人力検索はてな
モバイル版を表示しています。PC版はこちら
i-mobile

「冥福を祈る」という言葉があります。冥福とは辞書によると「死後の幸福」と定義されています。

とすると、死後の世界は存在しない(死んだら消滅する)と考えている人が「ご冥福をお祈りします」と言うのは、矛盾しています。

唯物論者で、死後の世界(霊界)も輪廻転生もありえない、死んだら終わり、と思っている人は、代わりにどういう言葉を使いますか?

「言葉の意味など深く考えず、何となく冥福という言葉を使っている」という回答も可です。

●質問者: 松永英明@ことのは
●カテゴリ:芸術・文化・歴史 生活
✍キーワード:ご冥福をお祈りします 冥福 唯物論 存在 定義
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 15/15件

▽最新の回答へ

1 ● un0
●14ポイント

ご愁傷さまです。

◎質問者からの返答

ご遺族には使えますね。


2 ● hommy
●14ポイント

質問に対する直接的な回答にはなっていない(私は神の存在を信じているので、不可能)ため、ポイントは不要です。

日本人では、熱心に「宗教」をしている人は少数派だと思いますが、

一方で、多くの人は、なんらかの「信仰」を持っていると思います。

つまり、なかなか「宗教」という形態をとりにくいものの、「信仰」心は意外に高い。

実際、大師線だとか、成田線だとか、「宗教施設に行くための鉄道」まで、各地に出来ている国でもあります。

だから、たとえ日本であっても、本当の意味での「唯物論者」は、ほとんどいないのではないでしょうか?

「俺は、どっちかっていうと、唯物論だな」なんて言っている人も、実際には、「唯物論」の立場を貫けてはいない。

もし仮に、本当に「唯物論」の立場の人がいたとしたら、その人は、祈ることはないでしょし、

物理学以上の、潜在的、根本的な「意味」(たとえば、「自分がこの世に生を受けた“意味”」など)を考える事も

しないはずだと思います。

少し長くなりましたが、、(すみません。(^^; )

結論は、

唯物論者は、どんな言葉であっても、祈りはしない。

もし祈るのであれば、その人は、唯物論者ではない。

だと思います。

◎質問者からの返答

興味深い回答なのでポイント差し上げます。

潜在的に日本人の多くがアニミズム的発想を持っているのは確かだと思います。

もっとも、唯物論者であっても亡くなった方に何らかの表現はあると思いますので、さらにいろいろな回答を期待しています。


3 ● ctrl-v
●14ポイント

「安らかにお眠り下さい」はいかがでしょうか?

ちなみに「冥福」は仏教的な概念なので、仏教徒以外の方に使うのも違和感があると聞いたことがあります。

◎質問者からの返答

なるほど。

キリスト教やイスラム教や神道やゾロアスター教やヒンドゥー教の方の回答もお待ちしております。


4 ● どんジレ、どんさん
●14ポイント

こんにちは。興味深い質問ですね。

>キリスト教やイスラム教や神道やゾロアスター教やヒンドゥー教の方の回答もお待ちしております。

これらの宗教に属していないのですけれど、回答してよろしいでしょうか(恐縮)


亡くなった方に対して、その人の死を悲しみいたむこと、弔おうとする時に、「ご冥福を祈ります」と使ってしまいます。しかし私は特定の宗教に属していないので、そもそも「誰に祈るの?」「死後の転生を信じているの?」という問題にたしかにひっかかりますね。

他に言いようがないから、私はこの言葉を使っているのだと思います。例えは変ですが、朝の挨拶が「おはよう」なのと、食事のあとに「ごちそうさま」というのと、あまり変わりはないと思います。少しずれますが、文化圏が異なると、食事の前に祈る家庭はあっても、「いただきます」を何て訳そうか困ったりすることがあるかと思います。なんとなく、「冥福を祈る」も、英語圏の場合だと「安らかに眠れ」と訳すように思うのですが、眠る対象は「魂」なので、輪廻はともかく「魂」を信じているのかどうか、尋ねてみると、案外似たような答えが返ってくるかもしれませんね。


ちなみに、死ねば終わりの可能性が高いと信じているので、おそらく唯物論者に近い立場なのだと思いますが、「死んだことないから分からない」とも感じております。以上です。

◎質問者からの返答

やはり「魂」があることを前提とした言葉ですよね。

参考までに和英辞典より。soulの語が含まれます。


5 ● a2gi
●14ポイント

>唯物論者で、死後の世界(霊界)も輪廻転生もありえない、死んだら終わり、と思っている人は、代わりにどういう言葉を使いますか?

これって本当に「唯物論者」(?)なら、何も言わないんじゃない?だって言葉が届かないのだから。

死者に語りかけている時点で矛盾している。

仮にいうことがあるとすれば、それは自分の心の中に対してだけだと思う。

忘れる人もずっと想い続ける人もいるでしょう。これは唯物論者に限らず言えることだと思います。

つまり、唯物論者にとって死者とは「更新されることのない記憶」ということになりますね。

言い換えれば死者に語りかけるという行為は自己との対話ということになります。

私はひねくれた人間だから思うけど8割9割の人は自分の気持ちに整理をつけるために死者に言葉をかけているに

過ぎないと思う。(それが悪いことだとは全く思わないが)

本当に死者に語りかけている人なんているのでしょうか?死者になっても話さなきゃ伝わらないの?

それはそれで逆にさみしくないか?

◎質問者からの返答

厳密に言えば死者と話せるのはイタコとかユタとかだけ?

「死者に語りかけるという行為は自己との対話」という観点は興味深いです。


1-5件表示/15件
4.前の5件|次5件6.
関連質問


●質問をもっと探す●



0.人力検索はてなトップ
8.このページを友達に紹介
9.このページの先頭へ
対応機種一覧
お問い合わせ
ヘルプ/お知らせ
ログイン
無料ユーザー登録
はてなトップ