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社会科学は科学だと思いますか?

「科学」とはなにかをきちんと定義して答えるべきか、そもそも定義可能か、等の考慮は各人にお任せします。

●質問者: R_Smullyan
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 科学・統計資料
✍キーワード:定義 社会科学 科学 考慮
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 8/8件

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1 ● melon10
●10ポイント

まず科学について

引用大辞林

(1)学問的知識。学。個別の専門分野から成る学問の総称。「分科の学」ないしは「百科の学術」に由来する。

(2)自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。実験や観察に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。研究の対象と方法の違いに応じて自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義には自然科学を指す。

この定義からいうと社会科学は科学に分類される。


我らがウィキペディアによると

科学(かがく、英: science )という語は文脈に応じて多様な意味をもつが、おおむね以下のような意味で用いられている。

* (広義)科学的方法に基づく学術的な知識、学問。

* (狭義)体系化された知識や経験の総称であり、自然科学、人文科学、社会科学の総称。

* (最狭義)自然科学。

まず広義から、科学的方法って言うのは

引用ウィキペディアから

科学的方法 (かがくてきほうほう scientific method )とは、物事を調査し、調査結果を整理し、新たな知見を導き出し、知見の正しさを立証するまでの手続きが、ある一定の基準を満たしているものである。

この定義から言っても社会科学は科学に分類できる。


次に狭義だが、これは書いてある通り。


最後に最狭義だが、「社会科学=自然科学」であるかという問題。

これもまあパスしてると言っていいのでは?

◎質問者からの返答

スマートな回答、ありがとうございます。

ウィキペディアの「科学的方法」についての説明は、A・ギデンズ『社会学』でのそれと似ています。

ということは…一部の社会科学者が、自分たちに都合の良い「科学の定義」を持ちあげているのではないか…とは考えられませんか?

(社会科学は科学ではない、と言われて強い反感をお持ちになる方がいらっしゃるのは知っています、ですから念のため、「社会科学は自然科学のような厳密さに欠く」などという厳密さのかけらもない見解に私はくみしているのではない、ということは言っておきます。)


2 ● pahoo
●10ポイント

「科学」とは、明治初期、"science" の訳語として造られた言葉です。一方、英語の science の語源は、ラテン語の scio(知る)です。

したがって、“知る”行為全般は science であるというのが、科学に対する最も広い解釈であると考えます。

本来、「社会科学」か「自然科学」かという違いは、“知る”対象が「社会」であるか「自然」であるかの違いに過ぎません。


にもかかわらず、日本では science に対する認識は、欧米とかなり異なっています。

たとえば Science Fiction の訳語は「科学小説」となるべきなのに「空想科学小説」が一般的です。

欧米では、メソッドが科学的であるものは、Social であろうが Novel であろうが Science になり得るのです。

ところが日本の「科学」は、法則性のある、再現可能なものを扱う学問――すなわちWikipediaが言うところの最狭義の意味に限定されているように感じます。

◎質問者からの返答

私の質問に対する回答の戦略は、一般化して以下のものになると思われます。

まず、科学と非科学に線を引く基準をもってくる。基準は、方法論の考察や定義や語源考証など。

その次に、社会科学は線引き基準からして科学だ、あるいは非科学だ、という。

pahooさんは、語源考証型の基準設定ですね。回答に示された基準では、神学も科学だと帰結するのが不満です。少なくともリチャード・ドーキンスは憤慨しそうです。


3 ● miharaseihyou
●10ポイント

俺論的見地から定義してみましょう。

科学と言っても目的が違います。目的別に分類された科学を定義する試みです。

1、西洋文明由来の科学は神の目的をかなえるものです。「生めよ増やせよ地に満てよ。」でしたっけ。種族の繁栄と地の占有を目指して知識を有効利用しようとします。

したがって自然や社会を知的体系に関連付けて類型的に定義します。ひとつひとつ異なるものをも一元的に分類しようとする欠点を持ちます。

2、東洋には科学という概念は本来無いように見えます。

知識を体系付けるよりも、実用に役立つ知識の体系を産業として継承してきました。

多くの体系は社会集団によって分離独立して独自の進化を遂げました。

ほぼ全ての集団は宗教の影響が強く、宗教集団そのものも知識の一体系として見れば同列に論じる事が可能です。

宗教の弊害そのものに全てが足を引っ張られるという欠点を持ちます。

3、私にとっては、科学の本来の目的は知識を得ることです。前提となる有象無象は境雑物でしかない。

従って、ありのままの現実を情報として定義する知的体系は全て科学の範疇です。

科学という言葉を使うことすら科学にとっては冒?であるような気持ちがします。

社会科学は本来、フィールドワークを体系化した科学で、神の意思を実現しようとする観点からすると「絶対的な結論を持ち得ない」という欠点を持ちます。

必要に応じて帰納法的にづるづると発達してきた。従って本来の意味での西洋的な科学ではない。

しかし、もっと大きな範疇に科学を定義しようとすれば、科学の目的に注目するべきでしょう。

社会科学は結論が不可能な知識体系である。

しかし、社会を運用するためには有益な知識体系である。従って科学である。

以上


◎質問者からの返答

自然科学との比較で社会科学を評価する、という戦略を一部とっていますね。で、比較の基準となる自然化科学をどのようにお考えなのか。誤読してない自信がないですが次のようになるのかと。

近代の「聖俗革命」を経て自然科学はキリスト教から解き放たれた、この事情を認めるなら、回答で示された基準では近現代の自然科学ですらも科学でない、でもやっぱり自然科学は社会に有益な知識体系は科学である。こう読めました。

基準を二つ以上提示している回答であることを、むしろ評価します。ただひとつの線引き基準でないといけない、といことはないはずですからね。


4 ● smilydogs
●10ポイント

科学の定義としては

客観性・・・どの視点・観点から見ても

普遍性・・・いつでもどこでも再現可能で

合理性・・・説明できるだけの論理的な整合性がある。

のが重要なのだと思います。


自然科学と違って社会科学の多くは、統計的手法や論理的整合性によって解明・証明するので、スカッと答えが出るケースは少ないでしょう。科学ではないとおっしゃる方の気持ちもわかります。でも、私は科学だと思います。

結局、統計の手法や結果を信用するのかどうか、論理的整合性だけで納得するかどうかという点に集約されると思いますが、それ以外の手法がない、あるいは使えない以上、認めざるを得ないとも言えると思います。


以下、参考サイトです。

http://pm.soc.or.jp/study/study_12.html


5 ● gryphon
●10ポイント

よく「実験ができない」ということをいいますが

何かの事象から一般法則を見つけ、普遍化できれば科学だと思います。



だから古代人が「月蝕は神のお怒りだ」と考えるのも、科学でしょう。

それがより明快である「太陽と月の位置関係による」という考え方にとって変わられただけで。


そういう点で例えば政治学などが

「小選挙区制は二大政党をもたらす」ということを今までの事例から法則化し、今後を予測したら、それはかがくだとおもいます。


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