういった、愚かさ、不自由さを感じます。

もしもそこに意思があったとしても、「空気」を「読んで」「群れ」ているがために、

それは人(個)ではなく、群れとしか見られない。

そういう印象は魚や鳥に似ているかもしれません。

(本当ならば一匹一匹の集合体なのに、同じ行動しか取らない=無個性なために個として感じられない)

空気を読んで、それに従っている時点で、それは「自在」とは程遠いのではないでしょうか。

結局は「空気」「流れ」という物に縛られ、左右されているのですから。

空気を作る、あるいは操っているならば、「自在」という言葉もうなづけるのですが…

ただ、本来の個性や本当の意味での自由に無関心、無感覚、無意味な人にとっては、

流れに沿う「生き易さ」が、「自在」なのだと感じてしまうかもしれません。

魚や鳥達は、まさしく、それを求めているからこそ群れているのだと思います。


[3]空気をよんで動くという意味には本来二つのいみがあるはず w83

一つはその場の風の向きに従うこと。もう一つは、あえて風に逆らうことも空気を読んで行動することです。魚や鳥の本能とは、全然違います。


[4]そもそも空気などない kanopi

そもそも「空気」などないと思う。

「空気読め」というのは、「空気読め」という人間の意向に従わせたいが、「自分の言うことを聞け」というのではまるで自分がエラぶっているように聞こえるので編み出された言葉だと思う。

「<みんな>そう思ってるんだよ、従わないヤツは<みんな>の迷惑なんだよ」という群れに従う動物の本能から外れているかのように相手を思わせるためのセリフじゃないでしょうか。

もちろん、本当にばの雰囲気をブチ壊す人間も少々いるでしょうけど。

単に自分の意に沿わぬ人を糾弾するための安易で根拠のない<みんな>がその裏に隠れている気がする。

子どもの「みんなこのオモチャもってるんだよ」みたいな感じ。


[5]>4 場の空気は<きっと>存在する paihu

>「空気読め」というのは、「空気読め」という人間の意向に従わせたいが、「自分の言うことを聞け」というのではまるで自分がエラぶっているように聞こえるので編み出された言葉だと思う。

一理あると思う。けれどすべてがそういうわけではないと思う。

実際に話し合い等では議論の方向が定まったにも関わらず前の話をひたすら蒸し返す空気の読めない人間もいる。

>根拠のない<みんな>がその裏に隠れている気がする。

このような場合もあるが、上に上げた例同様、すべての場合においてそれが正しいわけではない。

むしろ、多くの場合は本当に<みんな>が隠れている。

少なくとも私の周りでは。


[6]>5 だいたい同意 mand

実際、空気読めって言い出す奴は仕切りたがりが多いのは事実だと思う

ただ みんながみんなそうじゃないよな

ってか 本当に場の雰囲気ぶち壊す奴を指摘するのには便利なことばだよな


[7]空気を読んで生きる必要性はない peach-i

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