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奥州藤原氏の泰衡は源頼朝の圧力に屈して義経を襲い、結果として自害へと追い込んだわけですが、どうしてその後、頼朝は奥州討伐を行ったのでしょうか?

泰衡は言うとおりにしたけども「それでもやっぱりやっつけちゃおう」というのが頼朝の発想ということでしょうか?

泰衡が見逃されなかったのはなぜですか?

●質問者: にぎたま
●カテゴリ:芸術・文化・歴史
✍キーワード:奥州 奥州藤原氏 源頼朝 義経 頼朝
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 2/4件

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1 ● powdersnow
●35ポイント

諸説ありますが、頼朝の目的は、最初から奥州攻略にあったと考えます。

奥州十七万騎と呼ばれる兵力、金色堂でも広く知られる黄金。

平家を討ち、鎌倉に幕府を構えた頼朝にとって、国内最後で最大の驚異であったはずです。

奥州に落ちた義経など、所領も兵も持たない存在で、大した存在ではありません。

ですが、義経単体では怖くなくとも、義経を大義名分として奥州が起つとなると、話は変わってきます。

折良く、藤原氏の柱だった秀衡が死去し、泰衡に代替わりをしました。

少なからず奥州に混乱も同様もあったでしょう。

秀衡の死後、頼朝は義経追悼の院宣をとるなど、圧力を強めています。

泰衡が義経を討てば、史実の通りになったでしょうし、仮に頼朝の圧力を無視しても、それを大義名分に開戦の理由ができます。

義経が討たれた際、泰平の弟の忠衡が討たれたように、どちらに転んでも一枚岩にはならず、奥州に混乱を呼び、勢力を殺ぐ計算もあったと思われます。

奥州を邪魔に感じていたところ、口実となる義経が転がり込み、折良く秀衡も死んだ。

頼朝からすれば、この絶好の機会を逃す理由などなかったのでしょう。

http://www.google.co.jp/

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

うーむ、戦乱の世の中というのは厳しいのですね。

歴史とはいろいろな視点から見なければいけない、

そうは思うのですが、泰衡贔屓になりそうな今日この頃です。


2 ● smilydogs
●35ポイント

東国武士による統一政権の樹立ってやつが大義だったようで。

まぁ、平家・義経と敵がいなくなっていって、幕府成立まで家来に恩賞を与え続け、まとめようとした意図も感じられますけど。


http://www2.odn.ne.jp/~rekisinotobira/contents045.htm

http://members.jcom.home.ne.jp/kaskoba/TT_KA01.htm

◎質問者からの返答

ありがとうございます。

天下を取ろうという頼朝の勢い、すごいですね。

この時代に限った話ではありませんが、

強引でないと幕府は開けないのでしょうか。。。

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