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靖国神社の合祀・分祀問題について、あくまでも神道教義の問題として下記の点について教えてください。

○1987年10月1日付毎日新聞にて、松平永芳宮司は「「神社には『座』というものがある。神様の座る座布団のこと。靖国神社は他の神社とは異なり『座』が1つしかない。250万柱の霊が1つの同じ座ぶとんに座っている。それを引き離すことはできません」と述べています。

1.靖国神社(招魂社)以前(つまり明治以前)に、このような「座が一つしかない」形の「合祀」はあったのでしょうか。
1-a.あれば実例を。(一つの神社に複数の祭神がいるという形態ではなく、複数の霊を一つのものとしてして祀る形態)
1-b.なければ、招魂社がそのような形式を取った理由あるいは根拠について書かれている資料を。

2.このように「合祀された御霊をあとから分けることはできない」という教義の根拠(出典)はどこにあるのでしょうか。

3.この教義・合祀方法は、招魂社創設当初からのものでしょうか、後のある段階からのものでしょうか。最初からではないとすれば、いつの時点で考え方・御霊の扱い方が変更されたのでしょうか。

神道教学・神道史的な観点からの回答をお願いします。


●質問者: 松永英明@ことのは
●カテゴリ:政治・社会 芸術・文化・歴史
✍キーワード:10月1日 1987年 分祀 宮司 座布団
○ 状態 :終了
└ 回答数 : 3/3件

▽最新の回答へ

1 ● pahoo
●40ポイント

1-a.明治以前に合祀した神社の事例

霊光殿天満宮(京都市上京区)は1018年建立で、天神様を祀っているわけですが、1636年に徳川家康を合祀しています。

地方では、集落合併によって複数の神社が統合され、結果的に合祀となった神社もあるようです。


2.「合祀された御霊をあとから分けることはできない」という教義の根拠(出典)

そもそも、神道には「分祀」という概念がありませんでした。たとえばお墓に入ると、すべてが「先祖」として祀られるように、一所に集めた霊は渾然一体となって「神」となり、われわれを見守ってくれるというのが日本人古来の考え方です。

なお、「分霊」という概念はあるのですが、これは、「座」をコピーして他所に勧進することで、ひとつひとつの御霊を分離することではありません。


3.この教義・合祀方法は、招魂社創設当初からのものでしょうか

戊辰戦争から靖国を考える」によると、戊辰戦争で亡くなった人々の霊を招魂するのが目的で創建され、招魂の結果が合祀ですから、「創設当初からのもの」と言っていいでしょう。


参考サイト

◎質問者からの返答

1-a. これは、菅原道真と徳川家康を一つの祭神として一体不離のものとして祀っているのでしょうか?単に同じ神社に複数の神を祀っているのでは?つまり、単に複数の祭神を一社で祀っている状態ではないのでしょうか?「座が一つしかない」ことは確かめられますか?

たとえば参考サイトの「A級戦犯を分祀せよ」では神道事典の引用として、合祀の定義を「(一)本殿合祀」「(二)境内合祀」「(三)飛地境内合祀」としてあり、同じ場所で別々の神とみなしているように受け取れます。pahooさんは「一所に集めた霊は渾然一体となって神となり」とおっしゃいますが、「祭神の柱数はその総計に従い、その中に同一祭神があれば合霊して一柱と数える」という神道事典の説明から考えると、「合祀」では別神扱い、「合霊」となって初めて一柱と数えられるようですが、これも「同一祭神があれば」との限定付きです。

一つの神社で複数の神様を祀っている例は多く見聞きしますが、一緒に祀られたら渾然一体化して一つの神として扱われるという明らかな例は寡聞にして知りません。

2.「お墓に入ると、すべてが「先祖」として祀られるように、一所に集めた霊は渾然一体となって「神」となり、われわれを見守ってくれるというのが日本人古来の考え方」という部分についての出典を知りたいと思っています。

なお、分霊については、三種の神器等を初めとして多くの例がありますので、「一度合体した霊を分割する」という意味でないことは了解しています。

分祀という概念がなかったとすれば、合祀(厳密に言えば合霊?)という概念も同様になかったのではないかとも思っています。松平宮司が「他の神社とは異なり『座』が1つしかない」と発言しているということは、一般の神社では「座」は複数あるということになり、「合霊」させずに別々の神として祀っているのが一般的ではないか、ということです。

3.「戊辰戦争で亡くなった人々の霊を招魂するのが目的で創建され、招魂の結果が合祀」というところまではOKです。ただし、参考文献としてあげていただいた神道事典の記載によれば、合祀=合霊(一心同体の合体)であったとは言い切れません。当該ページでも「「招かれた魂」の総数は三五八八」と書かれていますが、三五八八柱を不即不離の一霊としたという記載はありません。

靖国神社公式サイトには「246万6千余柱の方々の御霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています」とあります。「2466000柱」が「すべて」「斉しく」お祀りされているということは、一柱の神ではないように受け取れます。

最初の霊光殿天満宮でも、wikipediaでは「天満天神(菅原道真)と徳川家康を祀る」と書かれており、合体して新しい神になったという記載はありません。ですから、「渾然一体となって」という考え方が本当に「日本人古来」のものか、あるいは何神道でもいいのですがそういうことが明記されている流派があるのかどうかということが知りたいわけです。

さらに考えれば、靖国大神という名称自体が靖国と改名してからのものと思われますが、招魂社に招魂されて祀られた最初の戊辰戦争官軍犠牲者が合体して一つの神となったのだとすれば、その当時は何の神と呼ばれていたのでしょうか?

申し訳ありませんが、今回の回答ではさらに疑惑が深まりました。松平宮司の見解は、他の神道とも異なる新興宗教としての単立宗教団体靖国神社の独特の教義であるという疑念がぬぐえないのです。リンクしていただいた読売新聞の記事でも、中曽根元首相が、「靖国神社の神主さんが(分祀に)反対しているが、どうも明治に国家神道になって、それで神主さんの視野が狭くなった。昔のように、もっとおおらかな神道に返ったらどうか」と発言しています。


2 ● falcon2
●0ポイント

エセ左翼はバカだから、神社とお墓を勘違いしてるんでしょうね。

◎質問者からの返答

意味不明の回答なので、回答拒否設定しました。


3 ● filinion
●40ポイント ベストアンサー

不確かな情報なのでコメント欄に書きたかったのですが、そちらがふさがっているので……。すみません。

(不満足でしたらポイントはいりません)

1.たぶんなかった、と思います。

ただ、明治以前の日本の宗教、というのは、非常に多様なものでした。

明治政府によってそれがかなり強引に整理統合され、「淫祠邪教」の類は一掃されたわけです。

明治時代に祭神が変更されたことはわかっているのだが、それ以前に何を祭っていたかが不明、なんて神社もたくさんあるそうです。

従って、地方にどんな特異な信仰があったかは不明なわけで、「絶対になかった」とは言い切れません。

なお、一般には、「合祀」というのは、一つの神社で複数の神格を祀ることのようで、明治時代の神社整理で行われた「合祀」も、そちらのようです。

南方熊楠の「神社合祀に関する意見」の中に、

「従来一社として多少荘厳なりしもの、合祀後は見すぼらしき脇立小祠となり」という一節があります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/card525.html

従って、明治の神社合祀は複数の神社の神々を一カ所で祀る、というものであったのでしょう。

1-b.

実はよくわからないのです……。

というか、そもそも、靖国神社自体、英霊を「柱」という単位で数えています。

Wikipediaに従えば、祭神は「護国の英霊 246万6532柱」だそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9C%8B%E7%A5%9E%E7%A4%B...

英霊全体で一柱ではないわけで。

「東条英機命」のように、一人一人に「命」を付けて神扱いしていますし。

であれば、一つの座布団に何人座っていようが、そこから何人か抜き出せない、というのは不可解に感じます。

もちろん、古い日本の信仰では、死者の霊はやがて個性を失い、「祖霊」という一つの何かになるとされていました。

そういう文脈で、「英霊」というのは「氏神」同様一つの神格なのだ、と捉えれば、理解できなくもありませんが……。

ちょっと違和感を覚えます。

なぜ一座にしたのか、ということになると、そもそも人数が多い上、正確に「何人」と断定できない、という現実的な理由だったのではないかな、と推測します。

乃木神社や南木神社のような具体的な個人を祀る神社と違い、「戊申戦争の戦没者全部」などとなると、特定が困難ですし、身元不明者がいた時に困りますから……。

だから、全体で一座、ということにしたのではないか、と。

2.正直、わかりません。

靖国神社の説明では、英霊を祀ることは

「家庭で祖先の御霊が「家庭の守り神」として大切にされている」

のと同様だ、としていますから、前述の氏神と同様、個性を失ったひとつの神格として扱っているのかも知れません。

http://www.yasukuni.or.jp/history/detail.html

ただ、その割に、

「ご遺族からのお申し出による「永代神楽祭」は、神霊のご命日など縁ある日に神楽を奉奏し、永代に亘って神霊をお慰めする祭典です」

とかもあるし……。

Wikipediaに従えば、合祀に際して

「靖国神社の御神体とされる鏡に「霊璽簿」を写し、合祀祭を行うことで「人霊」を「神霊」へと化す」

という手順があるそうですので、ここで一つの神格になるのかも知れません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%B...

しかし正直なところ、護国神社・靖国神社以外で似たようなことをやっていない以上、「教学上できない」と言われたら誰も否定できない(肯定もできない)わけで……。

「俺ルール」と言えなくもないような。

3.当初からと考えるべきでしょう。

http://www.ne.jp/asahi/hon/bando-1000/tam/tama/tjo/j020/j020t.ht...

Wikipediaに従えば、「当初は祭神は「忠霊」・「忠魂」と称されていた」とのことですので、招魂社・護国神社でも事情は同様ではなかったでしょうか。

◎質問者からの返答

「ある」ことの証明は可能でも「ない」ことの証明は難しいなか、ご意見ありがとうございます。

忠霊・忠魂という言い方は、確かに現在の靖国大神という考え方に通じるものがありますね。

こうやってご回答いただくと、靖国神社は一見、伝統的な神道説にのっとって主張しているようで、その実、(少なくとも明治以降の)「俺教説」を展開しているだけという可能性が高いようにも思えます。

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