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宗教は基本的に、人間の間違い・失敗を許容する性質を持つと思うのですが、それぞれの宗教が
間違い・失敗を
・どう捉えて(たとえば試練)
・どう向き合ってゆくか(恐れずとも良い、とか)
そうした定義づけに興味をもっています。

希望回答としましては・・・
・出典を添付
・考えの背景を、回答者さんの解釈など踏まえ
教えて頂けると有り難いです。

色々な宗教・宗派の考えを比較検証してみたいので、
複数宗教をまとめた回答もうれしいです。

●質問者: doraichi
●カテゴリ:ビジネス・経営 芸術・文化・歴史
✍キーワード:人間 回答者 宗教 宗派 定義
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● ken33jp
●27ポイント

キリスト教

原罪

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%BD%AA

◎質問者からの返答

シンプルな回答ですね。


2 ● chinjuh
●27ポイント

日本神話における失敗の例を脳内検索しているのですが、失敗しても大丈夫なんだよというような許しの例というのをあまり思いつきません。

1. イザナギ・イザナミ結婚の儀式の失敗 『古事記』など

大きな柱をたて、互いに別方向にまわり、出会ったところで挨拶を交わすという儀式をしますが、回る方向を間違えたため、最初に生まれた子供はできそこないで海に流されます。この失敗に関して、特別に許しを意味するようなフォローはなさそうです。ふたりは同じ儀式を正しくやりなおして沢山の神を生みます。やりなおせばよい、という例だと言えなくもないですが、説得力は薄いです。

また、流された子供は蛭子(ひるこ)というのですが、この子が神になったのが恵比須(蛭子とも書く)だという伝承もあるので、失敗の結果でも無駄にはならないと結ぶことも可能ですけど、やはり説得力は薄いと思います。


2. 見るなと言われて見てしまう・その1 『古事記』など

妻のイザナミが火の神を生んで焼け死に、夫のイザナギは妻をしたって死者の国へたずねていきます。そこで妻は自分の姿を見てはいけないと頼むのですが、夫はがまんできずに明かりをつけて妻を見てしまう。妻は死人なので体が腐って醜くなっていました。イザナギはおどろいて逃げ帰ろうとしますが妻が追ってきました。そこで、史上初の夫婦喧嘩をくりひろげ、その結果、妻は「一日に千人殺してやるから」と言い、夫は「だったら二千人子供を作るからいい」と言い返します。

この失敗の結果、人は儚く死ぬようになるらしい(それ以前にも死んでたかもしれませんけど)んですけど、それでも滅びないように死ぬ人より多い数が生まれてくるようになるらしいです。死んだり生まれたりしないと世の中は新しくなりませんから、ある意味これは収穫だったのかもしれません。また、死者の国から帰ってきたイザナギが目や鼻を洗った時、日・月・嵐の神が生まれてきます。日の神は天照大神ですから、これもかなりの収穫だったと思われます。

この話も、失敗の結果が無駄になっていない、という点では学ぶものがありそうですけど、あまり説得力はないかもしれません。


3. 見るなと言われて見てしまう・その2 『日本書紀』

ええと、たしか海幸山幸の山幸の話です。山幸は海の神の娘であるトヨタマヒメをお嫁さんにもらいました。トヨタマヒメは子供を産むときに、自分の産屋を決して見ないでほしいと頼むのですが、山幸は見てしまう。トヨタマヒメの正体はサメでした。正体を見られたトヨタマヒメは海に帰ってしまいました。

これまたちっとも許しには繋がっていないのですが、トヨタマヒメが生んだ子供のさらに子供が神武天皇なので、これまた失敗は無駄にはなっていないのですけど、失敗しなければもっとすばらしい未来があったかもしれないのでビミョーですね。

ちなみに、見るなと言われたものを見てしまう例には、オオモノヌシの正体を見てしまった娘がおそれおののいて箸で陰部を刺して死んでしまいます。いまいち救われない話です(異説では、娘は死なずに子供を産んで、その子がオオモノヌシを祀るようになるんですけど)。



4. くれるって言われた宝を返してしまう 『日本書紀』だっけ?

たしか『日本書紀』だったと思います。『古事記』にあったかどうかちょっと覚えていません。天孫であるニニギノミコトは、日本にもとからいたオオヤマツミという神様からふたりの娘を嫁にさしあげますと言われます。妹のコノハナサクヤビメは大変美しく、ニニギノミコトは満足しましたが、姉のイワナガビメは醜いからという理由で返してしまいます。オオヤマツミの神は「わたしがふたりの娘をさしあげたのは、姉のほうを娶ればその命が岩のように永遠に続き、妹のほうを娶れば花のような繁栄があるようにと誓約をたてたからなのに、姉を帰してしまったあなたは花のように繁栄するでしょうが花のように儚く終わるでしょう」と言いました。

# この部分はキリスト教の原罪の発生神話と少し似てます。楽園には知恵の木の実と命の木の実があり、ひょっとすると人間はその両方を神から受け取る予定だったのかもしれませんが、悪魔にそそのかされて人が手にしたのは知恵の木の実で、そのために永遠の命を失います。


5. 奥さんのことを疑ってしまう 『日本書紀』

コノハナサクヤビメをお嫁さんにしたところ一夜にして身ごもったことで、ニニギノミコトは「もしや、自分と結婚する前に他の男と通じていたのではないか」と疑いをかけます。怒ったコノハナサクヤヒメは「だったら身の潔白をしめすために、出産の火に産屋に火をはなちます。わたしが潔白ならば無事に出産できるでしょう」と言ってそのとおりにして、無事に赤ん坊を産み落としました。その時の子供が海幸山幸です>3へ


4と5は人がおかしがちな過ちだと思うのですけど、4はそのせいで永遠の命を失っているのですから許されたとは言い難いです。


こんな感じで、あまりご要望には添えないかもしれませんけど。

◎質問者からの返答

失敗はそもそも許容されないのでは?という見方もアリなんですね。

出典多く、話も面白い。感謝です♪


3 ● Dursan
●26ポイント

間違い→人の道をはずす

と考えると、親鸞の悪人正機説は面白い考え方だと思います(こちら)かなあと思います。

浄土宗系の場合、死後に西方浄土に行くためにはただひたすらに念仏を唱えます。それのみ浄土への道となるとされていますので、何か立ち向かうというよりは、ただ無心にすがるといった感じでしょうか。

新約聖書などを読むと、原始のキリスト教もそんな感じかと思います。

◎質問者からの返答

なるほど?悪人正機説も面白いですね。

原罪と近い考えでしょうか。

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